第9話 チョコレートクランチ
ぽかんとして、水谷さんは動かなくなってしまった。どうしよう。なんだか汗でもかいたかのように背筋がゾクゾクするし、制服が肌にまとわりついて感じる。焦ってる。
「ちょうどお湯が沸いてるし、とりあえずお茶でも飲んで落ち着いていってよ。インスタントコーヒーでいいかな」
ぽかんとしたままの水谷さんを招き入れ、先輩がテキパキとお茶の準備をしてくれた。慈しみが身に染みる。しかしこの部室、なぜ電気ケトルどころかお客さん用のマグカップまでちゃんと用意されているのだろう。
ゆっくりとスプーンでかき混ぜたコーヒーを一口飲み、水谷さん、物珍しそうに部屋をキョロキョロする。しかし別にそれほど珍しいものはないだろう。天体望遠鏡はケースにしまってある。目立つものは三脚と雑誌くらいかなと思う。
「ミルクとお砂糖はいる?」
「……砂糖だけお願いします
それから月宮先輩が学校とかテストとかの当たり障りのない話を始めた。水谷さんもちゃんと受け答えする。これは経験則だが、月宮先輩は話していてると警戒心が薄れる。ちっちゃくて圧迫感がないからだと思う。
ええっと、私がぼうっとしているわけにもいかない。まずは私も自分のカフェオレ――ついに私も自宅で飲んでいるスティックタイプを持ちこむことにした――を用意した。
ついでに先輩のお菓子コレクションからチョコレートクランチをピックアップさせてもらった。ディズニーキャラクターの印刷されたパッケージが可愛らしい。こういうかわいいのがワンポイント入っているの、さては先輩の趣味だな?
今日のお茶菓子として水谷さんの前に置かせてもらう。
「どうぞ」
「あ、そのチョコはどんどん食べちゃっていいからね。それで本題。部活なんだけど……」
「はい。部活はやめておこうかなと。部活動で受験に支障がでるのはイヤなので」
「そうだよねー」よかった。常識的に断ってくれた。「まあ、さっきはなんか勢いで……だから忘れて」
「でも小日向さんもそう言っていたんですけど、天文部ってヒマなんですか?」
返す刀がこれであった。一刀両断。
月宮先輩も私も苦笑してしまった。今のところか勉強しかしていない。
「実際どうなんですか、月宮先輩。あんまり日中部活動らしいことしてないですけど?」
「本当の活動時間は夜、と言う部活動だからね。まあ、放課後はやることがない日も多いよ」
なのでよく勉強していて、おかげで成績は良くなったなどと言い出す。
「まあでもそれだと私がつまらないし、初心者のあやが入部したんだから、教えることはたくさんあるのでそれなりにやるよ。……それでも他の部活動よりはゆっくりしてると思うけど」
私のために時間を割いてくれると言うのは素直に嬉しい。
照れ隠しがてら、話を変えた。
「そう言えば水谷さん、よくこの部屋がわかったね? ここらへん、人通りが少ないでしょ。私も最初迷ってたもの」
「あ……いえ。私、天体観測? とかはしたことがないんですけど、星座とか星占いはちょっとだけ好きで。それで天文部の部室も、小日向さんとの話で出たのをよく覚えてたのよ」
と、なんだか恥ずかしそうにする。趣味の話は始めて聞いた。
「占いとかするの?」
しかも先輩も話にのった。
「ホロスコープとかわかる?」
「スマホのアプリで作ったりはしてみました。自分でかけるようになれたら格好いいなと思うんですけど、さすがに全然わからないです」
月宮先輩はその答えでも満足そうで「わりと本格的なことをやりたいんだね」と感心した声を出す。
「ホロスコープってなんですか?」
恐る恐る小さく挙手して、聞いてみる。ええ、私は全然わかってませんよ。
月宮先輩はスマートフォンを取り出し「これが実物」と見せてくれる。なんだかよくわからない記号が書き込まれた円の上に、数本の直線が引かれている。なんだか魔法使いが描いたみたいな図面である。
水谷さんがこれをペンで描くと望遠鏡やプラネタリウムが動いたらとか、非現実的なことを考えてしまった。トンガリ帽子をかぶって花の匂いをさせた水谷さんが、すぅっと直線を引くと、ゆっくりと部屋の灯りが消えプラネタリウムから光が立ち昇る……うん、絵になる。
「ざっくり言うと、星占いの本格的なやつをする時、こうやって図面を引くんだよ。誕生日から計算するの。
まあほとんど天文学には関係ないんだけど、天文部に『星占いが趣味の人』はちょくちょくいる印象はあるね。卒業した先輩にも詳しい人はいたよ」
「へー」知識がついていかないので、それしか言えない。先輩もそう言うの好きなのかな。
「星座はどのくらい詳しいの?」と、月宮先輩は水谷さんに尋ねる。
「いえ、由来とかはともかく、実際に空を見てもよくわからないですね。さっきの雑誌を見て、しし座の季節なんだなと感心していたくらいです。ちょっと見てみたいかも」
それが失言だと気がついて、水谷さんは手で口を抑えた。
先輩がニコニコとした顔で「なら、見てみる?」と言い出した。明らかにテンションが高くなっている。もしかして月宮先輩、星が見たいとか言われるといつもこうなるのだろうか。
私が天体望遠鏡に興味を示したときと同じテンションだよね?
「春は比較的星が少ないのが悩みどころだけどね。そうだな。まだあんまり深夜遅くに観測とか辛いよね? それなら見るならまずはおおぐま座こぐま座を確認出来るようになってみるのはいいと思う。
星座、バカにしたものじゃないんだよね。覚えると星が見つけやすくなるんだよ。二十一時頃がいいかな。まずはおおぐま座を見つけられるようにするといい。北斗七星だね……ええとこの写真のここの部分だね。そう。これを伸ばした先に北極星がある。そこからのびるのがこぐま座。
この季節だとこぐまはこの向きになっているから……ここで見つかるのがコカブ。
実際の星空でこういうのがわかるようになると、楽しい。見ていて飽きなくなるよ」
星ナビを開きながらスラスラと説明を始める。
なるほど。地図なんだなと納得する。昔の人は星を見て変なことを考えたものだとばかり思っていたけれども、説明されてみると目印を覚えて目標地点を探すのに、たしかに便利なのだ。
水谷さんも「こうして説明されると面白いですね」と感心した。たぶんお世辞ではない。なんだか月宮先輩が星の話をするのを聞いても、胸の奥がかっかしてくる。
「ねえ、水谷さん。やっぱり天文部に入ったら?」
またもそんな言葉が口から出た。考えていたことがそのまま出たどころの話ではない。
しかしどういうことか、さっきと違って焦る気持ちはない。本心だと思える。
たぶんこれは水谷さんの事を「友達」と呼んでしまっていたからで。
私の中の熱が喋った言葉なのだ。
「……新入部員の募集はしてないのでは?」
「だって水谷さん、私よりも戦力になりますよね。先輩が部員増えてもいいならですけど……どうなんです」
「まあ――そもそもあやが入った以上は、まともに部活動できる姿勢を作り出さないとダメでしょ。来年以降というのもあるんだから。
それには部員の数がいるんだよね。最低ラインは三人だから、一人増えるのはちょうどいいんじゃない? 将来的にはもう一人二人、増やしたいところだよね」
先輩は大真面目な顔だ。頭の中で色々計算している様子でもある。
「あやは彼女のことも宇宙旅行に連れていきたいの?」
いつもの冗談めかした言い回しで、本気の質問。
「……いっしょに部活できたら楽しいかもって思って」
すると水谷さんが言った。
「じゃあそうね……入部の件、小日向さんが課題テストの結果で私より総合点がよかったら考えます」
「……なにそれ」
唐突に漫画みたいなことを提案するから驚いた。カフェオレを飲んでいる最中だったら、吹き出していたかもしれない。変な声がすると思ったら月宮先輩がお腹抱えてゲラゲラ笑っていた。
「いいね! 受けて立つよ!」
え、なにこの展開。私じゃなくて先輩がそれ言っちゃうの?
「ちょっと先輩。中学の時には水谷さんよりいい点数とった記憶、ないですよ、私!」
極端な点差はなかったはず……ではあるのだけど、学校でも塾でもそうだった。なので、受験が目前となるまで、私は水谷さんは違う高校を受験するのだと思いこんでいたのだった。
先輩は両手で顔を覆って、天を仰いだ。……たっぷり数秒そうしてから。
「よし! 今から一夜漬けで対抗しよう!」
そんなシリアスな顔で言うことじゃないです。
水谷さん、ここで堪えきれずに吹き出した。
水谷さんが笑うだけ笑って帰っていったあと、私を待っていたのは鬼教官と化した先輩だった。
「言い訳はいいから勉強して。今日も夕方までつきあうから」
「嘘でしょ! 本気で勝たせる気なんですか」
私は悲鳴を上げ、苦手な英語を徹底的に勉強し続けた。本当に日が傾くまで勉強したし、家に帰ったのは太陽は隠れつつある十ハ時だ。部室だけでも五時間くらいは勉強した。
翌日のテストは正直、手応え十分だったけれども、一日目の三倍くらいしんどく感じた。あまりに疲れている様子だったからか、水谷さんからはそっとしておいてもらえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます