第2話 オリエンテーション

 ことの始まりは四月。

 土曜に入学式を終えたばかりの新入生である私、小日向あやは、早くも退屈を感じていた。普通の子供――それがなんなのかは難しいので言い直そう。「これと言った個性のない子供」である私は、順調に効率の小中学校を卒業し、この春からめでたく高校生になった。


 私は無趣味な人間だった。「変わった事をしない」をすると、人は何者にもなれない。短い人生で得た教訓だ。やりたいことなどなく中学の時は部活動をしなかった。なんの部活に入っても幽霊部員になるのが目に見えていて、それはなんだか格好良くないと思ったのだ。


 そんなものだから高校を選んだ基準は通学時間と制服である。それほど勉強も好きではないので県内屈指の進学校を受験するのは避けた。私は身の程をわきまえているのだ。なので進学校とは言え、我が校は「そこそこ」である。おかげで受験勉強が苦しかったと言う気持ちもそれほどにはない。


 こうして何十年も変化のない古典的ブレザーから、リボンがかわいい憧れのセーラー服に着替えることに成功したものの、別にそれでなにかが変わるわけではないと、あっさりと気がついてしまった。なにかをしないと、結局人間はそのままなのだ。


 つまり整理すると、高校ではなにか部活動くらいしたほうがいいのではないかと。このまま貴重な時間を無駄にするのでは。そう不安になっていた。


 そんな月曜日の朝、きつね色に焼き上がったトーストと、とろとろのスクランブルエッグを食べ終わり、少し優雅にカフェオレを飲んでいるときのことだった。


「あやは高校でなにかやりたい部活とかあるの?」そうお母さんが聞いてきた。思わず言葉に詰まる。

「やりたい部活は……ないかな」

 露骨に声に出た。なにかをしたいのだけど、具体的にやりたい部活は思いつかない。なんだかそれを口にするのはダサい気がして、歯切れが悪くなってしまう。


 なんだか微妙な顔をしたお母さんが追撃を繰り出す。


「本当かなあ。もったいないとは思わないの? あやも小さい頃はもうちょっと色々やりたがってたじゃない」

「図鑑を見て望遠鏡を欲しがったり、サッカーの試合を見てボールが欲しいと言い出してみたり? もうそういう年じゃないよ、お母さん。高校生だよ」

 すると「ふくれっ面しなくてもいいじゃない」と笑われてしまった。

「子供扱いする」

 そう文句を言い、朝食のトレイを流しに運んだ。


 この時、予感も熱はなかった。

「きっと私は、高校でもなにもしない」

 そういう不安と諦観ばかりが、胸の中にあった。


 高校までの距離は徒歩五分、なんと公立の小学校よりも近くなった。これではステキな恋人が出来ても、制服デートは無理なのではないだろうか。そういう意味でも失敗したかもしれない。


 でもそのたった五分の間に、商店街に植えられた桜の並木を楽しむことができるというのは素晴らしい贅沢だと思う。三百メートルは続くこの並木道は、観光名所として紹介されることもある。


 でもこのあたりが満開になるのは四月の末のことなので、今はまだピンクの蕾はないかと期待して、枝を見上げてばかりになる。その隙間からのぞくのは青空。まだ肌寒くても、春らしさを感じられる快晴だ。


 学校に慣れる頃には花びらの絨毯となるその道を歩くと、だんだんと上機嫌になっていく。

「おはよ」

「おはよう小日向さん」

 校門前で、私は中学も同じだった水谷さんに挨拶をした。中学でそれほど親しかったわけではないが、もちろん他のクラスメイトよりは近い距離に感じる。


「ねえ、小日向さんは部活、きめた?」

 水谷さんが言った。

「ううん。まだ全然。このままじゃ帰宅部かも」

 さっきのお母さんの言葉を思い出してしまい、返答は少し不機嫌になったかもしれない。しかし彼女は意を得たとばかりに頷いて言う。

「あんまり部活すると受験、響きそうだしね」

「なにかをやるにしても、ほどほどにしないといけないよね。来週にはもう課題テストがあるし」

「そうなんだよね。小日向さんはテスト、大丈夫そう?」

「あんまり大丈夫じゃないね」

 それで二人して吹き出す。


 校舎がカスタードクリームみたいな落ち着いた色彩のせいで、あまり大声だと恥ずかしいように思えて少し上品に笑った。

 テストのことは本気であまり大丈夫じゃない。春休みに学校から郵送で宿題が送られてきたのである。入学式もまだだと言うのに、この宿題はそのまま「新学期に最初にやるテストの範囲」であると、注意書きが添えられていたのだ。目を通して「ちょっと、ウソでしょ!」と悲鳴をあげた。

 その成績で今後の指導方針を決めるのだろう。


 二人で宿題のどこが難しかったとか言い合いながら教室に向かう。私と水谷さんは、得意教科は理科以外かぶってないとわかったので、教え合うのもいいかもしれない。


 教室で席に座ると、あちこちで部活の話がする気がした。

 やっぱり普通なら部活動、運動部に入ったりするのだろうか。しかし私は野球のルールも知らない。


 中学では野球部の応援をさせられたのだが、なんとなく声を出していただけで、なにをやっているのか全然わからなかった。私たちは雰囲気で応援をしていた。強制参加なら、ルールの説明くらいちゃんと授業でやって欲しかった。


 もし部活もしなかったらこのままでは機械的に授業を受けるだけで、高校生活は終わるのではないか? ――うん、そうやって終わるんだろうな。事実、機械的に授業をこなしていたらあっという間に午後になってしまった。真っ赤なミニトマトの入ったお弁当を食べたら、午後からはオリエンテーションである。体育館での部活動紹介だ。


 私たち一年生はステージ上で繰り広げられたハンドボール部のシュートの大迫力に沸き立ち、吹奏楽部の学園天国に静まり返った。ステージにあがる生徒たちは誰もが活気を放っているように感じられた。部活を決めたという声があちこちから聞こえてきた。


 ところがやっぱり私に引っかかる部活動はでてこない。運動部はなんだか全部遠い世界の出来事に聞こえるし、自分が放課後美術室で絵筆を動かしているところなど想像すると、笑えてきてしまう始末だ。なにかをやっている自分を想像するのは、けっこう難しい。


 そうしている間に、残りは最後の部活となった。


「天文部、お願いします」と言うアナウンス。

 そんな部活あったんだと少し驚いた。張り紙などを見た覚えはない。でも他の部活よりは私に向いているかもと、期待の熱を胸の奥にわずかに感じる。


 ステージに登るのは一人の女生徒。スカーフの色から二年生と分かるが、かなり背が低い。「背の低い中学生くらい」の身長ではないだろうか。軽快な足取りで中央のマイクまで歩き、会釈する。顔立ちが整っているのもあってお人形さんみたいでかわいらしい。


 その様子にだいぶ飽きていた一年生たちも注目する。かわいいは強い。注目を浴びる中、マイクスタンドをかなり低い位置に調整してから、彼女は言った―ー意外にもハスキーボイスで。


「天文部です。今年は部員の募集はしていません。以上です」

「えぇー……」


 ……思わず変な声がもれた。もちろんそうなったのは私だけではない様子で、はっきりと体育館はざわついた。しかし衝撃の与えた本人はそれを意に介さず、紺色のスカートを翻してステージから立ち去ってしまった。あっという間とはこのことだろう。


 一瞬でも期待をしたの、なんだか損した気分になってしまった。これでオリエンテーションは終わった。ホームルームもすぐに終わって放課後である。


「どう、部活?」

 水谷さんがやってきて、聞いてきた。

「やっぱ帰宅部かも」

「うぅん、私もそうかな。あまり興味がわくところなくて」

「ね。私、好奇心足りないのかな」

 そんな風に水谷さんが言う。


 好奇心、か――幼い頃の私は好奇心豊富だったと、お母さんはよく話題にする。


「どうして月は形が変わるのとか聞いてくるの」

 その質問、私は真剣だったんだよ、お母さん。その度に私はそう思っていたのだけど、口に出すことはなかった。

「変な子供だったよね」

 お母さんにあわせてそう笑う。私はそう言う質問をしなくなっていた。まともに答えてもらえることがないと理解したからだ。


 お母さんが私に説明しなかったのは知っている、知っていない以前に、「どうしてか考えた事もなかった」とか「面倒くさかった」とかだろう。


 説明しなければ面倒事はすぐ終わる。

 さっきの天文部のオリエンテーションみたいに。


 大きくなるにつれて、面倒なことは増えていく。

 そして私はどんどん無趣味になっていったわけで。今、とくにやりたいことがないわけだ。


 それでも帰る前に少しはやりたいことがある。せめて図書室を見てから帰ろう。我が校の図書室はかなり広いと言う。私もそれほど本を読む方ではないと思うけど、頻繁に中学の図書室で受験勉強していたせいか、図書室と言う場所そのものになんとなく愛着がある。


「じゃあ、また明日」


 水谷さんに挨拶して出ていく。水谷さんはわざわざ手を振ってくれた。いい人だ。はやくクラスにも友達を作ったほうがいいよねと思うけれども、今日はやはり、そういう気分ではないのだ。


 掃除のあまり行き届いていない二階の渡り廊下を通り、たどり着いた文化棟はあちこちのペンキが剥げていた。図書室はこの一階のはずだ。


  ――えっと、どこから階段降りればいいんだっけ。

 まだ校内をよく覚えていないので、きょろきょろと我ながら落ちつきがない。

 あまり人がいないとは言え危ないな。と、思ったその時だった。


「わっ」


 ドンと言う衝撃で私はちょっとだけよろめいた。それみたことか。思いきり人にぶつかったのだ。ずいぶん小柄な女生徒だ。なるほど、身長差。これは見えない。ついでに体重差。向こうのほうがふっとばされている。


「ごめんなさい」

 胸の前で手を合わせて謝ってから、相手のスカーフの色に気がつく。あっ、二年生だ。怒られるかも……って。この人。

 あの一言だけで帰っていった、天文部の人だ!


「こっちこそごめん! 新入生だよね。悪い事しちゃったな――怪我はない?」

 はきはきとしたしゃべり方。声質のせいで少年っぽく聞こえる。

「はい。なんともないです。大丈夫。それより、すみませんでした。先輩にぶつかってしまって」

「いいのいいの。私も不注意だったからね。散らかしたのを片づけないとって、急いでてね」

 そこまでね。と、先輩は近くの教室を指差す。扉は開けっ放しで、地学準備室とあった。その中にあるものが見え、少しばかりの好奇心が、ひょいと首を持ち上がる。


「あの、先輩、天文部の人ですよね? あそこにあるの、もしかして天体望遠鏡ですか」

 私の言葉に先輩がにやっと笑った。そう地学準備室の中に見えたのは白い筒と三脚。私のイメージの中にある天体望遠鏡の姿だった。意外と小さい感じにも思えた。


「君、こう言うの好きな人なんだ」

「いえ。そうでもないです」

「いや謙遜しないで。本当にまったく興味がない人なら、そもそもこれが天体望遠鏡って気がつかないよ」

 それは、たしかにそうかもしれない。実は小さい頃、一度買ってほしいとお母さんにねだった記憶がある。高いものだからダメと言われたはずだ。


「ここが天文部の部室なんだよ。今は私の他に使う人はいないけど」

「じゃあなんで、部員募集しなかったんですか?」

「まあ……色々あってね」

 失敗したな。なにか理由があるんだろう。踏み込むような話題ではないのでとりあえず曖昧な愛想笑いをすると、向こうから話題を変えてくれた。


「うちの学校、文化部活動はそこそこしかやってないからね。オリエンテーションで文化部、ピンとくるのなかったんじゃない?」

「……はい。天文部はあれでしたしね」

 正直に答えてしまうと、あははと先輩は笑った。

「ちょっと話そうか。部室にお茶菓子くらいはあるよ」

「あ、はい」

「そうだ。自己紹介をしておくね」


 少しばかり気どった笑顔とポーズ。現実にはそんな事起きていないのに、ふわりとスカートが持ち上がったような錯覚。


「私は月宮。天文学部の二年生で、今の部長だ。よろしく」

 なぜだか少しだけ、胸がどきどきした。


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