第27章 バケモノの王
とあるビルの階段を登り、ただひたすら上を目指した。
霧が立ち込める中、階段の先に待っていた金属製のドアの前で立ち止まる。
屋上に続いているであろうそれは、どこにでもある何の変哲も無い扉だ。
しかし、対峙するハルとエリシオは、向こう側から伝わる明らかな気配に緊張を隠せない。
何度も深呼吸し、蓄えた熱を吐き出す。
すでに足元も真っ白な霧で覆い隠され、見えなくなっていた。
街の中心部に近付けば近付くほど、霧は濃さを増し、視界を覆い隠そうとする。
エリシオの案内がなければ、ここまで来れなかっただろう。
少女はエメラルドに光る瞳のまま、まっすぐ扉の奥を睨みつけている。
そんな彼女に、汗をぬぐいながら問いかけた。
「いるんだな、この先に――“奴”が」
こくり、と頷く少女。
半ば分かっていたその回答に、それでもハルは「そうか」と前を向きなおす。
静かだ――今となってはヴォイドの獣哮も、兵器の無粋な発砲音もまるで聞こえない。
まるで時が止まった世界のように、霧に包まれた街は穏やかだ。
そんな静寂の中にあってもなお、扉の向こうから感じる強烈な気配に、肉体が戦慄する。
ゆっくりと、ドアノブに手を掛けるハル。
そんな彼に、少女は前を向いたまま告げた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
手を止め、振り向く。
ハルの視線を受け、エリシオもまたこちらを見上げた。
人ならざる光を宿した、しかしどこまでもあどけない少女の眼差しが、震えず、うろたえず、ただじっとこちらを見つめる。
「私、最初は二度とお兄ちゃんが戻ってこないと思ってた。そうすれば、“あいつ”もなにもできないだろう、って。だけど、それじゃあダメだったんだね。それはきっと、逃げていただけ――何かを終わらせるには、どんなに辛くても、向き合わないとダメなんだ」
それこそが、幼く、純粋な彼女が学んだ唯一のことなのだろう。
ハルを見上げたまま、彼女は確かに笑って見せた。
「すっごく、怖いよ。でも、同じくらい『大丈夫だ』って思えるの。お兄ちゃんがまた一緒にいてくれる。見た目は変わっても、何にも変わらない、“あの日”のお兄ちゃんがいてくれるから」
前を向きなおすエリシオ。
人々の“善意”という無垢から生まれた彼女は、この先に待つであろう自身の片割れを見据えている。
その圧倒的な“悪意”を前にしてもなお、ハルもやはり気持ちは揺らがない。
前を見つめ、再び手に力を込める。
「こちらこそ、ありがとうな。こんな俺を――“英雄”になれない出来損ないを、信じてくれて」
扉を開け、外に出る。
周囲を覆っていた霧が晴れ、飛び込んできたのは一面の“夜景”だった。
歩み出たのはビルの最上階――広大なヘリポートの上である。
かなり高いビルにいるようで、周囲を取り囲む摩天楼の光と、その隙間に漂う霧の白い海がはっきりと見て取れる。
空を見上げると、黒い闇の中に無数の星の光が浮かんでいた。
ここに来るまでに見た空とはまるで違う。
いつのまに夜がやってきたのか。
その答えは、二人の眼前に立つ“彼”が知っていた。
その存在をまっすぐ見据え、ゆっくり前に出るハルとエリシオ。
“彼”はこちらに背を向けたまま、言う。
「おめでとう。よくぞたどり着いた、勇者達よ――とでも、言うべきか? 『魔王』である以上」
かすかな風に、身につけた外套がはためく。
黒いフードを被った“彼”は、そのまま続けた。
「その様子だと、もう取り戻してるんだな? 以前の自分を。出来損ないのあの頃を」
挑発に歯を食いしばり、怒りをあらわにするエリシオ。
だがあくまで冷静に、ハルは“彼”に切って返した。
「ああ、全部思い出したよ。お前の言う通り、自分の不甲斐なさが嫌になったさ。俺がもっとしっかりしていれば、こんなことはもっと早く解決したんだ。確かに俺は――とんでもない罪人だな」
まるでうろたえないハルの一言が、「魔王」の心を刺激する。
ようやく“彼”は振り返り、こちらを睨みつけた。
フードのせいで顔は見えない。
だが整った口元と、ギラギラと光る目だけが覗く。
「
「さあな。打ちのめされて、迷って、悩んで――そんなこんなしてたから、成長できたのかもしれないな」
こうしている今もなお、対峙する“彼”から放たれる濃厚な殺気を、ビリビリと感じていた。
今まで立ち向かった黒い怪物達とは、明らかに質が違う。
姿形は人間のそれでも、本能がまるで別の怪物を錯覚している。
押し負けてはいけない、攻めろ――自身を奮い立たせ、ハルは言葉を叩きつける。
「リノアはどこだ。無事なんだろうな」
この問いかけに、「魔王」は重々しいため息をついてみせた。
「焦るな。ちゃんと用意しているさ。癖のある女だ、本当に
“彼”は構うことなく、空中に手をかざす。
瞬間、何もない空間に大きな“穴”が開く。
まるでブラックホールのように渦巻く黒い穴から、宙に浮かぶ“檻”が姿を現した。
その中に囚われた緋色の髪の女性が、檻を両手で掴み、声を上げる。
「ハル! エリシオ!」
宙に現れた見覚えのある姿に、ハル達も息をのむ。
空に浮かぶ黒い檻の中には、「魔王」に連れ去られた女史・リノアがいた。
ひとまず命に別状がない様子に、胸をなでおろすハル。
だが依然として、彼女が囚われている状況は変わらない。
「良かった、ひとまず元気そうで何よりだよ。待ってな、すぐに助けてやる」
ハルの力強い一言に、不安げにこちらを見下ろすリノア。
しかしこれには、また一つ「魔王」がため息をついた。
「勇ましいことだ。気分はすっかり“英雄”気取りか。お前の昔からの夢だったものな。世界を救うヒーローになるのは」
「自分が“英雄”になんてなれないってのは、理解してるつもりさ。けどまぁ、それでも――夢は夢だ。憧れは捨ててないよ」
「懲りない馬鹿だな。なれるわけがない。ヒーローがヴィランを倒して平和が訪れるのは、人間が生み出した
彼の言葉に、ハルはどこか心の奥底で納得してしまう。
現実というのは常に非情なものだ。
法や道徳など、極限状態においてはまるで役に立たないことを知っている。
世界平和を謳ってなお、人は奪うために人を殺すし、快楽のために人を犯す。
その姿はさながら、“獣”のそれと同じだ。
歯噛みするハルに、「魔王」はさらに追撃する。
「この街並みに、本当は覚えがあるだろう? どれもこれも、貧しいあの村で見た“街”の光景だ。覚えてるよな?」
ずきり、と心が痛む。
拳を握るハルの顔を、エリシオ、リノアが不安げに見つめた。
静かに、重々しくハルは頷く。
「ああ。このビルの群れを見て、やっと思い出したよ。ここだけじゃない、最初から今まで全部――これは“俺達”が憧れた、外国の街並みだ」
今度は「魔王」が頷く。
「街の酒場にあるオンボロなテレビを、食い入るように見ていたよな。美しい街並み、活気付いた人々の姿、発展するビルの群れ――遠い海の向こうにある文化と進化に、いつだって心が
その言葉と共に、魔王も静かに拳を握りしめた。
内に湧き上がる思いが、殺気となって一同を
「願っただけだろう、“俺達”は――こんな街で、摩天楼の上から見る景色を眺めてみたい。そう思っただけだろう。なのになぜ、奪われなきゃあならなかったんだ。“俺達”の大切なもの、全てを」
その言葉の意味するところを、誰しもが察する。
貧しい村で、それでも家族と幸せに暮らしていた。
しかし、内紛というあまりにも不条理で理不尽な“力”の群れが、ハルから全てを奪い去ってしまう。
その過去こそ、目の前の存在を生み出したきっかけに他ならない。
つまりそれこそが、「魔王」を今日まで突き動かしてきた、全ての元凶だ。
「始めたのは奴らだ。俺から全てを奪った、クズみたいな人間の群れだ。あいつらが奪ったから、俺がこうしてここにいる。それの一体――何が悪いんだ?」
誰しもが理解してしまう。
この「魔王」が、これからなにをしたいのか。
この“街”を奪い去った、その理由はなんだったのか、を。
一同の思いを、ハルは拳を握りしめたまま代弁する。
“彼”を最も知る者として、決して視線をそらさずに。
「お前は俺の――あらゆる“理想”だった。母さんが言ったように、強くて、明るくて。俺の望む“俺”を全て持っていた。全てを奪われたことに対する、“怒り”までも」
そんな、単純なことだったのだ。
“高次元存在”かどうかなど、どうでも良い。
重要なのは、目の前に立つ“彼”が成し遂げたかった、たった一つの願望そのものなのである。
全てを奪われ、全てを終わらされた。
そんな“世界”に鉄槌を――たった一つ身に宿った、果てしない底抜けの“怒り”こそが、「魔王」を生んだ。
また一つ、ふぅとため息をつく「魔王」。
彼は少しだけ顔を持ち上げる。
「結末なんてどうでも良いさ。興味がない。この街を世界に広げて支配しようが、星ごと“高次元存在”の力によって壊滅させてやろうが、どうにでもなる。人間というクソのような生き物が消えれば、それで満足だ」
ついにこの一言に、リノアが声をあげた。
告げられた「魔王」の真意に、堪らず身を乗り出す。
「たったそれだけ……本当にその“執念”だけで、あなたは世界を支配しようというの?」
「分かってるさ、ギャーギャー
あえて自身を卑下し、それでもなおまるで弱みを見せない姿は、“皮肉”そのものが形を成しているかのようである。
人間としてのロジックが、この存在には当てはまらない。
「そんな異常者の狂った怒りも、もうすぐ成就してしまう。お前を殺し、そいつを手に入れればな」
エリシオを指差す「魔王」。
だが少女はキッと彼を睨み、吠える。
「させないよ、そんなこと。奪われたから奪い返して、気に入らないから全部壊す――そんな“わがまま”、絶対にダメ! そんなことに、この力は使わせない!」
少女の腕は震えていた。
対峙する怪物を前に、やはり彼女の心は純粋すぎる。
目の前に立つ存在が持つ暗黒に、恐怖が湧き上がるのだろう。
だがそれでも、目を背けることはしない。
それはエリシオの見せた、明らかな抵抗の意思だ。
だからこそハルも引かない。
ゆっくりと“柄”を握り、前を向く。
摩天楼の上に漂う無味無臭の空気を吸い込み、吠えた。
「お前がわがままで世界を壊すっていうなら、それでいい。だったら俺は、俺のわがままでお前を止める。そんなくだらない理由で、ここに来たんだ。これは――40年前の“喧嘩”の続きだ」
英雄と魔王による、決戦ではない。
時を超越した存在同士の、聖戦でもない。
これから行われるのは、ただの喧嘩。
ハル=オレホンという“二人”の人間が、互いに譲れないからこそ起こる、そんな下らない力比べだ。
風が駆け抜け、肌を撫でる。
きっとこれもまた、“彼”の中にある憧れの都市に吹く、
どれだけ美しくても、どれだけ穏やかでも。
ここにある全ては間違っている。
身構えるハルとエリシオ。
固唾を飲んで見守るリノア。
彼らの視線を受け、また一つ「魔王」はため息を漏らす。
彼はおもむろに、被っていたフードを脱ぎ去った。
息をのむエリシオとリノア。
そして、心を締め付ける思いに、歯を食いしばるハル。
荒々しく跳ねた黒髪と、同様に黒く、雄々しく生え揃った眉毛。
開かれた眼に浮かぶ瞳は少し小さく、ぎょろりとこちらを見据えている。
整った顔立ちを持つ青年だ。
かつて過去のデータで見たままの、“彼”の顔である。
それでいて、その金の瞳は発光していた。
彼の宿した野心の輝きが、視線と共に叩きつけられる。
快活さなどもはやない。
誰かを楽しませる仮初めの笑顔など、あるわけがない。
彫刻のようなただ冷たい表情を浮かべ、“彼”は――もう一人の「ハル」が言う。
「もうあれやこれや、問答を繰り返す気なんてないさ。だから、おいで――叩き潰してやる。“希望”を抱くことなんて、馬鹿馬鹿しいと思えるほどに」
戸惑いは消えない。
迷いも焦りも恐怖も、確かにその身に宿ったままだ。
それでも前を向き、対峙する“彼”へと向かう。
やっとたどり着いた、あの日の姿に向けて、吠える。
摩天楼に、ハルの雄叫びが響いた。
アスファルトを蹴り、前へと肉体を押し込む。
向かい風を突き破り、真っ白な男は一気に距離を詰めた。
あまりの速さに息をのむリノア。
だがまるで
ドンッ、という音と共に刃が止まる。
剛剣は「魔王」の体に触れるスレスレで、見えざる力に受け止められてしまった。
ひるむことなく、すぐさま刃を引き戻し、再び切り込む。
一撃、二撃、三撃――横から、下から、上から、あらゆる角度と速度、緩急を込めて剣を振るい続ける。
そのたびに、空気の爆ぜる音と共に衝撃が殺され、「魔王」には到達しない。
歯を食いしばり、重厚な刃を振り続けるハル。
その猛攻を前にしてなお「魔王」は手を下ろし、自然体のまま直立している。
うんざりだ、と言わんばかりに彼はため息をつき、軽く手を持ち上げた。
「勇ましいことだな。身の丈ほどの剣、いかにも“勇者”のそれだ」
掲げた「魔王」の手を見て、リノアが眉をひそめる。
親指に人差し指を引っ掛けたまま、力を込めるその形に見覚えがあった。
剣を振り上げ、渾身の一撃を打ち込もうと飛び上がるハル。
その猛々しい顔めがけて、「魔王」は人差し指を弾いた。
でこぴん――そんな誰しもが知っている他愛ない動作が、パァン、という乾いた音と共にハルを吹き飛ばす。
額に叩き込まれた衝撃が白い肉体をぐるぐると回転させ、背中からアスファルトに落下させた。
激痛と共に、おびただしい量の血が溢れ出ている。
たった一撃で肉体が大混乱を起こし、視界がグワングワンと揺れた。
意識が飛びそうになるも、歯を食いしばって耐える。
なおも握りしめた柄に力を込め、あらん限り振り抜いた。
「なめるな――!」
身を
剣先がアスファルトをえぐり、削り飛ばした。
怪力をこれでもかと乗せた剛剣は、ヘリポートに三日月のような爪痕を残す。
しかし、それも当たらない。
顔を上げた先に「魔王」の姿はなく、一瞬、混乱してしまうハル。
だが、彼を呼ぶリノア達の声で、察してしまう。
視線を走らせ、絶句する。
振り抜いた刃のその切っ先に、「魔王」が静かに乗っていた。
ハルが腕を引き戻すよりも早く、「魔王」が素足を振る。
もはや蹴りとも呼べないような軽い動きで、またもハルの顔面が弾き飛び、後方へ吹き飛ばされた。
血と砕けた歯を撒き散らしながら、何度もアスファルトの上を跳ねるハル。
すぐさま立ち上がろうにも、激痛と共に脳が揺れ、視界が定まらない。
リノアがたまらずハルの名を叫ぶ。
その女史の声に、なんとか立ち直り顔を持ち上げた。
「魔王」はなおも非情に攻め立てる。
立ち上がろうとするハルに両手をかざし、念じた。
「ここでは全てがお前の敵さ――味方なんていない」
瞬間、「魔王」の手から、ありったけの火炎が湧き上がり、大蛇のようにハルを飲み込んだ。
ヘリポートの上が一瞬で火の海と化し、熱波にリノアとエリシオは顔を覆う。
さらに腕を振り抜く「魔王」。
一同の頭上に雨雲が姿を現し、おびただしい量の雨が火の海へとなだれ込んだ。
そして、その雫を縫うように落雷が駆け下り、火柱に包まれるハル目掛けて何度も炸裂する。
目の前で引き起こされる超常現象に、唖然とするリノア。
ペテンやトリックの類ではない。
「魔王」はそれらの自然現象を、自在に操って見せている。
なおも腕を操る「魔王」。
実に気だるそうに動く掌に合わせて、今度はハルの周囲の空気が動く。
火炎と落雷、雨粒を巻き込み、巨大な竜巻がヘリポートの上に生まれる。
風の柱はハルの体を覆い隠し、瞬く間に飲み込んだ。
空間が軋み、ヘリポートが揺れる。
人智を超越したその猛攻の数々に、リノアはとにかく前を向き、その名を呼び続けることしかできない。
これだけの超常現象を起こしておきながら、「魔王」はただため息をつく。
“高次元存在”の力によって操る“理”の力は、離れた位置にいるであろうもう一人の“彼”を容赦なく攻め立てた。
風が渦巻き、その中で踊る火炎と、何度も打ち込まれる稲妻。
それら自然の牙が一瞬にして吹き飛び、砕け散った。
風が止み、炎が散り、雷が反れる。
息をのんだのは、リノアだけではない。
力を操っていた「魔王」も同じであった。
ハルはまだ生きている。
巨大な剣を地面に突き立て、盾のように身を隠して己の身を守っていた。
とはいえ、そんな物理的な障壁で、荒れ狂う自然を受け止めることなどできない。
戦闘服は焼け焦げ、所々が破れてしまっていた。
ハルの周囲に広がる、銀色の幾何学模様――その“防壁”の正体を察し、「魔王」が振り向いた。
離れた位置で、エリシオもまた“力”を発揮している。
両手をハルにかざし、彼を守るために“
ざわざわとなびく銀の髪。
そしてエメラルドの光を煌々と放つ瞳。
小さな片割れに向けて、「魔王」はうんざりした眼差しを向けた。
「やはりお前は、初めに潰しておくべきだったな。いつだって“善意”というやつは、くだらない邪魔をする」
そんな「魔王」に向かって、エリシオが両手をかざす。
歯を食いしばり押し込むと、「魔王」の顔が大きく後方に弾け、のけぞった。
何度も意識を集中し、“力”を叩き込み続ける。
摩天楼の屋上に不可視の衝撃音がいくつもこだまし、周囲のビルのガラスを軋ませた。
どれだけ肉体を弾かれようと、「魔王」は何事もなかったかのように体を起こす。
再び、金色とエメラルドの瞳が交差した。
「くだらなくなんてない……私達がここまで歩いてきたことは、絶対にくだらなくなんてない!」
「“高次元存在”でありながら、滑稽だな。“善意”なんていう綺麗事がもたらしたのが、そのガキの姿か。何も知らず、馬鹿のように何かを信じる。だから周りの誰かを不幸にするんだ。あの“馬鹿”がそうだったようにな」
「お兄ちゃんを――馬鹿にするなっ!!」
ありったけの怒気を乗せ、「魔王」目掛けて力を放つエリシオ。
しかし、ついに巨悪も片手を持ち上げ、切り返す。
世界そのものが軋んだように錯覚した。
少なくとも、遥か頭上からその衝突を見つめるリノアには、そう認識できたのである。
エリシオと「魔王」の間で見えざる力がぶつかり合い、せめぎ合う。
空間が何度も歪み、不可視の攻防を第三者にも悟らせた。
軽く「魔王」が手首をひねると、押し負けたエリシオが後方に弾き飛ばされた。
尻餅をつきつつ、彼女は向かってくる“力”をなんとか反らし、弾く。
行き場を失った「魔王」の一撃は、遥か後方にあるビルの壁面に炸裂した。
ガラスが全て砕け、ビルの中間部分が円形に吹き飛ぶ。
その規格外の光景に、リノアは言葉が出ない。
音を立てて崩れていくビルを背に、それでもなおエリシオは立ち上がって見せた。
再び手を持ち上げ、狙いを定める「魔王」。
しかし、彼の真横から振り抜かれた斬撃が、その一手を止める。
ハルが再び至近距離に到達し、剣で襲いかかっていた。
やはり刃は「魔王」に到達せず、スレスレで受け止められてしまう。
何度も切り込むハル。
そして幾度となく「力」をぶつけるエリシオ。
二人にできる最大限の抵抗を、最大限の力で行使し続けていた。
それを俯瞰で見つめるリノアは、己が胸を押さえ、湧き上がってくる恐怖に歯噛みする。
勝負にならない――ハルの身体能力と剣も、エリシオの持つ“高次元存在”の力も、常人からすれば圧倒的な脅威なのだろう。
事実、この二人は幾度となくそれを使って、あの黒い獣・ヴォイドを打ち倒してきたのだ。
だが、今回ばかりは違う。
あそこに立つ「魔王」――もう一人の「ハル」に、それが通用するイメージが湧かない。
ハル達に勝ってほしい。
それは、まごうことなく事実であり、リノアが抱いた最も強い願望に他ならない。
だがそれでも、こうしてヘリポートの上の光景を見て、分かることがある。
今の二人では、あの存在には勝てない、と。
エリシオの“力”を片手で受け止めつつ、「魔王」は荒れ狂う刃のその先を見つめた。
猛獣のように牙を剥き、剣を振り抜くハル。
そんな彼に向けて、「ハル」は静かに問いかけた。
「もう分かっているはずだぞ。勝てない、と。無駄な努力はすべきじゃあない。疲れるだけだ」
対し、それでもハルは刃を止めない。
汗を吹き飛ばし、ありったけの熱を抱き、それでも加速を続ける。
数十年ぶりに出会う“自分”に向けて、刃の一撃と共に吼えた。
「勝てるからやるとか、勝てないからやらないとか――そんなんじゃねえよ。俺は俺自身の“決着”をつけるために、ここに来た。だからやる、それでいいんだ!」
振り下ろされた剛剣が、やはり「魔王」の首元で止まる。
その言葉に少し俯きつつ、それでも「魔王」は気だるそうに答えた。
「昔からそうだったな、お前は。弱々しくても、その実、ひたすらにわがままなんだ。だからこそ厄介なんだよ。こうと決めたら、どれだけ揺さぶっても曲げやしない。やっぱりお前は、変わらないな」
ここで初めて、「魔王」がハルに対して動く。
向かってくる刃を指差し、念じた。
キィン、という甲高い音と共に、見えざる力が刃を弾き飛ばす。
衝撃に耐えきれず、柄はハルの両の手を離れてしまった。
くるくると宙を舞う剣。
同時に押し負け、またも尻餅をついてしまうエリシオ。
押し負けたその姿に、息をのむリノア。
仰け反り、それでもなおこちらを睨みつけるハル。
そんな状況下において、やはり「魔王」の口から漏れたのは、ため息だった。
「だから奪われるんだよ。あの時も、そして――今、ここでもな」
「魔王」は一歩を踏み出し、直接ハルの首を掴み上げる。
たまらずハルもその手を外そうともがくが、万力のような力にビクともしない。
あがき、苦しむハル。
そしてそれを見上げ、無表情の「魔王」。
かつての自分を少しだけ眺めた後、「ハル」は一手に出た。
あらん限りの力で振りかぶり、ハルの体を投げ飛ばす。
真っ白な肉体はヘリポートを真横に飛び、そのまま空中へと投げ出された。
「ハル――!」
「お兄ちゃん――!」
リノア、エリシオが彼を呼ぶ。
ぐるぐると回転する視界の中で足場が消え、浮遊感がその身を襲った。
そんなハルに静かに手をかざし、「魔王」は念じる。
終焉を――ドンッ、という音がハルの中心で響く。
衝撃が腹部で弾け、白い肉体を彼方へと吹き飛ばしてしまった。
再び、彼の名を叫ぶリノア。
しかし、ハルは彼方のビルを突き破り、更に飛んでいく。
一瞬、ふわりと「魔王」の体が浮いた。
次の瞬間、彼の体は光に包まれ、その場から消えてしまう。
混乱するリノアだったが、唯一事態を把握したエリシオが立ち上がり、同じように念じた。
少女の体もまた、銀色の光に包まれて消えてしまう。
訳も分からず、ビルの上空に取り残されるリノア。
不安と恐怖に包まれたその眼差しは、遠く離れたビルを見つめている。
ハル――心の中で彼の名を呼んだ。
霧に包まれた摩天楼のその奥から、不穏で嫌な破壊音が遠く響いていた。
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