第26章 その腕に正義を

 目の前に群がる“黒”が、一斉に雄叫びをあげて駆け出す。

 アスファルトを揺らし、道路を突き進んでくるヴォイド達。

 地響きと共に、濃厚な殺意の津波が対峙する一同を叩く。


 しかし、なおも四人には退くという選択肢はない。

 圧倒的な光景を前に、斧を引き抜いたミオが問いかけた。


「ねえねえ、どうすんのどうすんの? 隊長ぉ、作戦は?」

「そうだな。とりあえず――思い切り暴れろ。その上で、生き残れ」


 彼女は嬉しそうに、「イェッサー!」と応える。


 死んでも勝て、など甘いことは言わない。

 切り開き、最後まで“生きること”こそが勝利なのだ。

 その決断が嬉しいからこそ、ゼノの横に立つ“狂犬”が、狂喜を刃に乗せて身構える。


 ハルの隣で手をかざしたまま、エリシオは大きく呼吸を繰り返している。

 向かってくるヴォイド達の圧に、押し負けそうになっているのだろう。

 どれだけ覚悟を決めても、こちらに襲いくる純粋な殺意が、少女にとってただただ恐ろしいのだ。


 そんな彼女の肩に、ハルはそっと手を添えた。

 エリシオは大きく目を開き、ハルを見上げる。


「やばいと思ったら、無茶はするな。そうなりゃ、あとは俺達がやる。ゼノが言っていたように、“犠牲になってでもなんとかする”なんて考えるなよ」


 少女の決意をむげになどしない。

 だが、彼女が抱こうとしていた“犠牲”などという道も、選ばせはしない。


 戦うなら、全員で戦う――ハルのその意思に少女は背中を押され、前に向き直った。


 ほんのかすかに、その肩から伝わる震えがおさまっている。


「うん、大丈夫。でも私、逃げたりしないよ。絶対に、お兄ちゃん達と一緒に行くから!」


 その力強い一言に、ハルは手を離して前を向く。


 ヴォイド達の中でもひときわ巨大な一匹が群れから飛び出し、こちらに襲いかかってきていた。

 それはかつてハルが、この街で相手にした個体と同じ形状をしている。


 牛の頭部に人間の胴体――ミノタウロスと、誰かが呼んでいた。

 神代の怪物の名を冠した“ケモノ”は、おぞましい雄叫びと共に腕を振り上げ、ハルに近付いてくる。


 大きく息を吸い込み、ため息として吐き出すハル。

 無味無臭の温度すらない大気で肺を満たし、怪物を見る。


 全部でたらめだ。


 建物も、生き物も、全て作り物。

 全て“あいつ”が用意した、仮初かりそめの世界だ。


 瞬間、誰よりも先にハルが飛び出す。

 大地を蹴り、向かってくる怪物目掛けて飛翔した。

 エリシオ達が、宙を舞う白い姿を追う。


 後悔はない。

 そして同時に、迷いもない。

 怪物に立ち向かう彼の眼差しに宿ったのは、ただただ深く、強く、熱い一つの感情だ。


 過去の因縁への決着を。

 これから向かう先にて待つ、“彼”に対しての――すべてをもてあそぼうとする“自分”への、ただただ純粋な怒りを。


 怪物が拳を振り下ろすよりも早く、ハルの膝がその頭部を穿うがった。

 鈍く、重い音と共に、ヴォイドの頭部がちぎれ飛ぶ。

 凄まじい衝撃に、背後で見ていたゼノ達が息をのんだ。


 たった一撃――怪物を絶命させ、なおも前を向くハル。


 肉体に宿った力を、心に燃え上がる炎を、その背に連れてきた“えにし”を。

 全てを抱き、こちらに向かってくる“黒”達に吠えた。


「どけよ。邪魔するなら、全員――ぶっ潰す!!」


 着地すると同時に、猿型のヴォイドの頭に拳を落とす。

 二匹が真下に叩き潰され、塵となって消えた。

 アスファルトが衝撃で砕け散り、深々とえぐれる。


 更に腰の“剣”を手に取り、トリガーを引きながら振り抜く。

 薙ぎ払われた軌道の“黒”がばっくりと割れ、大蛇と虎型の怪物が切断された。


 荒ぶるケモノ殺しの牙が、軌道上の全てを削り取る。

 アスファルトも、飛び散る汗も、無色透明の大気ですら、通過する閃光が断裁した。


 彼の突進を受け、残った三人も続く。


 エリシオの銀の髪がざわめき、瞳が光る。

 強く念じることで不可視の力が黒い波に突き刺さり、怪物の胴体に穴を穿った。


 ドンッ、という音と共に砕け散るヴォイド達。

 その中心でハルが刃を駆り、近付くものを次々に斬り伏せていく。


 怪物達も必死に群がるが、もう二名が加わり、圧倒的な力でそれらを叩き伏せた。

 飛来した鳥型のヴォイドを、ミオの斧が全て切り裂く。

 さらにゼノの流れるような格闘術が、寸分違わず急所をえぐり抜き、討滅した。


 自由奔放に飛び跳ねる二本の凶刃と、その隙間を縫うように繰り出される超人の迫撃。

 斬撃音と打撃音が絶え間なく響き渡り、ついにはケモノの咆哮をかき消し、押し潰す。


 交差点のど真ん中で、ハル達とヴォイドの大乱闘が始まった。

 四方八方から群がってくる“黒”を、ハルの剣が、ゼノの体術が、ミオの刃が、そしてエリシオの“力”がねじ伏せていく。


 街の中に響く、獣の声、声、声――そしてそれらをひたすらに叩き伏せる、打撃と斬撃の音。


 殺意は波のように空間に押し寄せ、満たしてしまう。

 だがその中心で、まるでひるむことなく四方の道を切り開き続ける者達がいた。

 

 ぶれず、揺るがず、おごらず、迷わず――ゆえに、ただの一歩も退かず。


 巨大な恐竜型のヴォイドが襲いかかるも、まるでハルは意に介さない。

 迷うことなく刃を怪物の上顎に叩き込み、削ぎ落とした。

 それだけにとどまらず、ついにはその首を抱え込み、あらん限りの力で持ち上げる。


 雄叫びと共に、恐竜の巨体を投げ飛ばすハル。

 黒い肉塊は他の怪物達を巻き込み、一斉に塵となって消えた。


 歓声を上げるミオ、唖然としてしまうゼノとエリシオ。

 その中で、熱く真っすぐな眼差しで次の怪物に照準を合わせるハル。


 第一陣を退け、一同は背中を合わせて立つ。

 新たなヴォイド達が、四方の通路からじわじわと近付いてきていた。


 無数のヴォイドに取り囲まれながら、ハルは剣を持ち上げる。


「ウォーミングアップにはちょうど良いが、いつまでもやつらの相手はしてられねえ。どうにかここを突破しないとな」


 これに対し、パワードスーツを身にまとった拳を固め、ゼノが頷く。


「ああ。であれば、一点突破が定石だろうな。思い切ってどちらかに火力を集中すべきだ」


 この提案には、ミオも嬉しそうに賛同する。


「どっちだろうねぇ、どっちに『魔王』がいんのかな? 正直、雑魚にはもう飽き飽きなんだよなぁ。とっとと大ボスとやりたいよぉ」


 またジワリと、包囲網が狭まる。

 エリシオは意識を集中し、「魔王」がいる方角を探った。


「あっちだよ。あっちに“あいつ”がいる! 私が道を切り開くから、そこに続いて――」


 少女の提案に頷く三人。

 エリシオが持つ直感――同じ存在として伝わる気配を、もはや疑いはしない。


 だが、唐突に投げかけられた“男の声”に、一同の足が止まってしまう。


「そう、急ぐなよ。せっかくこうして集まったのだから、もうしばし遊んでくれても良いんじゃあないか?」


 ギョッとし、振り向くハル達。

 ヴォイド達から少し離れた空間に、大きな“穴”が開く。

 そこから一人の男性が歩み出て、姿を現した。


 「魔王」ではない。

 登場したその人物の“黒い姿”には、誰しもが見覚えがある。


 上半身をあらわにした、がっしりとした肉付きの男性だ。

 全身に無数の傷が刻まれており、彼の歩んできた過酷な過去を物語っている。


 その左胸――心臓がある位置には黒い塊が植えつけられ、ドクンドクンと鳴動していた。

 かすかに白髪が混じった髭を撫でながら、男は不敵な眼差しをこちらに向けている。


 その姿に、誰しもが絶句してしまう。

 だが真っ先に声をあげたのは、DEUSデウス特殊部隊隊長・ゼノである。


 うろたえずにはいられなかった。

 ましてや、かつて“彼”の部下であったゼノにとっては、なおさらだろう。


「そんな……なぜ、あなたが……」


 狼狽ろうばいするハル達を見て、男は「はっ!」と笑った。

 腕を組んだまま、彼は――ベネットは目を見開く。


「感動の再会、とはいかないか。ここに来たということは、知っているのだろう? この私がやろうとしていたことを」


 身構えたまま、ハルも吠える。

 剣の切っ先を、反射的にベネットに向けた。


 死んだはずの男が、目の前に立っている。

 そんな不可思議に取り乱さないよう、歯を食いしばった。


「まさか……あんたは確か、キースに……」

「ああ、殺されたよ。あの男、まんまとやってくれた。元より狡猾な人間だとは思っていたが、まさか最後に『魔王』の側につくとはな」


 ぎょっとする一同の中で、ミオが相変わらずあっけらかんとした口調で告げる。


「わ~お、この街は死人まで生き返るのかぁ! あれ、でも足あるなぁ。ユーレイは足、ないんじゃなかったっけ? あ、それともあれか、ゾンビだゾンビ。あれなら足もあるし、死んでも動くぞ!」


 マイペースに喋るミオにも、ベネットはつまらなそうに舌打ちした。


「危なかった。いや、本当に焦ったよ。ドクトルを殺害したことがばれ、あげく『魔王』まで動き出してしまうのだからな。だが最後の最後に――まだ“神”は私を見捨てていなかったようだ」


 くっくっく、と肩を揺らして笑うベネット。

 眉をひそめるハル達の横で、彼をキッと睨みつけながらエリシオが言う。


「凄い執念……肉体を失って、意識だけになっても……この街に留まり続けるなんて」


 少女の推測に、ハルはうろたえてしまう。


「おいおい、まじかよ。ってことは、本当に幽霊だってのか。どんだけ執念深いんだよ」


 この一言に、ベネットは表情を一変させた。

 明らかな怒りをあらわにし、吠える。


「本当に……本当にうっとおしい存在だ。ハル=オレホン――40年前も貴様のせいで、私の計画は水の泡になりかけた! 貴様さえいなければ、とっくの昔に私が“高次元存在”を手にし、この街を――いや、“世界”を統べる王になっていたのだ!」


 荒々しく、何度もハルを指差すベネット。

 その圧に負けじと、ハルは切り返す。


「蘇ったところ悪いけど、だからといってあんたの野望を無視はできないんだ。“高次元存在”を使って世界をどうにかしようなんて、馬鹿げた理想をな」

「馬鹿げているのはどっちだ!? 人類が進化し、新たな未来へ進むための“力”を発見できたのだぞ。あとはそれを受け継ぎ行使する、絶対的な“王”が必要なのだ。なぜ、それが分からん!?」

「王様になったからって、世界を好きにして良いわけじゃあないさ。ましてや、理想のためには平気で人を殺す、あんたみたいな外道が上なんざ、ごめんだね」


 もはやどれだけ声を荒げられようとも、ハルの心は揺らがない。


 かつての上司と部下は、40年という時を経て再び対峙する。


 かたや、ねじ曲がった“力による理想”を。

 かたや、暴虐を止めるという青臭い“正義”を胸に、再び。


 そんな中、ゼノが拳を下ろし、一歩を歩みだす。

 突然の行動に誰しもが驚き、彼の背中を見つめた。


 蘇り、目の前に立つかつての指揮官に向けて、ゼノは問う。


「ベネット指揮官。本当なのですか――あなたが、ドクトルを殺害させたことも。あなたが40年前の人間だという、これまでの経緯も全て」


 きっとその答えは、ゼノにも分かっていたのだろう。

 だが分かっていながら、彼にはどうしても問いかけずにはいられなかったのだ。


 DEUSという組織の中で、ゼノはひたむきに“正義”を執行し続けてきた。

 その頂点に立つ者が、DEUSという組織を隠れ蓑とし、世界を揺るがす“力”を求めていたなど、まだ心のどこかで信じたくはないのかもしれない。


 ベネットはどこか、皮肉を込めた笑みを浮かべる。


「ああ、本当だよ。どれもこれも、この世界のためには必要不可欠な犠牲だ。自己満足な善行を何年、何十年くりかえそうが、人間は変われんよ。だからこそ“高次元存在”が“悪意”を喰らい、成長し続ける。今こそ我々は、一歩を踏み出すべき時なのだよ」


 狂笑を浮かべ、手を広げるベネット。


 その左胸の“黒”が、どくん、とひときわ大きく揺れ動く。

 瞬間、心臓部でうごめいていた漆黒は彼の身体中へと広がり、全身を真っ黒に染め上げた。


 異常事態に息をのみ、身構える一同。

 先頭に立つゼノも、構えを作らずにじっとそれを見つめている。


「泥臭い“正義”など、人類には無用の産物だ! 必要なのは“力”――全てを変えるだけの圧倒的な“力”なのだよ! 慈しみだの思いやりだの、“心”などで人は救われん。いつだって時代は、“力”によって突き動かされてきたのだ!」


 男の体が肥大化していく。

 身にまとった“黒”は腕を、足を、腰を、首を、巨大に変貌させていった。


 とっくの昔に分かっていたのだ。

 だからこそ、ハル達は武器に力を込めたまま、じっと構えを崩さない。


 この男も、既に捨てたのである――人間という殻を。


 一同の目の前に立っていたのは、巨大な黒い“鬼”であった。

 曲がった角と赤く光る瞳、牙と尻尾を持つ巨大な黒鬼である。

 その刺々しく邪悪なシルエットに、身構えてはいても唖然としてしまった。


 おぞましい声で鬼が――ベネットが吠える。


「貴様らのような馬鹿が、いつだって時代を狂わす。私のような崇高な理想を理解できない無知が、いつだって足枷になる。だからこそ、粛清するのだ。この私が、この場で、この時代で、この“力”で!! “やつ”から全てを奪い、真なる王になってみせる!!」


 男の喉元から溢れ出る邪悪な波長が、ビリビリと大気を震わせた。

 周囲のヴォイド達は包囲網を作ったまま、微動だにしない。

 おそらく彼らの意思もまた、ここにいる巨悪――巨大な黒い“鬼”と繋がり、連動しているのだろう。


 彼は40年前から、なんら変わっていない。

 己の抱いた思想が、己が育ててきた野心こそが、世界を導けると心から思っているのだ。


 だからこそ、彼は排除するつもりなのだろう。

 目の前に群がる“邪魔者達”を――そしてこの街に、今もなお居座り続ける“彼”を。


 その姿こそが、ベネットという男が数十年前から心に宿した、底なしの“欲望”そのものなのだ。


 ヴォイドと化したベネットは、一歩を踏み出す。

 大地が揺れ、アスファルトに爪が食らいついた。


 腕を振り上げ、すぐ目の前にいるゼノに襲いかかる。

 ハル達は一斉に彼の名を呼んだ。

 だが迷うことなく、巨大な鬼は吠える。


「お前らはそのための“供物くもつ”だ! これから作り上げられる“世界”の土となり、永劫を生きろぉ!!」


 ゼノは腕を持ち上げない。

 視線を落としたまま、微動だにしない。


 その姿に、またもハル達は彼の名を呼んだ。

 どういうわけか黙したままの彼に、ベネットは迷うことなく切り込む。


 この男のことは、良く知っていた。

 仮初めの指揮官だったとはいえ、それでも一時期は上に立つ者として、隊員の素性は把握していたのだ。


 ゼノは未熟児に生まれ、視力に先天的な障害がある。

 だからこそ、広角を見ることができない。

 振り下ろしたこの腕を、今のゼノは見えていないのだ。

 

 生身の人間とは言え、ゼノという男の戦闘力を無視はできない。

 怪物になれどもベネットは、あくまで人間として抱いた狡猾さを捨ててはいない。


 至近距離かつ死角からの絶対的な一撃で、まずはこの男を仕留める。

 一撃のもとに首をへし折り、邪魔者を着実に潰してやる。


 ベネットのその一手は、戦場においては正解であった。

 障害であろうが欠陥であろうが、相手の“弱み”をつくのはダーティでも何でもなく、戦場における“正道”に他ならない。


 相手の虚をつき、弱点をえぐる――それは彼ら軍人にとって、何ら間違った行為ではなかった。


 ベネットの軍人としての戦闘理論に、ミスはない。

 こと人間相手ならば、実に効果的で、有効な一手だっただろう。


 ただ一つ、彼が履き違えたのは――相手がゼノであった、ということに他ならない。


「そうか、理解したよ。貴様は指揮官でも、ましてや“王”でもない――ただの“悪党”だ」


 瞬間、一歩だけゼノは後退する。

 視線すら合わせずに首をひねると、すれすれを怪物の拳が通過した。

 ごぉという風が大気を揺らし、ハル達の鼓膜すら震わせる。


 血走った赤い目で、ゼノを追うベネット。

 彼がもう一撃を持ち上げる前に、なおも足元を見たままゼノが動く。


 一閃――しなやかに放たれたゼノの右蹴りが、ベネットの膝に炸裂した。


 乾いた音と共に、衝撃は怪物の足を貫通する。

 パワードスーツによって強化されたその一撃は、巨大な鬼の足を、たった一発で粉砕した。


「は――あぁ?」


 情けない声を上げ、がくりと崩れ落ちるベネット。


 ハル達が息をのんだ時にはゼノがもう一撃、蹴りを見舞っていた。

 残っていたベネットの膝が、真逆に折れ曲がる。

 鬼の両足が砕け散り、ズシンと音を立てて尻餅をついた。


 大混乱を起こしていたのは、ベネット本人だろう。


 へし折れた両膝から確かに伝わる激痛、力を込めようとも決して立ち上がらない体。

 ヴォイドという怪物の肉体が、たった一撃で砕けるという非現実。


 そんな混乱のさなか、すぐ目の前に立つ黒人の男性が見えた。

 スキンヘッドの彼は汗一つかかず、静かにこちらを見つめている。


 その瞳の奥底で――果てしない怒りが燃えていた。


 雄叫びをあげ、ベネットはなおも腕を振り抜く。


 ゼノの首をへし折ろうと、その頭部を狙った。

 巨大な腕は伸縮自在で、鞭のようにたわみ、伸びる。

 先端の速度は、音速のそれを凌駕していた。


 だがやはり、隊長はうろたえない。

 軽く首を動かして避け、反対に向かってくる黒い手首に拳を打ち込んだ。

 貫通した衝撃がベネットの左手首を砕き、腕の機能を殺す。


 ついに痛みから、ベネットの悲鳴が上がった。


 遠くで見ているハル、そしてエリシオはただ唖然とし、その攻防を見守ることしかできない。

 もはや、助けに行くという選択肢すら忘れてしまっていた。


 強すぎる――ハル、エリシオ、ベネットが同時に抱いたのは、そんなシンプルな感想であった。


 ただ一人、彼の部下であるミオだけは、嬉しそうに笑っている。

 いつも見る、いつも通りの隊長の姿を、じっと見物しているのだ。


 両足と左腕を砕かれ、大混乱を起こすベネット。

 うろたえ、取り乱す黒い巨人に対峙し、ゼノは言う。


「“力”を持てば、“王”にはなれるだろうさ。だがな、そんな“王”が描く未来は、平和などではない。ただただ暴虐の限りを尽くす、ねじ曲がった覇道――人々を不幸にする独裁者の未来だ」


 ゼノは両拳を握りしめる。

 彼の腕が――パワードアームが出力を上げ、筋肉が盛り上がっていくのが見えた。


 たじろぎ、唖然とするベネット。

 かつての指揮官に向けて、ゼノは告げる。


 “正義”に生きる男の、ありったけの“怒り”を乗せて。


「“力”で人を動かせると言ったな。分かった、ならどうにかしてみろ。お前の大好きな“力”で――目の前にいる、刃向かう愚か者を止めてみせろ」


 肉体に蓄えられた“力”が、臨界点に到達する。

 肥大化したその両腕を見て、ついにベネットは慌てて声をあげた。


「やめろ、やめろやめろやめろ――おい、分かるだろう。分かれよ! 世界の舵をとる“指揮官”が必要なのだ! この世界を導く、正しい先導者が――」

「申し訳ないが、分からんな。貴様の言う通り、我々のような“馬鹿”では。そもそも、もはや貴様は指揮官でも何でもない。ただの黒い――バケモノだ」


 息をのみ、言葉を失うベネット。

 伝わった決意に、心を震わせるハル達。

 彼らの目の前で、ゼノが一歩を踏み出す。


 砕けたアスファルトが、突き破った大気が、巻き起こる突風が。

 彼が執行する、“正義”の力強さを物語る。


 ありったけの力を込め、ありったけの出力で拳を叩き込むゼノ。

 増強された筋肉が目にも留まらぬスピードで次々に鉄拳を撃ち放ち、怪物の体にめり込ませる。

 大砲のような炸裂音が、機関銃のようなけたたましい速度で交差点に響き渡った。


 一撃を一撃が追い、十撃が百撃を超え千撃へ――拳と蹴り、体術を上塗る体術の嵐が荒れ狂う。


 ベネットの悲鳴は、その荒ぶる轟音の波にかき消されてしまった。


 胴体、腰、足、腕、首、そして顔面――全身に叩き込まれる拳が黒を穿ち、捻じ曲げ、潰す。

 どれだけ逃げようとも、それを上回る速度で追いつく一撃が、ベネットの体を塵に変えていく。


 ようやく止まったゼノの両手両足から、白煙が上がっていた。

 構えを作ったまま立ち尽くす彼の前に、かつてベネットだった黒い塊が鎮座している。


 まともに残っている腕、足など一本もない。

 首すらねじ曲がり、穴が空き、至る箇所が欠けている。


 それでもなお意識が残っているのは、ヴォイドの耐久力がゆえだろう。

 だがそれが逆に、彼にありったけの痛みを知覚させてしまうのは、どこか皮肉な結末であった。


 ベネットのかすれた声が響く中、一陣の風が駆ける。

 目にも留まらぬ速度で疾走したミオが、一瞬でベネットの首を斧で跳ね飛ばした。


 空中を舞う“元指揮官”の顔に向けて、ミオは笑いながら告げる。


「“あっち”に行ったら、ナッシュやキースにもよろしくねぇ~。あっ、その前に“神様”に罰してもらいな。しっかりみっちりと――“地獄”に行く前に」


 ベネットは何も返せない。

 首は地面に落ちると同時に塵となり、それに合わせて巨大な肉体もまた宙に散ってしまった。


 ふぅ、とため息をつくゼノ。

 唖然として固まっていたハルとエリシオは、ようやく彼に駆け寄ることができた。


「あ、焦ったぜ……一瞬、あのままやられちまうのかと……!」

「驚かせたならすまない。だが、あの程度の雑な大振りならば、見る必要もないさ。肌に伝わる空気の揺れで、方向は分かる。体重移動さえ見ていれば、どこに何が来るか大抵は伝わる」


 相変わらずの超人的理論に、度肝を抜かれてしまう。

 エリシオも目を丸くし、ただただ驚いて彼を見つめていた。


「せっかく蘇ったのだ。きちんと、奴自身の口から言葉を聞いておきたかった。だが、聞くだけ無駄だったかもしれないな。“王”になるだのなんだの、よくいる独裁者のそれと変わらん。がっかりだよ」


 この歯に衣着せぬ意見に、ミオもケラケラと笑った。


「そうそう、つっまんねーの! 中身もただのわがまま野郎だし、その上“バケモノ”になったんじゃあ、救いがないって。あんなの、早くクビにしちゃえばよかったんだよ~」


 怪物と対峙しておきながら、まるでぶれないDEUSの面々に、ハルは引きつった笑みを浮かべてしまう。

 とことん、彼らが“超人”の集まりだということを見せつけられてしまった。


 だが、ベネットが消えたことを契機に、周囲のヴォイド達が一斉に吠え出す。

 見れば、再びジリジリと包囲網がハル達に近付いてきていた。

 たまらず武器を構え直し、円陣を組む。


「くっそ、一難去ってなんとやら……一緒に消えてくれりゃあ、楽だったのによ」


 まだヴォイドは数十匹は残っている。

 負ける気はさらさらないが、ここで延々と戦いを繰り広げているわけにもいかない。


 これに対し、ゼノは構えを作ったまま「ふむ」と唸る。

 彼はエリシオに向けて不意に問いかけた。


「確か君は、『魔王』がいる方向が分かるのだな?」

「えっ……うん、そうだけど……」

「よし。なら、君達は先に行け。この場は、私とミオが食い止める」


 この提案にギョッとするハル、エリシオ。

 唯一、ミオだけが笑ったまま「おお、まじ?」と声をあげた。

 たまらず、ハルはゼノを見つめる。


「この数を、二人でどうにかするって言うのかよ!? だめだ、そんなことは――」

「今倒すべきはヴォイドなどではない。この奥にいる全ての元凶、『魔王』だ。そうだろう? そしてそれを止める力は、君達二人にある。ならば我々がその活路を切り開くのが、最善の一手だ」


 ゼノの瞳に迷いはない。

 彼はじっと怪物達を見据えたまま、さらに告げる。


「安心しろ、捨てっぱちになどなっていないさ。無論、必ず生還してみせる。我々二人にだって、まだまだやらねばいけないことは山積みなのだからな」


 かたや、“家族”を守るために。

 かたや、街に消えた“家族”に再会するために。

 それぞれの理由で彼らは生き残り、“正義”を執行し続ける。


 じりじりと黒い怪物達は近付いてきていた。

 もはや議論をしている時間など、ハル達には残されていない。


 剣を持ち上げ、再び前を向く。

 エリシオも不安げな眼差しこそ浮かべているが、ハルが決意を固めたことを察した。


「分かった……分かったよ。頼んだぜ、二人共――絶対に死ぬなよ」


 かすかにゼノが、そして大きくミオが笑う。

 ハルは歯噛みしたまま、それでもエリシオを見つめ、頷いた。


 少女ももはや迷わない。

 交差点の奥、道路のその先に向けて力を集中させる。

 見えざる“念”が群がっていたヴォイド達を吹き飛ばし、包囲網に一箇所だけ穴を生んだ。


 その点に目掛けて一斉に走るハル達。

 ヴォイド達も逃すまいと群がるが、ゼノ、ミオが先行して飛びかかり、打ち倒す。

 その隙間を縫うようにハルとエリシオが駆け抜け、ゼノ達はきびすを返して背を向けた。


 怪物達を前にして一瞬、ゼノは背後のハル達に告げる。


「頼む。この街を――世界を救ってくれ」


 歯噛みし、頷くハル。

 振り返らず、とにかく今はアスファルトの上をひた走った。


 怪物の咆哮が、背後から聞こえる。

 無数の暴を砕き、切り裂く音。


 その中に確かに聞こえた、“彼女”の暢気のんきな声に、心が締め付けられてしまう。


 またね――その言葉に応えることなく、ハルとエリシオはただひたすら前を向く。

 遥か彼方、街の中心にそびえる摩天楼を目指して。


 色なき街を進む“白”と“銀”の背後で、拳と刃の音色が遠くから響いていた。

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