第7話 学校生活
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ありふれた日常の上には、いつも星空がある。私はその魅力に触れた。その夜から、須らく、私の人生は一転した。退屈な日常の裏にはなにが存在しているのか、それを知ったのだから元のままでいられるわけがない。
鍵を開かれた胸の熱は、すっかり私の原動力となってしまった。
しかし明くる日から私に言い渡された部活動と言ったら――。
「先輩、なんで私、勉強しているんですかね」
「それは春休み課題テスト前だからだよ」
これである。
確かにテスト勉強はしないとまずかったので、こうして無理矢理にでも勉強時間を作ってもらえるのはありがたいと言えなくもない――もっと厳しい進学校に行った子によれば、まずいきなり授業もなしに課題テスト。それから部活オリエンテーションとかの行事だったそうだから、それよりは随分マシな状況とは言えるのだけど。
「つまんないです。天体観測はしないんですか」口から出る本音はこれである。
「二年生にも課題テストがあるの。それが終わったら太陽の黒点観測とかを始めるし、他にも考えるよ」
「わーテストが終わるの楽しみです」
「なんで棒読みなの?」
先輩は星ナビ(天文の雑誌らしい)を開いたまま、ため息をつく。私と同じ椅子に座っているけど、足元に踏み台をおいてある。足が地面に届かないのだ。かわいい。ため息はむしろハスキーな声質のせいで大人っぽかったのがまたかわいい。
「私は親御さんから君のことを任されたんだよ。それなのに、いきなり最初のテストでひどい点数とらせたりは出来ないでしょ」
完全に正論である。しかも勉強は順調で、けっこうな量の課題を理解できていた。
それでも私がちょっとスネた気配を察したのか、月宮先輩は星ナビを私に見せる。綺麗な写真がたくさん載っていて私もゆっくり読みたい。ちらっと見ただけでも、読者投稿の写真というのが見応えがあって驚いた。
「今月中にあと一回は天体観測するプラン立ててあげるから頑張って。今、良さそうな日がないか検討してるからね」
先輩は「ほら」と言って開いたページ。そこにはきちんと今月の天文カレンダーが載っていた。
優しい。わざわざ付箋も貼ってくれた。
「それは貸してあげるよ。家にもあるし。これは部の備品だからなくさないようにね」
「うわっ、いいんですか。こういうの読むのもはじめてですよ、私」
……よし、少しやる気を出して勉強しよう。
それから一時間近く真面目に勉強した。
休憩の許可が下りたので、私は先輩の淹れてくれた甘いコーヒーでホッと一息つく。勉強の合間には糖分の補充も大切だ。その間に月宮先輩は私のノートや宿題に目を通していた。なんだか面白いものでも見るような顔をしている。
ちょっと猫舌の私がコーヒーを飲み終わり、そろそろ勉強に戻ろうかと言うところで、月宮先輩が言った。
「あや、君、教科によってばらつきない? 数学と理科は強いのに」
「それ、この前クラスの友達にも言われました」
「友達、いたんだ?」
月宮先輩は私をなんだと思っているのか。確かに友達は多くはないけど、ゼロではない。
「驚かないでくださいよ。中学からの同級生なんですよ」
月宮先輩は「ふーん?」と言いながら、私のノートを広げた。
「それでなんで英語とかダメなの? 地理は悪くないけど歴史だと急に点数取れてないとかもあるよね」
「えーとですね……なんか、暗記科目苦手なんですよ」
「中学の範囲だと、数学と理科も実質暗記科目じゃない?」
「ええとですね」私はその場でろくろを回す。
「何度も同じ問題するの、ダメなんですよ。数学と理科は一度でなんとなく覚えるじゃないですか。あと、地理は理科と関係あったりして、覚えやすいんですよ。理屈があるから」
「なるほどね。そう言うタイプか。たぶんこれから苦労するよ? 私も中学までは数学の勉強したことがなかったし。そうだな、とりあえず少しならわからないところ教えるよ?」
やっぱり優しい。
私の隣まで椅子を持ってきて足をぷらぷらさせる。
「ほら、まずはここ。ちゃんと聞いてね」
近づかれると、まるで洗いたてのぬいぐるみみたいな匂いがする。夕日で空が焼け始める時間になるまで、二人して勉強した。
「終わった」
自然と声が漏れた――終わったのは内容の話ではない。出来は良かった自信はある――入試よりもよっぽど良かったはずだ。これで課題テスト一日目は終了である。
春休みからの課題テストということで、内容は中学の入試と同じ科目の振り分けである。
つまり国語、数学、英語、理科、社会。今日やったのは国語と数学である。
教えてもらった感じ、月宮先輩が賢い人なのは間違いないし、なにより勉強が上手い。国語や英語を中心に見てもらったのだが、アドバイスの内容が「こうすれば点数を取れるよ」と、具体的なテクニックばかりだったのである。学校の先生よりは、進学塾の講師の教え方に近い。それもきちんと私の苦手を把握してのものだったのだから、大変参考になった。
月宮先輩はこれからはこう言う事も学校の授業でやると言っていた。なかなかプレッシャーになる情報だった。
進学高にはいるものではなかったかもしれない。溜息が出る。
ともあれ、終わった。これで部活が出来る。カバンから星ナビを取り出した。目次の一行一行に、目を通す。
「こと座流星群かー」
月と木星の最接近に並ぶ今月の目玉天文イベントである。
私のつたない理解によればだけど、狙うなら土曜日。二十ニ日だ。この日なら二十一時頃から観測が期待できると言う。流星は一時間に五個程度とある。月宮先輩はきっと観測するつもりだろうし、お母さんにちゃんと頼めばいけるのではないか。
課題テストの成績次第ではワンチャンある。
私は流れ星を見たことがないので、どうしてもワクワクしてしまう――すると。
「小日向さん、随分嬉しそうな様子ね」
「あっ、水谷さん」
水谷さんが話しかけてきてくれた。気遣ってもらえるとは思ってなかった。びっくりしたし、ちょっとうれしそうな声だったと思う。
彼女は先輩との話に出た中学からの同級生である。と言っても、中学の時にはあんまり話をしたことはなかったんだけど、もちろん他のクラスメイトよりはずっと近く感じる。
それに高校になってから少し親しくなれた気がする。月宮先輩との話に出たクラスの友達とは彼女のことである。
はて。私はそんなに嬉しそうにしていたのか。ワクワクするのはいいけど、ニヤニヤしないように気をつけないと。
「水谷さんはどうだった? 私は国語は入試より出来たと思った」
「へぇ?」
水谷さんはなんだか驚いたような声を出す。その照れ隠しか、自慢の(かどうかは知らないけれども、私は自慢するべきだと思う)長髪をかきあげた。おそらくはローズのシャンプーの香りがふんわり匂う。彼女にはこういうのが似合っている。
「私も調子良かったよ」
「そうなんだ。私は先輩に勉強を教えてもらったおかげだなあ」
「天文部?」
「うん」
水谷さんはゆっくりと自分のこぶりな口元に指を添え、悩む素振りをする。
「どうして、天文部に入ったの? あそこ部員の募集はしていないんじゃなかったの?」
オリエンテーションを聞いていたんだから当然の疑問である。しかし、私の身になにが起きたのか。あれを他人に説明するのは恥ずかしい。
「たまたまと言うか、偶然というか」言い訳モードの口調になってしまう。
「先輩と知り合って仲良くなってー、押しかけ部員になった?」
……言いたくないことを省いた事実がこれである。なんの説明にもなっていない。客観的に見て、アホの子だ。どんどん恥ずかしくなってきた。段々と耳が熱くなり始める。この場から逃げ出したい一心で、私はそのままカバンを持って立ち上がる。
「っと、今日もそろそろ行かないと。ごめんね。約束があるから、いくね」
なんだか水谷さんがまだ喋っている気がするけど、真っ赤な顔を見られたくはなくて、私は振り抜くことなく、その場を立ち去った。
ただでさえニヤニヤしているところを見られたのだ。これ以上かっこ悪い顔を、見せたくはなかった。
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