第7話 食事、出禁
『アーカム・噛む噛む』で出される肉は、ほとんどが牛肉系の肉である。牛肉系と敢えて表現したのは、純粋な牛の肉ではないからだ。
杏里先輩が食べている肉も、鮮度を長引かせる技術が施された『神海牛』なる新種の牛肉が使われている。
なぜ海の名前が使われているのかは俺も知らない。
鮮度=瑞々しさ=水の多い海、ってことなのかな。いや、自分で考えてなんだけど意味が分からないわ。
だがまぁ、普通の牛肉や鶏肉がないワケじゃない。実際俺が今食べている串物も、普通の鶏肉が使われている。
やっぱり、慣れ親しんだお肉が一番だ。
「んでぇ?お前は最近どうなんだぁ……青柳ぃ……」
「どうって、何がですか先輩……」
肉から視線を逸らし、目の前を見ると杏里先輩が完全に酔ってしまっている。完全におじさんのソレだ。
いつもの快活な感じはどうしたよ、上位ドラゴン。
「決まってんだろぉ……女は出来たのかって聞いたんだぁ……」
はぁ、また始まったよ。
いつもより酔いが早いし、何か嫌なことでもあったのか?
「そんなの出来てませんよ。最近じゃ何かと忙しいですし、合コンとかも亜子さんから禁止されてますし」
そう、俺には恋人なんて浮ついた存在はいない。
学校みたいに限られた空間じゃ出会いなんて皆無だし、職場の人をそんな目で見ることが出来ないし。
そもそも、俺以外獣人の環境で、恋人なんてできる筈もないだろうさ。
寿命だって何倍も違うんだ、人生観すら違ってくる。
「合コンん……?お前ぇ、合コンなんて行ったのか?くぉのバカ者ォッ!」
「ウォッ、あぶなっ!?」
いきなり怒鳴り出した先輩は、普段はあまり言わない罵倒と共に火炎を口から噴き出してきた。
やばいやばい、勢い良すぎて柱まで届いてる。店を焦がしたりしても弁償するお金ないぞ!?
あ、ていうか焦げてる!?木を燃やしたような独特の臭いが充満してきた。
「そもそもなぁ……お前は人のことを気にしないで……いっつも無防備に……」
「ちょ、ちょっと杏里、なに店の中で炎吐いて――」
「うるさいぞケット・シーッ!」
「みぎゃっ!!?」
慌てて先輩を止めに来た猫耳店員さんの首を掴み、のれんの外へ吹っ飛ばしてしまう。
食器やトレイが落ちる音、人が倒れるような音が響き、次いで人の悲鳴が聞こえてきた。
「や、ヤバい……コレは流石にまずいだろ……」
「マズイぃ……?そうやってすぐ話をそらそうとしてぇ……」
こっちは慌ててるってのに、先輩は全く気にしないで俺への尋問を続けようとする。
違うでしょ先輩、今はもっと気にしないといけないことがあるでしょお!?
俺は耐え切れなくなり、席を立って様子を見に行こうとした。
今の先輩もなかなかに危ないが、とりあえず外がどうなっているかを確認したい。
「もう、とりあえずあの店員さんが無事か見に行かないと、先輩のお知り合いなんじゃないんですか!?」
「あぁん……?あんな化け猫放って置けばいいんだぁ……後になって欲しいとか抜かすような女なんだぞ……まさか、貴様」
あれ、呼び方が名字から貴様になってる。
もしかして、先輩怒ってらっしゃ――
「いっだぁ!?」
「貴様ぁ……アイツみたいな獣人が良いのか……?やっぱり強さより可愛さなのかぁ……!?」
イタイイタイ!
いきなり肩掴んでテーブルに押し付けないで先輩!
「せ、先輩……何言ってるのか分かりませんよ!とりあえず、この手を放して下さいって!」
「いいや、お前は目を放すと幼児のようにトテトテと何処かに行ってしまうからな……こうやって抑え込んでおかないと、心配で仕方ない……」
「ちょ、幼児って!確かに弱いのは事実ですけど、物事の分別くらい自分でできますって!」
なんとか先輩を説得しようとするが、全く気にする様子が無い。
それどころか抑える力がドンドン強くなり、その上触れている彼女の手が熱くなってきた。
ていうか、今ちょっとだけ先輩と目があったけど、完全にドラゴンのソレになっている。
なんだろう、絶対的な存在に睨まれると身動き一つ取れなくなる。怖いとか以前に一切の抵抗が無駄なんだと、体が理解しているかのようだ。
「そうだ、最初からこうすれば良かったんだ。戦略などまどろっこしい……力で縛ってしまえば、誰の手にも渡らんのだからなッ!!」
「何その覇王論!?どっかのラスボスじゃないんですから、先輩とりあえず落ち着いて……!」
必死の説得も虚しく、ドンドン手に力が込められていく。
アカン、あとちょっとで折れてしまう。
一応、国から支給された防衛用の小型スタンガン(狂)もあるけど、先輩なんかに使いたくないし。
痛みに耐えながら、どうしたものかと悩んでいた時、頭上から冷たいモノが勢いよくかけられる。最初何かは分からなかったが、それは氷が混じった水のようだった。
水はザパァと自分たちに怒涛の勢いで降り注ぎ、力の強い先輩さえも手を放して机に伏してしう。
対面にいた俺も、水の勢いに負けて額を机に叩きつけてしまった。首折れるぞこの強さ。
「杏里、いい加減にしてくれない?」
ぐわんぐわんする頭を押さえてのれんの外を見ると、そこには仁王立ちする猫耳店員さんがいた。足元にはバケツがあり、雫が数滴垂れている。
辺りを見ると、こちらを心配そうに見つめる他の客や店員が見えた。
「キリカ……貴様ぁ……」
「貴様ぁ、じゃないでしょ!あの柱見てみなさいよ、黒焦げじゃない!店だって滅茶苦茶になって……店長カンカンで抑えてるのが精いっぱいなんだから!」
店員さんが指さす方を見ると、厨房の奥でタコの触手っぽい巨大な何かが暴れているようだった。他の店員が何人も吹っ飛んでいる。
その様子を見て、冷水の効果もあってか先輩は少しばかり酔いがさめたようだった。
「……むぅ、少しやりすぎたか」
「フシャー!アンタいつもそればっかりじゃない!お兄さんがいなかったら、アンタ今頃店長のエサよ!?」
「む、私はあんな深海のモンスターごときに遅れは……」
「あぁもういいわよ!ほら、早くお代払って帰りなさいよ。今日はなんとか私が何とかしとくから、当分はこの店来れないわよ!」
そう言って、店員さんは先輩のバッグから財布を取り出し、何枚かお札を抜き取って乱暴に返した。
抵抗しないのかと考えたが、先輩は既に眠ってしまっていた。この人精神がビックリするほど太いからな。
ていうか、この焦げた柱とか割れた皿の弁償代もなんとかしないと。自分の御代は後日先輩に返すとして、弁償の話は今のうちに決めとかないとなぁ。
「すいません、店員さん。柱やお皿の弁償をしたいのですが、持ち合わせが無くて……」
「え?あ、あぁ弁償ね。大丈夫ですよ、ここは私がおさめときますから。お兄さんの代金も、まとめて貰ってありますから!」
「いや、さすがにそれは申し訳ないというか……せめて何かさせていただかないと」
「んー……それならこのドラゴン女早く連れて行ってほし……あ」
店員さんは何ひらいたのか、尻尾をピーンと伸ばしてにんまりと笑った。
猫のように目を真ん丸にさせ、ヒョイッと猫のように軽やかな動きで俺の前まで歩いてきた。
「じゃあ、これあげる」
「え?」
「私の連絡先、書いてあるから。こ、今度二人で会うニャ」
語尾が猫になってる。口調だけなら可愛いんだが、口の端から牙が見えてきている。食われそうで怖い。
「わ、分かりました。でも、こんなことが弁償の代わりになるとは思えないんですけど……」
「……杏里も苦労するニャア。まぁ、だからこそ私も狙えるワケだけど」
頬を掻きながら、ブツブツと何かを呟く店員さん。声量が小さすぎるせいで、目の前だというのに何を言っているのか分からない。
「な、何かおっしゃいましたか?」
「ん?なぁんでもないニャ。じゃ、今度絶対連絡してほしいニャ。償い、したいニャらね」
ムフフと口に手を当てて笑う店員さん。
何が面白いのかよく分からないが、とりあえず約束は守ることにする。多分、買い出しか何かを手伝わされるんだろう。
「分かりました、では後日連絡させていただきますんで」
「ありがとニャ!じゃあ、早くそこの火トカゲ女連れて帰るニャ」
そう言われ、俺は先輩の隣に移動すると、いつの間にか眠り出した彼女の肩を担いで立ち上がった。
体のいろんなところが当たって、ゴクリと生唾を呑んでしまう。
「……お兄さん、胸が好きだニャ?」
「えっ!?い、いやそんなことは!ではこれで帰りますんで……」
「ふぅん……あ、待つニャお兄さん」
急いで店を出ようとした俺の肩を掴み、店員さんは俺に何かを差し出してきた。
見ると、それは真っ黒なサングラスであった。
「これ付けないと、お兄さん外を歩けないでしょ?今度会う時に返してくれればいいから、使って欲しいニャ」
「あ、あぁ……ありがとうございます」
俺は店員さんからサングラスを受け取ると、片手を使って鼻にかけた。
付けた瞬間は真っ暗で何も見えないが、すぐに視界が明るくなり、付けていない時と同じくらい辺りを見れるようになった。
なんだろう。原理は分からないが、普通のサングラスよりとんでもなく高性能だという事は分かった。
「それじゃ、また来るニャお兄さん。お兄さんだけなら、多分来ても大丈夫だから」
「は、はぁ……ではまた今度」
簡単な挨拶を済ませた後、俺は先輩を担ぎながらタクシー乗り場まで移動した。
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