第23章 扉の奥にて、君を待つ“彼”

 目を覚ましたそこは、戦場だった。

 残火がいたるところで燃え盛り、瓦礫の中に破壊された器具も見える。

 ここに来る時、念入りにメンテナンスした高い機械が、今となっては見るも無残なガラクタに変貌していた。


 体を起こすと、まずは激痛が足に走った。

 慎重に触れるが、幸いにも骨に異常はなさそうだ。


 ゆっくり立ち上がり、戦場を見渡す。

 仲間達は皆、絶命していた。

 豪胆で力仕事に秀でた彼も、可憐かつ頭脳的な彼女も、ただのむくろとなって横たわっている。


 涙が湧いてこない。

 こういう時、きっと人は悲しむべきなのだろう。

 共に歩んだ仲間が死に絶えたのだ、泣かない方がどうかしている。


 そう理解していても、“彼”の目から熱いしずくは湧いてこない。

 きっと幼少期にそれを流し尽くし、枯れ果ててしまったせいかもしれない。


 とぼとぼと、歩き出す。

 愛用のライフルだけをたずさえ、瓦礫まみれの街を進む。


 なぜか色がないその街は、自分にとって見覚えのある景色ばかりだ。

 特にこの地域は、“彼”にとっては苦痛で仕方がない。


 幼少期、母を失ったあの貧しい街にそっくりなのだから。


 がさり、と音が聞こえた。

 慌てて振り返った“彼”のすぐ横の壁が、砕けて弾ける。


 身構え、とっさに銃口を向けた。

 そこにはボロボロになった指揮官が、鬼の形相でこちらを睨みつけている。


「やってくれたなぁ……えぇ、おい? まさか貴様が……ここまでの野心家だったとは」


 言っている意味が分からなかった。

 そもそも、自分達の指揮官であった彼が、なぜ自分を襲うのか。


 その手に握られたショットガンは、震えながらもこちらに向けられている。


「いつからだ、あぁ? いつから気付いていた!」


 何のことか分からない――そう、首を横に振る“彼”に、指揮官は吠える。


「とぼけるなよ! お前も狙っていたんだろ、この“街”に眠る存在を。うまくいくはずだった……まさか最後の最後に、お前に足元をすくわれるとはな……」


 ただ一人で納得する指揮官。

 うろたえ、呆然とする“彼”を見て、やはり指揮官が何かを察する。


「なんだ、お前? その様子だと――なるほど、今は“そっち”なのか。“奴”はなぜ隠れているんだ?」


 唯一、この質問だけは理解できた。

 だがあいにく、指揮官の望む答えなど持ち合わせてはいない。


 少なくとも指揮官の言う“奴”は、ここにはいない。

 それだけははっきりと分かる。


「なんだと? では……そうか、そういうことか。つまり、お前も知らないわけだ。“奴”の思惑を」


 そんなわけはない――と、たまらず反論した。


 “彼”のことなら良く知っている。

 少なくともこの部隊の中で、誰よりも“彼”と長く歩んできたのだ。


 だが、指揮官は聞く耳を持たない。

 どこか少し嬉しそうに、ショットガンを構えたまま笑っている。


「結構結構! なら良いのだ。その方が俺にとっても、都合はいいからなぁ。となれば、お前はもう用無しだ。このままここで消えてくれた方が、全てがうまくいく!」


 指揮官の構えに緊張の色が見えた。


 長年の経験から、“彼”は察する。

 目の前の男が、明らかな攻撃の意思を固めた、ということを。


 指揮官は躊躇ちゅうちょすることなく、引き金を引いた。

 散弾が飛来し、瓦礫を無残に砕き散らす。


 だが、“彼”は一手早く跳びのき、素早く引き金を引いていた。


 愛用のライフルがゴウン、という音と共に巨大な弾丸を叩き込む。

 大口径のベアリング弾を射出する、特殊兵装だ。

 民家の壁程度ならばたやすく貫通するそれが、指揮官の左胸に大穴を開けた。


「か――っはぁ」


 力なく、仰向けに倒れる指揮官。

 脅威は去ったが、それでも“彼”は目の前の光景に唖然とし、呼吸を乱してしまった。


 何が起こっているんだ――仲間達が死に、指揮官までも自分を襲ってくる。


 記憶がひどく曖昧だ。

 確か自分は、この倒れた男とつい先程まで、何か言い合いをしていたはずである。


 いや、違う――そうではない。


 言い合いをしていたのは“彼”だ。

 今は何処どこかに行ってしまった“彼”は、指揮官と激しく衝突し、争っていたのである。


 頭がクラクラする。

 ひどい疲労感から、吐き気すらもよおしてきた。


 ふらり、ふらりと歩き出す。

 いなくなった“彼”を探すために、廃墟の街を進む。


 顔を持ち上げ、道の先を見上げた。

 その中心に立っていたのは、長い銀の髪をなびかせた少女である。


 この町で出会った、最初で最後の住人。


 その少女に向けて“彼”は疲弊していてもなお、精一杯作り上げた、慣れない笑顔を向けた。




 ***




 目を開けると、まずは逆さまになった少女の顔が見えた。

 エメラルドの瞳がパァッと明るくなる。


「良かった、起きた。お兄ちゃん!」


 慌てて上体を起こすと、そこは変わらない研究室の中だった。

 床に寝ていたようで、ひどく背中が痛む。


 すぐ側にいたエリシオが、困ったように笑っている。

 涙を浮かべ、どこか不安げでもあった。


「エリシオ……俺は、一体……」

「お兄ちゃん、いきなり苦しみだして……私の力でも、全然元に戻らなくって……」


 たどたどしく告げる少女に、反対側にいる隊長が捕捉した。


「数分だが、お前は気を失っていたのだ。驚いたぞ。絶叫を上げたと思ったら、ぱたりと動かなくなってしまったのでな」


 ゼノのこの一言に、やはり隣に座っているミオがケラケラと笑う。


「ハルでもあんな大声出すんだねぇ。でもこんなかったい床で寝たら背骨曲がっちゃうぞ。あ、そうしたらそのおチビに直してもらえば良いか」


 気の抜けた一言にも、まるで返すことができない。

 とにかく慌てて周囲を見渡し、状況を確認する。


 ハルの気持ちを察し、ゼノが伝えた。


「あれからそう時間は経っていない。『魔王』が消え、リノア博士も連れ去られたままだ」

「そうか……あいつは、俺に『来れば良い』って……リノアは俺のための“釣り餌”だって」

「我々も聞いていたさ。おそらくその言い方だと、『魔王』は博士と共に、あの街――モノクロームにいるのだろう。彼女を取り戻したければ、来いということなのだろうな」


 あの時、脳内に響いた「魔王」の言葉――重々しく、しかしどこか気だるそうな、あの独特の波長を思い出す。

 ハルは奥歯を深く噛み締めていた。


「それもこれも、俺を――いや、俺とエリシオを連れ戻すためか。リノアの命を餌に……」


 かつて、エリシオは言っていた。

 「魔王」が望んでいるのは、他ならぬハルとエリシオという存在。

 この二つを手にすることで、「魔王」は目的を達成する。


 概要も、意味も分からない。

 だがそれこそが「魔王」という超常的な存在が一同の裏で動いている、明確な目的なのだ。

 座ったまま、おもむろに少女を見つめる。

 すぐ隣で両膝をついているエリシオの瞳が、悲しみと憂いで歪んでいた。


 微かに苛立ちの色を見せながら、ゼノは唸る。


「基地が襲われ、ただでさえ困窮こんきゅうを極めている現状で、さらに『魔王』自らが出向いてくるとはな……完全にしてやられたよ。我々はあくまで、奴の掌の上で踊らされていたに過ぎないのか」


 必死にあがき、打ち倒し、駆け抜けてきた。

 だがそれら全て、あの「魔王」なる存在が見据えていた予定調和だったとしたら――ハルは歯を食いしばり、少しうつむく。


 何もできなかった自分を恥じる。

 もちろん、その感情は確かにある。


 だがそれ以上に――どうすれば良いのかが分からない。


 眠っていた時に見たあの光景が、指すものは何なのか。

 あの戦場のいったいどこに、「魔王」が関連するのか。


 思い出そうとすると再び、じわじわと脳の奥から痛みが這い上がってくる。

 たまらず頭を抱え、うずくまろうとしてしまう。


 暗く沈み、部屋の中で黙する三人に――少女は言う。


「逃げて、お兄ちゃん。あのお姉ちゃんは、私が何とかするよ」


 顔を上げるハル。

 ゼノ、ミオも驚きながら、振り向く。


 ハルの隣に座るエリシオが、どこか不安な――しかし強い眼差しを投げかけている。


「お兄ちゃんはあの場所に戻っちゃダメ。もし戻ったら、もう帰ってこれないかもしれない。“あいつ”はきっと、何が何でもお兄ちゃんを連れて帰るつもりだから……」


 小さな手をぎゅっと握りしめ、全身を強張らせているのが分かる。

 心の中に湧き上がる感情を、幼い肉体が必死に制しているのだ。


「何とかするって……そんな、まさか一人で行くっていうのか?」


 こくり、と頷くエリシオ。

 それはすなわち、彼女がたった一人で「立ち向かう」ということに他ならない。


 怪物だらけの、あの街に。

 そしてそれを統べる、あの「魔王」に。


 反射的に、ハルは身を乗り出した。


「ダメだ、そんなの! あんなわけの分かんない奴に、一人で立ち向かうなんて。危険すぎる――」

「思い出したの。“あいつ”がなんなのか」


 ぞくり、と背筋が震える。

 ハルだけではなく、ゼノ達も唖然あぜんとして少女を見つめていた。


「思い出した……それって記憶が……?」

「うん。さっき、霧が晴れた時、思い出したの。“あいつ”が何をしたいのか。“あいつ”と私達の間に、何があったのか」


 それはハルが昏倒し、 かつての“記憶”を垣間見ていた、あの時だったのだろう。

 「魔王」との邂逅かいこうが少女にもまた働きかけ、そして眠っていた記憶の扉を開く。


 冷や汗が頬を伝う。

 かすかに口を開いたまま、ハルは目の前の少女の言葉を待った。


「“あいつ”は――あいつと私は一緒。少しだけ“色”の違う、おんなじものだったの」

「おんなじもの……君と――『魔王』が?」


 力強く、迷うことなく頷くエリシオ。

 エメラルド色の瞳に、ひどく悲しい色が混じる。


「どうして……どうしてもっと早く、思い出せなかったんだろう。私、知ってたのに。あの街も、あのケモノも、“あいつ”も――全部、知ってた。私、ずっとあの場所に“あいつ”といたんだもの」


 かつて、モノクロームにて耳にしたある言葉を思い出す。

 確かそれは、あの街の住人――ジョナと名乗った、異形の存在が告げた一言だった。


 エリシオは「魔王」と共に、街を作った。


 ハルは考える。


 かつて「ウォッチャー」という組織が、あの場所を発見した。

 色も、場所も、“時間”すらも狂ったあの街で、彼らは数十年という途方もない期間を過ごす。


 自ずと答えは出ていたのだ。

 それを確かめるように、ハルは静かに問いかける。


「エリシオ、君は――最初からあの街にいたんだな。40年前……いや、もしかしたらずっと前から」


 また一つ、少女は頷いた。

 ゼノが息をのむのが分かる。


 時を渡ってきた存在は、「ハル=オレホン」達だけではない。


「あの街は、最初はあんなんじゃなかった。そこに“お兄ちゃん達”が来たの。あの悪いおじさんもいた。皆、最初は優しくしてくれたけど、すごい怖かった。だって、笑ってるのにずっと互いを嫌ってて、それで“あいつ”を探し続けてるんだもの」

「それが『ウォッチャー』の奴らか。やっぱり、ベネットもそこにいたんだな」

「うん。でも、お兄ちゃんだけは違った。お兄ちゃんはあんまり喋らなかったけど、私には優しくしてくれたから。でも――“よく喋るお兄ちゃん”は、他の人達と同じ――ううん、もっともっと強く、“あいつ”を探してた。だから最後は……皆で喧嘩しあったの。それで……」


 たまらず、視線を落とすエリシオ。

 だが、告げられた事実に、ハル達は考える。


 どういうことだ――リノアから伝えられている概要と照らし合わせても、やはりエリシオの告げていることは真実だろう。


 数十年前、ハルを含む「ウォッチャー」達がモノクロームを見つけ、そこに踏み込んだ。

 彼らはリノアの言う“高次元存在”を求め、あの街の中を進んだのだろう。


 そう、そして――争いが起こった。

 先程ハルが取り戻した“記憶”は、「ウォッチャー」達が仲違いし、殺しあった末路なのである。


 混乱するハルの手を、少女が取る。

 小さく、しかし暖かい感触が顔を上げさせた。


「お兄ちゃんは、頑張ったよ。いっぱい、いっぱい! 私のことも、最後まで守ってくれた。皆が私を奪おうとしたのに、たった一人でかばってくれた。“あれ”は本物のお兄ちゃんの気持ちだった。私、ちゃんと分かってたから!」


 たどたどしく、しかし必死に訴えかけるエリシオ。

 エメラルドの瞳が、かすかに潤む。


「だから、お願い――もうこれ以上、傷付かないで。お兄ちゃん達だけでも、せめて……遠くに逃げて。もう、辛そうなお兄ちゃんの姿は――見たくないよ」


 こちらを見つめ、必死に涙を我慢する少女。


 ぎゅっと握りしめた手の温もり。

 荒ぐ呼吸を抑え、毅然と前を向こうとする幼い意思。

 全てに見覚えがある。


 “あの時”だって、そうだったのだ。


 かつての“戦場”と、今ここにある“戦場”の光景が重なった。

 ハルの脳の奥底に眠り、凍りついた残滓ざんしが溶けていく。


 激痛に、たまらずハルは頭を押さえた。

 歯を食いしばり、苦しむハルに皆が声を掛ける。

 だが、彼らの音声は遠くへ弾き飛ばされ、かすんでしまった。


 思い出すな――ハルの本能が、そう告げている。


 これ以上、記憶が眠る扉を開くことは危険だ。

 もしそれを知ってしまったら、きっと二度と元には戻れなくなる。


 今まで散々追い求めてきたにも関わらず、肉体が、心がそれを拒絶している。

 扉に手をかけたまま、ハルは歯を食いしばっていた。


 良いから逃げろ。

 黙っていろ。

 踏み込むな。

 目をそらせ。


 そんな言葉を体現するかのように、痛みは増していく。


 忘れてしまえば、きっと楽になる。

 これから先も何も考えず、歩んでいる“今”だけを見ていれば、きっとどうにかなる。

 一瞬、ハルは扉にかけた手を引き戻そうと、諦めかけた。


 だが、目の前にいる少女の顔を見て、手を止める。


 あの時から変わらない――かつての戦場で出会った彼女は、いつも不安そうだった。

 周りの大人が持つ“悪意”を視えてしまう彼女にとって、街に現れた自分達は恐怖でしかなかったのだろう。


 だからこそ、彼女は自分を慕ってくれたのだ。

 街に眠る“力”の獲得ではなく、一人の少女を守るという安易で、浅はかで――しかし、まっすぐな気持ちを抱いた自分を。


 閉じた目の奥に、広がる漆黒のその中に、確かに“扉”が見える。


 思い出せなかったのではない。


 思い出すことで、またあの“戦場”に戻るのが怖かったのだ。


 そう肉体が、心が理解していたからこそ、今までずっと知らないふりをしていただけなのだ。


 ずきり、ずきりと頭が痺れる。

 扉を覆い隠すように“黒”が暴れ、また新たな痛みで警告した。


 無駄だ、やめろ――と。


 脳の奥底で、ボッと火種が弾ける。

 この基地で目を覚まし、これまで歩み続けてきた“今”の光景が次々に蘇った。


 黒装束に身を包むDEUSデウス一団のその中に、あの緋色の髪を持つ、眼鏡の女史が映る。

 まるで物怖じせず、強い眼差しと確固たる意志で、不可解な状況に立ち向かう彼女がいる。


 彼女は記憶のない空っぽの自分に、こう言っていた。


 あなたは良い人よ。


 なんで、そんなことが言い切れるのか分からない。

 なんで、こんな自分を受け入れれるのか、さっぱり理解できない。


 それでも彼女はきっと信じてくれたのだろう。


 かつての少女が――すぐ隣にいるエリシオが、そうしてくれたように。


 歯を食いしばり、意を決す。

 肉体に突き刺さる痛みを押し、暗闇の中に手を伸ばした。

 意識の奥底に覆い隠された“扉”を、あらん限りの力で前に押す。


 恐怖は依然としてある。

 不安など最初からずっとつきまとってきている。


 だがそれでも、ハルは扉を押す。


 このまま逃げることだって、もちろんできるのだろう。


 だがそれは違う。

 それはハルが望む、“今”ではない。


 自分と共にいてくれた――自分の“今”になってくれた彼女らを、捨てたくはない。


 もう嫌なのだ。

 何もわからず、何もできず、何もかもを知らないまま進むことなんてできない。


 ゆっくり、しっかりと“扉”を押す。


 やめろ、見るな。

 そう本能が告げ、痛みをより激しくかき鳴らす。

 その激痛にやはり一瞬、前へ進む力が消えそうになってしまう。


 だが揺らぐ心の奥底で、ふっとある言葉が思い浮かんだ。

 それは他ならぬ、あの底なしに明るい女史が告げた言葉である。


 どんなことにだって、“意味”がある。


 自分がここにいる、“意味”とはなんだ。


 自分がここに来た“意味”とは、なんなのだ。


 開け放たれた“扉”から、無数の光が溢れ出す。

 あらゆる光景が混ざり、輝き、闇を退けた。

 思考が押し流され、溢れ出る記憶の大津波が肉体すら支配する。


 目を閉じうつむいたまま、それでもハルは片手に伝わる温もりを頼りに、耐えた。


 エリシオは苦しむハルの手を、ぎゅっと握りしめている。

 不安な眼差しで、それでも目の前で戦う彼の姿を見守っていた。


 脳が焼き切れるような痛烈な感覚。

 ハルは目を閉じたまま、がくりとうなだれた。


 ゼノが思わずその名を呼ぶが、返事はない。

 だが、しばしの沈黙の後、うなだれたままハルは言う。


「ありがとうな、エリシオ。いつもいつも、ずっと君には助けてもらってばっかりだ」


 息をのむ少女、そしてDEUS隊員達。

 顔を持ち上げ、ハルは目を開く。

 痛みに耐え、汗を浮かべ――だがそれでも、ついにハルはかすかに笑う。


「でも、ダメだ。どんなに君が強くても、全てを任せて逃げ出したりできない。これは――“俺”が始めたことだから」


 少女は言葉を失う。

 エメラルドの瞳が捉えているのは、つい先程までもがき苦しんでいた“彼”とは随分と異なった、真っ白な男性だ。


「君の――いや、“君達”の居場所を勝手に荒らしたのは、俺達だ。力欲しさに悪い大人が傷付けあって、果ては数十年後の世界すら巻き込もうとしてやがる。本当、くだらないよ。こんなことは」


 力なく笑うハル。

 しかしその瞳に宿った光は、決して強さを失っていない。


 事態を察した隊長が、うろたえつつも問いかけた。


「ハル、まさかお前……戻ったのか? 過去の記憶が」

「まだまだおぼろげだがね。それでも十分だ。思い出したよ、俺は確かに――40年前、あの街にいた」


 さすがのゼノも、こればかりは冷静ではいられない。

 困惑する彼の横で、目を開き笑うのはミオだ。


「おぉ、まじでか!? ほんっとーにハル、大昔の人間なの? それじゃあ、私より全然歳上じゃんか。おじいちゃんだよ、おじいちゃん! 人生の大先輩だ!」


 緊張感のない、しかし途方もない事実を告げる彼女に、ハルは振り向いて困ったように笑う。


「全部、俺らがやったことなんだ。確かに、ベネットはあの当時から裏で暗躍していた。モノクロームに潜む力――“高次元存在”だっけか――やつだけじゃない。隊員達は皆、次第にその魅力に気付き、理性を失い始めたんだ」

「なんということだ……ではキースが語ったことは、事実だったということなのだな? お前が――いや、『ウォッチャー』が高次元存在を求め、あの街の中で数十年さまよったというのは」


 冷や汗を浮かべるゼノに、ハルは大きく頷く。

 ハルの中で“色”を失っていた過去が、しっかりと鮮明さを取り戻し、記憶として染み付く。


「地獄だったよ、まさに……一緒に突入した、全員が敵だった。誰一人互いを信頼せず、色のない街での殺し合いが続いた。そもそも、時間の概念なんてとっくの昔に壊れてたよ。なにせ俺らは全員――もう、人間じゃあなかったからな」


 ギョッとし、目を見開くゼノ。

 だが、うろたえる自身を律し、前を向く。


「人間じゃあない……ま、まさかお前達も皆、ナッシュやキースのように――」

「ベネットがリノアに言っていたことが、全てだったんだ。形こそ人それぞれだったが、俺達はあの街に侵食され、人間って枠を外れちまってた。俺達はきっと、半分くらいは――ヴォイドになりかけてたんだろうさ」


 数十年間、飢えもせず、狂いもせず――否、むしろ狂うことが平常となり、彼らは生き延びたのだ。

 時の狂った迷宮をさまよい、出会ったかつての仲間を殲滅する“魔物”と化すことで、時代そのものを飛び越えてこちら側にやってきたのである。


 きっとそれは、真実なのだろう。

 その証拠に、エリシオは語られる内容に目を伏せる。

 不安に歪んだ目が、じわりと潤んでいた。


「では……『魔王』はその中の誰か、ということなのだな。ベネットではない、お前のかつての同僚ということになるのか」


 だがこの問いかけに、ハルは首を横に振る。

 予想外の展開に、ゼノは滅多に見せない驚きの表情を浮かべていた。


「確かに、やつはかつての『ウォッチャー』の一人――俺の知り合いではあるさ。だけど、厳密には違う。あいつはもっと――厄介で、邪悪なものだ」


 ゼノはあえて、それ以上を問いかけない。

 ミオも黙って座り、大きな目でハルを見つめている。


 ただ唯一、エリシオが顔を上げて言う。

 悲しげな、どこまでも悲哀に満ちた表情を浮かべて。


「お兄ちゃん、ダメだよ……それ以上言ったら、もう――お兄ちゃんは……」


 戻れなくなる――エリシオも知っているのだ。

 その正体を。


 そして知っているからこそ、ハルのことを案じているのだ。


 その“真実”はすなわち、ハル自身の最大の“邪悪”に触れてしまう。


 少しだけ、目を伏せるハル。

 だがすぐにまた、笑みを取り戻した。


「良いんだよ、エリシオ。大丈夫。おかげでほんの少しだけ、覚悟が決めれたからな」


 深く呼吸し、肺を満たした。

 肉体にこもった熱を捨て、少しでも頭を冷やす。


 そう、確かあれは――孤児院にいた頃からだ。


 たった一人で生きていくのは辛かった。

 どんなに貧しかろうとも、一緒に歩んでくれる家族が今まではいた。

 不器用で、無愛想で、何事もうまくできない自分を支えてくれる、誰かがそこにはいた。


 今は違う。


 孤児院には大勢の子供がいて、保護をしてくれる大人もいる。

 だが彼らは違う。

 どれだけ隙間を埋めようが、それで“家族”になれるわけではない。


 無理だ。

 嫌だ。

 辛い。


 一人で歩いていくことなんて、できない。


 そう、だから――“彼”が一緒にいてくれた。


 時には話し相手になってくれた。

 難しいことはいつも綺麗にこなしてくれた。


 大人になってもそうだ。

 “彼”は出来が良くて、明るくて、お調子者で、どんどんと人を惹きつけるのだ。


 とても自分には真似できない。

 いつだって“彼”は、困った時に手を貸してくれた。

 その度に全てがうまくいき、気がつけば軍隊に入っていた。


 地位と名誉、そして安定した収入も手に入った。


 “彼”のおかげだ。


 いや、違う。

 きっとこれは――“彼”の企みだったのか。


 ため息をつき、ハルは一同を見渡した。

 不安げな眼差しのゼノ、あっけらかんとしたままのミオ、そして悲しげにこちらを見つめるエリシオ。

 三者三様の瞳が、ただじっとハルの言葉を待っている。


 偶然の出会いなのだろう。

 こうしてここに集ったことも、ただの神様が気まぐれに決めた“運命”の一部なのかもしれない。


 40年前の彼らと、今ここにいる彼ら。

 経緯や結末がどうであれ、これこそがハルが持ち得てしまった“えにし”なのだろう。


 なら、告げなければいけない。


 真実を。

 この全ての事件の裏で動いていたものを。


 どれだけ短い間だとしても、自身と共に歩んでくれた彼らには、知る権利がある。


 そう、真っ白な男――ハル=オレホンは考えた。


「あいつは――俺だ。俺の中に宿った、もう一人の“俺”。それが『魔王』の正体。この事件の――元凶だ」


 誰も言葉を返せない。

 静寂に包まれた部屋のその中で、ハルはすぐそばにいるエリシオの瞳を見つめた。


 ぽろり、と悲しい雫が流れ落ちる。

 もう戻れない道を選択したハルの手を、必死に彼女は握りしめている。


 不安で、怖くて、辛くて――そんな少女を少しでも落ち着かせようと、ハルはほんのかすかに笑う。


 40年という時の壁を超えてなお、青年と少女は“戦場”の中で見つめ合っていた。

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