第23話

「そう言えば、あたし一年のフルネーム知らないや」と朝火先輩が言いだしたのである。経験上、私は「……よくない流れだ」とは思ったのだけど、こんな普通の会話を止められるはずがない。


「LINEでわかるけど、あたしは早の一文字でサキだよ。陸上部員らしい名前でしょ?」

「まったくもってそのとおりですね!」

 なんの異論もない。朝火先輩に対して親がなにをしてもらいたかったのか、よく伝わってくる名前だと思う。その名前のイメージ通りに朝火先輩は育ったわけで、ちょっと残酷なくらいだ。

「小日向ちゃんはあやちゃんだよね?」

「はい。だいぶ地味です――月宮先輩は確か莉子さんですよね」

「私は普通だよね? 面白くもなんともない」

「先輩の世代って言うより、最近の流行りって感じですよね」なにかの流行っている名前ランキングで見たような気がする。「かわいいと思います」

「水谷ちゃんは?」

 冷え切った声で本人が告げた。


「――スピカです」


 私と月宮先輩は当然知っているわけだけども、ちょっと言い出せなかった。

 ただこれは強調しておきたいのだが、今どき、多少きらきらしている名前というのは別に恥ずかしくない。クラスに一人くらいはいるものだしね。

 私の名前とかはむしろシワシワ感がある。クラスメイトのおばあちゃんとかにいそうな名前と言う意味ね。それで恥ずかしい気持ちがある。だから 私の基準では、スピカなら自分の名前でも許容範囲だと思う。


 朝火先輩も、ナチュラルなリアクションだった。

「星の名前なんだ?」

 と、なんでもないような返し方だ。そもそもきらきらしていると思ってないかもしれないくらいの。

 ただ本人がコンプレックスを感じるかどうかは、また別の問題で。


「そうなんですよ。星の名前なんです」

 水谷さんはこの名前を少し……というか、だいぶ嫌っている様子があるのだ。

「ご両親も天文が好きなのかな?」と金城先生が尋ねる。

「別に好きではないと思います。両親からそういう話は聞いたことがないですから。だから私の誕生日がおとめ座と言うだけの理由だと思います。少し調べればわかるでしょう?」

 そうはっきり言われると、さすがに気まずくなってくる。


「天文部に誘われて、天文のことを調べたときにステキだなって思った話があるんです。新しく星を見つけたら名前をつけられる。ステキですよね。小惑星でもいい。自分の名前のついたそれが、いつでも空の上に存在するのって、想像するとわくわくしますよね。私もです。――でも、私は自分の名前をつけたくなっても、スピカなんですよ。もうあるじゃないですか、スピカ。よりにもよってスピカが増えることなんて絶対にありえないです。星に興味がなくても知っています――乙女座のスピカ。だから、私に星を探すロマンは、生まれつきなかったんです」


 これを、たった一呼吸で言い切った。水谷さんがこんなに滑舌いいなんて知らなかった。しばらく前からずっとこれを不満に思っていたんだろうか……まるで事前に考えて練習してきたみたいな滑らかさだった。この調子ならアナウンサーや声優さんになれるのでは。 

「えーと、ね」……私も全然フォローを入れられない。


「それ、天文部員としては確かに微妙だな……」と、金城先生が苦笑した。「モチベーションに関わる」

「元陸上部の早さんとしては、わからなくもないよ」なにせ親からはインハイ出場ってずっと言われて育ったけど、結局は陸上部をやめたわけだしね」

 そう言われると、しゅんとする。朝火先輩の中で決着がついてるのは知っているから、失礼なんだろうけどね。

「すみません」

 小さく、水谷さんが謝罪を口にした。


 それっきり彼女が外の方を向いてしまったので、ここでその会話は終わった。一度だけスマホを構えたけど「あとは夜までスタミナ回復待ちね」と言ってそれっきりだった。


 国花苑はなんというか、すごい場所だった。


「国花」と言うだけあって桜が多いし、その種類も豊富だ。そもそも桜の花にこんなに種類があるというのを、私は知らないでいた。なにせ日常的にはソメイヨシノ以外はほとんど見る機会がないものだから、なにをみても珍しい。山桜というのはこんなにも紅が強いものだったのかと感心してしまった。


 また椿の花も美しかった。あまり私は椿は好きなつもりではないのだが、こうして咲き誇っているところを見ると、色合いに味がある。

 とくに印象に残ったのは八重桜だという「白妙」の並木だろうか。私の好みの白い花で、とにかく幾重にも折り重なった花びらが優雅である。これがずぅっと並んでいる様子は筆舌に尽くしがたい美しさである。


 そんな中にどうして……二本足で立ち上がり、空を見上げる躍動感あふれる象の像なんかが展示されているのだろう。これを桜の花と組み合わせて展示しようと思った人、どういう感性の持ち主なのか、全然わからない。


 そう、この場所、なぜか芸術的な彫像(オブジェ?)が多いのだ。私に芸術はわからないらしい。多くのものがコンセプトが意味不明である。不思議の国のアリスっぽいものもあったけれども、桜の花はアリスには出てこなかったと思う。


 しかし一番強烈で、一番違和感があるのはゴリラだろう。

 地面から顔と右手が生えているだけなんだけど、高さが三メートルはある。どう言うわけなのか、綺麗な桜の花に囲まれて、それが君臨しているのだ。もちろん子供たちの人気者である。男女問わず、みんなゴリラの周りに集まっている。

 そのゴリラに、月宮先輩が子供達に混じって肩によじ登ったのが、完全にダメだった。

「あったかい……」そんな事を、ゴリラのたくましい腕に抱きつきながら言い放つ。


 想像してほしい。

 ゲームの中から出てきた美少女みたいな容姿をしている先輩が、アヒル口してどこか優しい表情のゴリラの肩にそっと座っているところを。完全に怪獣映画のワンカットである。この前見かけた映画のキングコングがちょうどこの位の大きさだった気がする。

 とにかく、あまりに笑いすぎて通りすがりの人にじろじろ見られたけど、それでもこらえられなかった。


 先生は一眼レフカメラでガンガン写真を撮るし(絶対にプリントしてもらう!)、朝火先輩は宗教画みたいに手を合わせて祈り始めた。なんだこれ。なんだこれ。

 月宮先輩が調子に乗って、歌を歌い始める段階になって、ようやくいい加減にしてくださいとツッコミを入れることが出来た。

 その間も水谷さんはずっと笑っていた。


 ひとしきり笑ったあと、ちょっと遅い時間になってしまったがみんなでお弁当を食べた。


 今日はこの前よりも気合が入ったお花見弁当である。金城先生は「お惣菜で申し訳ないんだが」と鶏の唐揚げを用意してくれた。これは大変ありがたい。鶏の唐揚げが嫌いな人はいないと思う。


 私はお母さんが持たせてくれたイチゴを、一人一個ですよと配った。今日はデザートも多い。幸せ。私的ヒットは朝火先輩のはちみつレモンケーキだ。一口サイズでしっとりしていて美味しい。レンジで簡単に作れるんだとか。レシピが気になる。

 調子に乗っていたらまた少し食べすぎた。ますます運動する必要性が上がった気がする。


 お弁当が終わると、金城先生はせっかくなので写真を撮ってくると言う。大きなデジタル一眼レフカメラ(カメラなんて写ルンですとチェキ以外は全部デジタルの気がするのに、先生よりの上の年代の人はわざわざデジカメって言うんだよね)を抱えて、一人で行動するつもりみたいだ。


 もしかしてこの人、成績だけちゃんとよければ、あとは生徒をかなり放任してくれる人なのでは?


 最初は飲み物も交換したりしながら雑談をしていたんだけど「これを持ってきているんだ」とトランプを月宮先輩が取り出した。

「このメンツでこういう言う遊びしたことないでしょ?」

「やりますやります」

「なんのゲームにする? まずは妥当にババ抜きか?」


 そうして始めたトランプはたいていどれも私が一番弱かった。……と言うよりも、他の三人が強すぎるんだと思う。こんなに負けたことは今までない。全員、ちゃんと考えて戦っている気がする。

 月宮先輩が強いのは予想通り。ポーカーがとくにうまい。朝火先輩はこっち側かと思ったんだけど、そんなことなかった。反射神経と思い切りがいいので、心理戦が全然通用しない。それにポーカーフェイスも出来る。

 そして、とにかくなにをやっても水谷さんが強い。ババ抜きでも七並べでも安定して勝ってくる。負け越しがない。これにはみんな唸った。


「水谷ちゃん、なんでそんなに強いの?」

「家の教えです」

 なんだそりゃ。

「ねえ、サシでなにかやらない?」

 どこか挑発的な口調で朝火先輩が言った。


「スピードでどう?」

「朝火先輩はスピードが得意なんですか」

「スピードならほとんど負けない自信があるね」

 それを聞いた水谷さん。カジノのディーラーみたくトランプをレジャーシートの上に広げて見せる。

「それなら1対1でスピードで勝負をお願いします。ローカルルールはなし。三本勝負でいかがですか?」

「いいよ」

 朝火先輩が不敵に笑い、二人の間に目には見えない火花が散ったのを、確かに私は感じた。

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