第17話 黄色の守護


 小瓶を煽り、その中身を口へ運ぶ。

 蜜のように甘く、少しとろみがある水分が喉を通って行き、アルコール特有の焼けるような後味が残った。


「……」

「先生……」


 次いで蜂蜜酒は食道を通っていく。

 熱い、圧倒的に熱い。

 本来熱を感じない筈の所でも、蜂蜜酒はその存在を圧倒的に感じさせてくる。

 先程ポケット越しに感じた熱など、全く非にならない。

 感じる熱量は、実際に見たことすらないマグマを彷彿とさせた。


 まるで全身が業火であぶられているかのような。

 そう感じてしまうほどに、とんでもない熱を放っていた。


「……」


 数秒経った。

 その熱に心地よさを感じ始めた頃、頭の中に酷く歪んだ文字が並んでいく。

 内容は覚えている。杏里先輩や校長が教えてくれた呪文の一節、あくまで無傷の逃走を目的とした、極めて基本的な呪文……と聞いている。

 その内容というか、意味はあまり理解しないようにしていから、本当にそうなのかは分からないが……。


 恐れることなく、迷わず使え。

 当時の校長が、まっすぐ俺の目を見て言ってくれたことを覚えている。


「……ステンナ」


 ふと、目の前の生徒の名を呼ぶ。

 名前を呼ばれたステンナは目を細め、先程までの余裕をまるで感じさせない。

 まるで自分と同等、もしくは格上の敵を相手にしたかのように、その顔は強張っていた。


「……なに、先生?命乞いなら全然受け入れるよ。でも、先生がその魔法を行使するなら容赦は――」

「今から俺は、全力でお前に抵抗する。だから気を付けてくれ、俺もこの呪文を唱えるのは初めてだからな。そもそも魔法なんて使ったことがないから、暴発するかもわからん」


 ステンナの言葉を遮り、自分の決意を伝えた。

 先程まで感じていた恐怖は幾分か減り、余裕のできた感情の隙間には、代わりに温かい気持ちが埋まってきた。


 これが勇気というのなら随分安っぽくも感じるが、意思が固まっただけ良しとしよう。

 呪文を唱えただけで、自分に何ができるかは分からない。

 でも呪文を唱えるべきなのは今で、為すべきことは明確であった。

 今の俺には、それだけで十分だ。


「愛する者よ、顕現せよ。汝の眷属に我が身を預け、久遠の愛を捧げんッ!!」


 口から出た言葉は、自分でもビックリするぐらいスルリと喉を通り抜け、辺りの空気をピンと張らせた。


 空気が変わったと感じる。一体に何が変わったのか、そう問われればハッキリとは言えない。

 だが、明らかにこの場の「何か」が変わったことを、純人間の俺ですら確信できた。


 そして呪文を言い終えてから少し経った時、星空と見紛う空間に突然大きな亀裂が走った。

 ビシリとひび割れた空間を見るが、その奥には何が存在しているか分からない。

 ステンナですら、目の前の異常な光景に驚きを隠せないようであった。


「……何、あれ。先生、いったいどんな魔法を発動させたの?」

「分からないさ、俺にも分からない」


 少しばかり早口になったステンナからは、ほんのちょっぴり焦りが見える。

 対して、俺の心はあまり乱れていない。逆に立ち向かおうとする意志さえ生まれていた。


「でもステンナ、この力はお前を傷つけるような力じゃないとは思う。少なくとも、俺はそうだと確信している」

「へぇ、何を根拠にそんなことを言うの先生?その呪文も、道具も、あの宇宙生物とドラゴンに与えられたんでしょ?だったら発動したら最後、敵を殲滅するような凶悪極まりない術だと思うけど……先生は、教え子の私を平気で傷つけちゃうの?」

「年上にそんなこと言われるのはキツイなぁ……」


 軽口を返す俺に対し、ステンナの額から汗が流れる。彼女がここまで動揺する姿なんて、今まで一度も見たことが無かった。

 だが、それでも魔法を止めるワケにはいかない。


「この力は、きっと自分の意思によって発動の中身が変わる魔法だ。俺が防御を求めたら、きっとあの亀裂の中からは慈愛の存在がやってくる。逆にお前の言う通り、相手を倒すことを求めたら、出て来るのは超攻撃的な存在だろう」

「……」

「根拠がどうだとか、理由がなんだとか、そういう話じゃあないんだ。この魔法は限定的ではあるが、発動者の望みを具現化させる魔法なんだッ!」


 俺の言葉を聞いて、ステンナは目を細める。ただそれだけの動作なのに、おおよそ人間らしい様子は感じられない。

 矮小な人間がモンスターの領域に土足で踏み込んでいる。その事実にキレた化け物のようにも思われた。


「……そう、そうなのね先生」

「ステンナ、止まるべきなのはお前だ。今なら怪我をしないで済む。俺も、恐ろしいモノをこれ以上見なくて済む。だから――」

「先生が「コッチ側」の戦いを望むなら、私も容赦しないわ。完全な服従を見るまで、絶対に止めないからッ……!!」


 途端、ステンナの瞳が変貌する。

 細く、鋭く、おおよそ人間のソレではない

 言うなれば蛇。どこまでも獰猛で、狡猾な爬虫類。

 彼女の髪の毛である蛇のように、その目はモンスターの目になっていた。


「シャーッ!」


 それに呼応するかのように、彼女の蛇たちが威嚇をしてくる。

 あの蛇たちに直接威嚇されるのは初めてだった。

 普段は快活な印象があった一匹一匹から、明確な敵意を感じる。


「……いくよ、先生ッ!!」


 そう言ってステンナの目が怪しく光り、眩い光線を放った。

 ギラギラと矢のように輝く光線は、矢のように鋭く一直線に向かってくる。


「ッ!?天井より来たれ、神の黄衣。全ての災厄を霧に変えよ!」


 最早、条件反射。

 自分でも驚くほどのスピードで、新たに呪文の一節を読み上げる。

 それと同時に、亀裂の中から何かが飛び出して俺の体を包み込んだ。


 そして包んできたソレは、ステンナの光線をすり抜けさせた。


「光線が……俺をすり抜けて……この布は……?」


 黄色い、ボロ布。

 言葉で表現するのならば、出現した物体はそれだけのモノであった。

 しかし、決してそれだけではない。


「この布からは、何か気高い力を感じる……人間なんかが入り込んじゃいけない……本当の神性。そうだ、蓮田校長から感じたのと同じッ!」

「霧の黄衣……あの校長が寄越したのね。ふふ、どれだけ攻撃を防ぐのか試させてもらうね、先生」


 言うや否や、ステンナは足を弾かせて俺に向かってくる。

 俺は彼女を一切目から放さず、真っ直ぐ睨み付けた。

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