第20話 明星
家に帰ってから、だんだんと朝火先輩との会話を思い出して、やっぱりもやもやしてきた。
――あの顔がいけない。
しばらく考えて、ご飯食べてから月宮先輩に通話した。けっこう長い話になるので、スマートフォンを持ちっぱなしはつらい。最初から勉強机の前でスピーカー通話である。
「――へえ。朝火とそんな話したの?」
「なにかまずかったですか?」
月宮先輩、朝火先輩のことを話したがらなかったし、怒られるかもとはちょっと思ったのだけど。
「いや。まずくはないけど、あやはそういう話を聞くの、嫌かなって思っていたから、意外でね」
ああ、なんだ。単純に私たちを気づかってくれていたのか。
「好きじゃないですよ。そりゃ、今でも知らないままでもよかったと思ってますもん」
素直に言えば、そもそも私が興味あったのは「朝火先輩が天文部に入った動機」である。
別に「陸上部を辞めた理由」については知りたくはなかった。それが、朝火先輩の中では不可分だったので、全部聞いただけで――。
「それはそれとして、知ってしまったら、どうしたいかっていう話なんです。
考えてみたんですが、やっぱりせっかく天文部として活動するって言うから、早く天体観測いっしょにやってみたいかなって」
「それは、朝火に星を見せたいの? それとも――あやが星を見たくて、そこに朝火いてほしいの?」
……どういう意図の質問なのか、わからない。
いやでも。どっちかと言われれば。
「私が星を見たくて、そこに朝火先輩にもいてほしい。そっちですね」
うん。私はそういうヤツだ。
自分のために朝火先輩も月宮先輩も巻きこんでいるのである。
「それならゴールデンウィークまで待てば、流星群とかもあるけど、その前になにかやりたい感じ?」
「たしか土日の夜には、そんなに都合よく、うってつけの天文イベントはなかったですよね」
流星群とかなら、さすがの私でも見落とさない。天文関係の雑誌とネットをチェックすることは覚えた。
「もちろんゴールデンウィークはみんなでなにかやれたら嬉しいと思うんですけど……その前に何かあればなあって。無理ですよね」
「いや。あやが朝火に合わせくれる気があるなら、ちょっとしたイベントがないこともないよ」
「本当ですか? なにかアイデア、あります?」
月宮先輩にはかなわないなと思った。となれば、素直に頼ってしまおう。
「あや、早朝に出かけられる?」
「早朝って、いつですか」
「出発が……日曜日の朝六時前になるかな」
「なんでそんな時間……あ、もしかして? なるほど、なんとかやってみます」
正直起きる自信はなかったのだが、ここは、私が根性を出す時だろう。がんばる。夜更かしと違って、早起きなら、お母さんにも怒られないと思うし。
「早朝ランニング中の朝火を、捕まえてみることにしようよ」
やっぱり無理かもしれない。起きるだけならともかく、それ、体力持つかな……。
眠い。土曜日は早く寝たのに眠い。
五時にはもう太陽が登っていたが、やはり朝は寒い。この時期、早朝はまだ気温一桁という日もある。それでも私は学校指定のジャージを着て、月宮先輩と一緒に自転車で移動した。
朝は物音が少ないし、光の具合がいつもと違うのもあって、どこを走っていても知らない街に来たみたいな気持ちにさせられる。居眠り運転にはかなり気をつけた。
朝火先輩の家はけっこう遠くて、学校から四キロメートルくらいだろうか(朝火先輩は時々学校から走って帰っているそうだ。基礎体力の違いを痛感する話である)。
この辺は高い建物も多くて、住宅街の真ん中ではやりづらいと月宮先輩が言うから、朝火先輩がランニングに使っているという市民公園で待ち伏せすることにした。自転車を停めて公園に入ると、雲一つない青空の下、かなりの人がランニングしている。ちょっと異文化を見た気持ちである。
朝火先輩もちゃんとランニングしているだろか。陸上部やめた直後だしと、少し不安に思っていると、ものの数分で朝火先輩は姿を表した。
「あれ? どうしたの、二人してそんなジャージなんか着て、こんなところに? 小日向ちゃん運動しないんじゃなかったの?」
狙い通りに驚かせたので、月宮先輩は機嫌が良さそうだ。玩具を手にした子供みたいに笑う。
「朝火、突然だけどさ。いっしょに星を見ようよ。そのために待ち伏せしてたんだよ」
さすがに朝火先輩は面食らっていた。朝からそんな事言われるとは思ってなかったんだろう。
「星って……この時間に? あー。もしかして」
それでも、察してくれた。
「そう、明けの明星だよ」
明けの明星。このフレーズくらいはどんなに星に興味がない人でも聞いたことがあるのではないだろうか? 早朝、東の空に見える金星。――夜に拘る必要はないんじゃない? と、月宮先輩は笑っていた。
「今日の六時二十四分に金星は最大光度だよ。マイナス4.5等星。太陽の側なのに肉眼で観測できるほど明るい。思いつきで見に来たにしては、ベストに近いコンディションでしょ」
全国的に晴天に恵まれた今日、金星を観測できない場所はほとんどないだろう。もちろん朝だから、太陽がある方向が東の空だ。そちらを探すだけなのだから、簡単でもある。
「ほら、もう見つけた」
月宮先輩が指差すその先、低い青空に白インクでも一滴こぼしたような星が確かにあった。
「……あー。ありますね!」
「ほんとだ。一度気がつくと、けっこう目立つな。太陽の側なのに」
「望遠鏡があれば、もっとよく見えたよ。三日月みたいな形してるはず。明日は私、家から望遠鏡でみようかな」
三人してしばらく、そのまま金星を眺めてた。私も意識して金星をみるのなんて初めてだから、けっこうしっかり見た。
一等星よりもかなり大きくみえると思う。でも今は空に比較対象が太陽しかないので、どのくらい大きいかはうまく表現できない。
「ねえ、あたしの朝火って名字、変だよね?」唐突にそんなことを朝火先輩が言った。
「なにがですか?」
確かに珍名字ではあると思うけど、かっこいい系だと思う。キラキラしすぎているわけじゃないし。
「だって朝なのに火星じゃん」
「そこなの?」
確かに火星といえば、宵の明星。夕方の星の方だ。でも別に、その名字、そういう由来じゃないですよね? でもなぜか月宮先輩かなりウケてて、ちょっとだけ先輩たちのユーモアセンスを疑いたくなってしまった。
それから三人してベンチに座って話した。汗をかいた体に、春風が少し冷たいけど、空が心地よかった。
「じゃあ、ここまで自転車で走ってきたわけ?」
「かわいい後輩が、朝火と一緒に星が見たいって言うんだもん」
「それは、ちょっと感激しちゃうな」
いかにも朝火先輩らしい、明るい笑顔を浮かべてくれた。
「小日向ちゃん。なんか心配してくれたみたいで、ありがとうな」ストレートな感謝に、お互いはにかんだ。
「少なくても星を見るのは嫌いじゃないんだ、あたし。おかげでちょっとモチベーションあがったかも。
でも、明けの明星くらいだと物凄ーく感動したりはしないな。あたしはもっとガッツリとした天の川とかの観測をしてみたい」
「でも、なんていうのかな。侘び寂びがありませんか、金星。もうちょっと見てたいです」
そう、私はけっこう気に入っていた。そう言えば私は、昼間に見える月とかもけっこう好きだな。
そんな私たちのやり取りを聞いていた月宮先輩が、不意に言った。
「私は天文のいいところは。なんとなく好きで続けていいところだと思うんだよ」
「なんとなく好き……ですか?」
わかるような気がする。私もうまく言葉にはできないんだけど。
とても好きじゃなくても、許される趣味なんだと、感じる。
「別にイベントに毎回参加しなくてもいいし、誰かと競ったりする必要もないし」
「ああ。わかります」
他の文化部はまだコンクールとかあるけど、天文部は戦う相手がいるわけじゃない。それに気分じゃないなら、別にその日は星を見なくたっていい。
「ただ星を見るのが好きで、それで続けていい趣味が天文だよ。道具だって本当はなくてもいい。星のきれいな夜に夜空を見上げるだけでも、こうしてたまに金星をみつけて大騒ぎするだけでも、十分に天文が趣味って言っていいと思う」
月宮先輩のそんな考え方は、私にはとても素敵なものに思えた。それなら、私は月宮先輩と出会う前から、天体のことが好きだったと言えるのかもしれない。
「なんなら月が綺麗な夜に、月を見るだけでも、いいくらいじゃないかな」
そして、それなら、人は生まれつき天体が趣味なのかもしれない。
「いいね。それ」朝火先輩が今日の太陽みたく、穏やかに微笑む。
「じゃあ、みんなでゆっくり、星を見ようよ。なんとなく」
今日、胸の奥は熱いと言うより、暖かに感じた。
朝から私たちは、星に見守られて暮らしている。
――ちなみに、しまらない話なのだけど。
帰りも頑張って自転車で帰ったら、その日の午後には筋肉痛が始まってしまって、私の日曜日は二週連続で、筋肉痛で苦しんでいるうちに終わってしまった。
これからはもう少し、朝火先輩を見習うことにする。
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