第4話 優しい職場の先輩ッ……


 教室に戻ると、まだ数名の教師がデスクワークをしていた。

 各々次のテストやら、授業で使うプリントやらを作成している。


「……はぁ、疲れた」


 思わずそう呟き、俺は自分の机に力なく座った。

 机の上は整頓しているが、あくまでそれは表面のみ。机の中は書類やら何やらで散乱している。

 そんな魔の巣窟を開ける体力が、今の俺には残っていなかった。


「お疲れ様、青柳。すまんな、こっちも仕上げたい書類があったから、つい無茶振りをしてしまった」

「いえ、とんでもないですよ先輩。これくらいどうってことないですって……」


 そんな俺に話しかける先生が一人。

 真っ赤な髪を腰まで綺麗に伸ばし、同じく真っ赤なジャージを着ている。

 コメカミの上あたりから立派な角を二本生やしている彼女は、先輩の杏里・ヘルブラッド先生である。西洋のおとぎ話に出てきそうなゴッツゴツのファミリーネームだ。


 彼女は俺と同じクラスの担任を勤めている。扱っている科目は体育だ。

 年齢は……確か270代。例のごとく長命な彼女は、見た目は20代後半の美女に見える。

 ジャージで隠しきれないほどスタイルが良く、大きな胸が今にもこぼれそうであった。


 それだけじゃない。彼女の血筋は少し特別らしく、ドラゴンの中でも高いクラスのヘルブラッド・ドラゴンの血族だと聞いた。

 正直貧弱な我が身からしたら、クラスが高いとか言われても実感が湧かない。関係なく怖い。


 見た眼通りの快活な性格をしている彼女は、いつも俺の事を気にかけてくれている。本当に頼りになる先輩だ。

 仕事の進め方や生徒との接し方が分からない時には、いつも優しく教えてくれる。生徒たちからの信頼も厚く、頼りにしてくる親御さんも多い。


「結構疲れてるみたいだな。久しぶりに飲むか?」

「きょ、今日ですか先輩!?」


 そんな杏里先輩から、飲みのお誘いを受けてしまった。

 突然の誘いに驚き、俺は思わず抱えていた書類を机に落としてしまう。バサリと音をたて、整えていた机の上が散らかってしまった。


「お、お気持ちは嬉しいのですが……今日はちょっと……」

「……何か用事でもあるのか?」

「えぇ……いえそういうワケではないのですが……」

「なら問題ないな!いつものステーキハウスだ、お前も肉は好きだろう?」


 腕を組み、子供っぽくにんまりと笑う杏里先輩。両腕で大きな胸が押しつぶされ、妙にドキリとさせてくる。

 本当なら、いつもお世話になってる大先輩との飲みを辞退する理由は無いさ。でも、この人との飲みは避けたい。


 酒癖が悪いんだよなぁ、この人。

 悩みが無いかとか聞いてくれるのはありがたいんだけど、そこから酔いが進むと急に彼女の有無とか聞いてくるからなぁ。彼女おらんし。


「い、今からまだ作らないといけない書類もありますし……」

「なんだ、どうせあのグリフォン一家にせがまれて作る書類だろ。そんなものどうとでもなる。いざとなれば、私があの女に上手い事言ってやるさ。知り合いだしな」


 知り合いだったんかい。なら少しは助けてくれても良かったのに……。

 しかし、どうしたものか。なんとかして彼女の誘いを断りたいけど、どうにも諦める様子はないし……あれ、なんだ不安そうな顔して。


「もしかして、迷惑だったか……?」

「えっ」

「そ、そんなに嫌がるならいいぞ。また別の時に誘うからな……」


 ……うぐ。

 この人、いざという時はこういう表情するから卑怯なんだよなぁ。こんなの断れるはずがないだろうに。

 しかも演技とかじゃなくて、本気で残念そうな顔してるんだから。


「いえ、迷惑なんかじゃないですよ先輩。ちょうどご相談したいこともありましたし、こちらこそよろしくお願いします」

「ッ!本当か、本当なんだな!?」

「えぇ、本当ですよ」

「よ、よし。それなら仕方ないな、うん。なら、今すぐにでも行こう!」

「分かりました……あ、先にトイレに行ってきます。ちょっと待っててもらってもいいですか?」

「あぁ、行ってこい。いつまでも待つぞ……やたっ」


 嬉しそうに小さくガッツポーズをする杏里先生を背にして、俺は職員室を後にする。


 正直なところシンドイってのが本音だけど、あんな泣きそうな顔されたら断るにも断れない。

 そう思いながら、俺はトイレに行くと見せかけて階段の陰に隠れ、スマホを取り出した。そしてメール画面を開いて、ある人物にメールを送った。


『すいません亜子さん。今日は先輩に誘われたので帰宅時間が遅くなります』


 それだけ送ると、すぐに返事が返ってくる。数秒も待ってない。


『分かりました。遅くなり過ぎないよう気を付けて下さいね』


 そんな内容の文面を見て、相変わらず真面目な人だと少し笑ってしまう。

メールの主は、国から派遣された俺専属のボディーガードだ。

 名前は亜子さん。勿論普通の人間ではなく、サイクロプスとの獣人である。ピッチリとした黒スーツを着こなす単眼の彼女は、異世界から来た純人間という事で国から派遣され、普段は影から俺を見守ってくれている。


『何度も言うようですが、ハメを外しすぎないように。貴方という存在は、この世界ではとても貴重です。攫われたりしないようにしてください』

『分かりました。心配して下さってありがとうございます』


 簡単なメールのやりとりをして、俺は職員室に戻る。

 真っ暗になった廊下を歩き、明かりのある職員室を目指す。


 数分歩き、職員室の明かりが見えると、職員室の方向から声が聞こえた。


「杏里さん、今日――のぉ?」

「あぁ、願わくば今日こそ――はばっちりだからな」


 耳を澄ませると、相手は同僚のエイナさんらしい。彼女も獣人、どんな種族だったかハッキリと覚えてはいないが、確か悪魔系の種との混血だったと思う。艶めかしく輝く長い金髪が特徴的な人だ。


「いいなぁ、杏里さん。――といっつも――なんだもん」

「なんだお前――を――たのか。ダメだぞ――は私の――だ。絶対に――」

「えぇー今日び――なんて――」

「――ても、私は――なんて考えられ――。最近じゃ――たちも――んだ。早くモノにしないと、いつ――分からん。それに、アイツは――だからな。急がないと――に――!」

「もぉ、そういう所を――いつも――じゃないのぉ?」

「ふん、なんとでも――アイツ――なんか――からな。さっき――てたぞ」

「さっきの――なぁんか――感じが――なぁ」

「――ぞエイナ。お前は――らしく――ていろ」

「――も――したいんですぅー!」


 うーん、この距離だと上手く聞き取れない。

 ワーウルフ並みの聴覚があったら聞けたかもしれないが、人間の身では途切れ途切れに聞くだけで精いっぱいだ。

 どんな話だろう、恋愛大好きなエイナさんとの話だから、恋バナというやつだろうか?


 恋愛ねぇ……。

 恋愛のれの字も経験せずに30年以上生きてきた身としては、どうにも現実味がない話だ

 今後も経験することなんてないだろうと開き直っているし、こんな男を好いてくれるヤツなんていないと思っている。

 ……自分で言って悲しくなってきた。畜生、彼女欲しい。同年代くらいの可愛い彼女が欲しい。


 そんなことを考えながらドアに近づくと、先輩たちの声がハッキリと聞こえてきた。


「そもそもぉ、杏里さんの戦略ってどんなものなんですかぁ?」

「ふふん、聞いて驚け。この戦略は我が血統に代々伝わる、必勝の闘法からヒントを得たモノでな……」


 戦略?

 戦略ってなんだ?

 あの人たまに危ない事言い出すから怖いんだよな……根は良い人なんだけど。


 まぁいいや、とりあえず用事はすんだんだし戻らないと。

 そう思った俺は、携帯をしまって職員室のドアを開けた。

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