第11話 新しい朝が来た


 ベッドに入り、一瞬にして朝とご対面。


「……おはよぅございぁーす……」


 誰もいない。寂しい。

 雀っぽいミニドラゴンが、外で「ヂヂヂ……」と鳴いている。

 いつも通り、静寂に満ちた平和な朝だった。


 俺は半身だけ起こしていた状態から、足を移動させベッドから降りる。

 閉じたカーテンからのぞかせる朝日が、妙に鬱陶しい。この時だけ、俺はもしかして吸血鬼の類なんかじゃないかと考えてしまうほどに、朝の日光が煩わしかった。

 まぁ、そんなこと微塵も無いんだけど。


「……メシィ、なんかあったかぁ?」


 おぼろげな記憶を頼りに、食糧にありつくため冷蔵庫へと向かう。

 ボーっとしている意識だが、階段を下りる時は一段一段しっかりと確認する。一度足を踏み外して、大層ビビったことがあったからだ。

 こういう所は小心者でしてね。


「あー……卵がある……鮭……は面倒だな……飯は前炊いた残りが……卵かけでいいか」


 冷蔵庫から卵とタッパーに入った白米を取り出す。

 取り出したタッパーがひんやりとしていて気持ちいい。


「……さすがに温めるか」


 しばしばする目を強めに閉じながら、近くにある電子レンジに取り出したものを入れ、スイッチを入れた。

 ブォンと小気味いい音を出しながら、俺の代わりに電子レンジが食物に命を吹き込んでくれる。


「……顔を洗おう」


 トロトロとした足取りで洗面所に向かい、だらけきってる自分の顔と対面する。

 数年前はまだ大丈夫だと思っていたが、見た事無い皺や白髪が多少見えた。非常に見苦しい。

 コレが年齢のせいでなくストレスのせいだったら、教卓で女子高生がドン引きするくらいギャン泣きしてやるからな。


「……」


 蛇口をひねると、勢いよく水が出て来る。水を手にすくい、顔に勢いよく当てた。

 その時に、ようやく意識が少しだけ戻ってくる。目が冴えて、昨日の出来事も少しずつ思い出してきた。


「あぁー……亜子さんを心配させたんだっけか……」


 昨日の真剣な顔をしていた亜子さんに罪悪感を抱きながら、俺は歯ブラシを手に取って控えめな勢いで歯を磨いた。

 数分磨いたのちに口をゆすぎ、先程レンジにブチ込んだご飯を取り出そうと台所へ向かう。


 そして冷蔵庫を見ると、無残に卵の中身を外にぶちまけて半開きになった電子レンジが……。


「……」


 そういえば、レンジに卵も入れてしまったんだっけか。

 地味にたいへんなことだというのに、なぜか俺の脳はボケているかのように稼働しない。取り乱したりもしておらず、ボーっと破裂した卵を見続けていた。

 なんだろう、ここに住み始めてから非現実なモノを見続けたせいで、脳が異常事態に慣れてしまったのかもしれない。


 ふと時計を見ると、出かける時間が迫って来ていた。


「……出かけよう」


 朝食は抜き。

 部屋とレンジの掃除は帰宅後にしよう。情けなくはあるが、家に早めに帰る理由が出来た。


 喜ばしい理由では決してないが、無理矢理プラス思考に持ち込む。そうすれば、まだ今日一日を頑張って行こうと思えた。


「……スーツ着ないとな」


 半覚醒した意識を完全に目覚めさせるため、頬をベチベチはたく。

 ひりひりとした痛みを感じながら、俺は寝巻を脱いでスーツを着用。鞄を持って家を後にした。




「あ、先生おはよー」




 扉を開けると、そこには俺が勤務する高校の生徒が立っていた。

 褐色の肌、キレイに手入れされた爪。染めたワケでもないのに、金色に輝く髪。というか蛇。

 割と風紀には厳しい筈の学校で、膝が半分見える程に短い改造スカートをはいている。


 彼女は朱里・ステンナ。

 昨日のグリフォン親子との面談や、杏里先輩との会話に出てきた、メデューサとの獣人少女である。


「おはようステンナ。なんで俺の家の前にいるんだ?確かお前さんの家は、学校から見て反対の方向だと思ったが?」

「えーなんでかなぁ?偶然だよねぇ、私ボーっと歩いてただけなんだけどぉ……ねー皆ぁ」


 半開きの目で笑いながら、ステンナは頭から生えている蛇に話しかける。

 蛇たちは目を閉じると、同意するかのようにウンウンと頭を上下させた。ホント仲良いよね君ら。

 

「まぁ会うことができたんだしぃ、一緒に学校行こうよせんせぇ」

「……ステンナ、確か何日か前もここまで来てたよな?同じ理由で」

「えーそうだっけぇ?私覚えてないなぁー」


 余裕そうな態度を変えず、コロコロと笑う朱里。

 ダメだ、どうやっても舌戦でこの子に勝てる気がしない。討論的な意味で勝てないんじゃなくて、どう言ってもファーっとかわされてしまうのだ。


「……まぁいい。ほら、行くぞステンナ」

「いししっ、ラッキー。じゃあ一緒に行こ、せんせぇ」


 何が嬉しいのか、ステンナはクルクルと楽しそうに回りながら、俺の隣に歩いてきた。

 そして俺の右隣りにたどり着くと、目では視認できない程のスピードで俺の腕をつかむ。両腕でガッチリと固められてしまったようだ。

 逃げ出すことが全然できず、捕食されたようで怖い。


「お、おい……やめなさいステンナ」

「えーいいじゃんせんせぇ。これで学校まで一緒に行こうよぉ」


 焦る俺に対し、全く態度を変えないステンナ。

 こんな様子を誰かに見られたりしたら、学校で何を言われるか分かったモノじゃない。

 ただでさえこの子とは、放課後補修に付き合っていたせいで良からぬ噂が立っていたようだしなぁ。

 あ、放課後といえば。この子実は補修が要らない程賢いんだっけ?杏里先輩がそう言っていた気がする。

 真相は定かじゃないし、出所は内緒にして探ってみるかな。


「そういえばステンナ、風の噂で聞いたんだがな」

「んーなぁにせんせぇ?」


 頭を寄せないでいただきたいんですが。なんでこうフワッフワしてるんだこの子は。

 こら、俺の肩に頬を乗せるんじゃない。ヤバい、ちょっとドキドキしてきた。見た目子どもだというのに、何故ここまで色気があるんだこの子は。

 あ、年上だったわ。いやそういう問題じゃなく。


「お前、本当は勉強できるんだって?通ってる塾の模試だと、いつもトップクラスだとか聞いたぞ。先生をだますなんて酷いじゃないか。それに、いくら塾で成績がよくても、学校でいい成績をとらないと意味ないぞ」


 呆れた様な表情で、俺は軽くステンナに注意してみる。

 高校生を相手に説教をする場合は、この方法が一番だ。頭ごなしに怒鳴りつけるのではなく、機嫌を伺いながら弱弱しく言うのでもなく。近しい存在が話す感じで話しかけると効果的だ。


「……」


 ほら、こうすれば普段ちゃんと話を聞いてるか分からないステンナもちゃんと……アレ?


「……」

「お、おい。聞いてるか、ステンナ?」


 何か彼女の様子がおかしい。

 俺が注意した瞬間に顔を伏せたかと思うと、その場から動かなくなってしまった。

 早く行かないと、学校に遅刻するぞ?


「……先生、誰から聞いたの?」

「え?なんだって?」

「誰から聞いたの?今のこと」


 俺がステンナの様子を伺っていると、いきなり彼女から俺に話しかけてきた。

 今のことって、塾の事か。


「い、いや誰からとかはいいだろ。問題なのはステンナが――」

「よくない。誰から聞いたのか教えて」


 なんだろうか、彼女の雰囲気が一変した。

 今までの伸びた口調が、落ち着いたモノに変わっている。フワフワとした感じだったのに、凍てつく程冷たい感じがした。

 逃げ出そうにも腕の拘束が一向に解けず、距離をとることすら出来ない。


「……」

「ほら、先生答えてよ。誰から、そんなこと聞いたの?」


 ふと、彼女と目が合う。

 彼女の目は怪しく光り、その輝きを見た俺は一切身動きが取れなくなった。


「が……あ……?」

「……La♪」


 そして彼女の声が聞こえると、自分の意思とは関係なく俺の口がゆっくりと開いていく。

 閉ざそうとしても、口は俺の命令を全く聞かなかった。


「……?」


 ここで俺は、一つの疑問を抱いた。

 メデューサの力は石化だけ。加減をすれば硬直させるだけに留めることも出来るらしいが、逆をいえばそれ以外に効果は無い筈である。

 しかし、なぜ俺の口は勝手に開いていくのか。その答えが俺には分からなかった。


 何にしても、何の力も無い純人間の俺には抵抗なんてできるワケもなく。ゆっくりと俺は先輩の名前を白状してしまった。


「……ヘルブラッド……先生……だ……」

「ヘルブラッド……ふぅん。あの竜女が……」


 ステンナが納得したかのように目を細めると、彼女の目から放たれていた光が少しずつ弱くなっていった。少しずつ体の自由が効くようになり、数秒したら体の感覚が完全に戻ってきた。

 だが操られていた感覚は消えていない。俺は汗を流しながら何度も深呼吸し、バクバクとなり続ける心臓を抑えることで精一杯だった。


「ステンナ……なんで俺に邪眼なんか……」

「ごめんね、先生。どうしても聞きたかったんだ。先生に知らなくてもいい事を教えたのが、どこのどいつなのか」


 いつも見ていた明るい様子はなく、今の彼女は氷のように冷たい感じがした。邪魔になる障害を一切の迷いなく排除する。そんな独裁者のような感じだ。


 もしかしたら、コッチが本当の彼女なのか?

 いつも見ているステンナはただの演技で、いつも隠していた……なんでそんなことを?

 あぁダメだ、彼女にどう話しかけたらいいか分からない!


 まとまらない思考にイライラしていると、ステンナはおもむろに俺の拘束を解き、ゆっくりと何処かへ歩き出した。


「お、おいステンナ。どこに行くんだ、学校はそっちじゃないぞ」

「……私、用事を思い出したの。学校には少し遅れるから」


 そう言うと、彼女はすぐ近くにあった曲がり角を進んで行ってしまった。

 確か、あの道の先は行き止まりのはずだ。そう思い、俺は未だに震える足で曲がり角まで歩いて行く。


「いや、今から用事って確実に遅刻する……」


 だがしかし。


「……え?」


 曲がり角の先に、ステンナはいなかった。

 視線の先には、塀に囲まれた味気のない行き止まり。彼女が何処に行ったのか、全く分からない。


「……」


 何か、嫌な予感がする。

 そう思ったのだが、特にそれを証明することも出来ない。

 言い様も無い不安に襲われたが、それで仕事を休むワケにもいかなかった。故に、俺は近くに放ってしまっていた鞄を持ち、少しばかり速めのスピードで学校へ歩いて行った。




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