第5話 ファーストレポート

 こうして私、小日向あやは、天文部に席をおくことになった。

 そして――結局は私はこの日、ちょっぴり遅くなりすぎて、お母さんに怒られたのであった。

 部活動自体を止められはしなかったが、遅くなる日には証拠の提出を義務づけられてしまった。


 そうしてはじめて書いたのがこの日の木星観測のレポートだ。実際にみたものを記録しなくてはいけないわけだから、観測レポートは簡単には捏造できない。証拠能力抜群だし、記録をとることは大切だ。


 観測後に、調べてみてわかったこともある。


 なぜ見えないのかと思っていた木星の環は、見えなくて当然だった。私たちのよく知るこの環が見つかったのはなんと1979年のこと、二十世紀だ。意外と最近である。今でも地球から観測することは天文観測所などでないとできない。


 歴史の教科書を広げ年号を確認する。間違いない。ざっと三百年以上、江戸時代から明治までずっと木星の輪には誰も見たことがなかったという事になる。

 そんなスケールで物事を考えるのは間違いなく生まれてはじめてだった。


 こういう事もまた、天体観測の楽しみなのだろう。


 資料によれば――木星の環の存在が推測されたのは1975年。パイオニア11号による観測結果からだった。1979年、ボイジャー1号、2号により木星の環の写真が撮影され、環の構造がおおよそ判明した。

 そして1995年から2003年にかけて、さらに木星探査機ガリレオが活躍する。数多くの木星観測データの中には、もちろん環が撮影された写真も含まれていた。


 またガリレオ先輩である。間違いなく大先輩に敬意を払っての名前だろう。星にかかわる人々は先輩が語ったような歴史に、当然のように敬意を払っているのだろう。

 個人的には木星の話をすると、ガリレオが多すぎてややこしいのでないか。とも、思ってしまう。


 しかもこのガリレオの観測の終了が2003年。本当につい最近、実に私が生まれた後の出来事である。木星の中に沈んで消えていったのだという。私の見た、あの雲の下に。


 私が当たり前だと思っていたことは、もしかすると当たり前でないのかもしれない。退屈だと見過ごしてきた世界の中にも、こういう話は潜んでいるかもしれない。


 今生きていて、こんなことをガリレオ・ガリレイに習うなど、予想もつかない体験だ。


 まだ、この先がある。知っても知っても退屈しない、未知の世界がある。想像もつかないほどの昔から、それを調べている人がいる。

 私にとって木星は、宇宙の不思議さの象徴で、もっとも思い入れの強い惑星となった。


 そして。

 私もこれから、世界中の先輩たちと一緒に、星空を見るのだ。


 *****

 

「あやの最初のレポート、読み返してみたけど上出来だね。十分使えるよ」

「それはどういたしまして。――ねえ、どうして先輩はあの日私を誘ったんですか?」

「言ったでしょう。『今日は初心者向け』だって」

「そう言う話じゃないです」

 月宮先輩は、いまいち乙女心をわかってくれない。

 そうそう。レポートには書かなかったが、私の誕生日の星空についても調べた。私の誕生日は特徴的な日付だから、検索したらすぐに記録が見つかった。

 でもその日がどんな星空だったのかは私とお母さんだけの秘密にしておく――月宮先輩にもないしょで、これはちょっとした仕返しだ。

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