第19章 邂逅、巨悪と巨黒

 ライフルの音とガラスが砕ける音が、通路に鳴り響いた。

 壁際で体勢を低くしたまま、リノアは少しだけ身を乗り出し、窓の奥の光景を見つめる。


 吹き抜けのその更に奥、セクター同士を接続する連絡通路の上で、隊員達と巨大なヴォイドが対峙していた。


 死体安置所から一目散に逃げ帰り、エレベーターから飛び出た瞬間、己が目を疑った。

 先程まで物静かだった基地内は喧騒に包まれ、いたるところに傷跡が刻まれている。

 ガラスが砕け、外に立ち込めた霧が建物へと侵入してきていた。


 ここに来るまで、いくつもの死体が転がっていた。

 そしてそれを生み出したあの黒い怪物――ヴォイドの姿も発見し、その度に身を隠しながら進んだ。


 長い触手を持ったタコのような大型なもの、巨大な鎌で壁をたやすく断裁していたカマキリのようなもの。

 今までモノクロームで出会ったことのない奇々怪々なる生物達が、基地の内部に侵入し破壊の限りを尽くしている。


 だがその中でも、あの連絡通路にいる一体は別格だ。

 隊員数名がライフルを乱射するが、それがまるで効かない。

 効果がないどころか、そもそも弾丸は怪物の肉体に触れすらしない。


 あれは、なんなのだ――二足で立ち、筋肉質な腕を持っている。

 片手には槍のような武器をたずさえ、後頭部からは髪の毛にも似た太い触手がいくつもなびいていた。

 姿形だけ見れば、“人間”のそれである。

 頭部には何やら仮面のようなものが取り付けられており、表情は確認できない。


 飛来した弾丸は、怪物の肉体の直前で軌道を変えてしまう。

 流れ弾は天井や壁、床に炸裂し、無意味な火花を散らすのみだ。


 怪物が一歩を踏み出す。

 先頭にいた隊員の肉体が通路の奥まで吹き飛び、壁に叩きつけられた。

 黒い巨人が攻撃をした様子はない。

 ひとりでに、人間の肉体が弾き飛ばされたのである。


 リノアはたまらず悲鳴を押し殺し、身を低くして駆け出した。

 助けなければと思う一方、それが不可能なことであるとも自覚してしまう。

 そもそも、武器一つ持たない今の彼女がヴォイドに近付くなど、無謀以外の何物でもない。


 何から何まで、変だ――なぜ、ドクは殺されていた。


 なぜ、あんな場所に遺体があった。

 なぜ、基地の中で殺人が行われたのだ。

 なぜ、ここは今怪物の巣窟になっているのだ。


 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ――ぐるぐる回る思考が、ついにパンクしかけてしまう。

 涙が溢れ、頬を伝った。

 日常から一気に叩き落とされた地獄の中を、ただ行く宛もなくひた走る。


 そんなリノアの目の前に、黒い絶望が姿を現した。

 通路の奥から鳥形のヴォイドが数匹、こちらに飛んできたのだ。


「うそ……嫌――いやぁ!」


 引き返そうにも、足がもつれる。

 ついには転んでしまい、身動きが取れなくなってしまう。


 まっすぐ、迷うことなく飛来する二匹の鳥。

 カッと開かれたくちばしには鳥類が決して持ち得ない、鋭い牙が並んでいた。


 息を飲むリノア。

 ぎゃぁああ、と叫ぶヴォイド。


 しかし、数発の発砲音と共に、真横から弾丸が飛来する。

 鳥達は胴体に穴を穿うがたれ、無残にも散ってしまう。


 唖然あぜんとするリノアの前に、別の通路から見覚えのある男が姿を現した。


「リノア博士! 無事だったのか?」

「べネット指揮官!」


 基地の総指揮をとっている軍人・ベネットが、ハンドガンを携えてそこにいた。

 彼は駆け寄り、手を差し伸べてくれる。


「大丈夫か、どこかお怪我は?」

「え、ええ、大丈夫。驚いてこけちゃって……」


 見ればべネットも、所々負傷している。

 応急措置として、肩には包帯が巻かれていた。


「その傷は……」

「いやあ。ここに来るまで、かなりの数に襲われましてな。いやはや、情けないもんです。総指揮と言っておきながら、このていたらく。お恥ずかしい限りで」

「そんな、とんでもない。助けていただいて、本当に感謝しています。指揮官、これは一体どういうことなのかしら……」


 ベネットは汗をぬぐい、真剣な眼差しで告げる。


「つい先程です。この“霧”が基地を覆い隠してしまったのは。予測すらできませんでした。まるで一気に、湧き上がったという感じです。怪物達もそうですが、厄介なことに通信も一切使えないようだ。辛うじて基地の動力自体はまだ保っているようですが……」


 リノアもすでに、何度も端末からの通信は試みていた。

 だがあいにく、うんともすんともいかない。


「至る所から、ヴォイドが襲ってきています。なぜか、基地に備えた防衛システムも機能しない。お手上げですよ……基地を駆け巡りながら生存者を捜しているのですが、今のところは……」

「そんな……こんなことが起こるなんて……」


 情報交換する二人の背後から、また別のうめき声が響く。

 見れば今度は、薄い四枚の羽を持った“虫”のような個体が、数匹こちらに向かってきていた。


 ベネットが「ちぃ」と舌打ちして吠える。


「立ち話は得策ではなさそうですな。とにかく、どこか部屋に退避しましょう。急いで!」


 言うや否や、ハンドガンを迷わず射出するべネット。

 弾丸は一匹を捉えたが、残る数匹は器用にかわしてしまう。

 声にはじき出され、リノアは通路の奥へと走り出した。


 時折、怪物を迎撃しつつ、とにかく二人は奥へと進む。

 やがて比較的荒らされていないエリアに到達し、手頃な部屋の中に飛び込んだ。


 ロックをかけ、部屋の中を見つめて思わずリノアは声を上げてしまう。


「あっ……ここって――」


 偶然にもそれは、リノアが立ち寄っていたドクの作業室である。

 あの記憶が蘇り、またぞくりと背筋が震えた。


 だが、背後から聞こえてきたベネットの苦痛な声で我に返る。

 扉をロックし、バリケードを作ろうとしていたのだろうが、どうやら肩の傷が開いたらしい。


「指揮官、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ。本当、情けないことだ。普段は鬼教官と呼ばれているのに、その実、随分と実地訓練はなまけていたからなぁ」


 汗だくになり、苦笑するべネット。

 彼は冷静に弾を込め直し、ふぅとため息をつく。


「しかし、事態は深刻だな。しばらくここに立て籠もることはできるとして、外部との通信手段がないのでは、助けも呼べない」

「ええ。籠城にしたって限界があります。ヴォイドがここに辿り着いてしまえば、逃げ道もありません。とにかく、生き残った面々と合流することを考えないと」

「おっしゃる通りだ。本当に、一体何が起こっているのか――」


 まさに陸の孤島である。

 そもそも基地の周辺は、辺境の地なのだ。

 誰かが訪ねてくることもない。

 いずれは本部が怪しんで調査員を派遣するだろうが、それまで悠長に待っていられるわけもないだろう。


 ベネットは腰を落とし、部屋を見渡して声を上げた。


「なんだ。焦っていて気がつかなかったが、ドクの作業室か。何か彼が発明した、便利な道具があれば良いのだがなぁ。それにしても、急に本部に帰還してしまったが、ある意味彼は幸運だったのだろう。この襲撃を乗り切れたわけだからな」


 少しでも場を和ませようとしたのだが、それが逆効果になってしまう。

 この一言でついにリノアは耐えきれず、顔を覆ってうずくまってしまった。


「お、おい、どうしたんだ? 何か気に触ったかね?」

「彼は――ドクは、帰還なんてしていません」


 彼女の言葉に「ええ?」と驚くべネット。

 彼は思わず、身を乗り出した。


「ど、どういうことだそれは。確かに数日前に、彼からは帰還するとの報告を」

「彼は……殺されていました。この基地の中で」


 目を見開き、「なんだと」と声を上げるべネット。

 リノアは流れ出る涙を必死にぬぐい、歯を食いしばる。


 悲しみに、打ち負けている暇はない――リノアは先程、基地の地下で見てきた全てを語った。


 偶然、旧式のGPS端末を見つけたこと。

 それをたどって、死体安置所に辿り着いたこと。

 そこで、ドクの死体を発見したこと。


 告げられたベネットは、ただただ絶句していた。

 しばらく言葉すら返せず、汗だくのまま沈黙する。


 やがて顎ひげに手を当てながら、深刻な表情で告げた。


「とても信じられん……だが同時に、君が嘘をついているとも思えない。だ、だがそれが本当ならば――」

「はい。ドクは何者かに殺された。この基地の中に、彼を殺害した人物がいるんです。GPSの反応は、ドクの体内から発せられていました。おそらく彼は、死の間際にこの事実を誰かに伝えるため、必死の行動に出たのでしょう。あのGPSの発信装置を飲み込み、いわば最後の“ダイイングメッセージ”を残した」

「なんて……ことだ。事もあろうに、DEUS部隊内部で“殺人”が――!」


 拳を握りしめ、床に叩きつけるべネット。

 総指揮官として、そのような事態を見通せなかったことを、悔やんでいるのだろう。


 リノアも、かつてドクが座っていた椅子に腰掛ける。

 事実を告げれたことで、幾分か溜め込んでいた影が薄らいだような気がした。


「この基地は何か妙です。ドクが死んですぐ、ヴォイド達が襲ってきた。あまりにも、タイミングが良すぎるような気がするんです」

「ああ、私もそう考えていた。この二つの出来事は、なにか繋がりがあるのだろう。しかし―――分からん……な、何が起こっているんだ。殺人とヴォイドの襲撃。何がどう、これらを結びつけるのだ?」

「それは私にも……」


 リノアは何度か深呼吸し、自身のこめかみを叩く。

 ぐるぐると回る思考を、脳みそごと立ち直らせようとした。


 考えろ――混乱し、奔走していた時とは違う。

 今はとにかく、自分達が生き残るための一手を考えねば。


 ドクの死、そしてヴォイド。

 これらの謎は、ひとまず後に回すべきだ。

 今重要なのは怪物だらけになった基地から、いかに安全に逃げ延びるかである。


 ロジカルに思考を組み立て、考えていく。

 この部屋からは出れない。

 ならば、ここにある何かを利用するしか手立てはないだろう。


 おもむろに立ち上がり、周囲を捜索する。

 とはいえ、どれだけかき分けても、足元にばらまかれているのはガラクタばかりだ。


 薄暗い奥の部屋――あのGPS端末を拾い上げた、小部屋を再度捜索する。

 先程の部屋もひどいが、この小部屋の荒れようたるや凄まじい。

 とにかく、新たに運び込んだ物を上へ上へ、無造作に重ねているという感じだ。


 大昔に使われていたボタン操作式の携帯端末や、腕の振りに連動する旧式ゲーム機械。

 果ては付箋ふせんだらけの、ノート型コンピュータ端末まで置きっぱなしだ。


 流れる視界の中で、妙な点に気付く。

 ノート型端末に貼られている付箋は、見慣れない記号や単語の羅列である。


 それはシステムを作り上げる、“プログラムコード”であった。

 以前、リノアも興味があり、ドクから習ったものである。


 知見の無い者には奇天烈な記号の羅列だが、これも一つの“言語”として“意味”を示しているのだ。

 プログラムとはルールの集合体であり、理解できれば思うとおりにシステムを組み立てることができる。


 分かる奴にしか分かんねえ、“魔法の地図”って奴だ――当時のドクの言葉が思い浮かび、そしてリノアも覚醒した。


 ノート型端末を携え、足早に先程の部屋に戻る。

 椅子に腰かけるや否や、端末を開き起動した。

 その迷いなき行動に、ベネットがたじろいでいる。


 貼り付けられた付箋。

 そこに書かれたコードを“解読”し、“答え”を打ち込む。


「やった――立ち上がった」

「ほ、本当かね!? パスワードが書いていたとはな」

「単純ではなかったですけどね。ドク、相変わらず変に狡猾こうかつだわ。プログラムコードで記しておくなんて」


 ベネットの「なんだって」という言葉に、リノアはようやく苦笑することができた。

 一見すれば意味も分からないコードの羅列だが、そのコードが作り上げる“文字列”が分かれば、そのままそれがパスワードになっているというからくりだ。

 確かにこれは、分かる者だけに通じる“魔法の地図”だったのである。


 リノアはくるりと椅子を回し、ベネットに向き合う形になった。

 膝の上に乗せたノート型端末を操作し、突破口を探す。


「単純な基地内回線は無理ですね……ちょっと、生きているネットワークがないか試してみます」

「ああ、頼む。すまないね。最後の最後まで、君に頼りっぱなしだとは」

「そんなにご自身を卑下ひげなさらないで。あなたと合流できなかったら、私はこうして今頃、ここに座ってないでしょうしね」


 ベネットは「ふむ」と肩の力を抜き、再びドア付近のテーブルに腰掛けた。


 端末は起動できたものの、状況はかんばしくない。

 やはり、ありとあらゆるネットワークが寸断され、外部との通信が断たれている。

 予想はしていたが、こうも徹底的に退路を潰されているとは。


 リノアが必死にキーを操作する中、ベネットが呟く。


「まさかここまで、一気にぼろぼろになってしまうとはな……モノクロームについての真実が見えてこようかという時に、なんとも痛々しい……」

「ハルだけでなく、あの少女も連れて帰れたのは大きな前進でしたからね。そういえば、彼らは大丈夫かしら」

「保護しているエリアまでは、かなり遠いな。私も向こうの状況は把握できていない。うまく逃げてくれていると良いが……」


 多少余裕が生まれたせいか、ようやく他人のことを考えることができた。

 この基地には、まだまだ大勢の人間がいるはずである。

 中にはヴォイドを前に戦う術を持たない、非戦闘員もいるはずだ。


「このような危険な任務は、できれば早く決着をつけたかったのだよ。街の謎さえ解明できれば、全て終わるはずだった。この基地も当分は、誰も立ち寄らない閉鎖状態になるはずだったのだがな」

「惜しいところまで、来ていたのでしょうね」

「ああ、まったく。できれば全て終えて、隠居したかったところだよ」


 思わず驚き、「ええ?」とリノアは声を上げてしまった。


「隠居だなんて、一線を退くおつもりだったんですか?」

「ああ、実はここだけの話だがな。なにせ私も、こう見えて良い歳だよ。体にもガタがきているし、戦闘についてもさっき見たとおりさ。もはや、地位だけで軍に居座るのも気が引けていてね」


 なんとも意外に思えてしまう。

 確かに年齢はかなり上だが、それでもベネットからは“歴戦の強者”としての貫禄がにじみ出ている。

 リノアにしてみれば、DEUSデウスという組織を回す上で適任に思えていた。


「地位だけだなんて、そんなめっそうもない。ここまでモノクロームの解明が進んだのも、今までの指揮官の采配あってのことだと思いますよ」

「嬉しいことを言ってくれるな。とはいえ、結局、最後はこんな有様だ。無念だが、生き残れたとしても多大な責任をとることになるだろう。ある意味、老兵にとってはふさわしい最後なのかもしれんな」


 普段は強気かつ豪胆なベネットが、なぜか弱々しく見えてしまう。

 度重なる精神の疲弊が、着実に彼を消耗させているのだろう。


 あまりこの場に長居するのも、得策ではない。

 リノアは急ぎ、打開策を端末内から探した。


 残念ながら、やはりネットワークは全て死んでいる。

 悪あがきではあるが、どうにか使えるものはないかとデスクトップに並ぶアイコンやファイルを流し見た。


 と同時に、心のどこかでドクの死に対する疑問も、再浮上し始める。


 彼はなぜ殺されたのか。

 彼は一体、どんな殺される“理由”を持っていたのか。

 そんな疑問が、リノアをさらに先へと行動させた。


 フォルダの中のファイル達を、更新日時順で並べ替えてみる。

 そのうち、最新の日付を確認した。


 上段に現れたそれは、リノア達がモノクロームに最後に旅立った日――つまり、ドクが本部へ帰還したとされている架空の日時と一致する。

 この日まで、確かにドクはここにいたのだ。


 ファイル名を見つめ、首を傾げた。

 最新日時のものは二つあり、一つはテキスト式のファイルである。

 おもむろに開き、少しだけリノアは息をのむ。


 それはリノアも今日初めて見た、「ハル=オレホン」のプロフィールである。

 過去にあった“暗部”のチーム・「ウォッチャー」に所属していた、ひょうきんな男である。


 だが、妙だ。


 ドクが持っているそのファイルは、リノアが見た物とどうにも内容が異なっている。

 一度見たはずの内容を、再度確認した。


 そして、声を上げそうになる。

 

 隊員名・ハル=オレホン。

 彼がウォッチャーに入隊した年は、今から――40年前であった。


 どくん、と鼓動が跳ねた。

 落ち着きかけていた肉体が、再び熱を帯びる。

 キーに乗せられた指先が、微かに震えているのが分かった。


 そんな事実は、なかったはずだ。

 そもそも「ウォッチャー」の発足自体も、詳細は不明と伝わってある。


 その下に記されている、さらなる事実に絶句した。


『出身:中米エリア、セクターC56-1。A型。入隊時年齢:20。幼い頃に紛争によって家族を殺害されているため、血縁者なし。「モノクローム」突入専用・第5部隊、隊長に就任』


 何から何まで、まるで伝えられていないデータだ。

 そこに書かれていたのは「ハル=オレホン」という人間についての、事細かな“真実”である。


 ただしそれは――数十年前のものだが。


 一通りその内容を眺め、言葉を失うリノア。

 彼女の動揺に気付き、ベネットが声をかける。


「どうした? 随分、顔色が悪いが」

「あっ……い、いえ。なんでも。残念ですが、ネットワークはやはりダメみたいですね」

「そうか……どうしたものか。となれば、やはり自力での脱出しかないか」


 リノアはあえて、ファイルの中身について触れなかった。

 妙だ――それはGPS端末をこの場所で拾った、あの時の感覚と同じであった。


 もちろん、この基地で起こっている全てが妙なのだ。

 ドクの死も、怪物の襲来も、どれも正常ではない。


 しかし、それを差し引いても、リノアは何か嫌な予感がしている。

 そして、こういう時に感じるそれは、当たってしまうのだ。


 リノアは表情を変えないまま、視線をベネットから手元の画面に戻す。

 もう一つ、最新日時になっている動画ファイルを開いた。

 音を最小にし、映像を確認する。


 それは実に見覚えのある、懐かしい光景だった。

 白い正方形の部屋には、ハルが拘束されている。

 その目の前にはベネットが座り、あれこれと質問を投げかけていた。


 どうやら、かつてハルに行なっていた尋問の様子を撮影したものだ。

 しかも、尋問室の専用カメラが記憶した映像である。

 研究室長であるノマドに問い合わせでもしたのだろうか。


 記憶されているのは、ハルの声だ。

 彼はベネットの他愛ない質問に端的に答えていく。

 モニターにはハルのバイタルや脳波が浮かび上がっており、結果、彼が“嘘”をついていないことがはっきりと可視化されていた。


 なぜこんな当たり前の映像を、と首をかしげるリノア。

 そんな中、現在部屋にいるベネットが語りかけてくる。


「本当に、ドクのことは気の毒だ。なにせ、君は我々とは違い長い付き合いだったのだろう?」

「あ――ええ、そうですね。なにせ、父の世代からの縁ですからね」

「そうか。いやはや、残念だ。まさかこんな形で別れることになってしまうなんて」


 ベネットの残念そうな顔が、モニターの向こうに見える。

 気遣ってくれるのはもちろん嬉しいのだが、動画の音声に夢中だなどと言えない。


 とはいえ、なおも動画の中では当たり前の尋問が続くのみだ。

 そもそもベネットの質問も、もう何度も聞いたもので、ハルがこの後、うんざりし始めるのを明確に覚えている。

 なにせ、この場にはリノアもいたのだ。


 ハル――唐突に、この動画の中央で座る彼を思い出す。

 あの真っ白な青年が見つかってから、あまりにも激しく事は動いた。

 その彼の素性が、ようやく明らかになりかけていたのである。


 だが、それにしても、その事実が妙なのだ。

 ハルはどう大目に見ても、まだそれほど歳を重ねていない成人男性である。


 そんな彼が部隊に所属していたのが40年前――とにかく、なにかが矛盾しつつある。


「ドクは我が軍にとって、とても大きな功績を残してくれた偉人だよ。彼の発明品があったからこそ、ヴォイドとも戦えるわけだからね」

「おっしゃる通りです。彼が数々の武器を発明しなければ、こうして街に突入するという選択肢もありませんでしたから」

「まったく、凄まじい老人だよ。私も願わくば、ああなりたいものなのだが、いかんせん頭は良くなくてな。腕っ節だけで這い上がってきた、泥臭い男には叶わぬ夢らしい」


 ベネットの言葉に、リノアも苦笑で返す。

 そうこうしていると、モニターの映像もラストシーンに差し掛かっていた。


 尋問は終わり、映像の中のベネットが諦めて荷物を片付けだす。

 最後の最後に、ハルはある質問をベネットに投げかけたのだ。


 あの街の謎を解いたら、どうするつもりなんだ――彼からすれば、当然の疑問だろう。

 それに対し、ベネットもまるで強張ることなどなく、自然体で答えている。


 あの街が無害ならば、研究を続けていく。

 ただし、危険なものであれば放置はできない。


 他愛ない、一言。

 何気ない、返答。

 ただ、それだけだった。


 だが突如画面に映ったのは、真っ赤な“警告”の文字だった。


 センサーが読み取った様々な情報が、“彼”が嘘をついていることを告げる。

 だがそれは、部屋の中にいる真っ白な男ではない。


 そのカメラに一緒に映っている男――共に尋問室に入っている、ベネットに対してだ。


 何度見返しても、同じだった。

 同じ場所、同じタイミング、同じ発言で機械は判定する。


 “彼”の発言は嘘なのだ、と。


 ぞわり、ぞわりと、リノアの背筋が震えた。

 呼吸が止まり、思考が停止しかける。


 無表情のその奥で、それでもリノアは歯を食いしばり、自身の脳みそを稼働させ続けた。


 考えろ――ここにある“意味”を。

 ドクという男が死ぬ間際に残した、この二つの“意味”を。


 静かな室内に再び響いたのは、ドアの側に座っていたベネットの声だった。


「本当に、残念だ。ドクほどの人物ならば、きっといくつもの勲章を授けられただろう。軍部を退いてもなお、各分野で活躍できたはずだ。その彼が、最後の最後に銃弾に倒れてしまうなんて。なんとも嘆かわしい…」


 何気ない一言である。

 功労者・ドクのいたたまれない死を悔やむ、優しい一言のはずである。


 だが、リノアの高速回転する頭脳が“違和感”を抱く。


 そして気付いたからこそ――戦慄した。


 リノアは彼に告げたのだ。

 ドクが死体安置所で死んでいた、と。


 死んでいた――それだけ。

 思えばもっと、詳細に伝えるべきだったのだ。


 気が動転し、状況報告を欠いた自分を恥じると共に――今は少しだけ、その偶然を褒める。


 そう、それだけを簡潔に、彼には告げたはずだ。

 ならおかしい。

 ならば、辻褄が合わない。


 なぜ彼は――“銃痕”があったことを、知っているんだ。


 ゆっくり、慎重に動く。

 もっと手がかりはないかと、タッチパッドに指先を滑らせた。


 端末の表面を撫でる皮膚が、ひどく鋭く研ぎ澄まされている。

 隙間に触れた微かなほこりですら、ざらついて感じるようだ。


 次の一手を手探るリノアに、さらにベネットは告げる。


「なるほど――さすが。もう気付いたか」


 指が、視線が、呼吸が――止まる。

 ゆっくり、ただ静かに、視線を持ち上げた。


 モニターの向こう側、扉の前にいる総指揮官に目をやる。


 彼はすでに立ち上がり、そしておもむろに壁のボタンを押した。

 ドアがロックされる。

 だがそれは、外から怪物の侵入を防ぐためではない。


 どくん、と鼓動が脈打った。

 こちらに向き直ったベネットの顔から――微笑みは消えている。


「聡明だな、本当に。そしてその上で、運もある。まさか最初に発見するのが、よりによって君とはな」


 ハンドガンの安全装置を解除するベネット。

 リノアは即座に立ち上がろうと、足に力を込めた。


 それよりも早く、弾丸が発射される。

 ベネットはリノアのすぐ側の床めがけて発砲した。

 炸裂音に動きを止め、息をのむ。


「座っておくんだ。安心しろ。すぐには終わらせんさ」


 そのあまりにも直接的で、あまりにも凶暴な行為が、嫌が応にもリノアに“答え”を示す。


 汗がにじみ出た。

 鼓動はすでに痛いほど脈打ち、走る血液が内側を擦りあげ、熱を生む。


 ノート型端末に置いた指先は、じっとりと湿っていた。


 恐る恐る、問いかける。

 辿り着いた、その答えを。


「あなたなのね……あなたが……ドクを」

「半分正解だよ。厳密に言えば、殺したのは私ではない。私は“協力者”に命じただけだ。彼は優秀だからね、うまくやってくれたよ」


 息をのむリノア。

 ベネットは「やれやれ」と吐き捨てるように言う。


「そもそも遅かれ早かれ、どこかで手に出なければとは思っていたのだ。なにせ、『魔王』も悠長に待ってはくれないようだからね。何が何でも、あの男に思い出してもらわなければいけなかったのだよ」

「あの男――ハルね……どういうことなの。あなた、何を隠してるの?」


 怖くてたまらない。

 なにせ相手の手には、明らかな凶器が握られている。

 対ヴォイド用の兵装である前に、あれは明らかな火器なのだ。

 リノアを絶命させることなど、いたって容易たやすい。


「ドクは賢い男だった。だが、賢すぎるというのも困りものだよ。味方としては心強いのだが、あれやこれや勘ぐり出すとはね。しかもその上、ほぼその答えに辿り着いてしまうのだからタチが悪い。もっとも、ハルについての過去は、ある程度の段階で打診する予定ではあったのだが」

「どういうこと……じゃあ、あなたは最初から知ってたの? ハルの――『ハル=オレホン』のこと」

「忘れるわけがないだろう。こう見えて当初は真面目に軍人として、指揮官として振舞っていたのだ。部下の名前を覚えるのは当然だよ」

「なんですって……でも、『ウォッチャー』は――!!」


 混乱が追いかけてくる。

 必死に歯を食いしばり、飲み込まれないように耐えるリノアを、またもや恐怖の波が絡め取ろうとする。


 この男は――なんなのだ。

 ベネットは不敵に、だがどこか乾いた笑みを浮かべた。


「『モノクローム』を初めて発見したのは私――いや、我々『ウォッチャー』と言うべきか? 君のお父上は、残念ながら二番煎じだったと言わざるをえんな」

「ありえない……適当なことを言わないで! ここに書かれていることが本当なら、『ウォッチャー』が発足されたのは数十年前――どんなに若くたって、老人になってるわ。それをあなたが――」

「そうだろうな、そうだろうなぁ。君みたいに賢ければ賢いほど、信じてなんてもらえると思っていないさ。だから嫌になる。うんざりだ」


 ベネットは年こそ食ってはいるが、それでも老人とはいかない。

 どう多く見積もっても50代前半という風貌だ。

 それが40年前の部隊に所属していたとなれば、当時は学生だということになってしまう。


 それは不自然だ――だがそれでも、ベネットの告げる事実に今回ばかりは嘘などないと感じてしまう。


「すべて、計画通りだったよ。DEUSという組織に潜り込み、そこから地位を得てあたかも初めてのように『モノクローム』を発見する。初めてのように驚き、初めてのように気付き、一喜一憂する。そう考えれば、なかなかの演技派ではないかな、私も?」


 おどけてみせるベネットの笑顔に、もはや信頼や安心などない。

 ただあるのは、人の形の中にうごめく“狂気”だけだ。


 もはやキーから指一つ動かせず、リノアは問いかける。


「何がしたいの、あなた。これだけの軍隊を巻き込んで、そんな数十年前から……」

「いいね、明確な問いかけだ。だからこそ明確な答えが出せる。シンプルで単純なことだよ。私はあの“街”に秘められた力が欲しい。そのためには必要だったのだ。あの男と少女が、そしてなにより『魔王』がね」

「力――モノクロームを支配するつもり?」

「まぁ、そういう捉え方もあるな。だがしかし、君らの見解は浅いと言わざるをえん。あの場所の“本当の価値”に気付いていないのだからな。どいつもこいつも、あれを“不思議な場所”程度にしか捉えていない。浅い、浅い浅い、浅すぎる!」


 本当に、同一人物なのだろうか。

 リノアは戦慄し、唇を噛んだ。


 今までのような冷静で、時に余裕を見せる歴戦の強者もさはもういない。

 目の前に立っているのは、ただの巨悪――人の死を何とも思わない、悪党だ。


 ベネットは顎ひげを撫で、リノアを値踏みするように眺める。


「せめて君だけは、気付いて欲しかったのだがなぁ。なにせ“彼”の娘だ。その真価にいち早く気付いてくれれば、我々と共に歩むことすらできたかもしれないのに、惜しいものだよ」

「父のことを言ってるのかしら。だったら的外れよ。父はあなたのように、野心で動く人間じゃあない」

「本当にそうだと思うかね? 君の父上もまた、あの街に眠る力を求めたのではないのかね? 父上が研究していた――“高次元存在”を、ね」


 うろたえまいと決めていた。

 だがそれでも、リノアは彼の口から飛び出した単語に絶句してしまう。


 なぜ彼が、それを知っている。

 そしてなぜここで、その単語が出てくる。


 狼狽ろうばいし、固まってしまう女史を前に、ふぅと溜息をつくベネット。


「まぁとはいえ、心中察してはいるさ。なにせ、君ら“普通”の人間には測りきれない内容だろうなぁ。ただでさえ怪物がはびこり、人智を超えた力が飛び交う場所だ。並の人間に理解しろという方が難しいだろう」


 彼はその言葉を最後に、なぜか上着を脱ぐ。

 そしてインナーを脱ぎ捨て、上半身をあらわにした。


 傷跡が無数に刻まれた、確かな骨格と筋肉を搭載した軍人の肉体。

 その左胸に、リノアの視線は釘付けになる。


 胸板の上で、ドクン、ドクンと鳴動する“黒”。


 まるでぽっかりと、胸に穴が空いているようだ。

 亀裂が走り、少しずつ肉体に広がり侵食している。


 鼓動の音が確かに聞こえた。

 ベネットの左胸で脈打つ漆黒の肉塊に、絶句するリノア。


 ニヤリと笑い、総指揮官だった男は告げる。


「私もここまでくるのに、随分かかったよ。“あいつ”にやられ、そして化け物になって初めて分かった。あの街をどう利用すべきか、がな」


 そのおぞましいまでの“黒”と、肌に伝わるビリビリとした緊張感から、リノアは察する。


 男の胸で脈打つそれは――ヴォイドだ。


 呼吸が荒くなる。

 視線を走らせ、必死に逃げ道を探した。

 何か使えるものはないか、とにかく今置かれた状況を高速で分析する。


 扉までは数メートル。

 男を振り切り、ロックを解除し、脱出することができるだろうか。


 無理だ――男の手に握られた、ハンドガンが目に入る。

 どんな奇跡が起ころうとも、リノアは戦う術を持っていない。


 手にしたノート端末や、周囲のガラクタを投げて隙を作るか。

 見よう見まねの格闘技で起死回生を狙うか。

 大声で助けを呼んでみるか。


 ダメだ、ダメだ、ダメだ――震え、かすかに涙を浮かべるリノアに、ベネットはゆっくりと銃口を向ける。

 口の端をかすかに歪ませながら。


「安心したまえ、この距離なら私とて外しはしないさ。苦しむことなく、一瞬で父上の元に送ってあげよう。君の父上が追い求めた“研究内容”は、私が有意義に使わせてもらう」


 トリガーに指がかかる。

 リノアは銃口を見つめ、ただ黙して待つことしたかできない。


 恐怖が全身を縛り上げ、硬直させる。

 どれだけ知識を詰め込み、どれだけ聡明であっても、突き刺された殺意を前に指一本動かすことができない。


 それほどまでに、立ちはだかる“死”という存在は強大だ。


 なんて、馬鹿なんだろう――リノアは、今更になって気付いた自分自身の頭脳を恥じる。

 この男の正体を見抜けなかった自分を、恥じる。


 思えばすべて、不自然だったのだ。

 わざわざ旧式のGPS端末などを利用し、わざわざ部屋の床にパスワードを暗号として残した端末を放置する。

 今思えばそれら全てが、ドクが死の間際に取った、決死のメッセージだったのだろう。


 このベネットという男に気付かれないよう。

 しかしそれでいて、誰かがこの巨悪と“真実”に気付いてくれるよう。


 迷いもなく、躊躇もせず、ただ機械的に引き金を引くベネット。


 パンッ、という乾いた声をあげ、金属の弾丸がまっすぐ飛んだ。

 目すらつむることができず、向かってくる殺意を見据えるリノア。

 至近距離で放たれたそれは、一瞬で女史との距離を詰める。


 乾いた音と共に弾け飛んだのは、リノアの背後にあるモニターだった。

 予想外の事態に息をのんだのは、リノアだけではない。

 確実に彼女を殺すつもりで引き金を引いた、ベネットも同様だ。


 弾丸が曲がった――男を見据えるしかできない女史の目の前で、異様な光景が展開される。


 何もない空間にぽっかりと穴が空き、そこから真っ黒な腕がせり出してくる。

 握られた槍の切っ先が、まるで躊躇することなくベネットの肉体を真横から貫き、高く持ち上げた。


「がっ――なっ……あぁ!?」


 串刺しにされたまま、悲痛な声を上げるベネット。

 手足をがむしゃらに動かしてもがくも、胴体を貫いた黒い槍はまるでびくともしない。


 穴がさらに広がり、巨体が姿を現す。

 両足で立ち、髪の毛のような触手を頭部に蓄えた、漆黒の人型。

 顔を覆う仮面のせいで、表情はまるで読み取れない。


 リノアが外で見た、あの巨大なヴォイドがそこにはいた。


「貴――様……なにを……こんな、馬鹿なっ……!」


 体を刺し貫かれ、口の端から血をまき散らしつつもベネットは抵抗する。

 ハンドガンを怪物の頭部目掛けて、乱射した。


 しかし、やはりそれは無駄な行為だ。

 弾丸は全て怪物に当たることなく、軌道を変えて反れてしまう。

 壁や床に流れ弾が当たり、いくつもの甲高い音を響かせた。


 怪物が槍に力を込め、軽くひねる。

 瞬間、ベネットの肉体が九つに分断され、バラバラになってしまった。


 断末魔の雄叫びと、リノアの悲鳴が重なる。

 男の体は空中でボロボロと崩れ、あっという間に無に帰してしまった。

 リノアに向けられ、そして怪物に牙をむいた銃は、乾いた音を立ててガラクタだらけの地面に落ちる。


 一つの脅威が消え去り、また別の、それもさらに強大な脅威が現れる。

 黒い巨人は槍を下ろし、リノアへと向き直った。

 一歩を踏み出し、距離を詰めてくる。


 もはや、リノアの頭脳はパンク寸前であった。

 ベネットが明かした素性と数々の事実、それだけでも状況を整理するのがやっとなのである。

 だがその上、目の前に現れたこの怪物に、戦慄してしまう。


 ついにノート端末を放り出し、壁際へと退いた。

 だが逃げ場はない。

 金属壁に身を寄せるリノアに、ヴォイドはなおもゆっくり近寄ってくる。


 呼吸と鼓動の音が、女史の肉体を支配していた。

 かっと開いた目がどれだけ渇こうとも、思うように瞬きすらできない。

 痛いほど体を壁に押し付け、目の前に迫る怪物を見据えていた。


 ヴォイドはゆっくり、頭をリノアに近づけてくる。

 つま先から頭の先、槍に至るまで全て黒い異形。

 匂いも、温度もまるで伝わってこない、虚無そのものがそこに立っていた。


 逃げなくては。

 そして――伝えなくては。


 リノアの脳裏に浮かんだのは、端末の映像で見た、あの無愛想で気だるそうな“彼”であった。

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