第14章 “魔法”を使う、剣士と少女

 狙い通り、弾丸は怪物の肉体に突き刺さる。

 しかし、穴こそ開いたが、すぐに黒色がそれを埋めてしまった。

 その驚異的な再生能力に、ハルは絶句してしまう。


 ライフルをなおも連射しつつ、ハルは背後にいるジョナに叫んだ。


「逃げろ! すぐに部屋から出るんだ、急げ!」


 一瞬、小さな異形の住人・ジョナはためらったようだった。

 しかし、言われるがままきびすを返し、部屋の外へと脱出する。


 ハルもまた、一旦この怪物から距離を取ろうとした。

 だが部屋を飛び出すよりも先に、ヴォイドの手が伸びる。

 弾丸の雨をものともせず、それはハルの体を殴り飛ばした。


 まるで飴細工のようにすらりと伸びた腕は、それでいて鈍器のような衝撃を肉体に叩き込む。


 ぐっという唸り声と共に、入ってきた玄関から飛び出すハル。

 二階の欄干を砕き割り、そのまま地面へと落ちてしまった。


 階段から降りてきたジョナが、たまらず駆け寄ろうとする。


「ハル様、大丈夫ですかぁ!?」

「離れてろ、まだ奴が来る!」


 ハルの言葉に制され、ジョナは足を止めた。

 ごがっという鈍い音に、たまらず顔を上げる。


 建物の二階――玄関をヴォイドが無理矢理に砕き割り、こじ開けながら飛び出してきた。

 隊員の男の肉体を操り、迷うことなく跳躍してみせる。


「くっそ……なめんなよ」


 ハルは仰向けになり、落ちてくる怪物目掛けてライフルで応戦する。

 雨粒を砕きながら天に向けて弾丸が放たれるが、やはり怪物の肉体にはなんの効果も示さない。


 やばい――すぐさま転がり、退避する。

 遅れて着地したヴォイドは巨大な両腕を地面に叩きつけ、大地をえぐった。

 あまりの衝撃に、ジョナが転んでしまう。


 雨が降りしきる広場にて、再び対峙するハルとヴォイド。


 見れば見るほど、おぞましい光景だ。

 隊員は口を大きく開けたまま、のけぞるような体勢でふらふらと立っている。

 その口からヴォイドの上半身が迫り出し、ハル達を高い位置から見下ろしていた。


 隊員隊を――人間を喰らった怪物は、ハルを“敵”であると認識したらしい。

 雄叫びと共に長い腕の先端が、“手”から“刃”へと変化する。

 ぎょっとするハル目掛けて、怪物は迷うことなく二刀を薙ぎ払った。


 迷う事なくしゃがみこみ、ハルは直撃を避ける。

 頭上を交差するようにヴォイドの腕が通過し、軌道上の雨粒を一瞬で霧に変えた。

 その動きは素早く、すぐに二撃目が落ちてくる。


 ハルはそのまま泥水の中を転がり、すれすれで回避した。

 ザンッという音と共に地面に巨大な傷跡が刻まれ、ぽっかりと開いた溝に雨が次々と流れ込む。

 一撃でも当たれば、そのまま肉と骨を断ち切られてしまうだろう。

 たった一発たりと、受け止めることすら許されない。


 ヴォイドは伸縮自在の腕によって、次々に斬撃を放ってくる。

 縦横無尽、自由な軌道で動く黒い二刀が、徐々にハルを追い詰めていった。


 ハルは後退しながらライフルで応戦するも、やはり弾丸の効果はいちじるしく薄い。

 穴こそ空くものの、瞬く間に怪物の肉体は再生してしまう。

 腕先の刃に至っては硬度が高いせいか、弾丸はたやすく弾かれてしまった。


 息をすることも忘れ、飛び交う剣閃を見切り続ける。

 汗が飛び散り、雨粒と共に宙を流れ舞う。

 混乱した意識の中で、徐々にリロードのタイミングすら見失ってしまった。


 今まで出会ったどの怪物と比べても、目の前で暴れる一匹は“格”が違う。


 また一つ、大地が揺れる。

 飛びのいて直撃は避けたものの、放射状に泥と雨水が吹き飛び顔面を濡らした。


 もっと距離を取らなければ――さらに後退しようとしたハルの足が、その場で絡め取られてしまう。

 慌てて地面に目をやると、叩きつけたはずの怪物の腕がそのまま地面へと伸び、触手のようにハルの足を掴んでいた。


 物陰から見守っていたジョナが、「ああ!」と叫ぶ。

 ハルの体が宙高く持ち上げられ、逆さまに吊るし上げられた。


 ハルは宙吊りになったままライフルを掃射するも、やはり効果はない。

 殺傷能力こそないが、それでもヴォイドにとって幾分かわずらわしかったのだろう。

 片腕を再び刃に変形させ、ライフルを真横から吹き飛ばしてしまった。


 真っ二つになったライフルが泥をはねのけ、水たまりの中に落下していた。

 かすかに刃が触れただけでハルの手の甲が裂け、一瞬骨が覗く。

 しばし遅れて大量の血が噴き出し、激痛が走った。


「ぐっ――あぁあ!」


 雨に濡れた皮膚の内側から、生ぬるい脂汗が一気に沸き上がった。

 思わず、反射的に傷口を押さえ込む。


 なんとか振りほどこうにも、足首を締め上げる触手は強力だ。

 激痛と共に、骨がミシミシときしむ音が体内に響く。


 しかし、そんな痛み以上に、目の前で狙いを済ましているもう一方の腕――漆黒の刃に、ハルは視線を合わせていた。


 きっと、この前のようにはいかない。

 歯噛みしたハルの頬を、汗が頭上――すなわち地面へと流れ落ちる。


 かつて、隊員達が「ミノタウロス」と呼んでいた巨大なヴォイドと対峙した際、強烈な殴打にハルの肉体は耐えてみせた。

 常人ならば即死であろう物理衝撃も、ハルが持つ強靭な耐久性ならば防御できる。


 だが、今回ばかりは違う。

 合金製のライフルをバターのようにたやすく撫で斬る、あの刃を防げるイメージはない。

 ガードを固めたところで、きっと腕ごと胴体を真っ二つにされるだろう。


 なんとかしなければ――必死に考えるが、あいにく銃のたぐいはもう持ち合わせていない。

 そもそも、この怪物に弾丸が効くというイメージが湧いてこないのだ。


「逃げてください、ハル様ぁ!」


 ジョナの叫び声が、雨音の中にこだまする。

 怪物は大きく腕を振り上げた後、ハルの体目掛けて真横に斬り抜いた。


 抜け出そうともがくハル。

 振り回した腕が雨粒を弾き、乾いた音を立てた。

 だが、いくらあがこうとも、黒い拘束具は緩むことがない。


 終わりたくない、こんなところで――あの霧の中で見た光景が忘れられない。

 あの時見た、あの“背中”に、確かに見覚えがあるのだ。


 消えた記憶の中に、初めて光が見えた。

 “彼”の顔を見ないまま、死にたくなんてない。


 振り回した腕に、固い感触が伝わる。

 かちゃり、とベルトに結びつけた“それ”が、音を立てた。


 視線を走らせ、息をのむ。

 “それ”は雨粒を受け、ぎらりと冷たい金属の輝きを放っていた。


 振り抜かれる怪物の刃に、腰に携えた“それ”を引き抜き、向ける。

 トリガーをすぐさま引きしぼると、柄から射出された液体金属が展開した。


 キィィン――という、甲高い音が戦場に広がる。


 怪物の刃が、皮膚を、肉を、骨を断つ音ではない。

 ましてや、臓腑を切り裂きばらまくような、おぞましい響きはまるでない。


 物陰から見守るジョナが驚き、息をのむ。


「あれは――剣?」


 ハルの手に、巨大な黒い刀身を持つ直剣が握られていた。

 逆さまになったまま、向かってきたヴォイドの刃をブレードを当てて防ぐ。

 ギリギリと刃が競り合う度、小さな火花がいくつも生まれては雨粒に洗い流された。


 かつて、技術班の老人・ドクがハルに託してくれた“試作品”だ。

 もはや、その正式名称など覚えていない。

 ただただ、いたずらに長い名前だったということだけ、かすかに記憶にとどめている。


 ハルは両腕に伝わる確かな重みを、歯を食いしばったままさらに前に押し込んだ。

 ヴォイドの腕が弾き飛ばされ、怪物は大きくる。


 その一瞬の隙を見逃さず、ハルは刃を切り返した。

 その狙いは、足首を掴んでいるもう一方の手だ。


 剣が弧を描き、綺麗に怪物の腕を切断した。

 重力に任せて落下しつつも、すぐさま身をひるがえして天地上下を正す。


 ぬかるんだ大地に着地しながら、衝撃で刃も地面へと落としてしまった。

 ずんっという鈍い振動と共に、黒剣がぬかるみにめり込む。


 雨によって全身ずぶ濡れだというのに、体内の熱は一向に収まってくれない。

 ぜえぜえと息を整えつつ、目の前に立つヴォイドを見上げた。


 黒く、細く、しかし巨大な怪物は一瞬、無くなった腕を見つめていたようだ。


 怪物の黒い姿に、憤怒ふんぬも、困惑も感じられない。

 目の前で起こったことを、ただ淡々と捉えているだけ。


 まるで生き物というよりも、一種の“プログラム”だ。

 一定の命令を完遂すべく、一切の感情を持ち合わせない形のみの“ケモノ”。


 ハルは全身に力を込め、大剣を持ち上げる。

 刃に付着した白い泥が、雨に流されて落ちた。


 怪物の切断された腕は再生しない。

 この剣に使われている素材が、ヴォイドの能力を抑え込んでいるのだ。


 対峙する巨体を前に、ハルは悟る。

 だからこそより一層、柄を握る手に力を込めた。


 この刃なら殺せる――遠くから見守るジョナが、カタカタと震えていた。

 寒いからではない。

 目の前の猛獣から逃げることをやめ、立ち向かうという選択肢をとった彼に、恐怖にも似た感情を抱いたからだ。


 雄々しき勇猛か、はたまた愚者の持つ無謀か。

 それがなんであろうと、ハルは目を見開き、歯を食いしばる。


 肉体の内側に、あの感情が湧いてきた。

 かつて巨大なヴォイドと肉弾戦を繰り広げた際の、あの燃え盛る熱い気持ちだ。


 とめどなく溢れる“破壊衝動”を胸に、ついにハルはえる。


「こい――ぶった斬ってやる!」


 瞬間、雨粒の中を漆黒の刃が走る。

 ヴォイドは残った片腕で、迷うことなくハルの首を狙った。


 落ちてくる一撃を、重厚な刃が迎え撃つ。

 二つの剣がぶつかり合い、衝撃で雨粒が吹き飛んだ。

 腕へと伝わる圧を、歯を食いしばって跳ねのける。


 黒い怪物と白い超人の、真っ向勝負が始まった。


 上体をたわませ、伸縮自在の腕で幾度となく斬撃を放ってくるヴォイド。

 先端の速度は、もはや常人が見切れる速度を容易たやすく超えている。

 遠目に見ているジョナには、空中の雨粒がひとりでに弾けているようにすら錯覚して見えた。


 その至近距離で、ハルはひたすらに応戦する。

 重厚な刃を持ち上げ、怪力にて右へ左へとひたすら斬り返した。

 互いの刃が炸裂するたびに火花が散り、無色の景色が微かな茜色に染まる。


 軽く防ごうなどとは、もはや思っていない。

 ただひたすら、向かってくる殺意目掛けて全力の殺意で呼応する。

 力任せに振り抜いた横薙ぎがヴォイドの刃を弾き、巨体をのけぞらせた。


 退くな、うろたえるな、恐れるな――攻めろ。


 自身を叱咤し、大地を蹴る。

 ハルが移動した瞬間、先程まで立っていた地面がえぐれ、吹き飛んだ。

 すれすれで落ちてくる一撃を避け、ハルは真横に移動する。


 体をひねり、回転を加えて真横に刃を振り抜いた。

 狙うはヴォイドの胴――DEUSデウス隊員の口と繋がっている、細長い体を切断すべく攻め立てる。


 しかし、すんでのところで怪物は刃を挟み込み、それを防いでしまった。

 相当な衝撃だったようで、依代よりしろにしている隊員の肉体がふらりと後退する。

 刃の切っ先を持ち上げ、ハルは次なる一撃に備える。


 しっかりと、怪物が振りかぶるのが見えた。

 だが、視界にまっさきに飛び込んできたのは、斬撃ではない。


 怪物が操る隊員の肉体が、ハル目掛けて蹴りを放ってくる。


「ッ――!?」


 叫び声がまるで形にならない。

 ハルは慌てて仰け反り、大振りかつ強烈な蹴りを避ける。

 雨粒が薙ぎ払われ、遠くの水たまりでびしゃりと跳ねた。


 この一瞬の油断が、命取りとなってしまう。

 再び視線を持ち上げた時には、ハルの頭上に刃が落ちてきていた。

 慌てて剣をぶつけるも、体勢が整っていないせいで膝が崩れ、そのまま後方へと転んでしまう。


 蹴りはあくまで、ハルの注意を反らす一瞬の虚撃にすぎない。

 この怪物は今までのヴォイドとは違い、戦いにおいて相手の思考を惑わすコンビネーションというものを知り得ている。


 怪物は尻餅をついたハル目掛けて、すくい上げるように刃を炸裂させた。

 鈍い音と共に泥、雨、汗、血が弾け飛ぶ。

 なんとか剣で防ぐも、体ごと衝撃で宙に放り出されてしまった。


 強烈な一撃に、剣が手から離れる。

 指先がいたずらにトリガーを引いてしまい、分厚い黒剣は再び柄の中へと収納されてしまった。

 受け身も取れず、ハルの体は泥の中に背中から落ち、跳ねる。


 ついにジョナは物陰から飛び出し、すぐ目の前に落下したハルに駆け寄った。


「ハル様、しっかりしてください。ハル様!」

「あ、あんたか……なにやってんだ、逃げろよ……こいつは、マジでやばいかもしれねえ」

「そんな――ハル様が戦ってくださっているのに、見捨てるなんてできません。逃げるというなら、ハル様も一緒に!」


 ハルと違い、小柄なジョナには戦う術がない。

 仮に彼が加勢してくれたとして、目の前の怪物との戦力差が埋まるとは考えにくいだろう。


 だがそれでも、ジョナはハルを見捨てるという道は捨てている。

 実直な彼の気持ちに、泥だらけでありながらもなぜか苦笑を浮かべてしまった。


 ヴォイドはふらりふらりと、こちらに近付いてくる。

 隊員の肉体を乗っ取っているせいで、高速移動は難しいようだ。

 ぬかるんだ地面も相まって、重々しい動きでと少しずつ距離を詰めてくる。


 その光景に、ジョナは声を上げた。


「なんておぞましいことでしょう……人間の肉体に入り込み、操るなんて……こんな“ケモノ”は、今まで見たことがありません」

「本当なら救いたかったが――残念だよ。もうきっと、あいつの意思はないんだろうな」


 こちらに歩いてくるのは、先程まで空腹を訴えていた男ではない。

 飢餓にあえぎ、怪物に入り込まれたただの“死体”だ。


 ジョナはすぐさま駆け出し、離れた位置に落ちている剣の柄を持ち上げようとした。

 しかし、液体金属を搭載したそれは見た目以上に重い。

 ずるずると引きずると、泥がえぐれてしまっている。


 慌ててハルが駆け寄り、それを受け取った。

 ジョナの健気な姿に、なんだか心の奥底に湧き上がった殺意が揺らぐ。


「俺に構うなって、逃げろよ! 元々、あんたと俺は無関係なんだ。あんたはあんたで、自分の身を守ることを考えろって」

「とんでもない、関係がないだなんて! 旅のお方といえど、出会ったのは一つの縁です。出会った経緯や時間がどうであれ、その方が傷付くなど良くはありません。私はこの街で、もうそんな悲しい景色は見たくないです……」


 ふっと、ジョナの瞳に陰りが見えた。

 微かに目が潤んでいるのは、雨のせいではない。


 どこまでお人好しなんだ――小さい体を見下ろし、ため息が漏れてしまう。


 戦場において、そんな甘い思想を抱く者は、真っ先に命を落とす。

 ましてや怪物が蔓延はびこる異界にて、いちいち他人を気遣ってなどいられないと、ハルは考えてしまう。


 だがそれでも――いや、だからこそ、ジョナから伝わってくる言葉はハルの胸に深く染み込んだ。


 ずしゃり、とまた一つ足音が近付く。

 ハルは再び体を持ち上げ、立ち上がった。

 剣の柄を握ると、無色の泥がぬるりと滑り落ちる。


 力強い武器だが、だからといってヴォイドとの実力は五分五分だ。

 再生能力を断てたとしても、ハルの体力だって限界がある。

 このままでは疲弊ひへいし、崩れたところに一撃をもらってしまうだろう。


 怪物をにらみつけたまま、静かにトリガーに指を伸ばす。

 彼のすぐ後ろにいるジョナが、不安げな眼差しのまま言う。


「せめて一撃でも、ハル様の“魔法の剣”を浴びせることができれば……あの腕が元に戻らないところを見ると、確実に効果はあるようですし……」


 思わず“魔法”という言葉を聞いて、苦笑してしまいそうになる。 

 そういえば、はぐれてしまったあの女史も言っていた。


 行き過ぎたテクノロジーは、“魔法”のそれと同じだ――と。


 ジョナからすれば、確かに“魔法”なのだろう。

 引き金を引くことで、一瞬で剣が出現、消滅するなど。


 そう、一瞬で――ヴォイドが駆け出すのが見えた。

 雨粒が速度を失い、景色が止まって見える。

 それほどまでにハルの意識は覚醒し、加速していった。


 偶然気付いた“それ”に、無意識に感覚が研ぎ澄まされる。

 上半身を揺らし、怪物は大きくのけ反るように腕を振りかぶった。

 ジョナが後退し、「ひぃ」と声を上げる。


 改めて考えても、なぜあのドクという老人が“これ”を託したのかは分からない。

 技術屋としての行き過ぎた開発欲か、はたまた自身の試作品の効果を知る格好のサンプルだったのか。

 考えたところで真意など分からない。

 だがそれでも、この“剣”はハルの命を、すでに何度も救っている。


 研ぎ澄まされた意識の中で、ヴォイドの腕――否、刃が雨粒を切断するのが分かった。

 落ちてくるありったけの殺意目掛けて、ハルもまた駆け出す。

 すぐさまトリガーを引き、黒剣を再び展開した。

 

 やってみる価値は――ある。


 落ちてくる一撃をすくい上げるように受け止め、そのまま真横に抜ける。

 さらに飛んできた返す刀を、しゃがみこんでかわした。

 頭上の大気が切り裂かれ、突風が真横に雨を薙ぐ。


 こちらから一撃を叩き込むも、防がれてしまった。

 二発、三発と斬撃を繰り出すが、ヴォイドの剣もまた素早い。

 ガキンッという音と、小さな焔の花が咲く。


 遠巻きに見つめるジョナの顔に、不安の色が張り付いていた。

 ハルは必死に大剣を駆り、左右から攻め立ててはいるものの、ことごとくヴォイドの剣に防がれている。

 片腕を失ったとはいえ、怪物の腕が持つ伸縮性、柔軟性は素早い攻防を実現していた。


 怪物が放った一撃を、渾身の横薙ぎで弾き返すハル。

 彼はここで、意を決して一手に出た。


 大地を蹴り、怪物めがけて跳ぶ。

 すでに剣は大きく振りかぶり、刀身はハルの背後へと隠れてしまっていた。

 全身をフル稼働させた、全霊の一撃を予感させる。


 歯を食いしばるハルを見て、ジョナが息をのむ。


 ダメだ――振りかぶったハルの気迫は凄まじい。

 だがすでに、ヴォイドはその軌道を先読みして防御体制に入ってしまっている。

 薙ぎ払われるであろう軌道のすぐ先に、黒い剣が構えられ一撃を待ち構えていた。


 迷うことなく、柄を振り抜くハル。

 歯を食いしばり、目を見開き、雨粒の中でしっかりと獲物を見据えて。


 防御を固めるヴォイド、一撃の軌道を見守るジョナ。

 その一瞬で起こったことを、彼らは理解することができない。


 この場で唯一、卓越した動体視力を持つハルのみが、その“一手”をはっきりと把握する。


 振り抜いたハルの剣に――刃はない。


 腕を背後に引き絞った瞬間、ハルはあえてトリガーを引きしぼり、展開していた刀身を収納してしまっていた。

 刃も何も持たない柄だけのそれを、渾身の力で振り抜く。


 無論、ヴォイドの剣になど何もぶつからず、空を切った。


 否、それは空を切る――はずだった。


 高速で腕を振りながら、ハルは動く。

 超人の動体視力と、あまりにも精密な肉体の動きが、その一撃を実現させた。


 柄の切っ先が怪物の刃を通り過ぎた、その瞬間。

 再びトリガーを引くことで再度、黒い刀身を形成させる。

 液体金属が雨を押しのけて立ち昇り、すぐさま鈍く光るブレードを作り上げた。


 腕を振り抜いた“一瞬”で、再度作り上げられた“魔法の剣”。


 怪物の防御をすり抜け、勢いを全く殺さない刃が――炸裂した。


 物を斬る音として、それはあまりにも鈍く、そして重い。

 ずどん、という爆撃にも似た衝撃音が、怪物の胴体を真っ二つに両断する。

 黒い肉体が吹き飛び、ついに胴体と上半身が切り離された。


 息をのみ、声ならぬ声をあげるジョナ。

 ハルは振りかぶった体勢のまま、受け身すら取れずに泥水の中に落下してしまう。


 遅れて、宙を舞っていた怪物の巨体が落ちた。

 同時に、今まで操られていたDEUS隊員の肉体も力を失い、がくりと横たわる。

 白い目を向き衰弱したその姿は、もはやしかばねのそれだった。


 剣を杖代わりにし、なんとか立ち上がるハル。

 ぜえぜえと呼吸を繰り返し、肉体に宿る熱を吐き出した。

 無色の雨粒では、一向にこの嫌な熱さを奪ってくれない。


 ギリギリの一撃であった。

 剣の持つ伸縮能力をあてにした、まさに賭けとも言える斬撃。

 常人ならばあのようなタイミングで、トリガーを引くことすら困難だろう。

 ハルの肉体が持つ超人的な力が、その“奇跡”を現実のものにした。


 しばらく、雨の音が戦場を包んでいた。

 だがやがて、ようやく事態を飲み込めた小さな男が声を上げる。


「なんと――なんということでしょう。まさに“魔法”……一体、何をされたのですか?」


 物陰から身を乗り出し、唖然あぜんとしたままのジョナ。

 そんな彼に、汗と雨に濡れたままハルは微かに笑う。


「あいにく、俺は魔法使いなんて洒落しゃれたものじゃあないさ。記憶喪失で、真っ白な変な生き物。たまたまだよ――これを託してくれた、気の良い爺さんがいた。そんな偶然に救われたよ」


 トリガーを引き、剣をしまう。

 消えてしまった刃をしばし見つめ、ハルは考えてしまった。


 まさか、これを予感して――だがすぐに、そんないきすぎた憶測を振り払う。

 本当にこれは、ハルが出会った“偶然”がもたらしてくれた勝利なのだろう。


 肉体をフル稼働したせいで、やはり至る箇所がボロボロだ。

 ハルは慎重に、転ばないようにジョナへと近づく。

 切り裂かれた手の傷などどうでも良いほどに、とにかく肉体が熱くて仕方がない。


 どんな形であれ、勝利をもぎ取ったハルにジョナは笑みを浮かべる。

 近付いてくる満身創痍の“勇者”を、彼は笑顔で迎えようとした。


 ハルは一瞬、振り返る。

 背後で倒れている黒い怪物と、衰弱死した隊員を見つめた。


 おぞましい存在だ。

 どこからともなく現れ、漆黒の影のような姿で人間を襲う。

 その死体は決して残らず、生命活動が停止すると瞬く間にちりとなって消えてしまうのだ。

 まるでこの街のどこかに散っていったヴォイド達が、延々と漂っているかのようである。


 塵のように消える――ハルは息をのみ、立ち止まった。


 真っ二つに断裁したはずの怪物の肉体は、消えていない。

 地に伏せたまま、黙している。


 怪物の腕がいつの間にか、ぬかるんだ地面に突き刺さっていた。

 立ち止まり、泥水の中に靴底をうずめることで、ようやくその奇妙な振動に気付く。


 しまった――ハルがすぐさま、その場から飛び退く。

 泥が飛び散るのと、ヴォイドが顔を上げるのは同時であった。


 ジョナの顔に、再び恐怖の色が張り付く。


 ヴォイドはまだ死んでいない。

 それどころか、死を擬態することでハルの隙をうかがい、不意打ちを仕掛ける狡猾こうかつさすら見せた。


 ハルが立っていた地面から、黒い刃が飛び出す。

 地面の中に腕を潜り込ませ、泥の中から急襲をかけたのだ。

 一手、反応が遅れていれば、串刺しにされていたところである。


 剣を展開しなければ――グリップを握るも、ぬかるんだ泥に足を取られ、滑ってしまう。

 尻餅をつき、ハルの動きが一瞬止まる。


 刃が彼の喉元めがけて、落ちてきた。

 反応が間に合わない。

 テクノロジーの刃を持ち上げるよりも先に、怪物のそれがハルを仕留めてしまうだろう。


 雨、泥、ジョナの叫び声。

 向かってくる切っ先を見つめながら、一瞬で考える。


 甘かった――出会いという偶然に救われたというのならば、最後の最後に悲劇という偶然に足元をすくわれる。


 本来なら、気付けたはずなのだ。

 注意深く見ていれば、きっと対処できたのである。


 勝利という輝きのその寸前にこそ、とてつもなく暗く、深い落とし穴が覗いているのだ。


 刃が雨を弾き、貫く。

 バシャバシャと水たまりが弾ける音が、急速にこちらに近付いてきていた。


 歯を食いしばり、それでも目を背けないハル。

 刃なき柄を持ち上げ、たとえ間に合わないと分かっていてもトリガーに指をかける。


 ばしゃり、とすぐ真横で水たまりが跳ねた。


 降りしきる雨の中に対峙した、ハルとヴォイド。


 その二者の間に、小さな影が飛び込んでくる。


 一瞬、その小柄な姿から、遠くで見ていたジョナかと思った。

 だが、ばさりと宙に広がった“銀色”に、意識が覚醒する。


 少女がいた。


 以前見た時と同じく、白いワンピースを身にまとい、素足のまま大きく跳び上がっている。

 裾も足元も泥だらけだ。

 だがそれでもなお、彼女の長い銀髪は雨粒を弾き、滑らせて輝く。


 ヴォイドの刃は止まらない。

 躊躇ちゅうちょなどするわけもなく、ただまっすぐハル目掛けて突き進む。

 その軌道上にある雨粒、大気、泥――そして少女をまとめて貫くつもりだ。


 向かってくる刃、もとい“槍”めがけて、少女は両手をかざす。

 瞬間、腕の先から光が溢れ、銀色に輝く幾何学模様が宙に浮かび上がった。

 ざわざわとなびく長髪が、まとわりつく雨粒を吹き飛ばす。


 エメラルドに光る瞳で怪物をにらみつけ、彼女は――エリシオは叫んだ。


「これ以上、好き勝手しないで――あなたなんて、大っ嫌い!!」


 少女の掌から放たれた光が、一気に広場へと広がった。

 その白銀の閃光がヴォイドの刃を止め、ついにはボロボロに砕いてしまう。


 光の洪水は黒い怪物の肉体そのものを押し流し、一瞬で塵へと変えてしまった。


 重力に逆らい、ふわりと着地するエリシオ。

 すでに浮かび上がっていた紋様は消え去っており、そこには穏やかな少女の姿があった。


 ハル、そしてジョナは口をポカンと開けたまま、身動きが取れない。

 雨粒はなおもその身を濡らすが、まばたきすらできずに目の前の少女を見つめる。


 放心状態のハルに、エリシオはすぐに駆け寄ってきた。


「お兄ちゃん、大丈夫? どこか怪我は――あぁ、大変! 血が出てる……すぐに治すね」


 エリシオはハルが負った手の傷を見つけた。

 いまだにポタポタと血が流れ落ちるそれに、彼女は直ちに手をかざす。


 ぽぉっと光が灯り、傷口へと流れ込んだ。

 痛みが暖かさに変わったかと思うと、あっというまに肉と皮膚が繋がり、元どおりに治癒してしまう。


 以前、見たことがあるはずなのに、それでもハルは治癒した傷口をまじまじと見つめてしまった。

 ペテンやトリックなどではない。

 エリシオの不可解な力が、ハルの怪我を“元どおり”に修復している。


 突然の事態に、まだ頭が混乱している。

 ハルは力なく、それでも必死に言葉を紡ぎ出した。


「エリシオ……なんで……」

「間に合って良かった。いつもより大きな“ケモノ”が暴れてるのを感じたから、念の為、見にきたの。そしたら、お兄ちゃんがいるんだもの。びっくりしちゃった」


 どうやら、ハルとヴォイドの激闘を察知し、ここまで来たということらしい。

 その理論理屈はさっぱりで、ハルには何から聞き出せば良いか、まるで検討もつかない。


 そんな中、駆け寄ってきたジョナも声を上げる。


「おぉ、おぉ、エリシオ様。お久しゅうございます。よもや、こんなところでお会いできるとは」

「ジョナ! 本当だね、いつ以来だろう。まさか、あなたまで一緒にいるなんて」

「偶然、ハル様とお会いしたのです。彼もまた、エリシオ様を探されていたとのことでしたので、こんな形でお二人が再会できるとは。いやはや、奇妙な偶然ですな」


 エリシオは「えぇ?」と驚き、再び視線をハルに戻す。


「私を探してたって、なんで?」

「いや、その……」


 しっかりしろ――状況に戸惑っている場合ではないのだ。

 怪物が消え去り、探し求めていた彼女が目の前にいるのである。

 行動に出ないで、どうするというのか。


「前と同じだよ。俺ら、この街を調べるために戻ってきたんだ。まだまだ、君に聞きたいことだってある。だからもう一度会えたら、ってね」

「そっか、だからなんだね。大勢の人がまたやってきたって思ってたの。でも――“あいつ”も今、動いてる。お兄ちゃん、“あいつ”になにかされなかった?」

 

 あいつ――その言葉が指し示す人物を、ハルは知っている。

 霧の中に響いたあの声が、蘇っていた。


「ああ……俺達はきっと、やつに――『魔王』になにかされたんだな。あの霧は、あいつが作り出したものだったのか」

「やっぱり……街が無理矢理、組み替えられてるの。きっと“あいつ”がお兄ちゃん達を惑わすために、色々と罠を張り巡らせてるんだと思う」


 惑わす、という単語に少々違和感を抱いてしまった。

 確かに、DEUS隊員達と分断されたことを考えると、そうともとれるだろう。


 だがそれならば、あの言葉はなんなのか。

 ハルに向けて「魔王」が告げたあの一言は、どこか矛盾しているように思う。


 会いたいというなら、会ってやる――思いを巡らせるハルに、エリシオは慌てて告げる。


「でも、今ならまだ大丈夫。私がバラバラにされた人達の居場所を、無理矢理、繋ごうとしてるの。だからきっと、お兄ちゃんと一緒に来た人達は、近くにいるはずだよ」

「本当か、それ? っていうか、無理矢理、繋ぐって……君が、街を――かい?」


 こくりと頷くエリシオ。

 その素直な反応に思わず、肩の力が抜けてしまう。


 やはりこの少女は、嘘をついていない。

 純粋無垢なその瞳には、人を騙すような狡猾さは見受けられない。


 隣に立つ小さな男性・ジョナは確か、こう言っていた。


 エリシオは、この街を作った一人だ、と。


 その真意を問いかけたかったが、エリシオはすぐにハルの手を引いた。

 ハッと我に帰り、彼女を見つめる。


「ほら、行こう! また“あいつ”がなにかしたら、帰り道が無くなっちゃう!」

「お、おい。分かった、分かったから――」


 エリシオに導かれるまま、走り出そうとした。

 しかし、数歩踏み出して足を止めてしまう。


 振り返ると、ジョナはじっとその場から動かずにこちらを見つめていた。


「良かったですね、ハル様。お仲間と合流できるとのことで、なによりです」

「な、なあ。あんたは行かないつもりか?」


 戸惑うハルに、ジョナは穏やかな表情で頷く。


「私は元々、この地の住人です。案内役を務めさせてはいただきましたが、帰り道が分かったとなれば、私の役目はそこまでです。それに、エリシオ様がご一緒ならば、なにも心配はいりません。私めは再び、ここで迷い人が来ないか見守っております」


 なんだか彼をここに取り残すことに、酷く後ろ髪を引かれてしまう。

 だが彼の言う通り、元々この街の中こそが彼の居場所なのだ。

 それを外へ連れ出すことが、良いことではないのかもしれない。


 雨に打たれたままこちらを見つめるジョナを、しばらくハルも見つめ返す。

 だが気持ちに整理をつけ、頷いた。


「そうか、分かった。短い間だが、世話になったな。今度来るときは綺麗な傘、持ってくるよ」

「それは助かります。ハル様とまたお会いできる時を、楽しみにしております」


 笑顔のまま、ぺこりと頭を下げるジョナ。

 彼はすぐにきびすを返し、朽ち果てた建物の中へと姿を消した。


 不思議な男だった――消え去った小さな背中を見送り、再びハルも踵を返す。

 エリシオに頷き、すぐさまその場を後にした。

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