第9章 精鋭

 どこから降り注いでいるかも分からない仮想の太陽光の中で、真っ白な肉体は呼吸に合わせてたわんでいる。

 ぽたりぽたりと音を立てて落ちる雫が、石畳に広がる黒い血だまりを少しずつ広げていく。


 まるで、地面に空いた穴のようだ。

 その奥から、この街に潜む虚無が覗き込んでいるかのように錯覚してしまう。


 湧き上がる熱をまとったまま、ハルは必死に呼吸を繰り返している。

 その表情は、そばにいるリノアやエリシオからは確認できない。


 かすかに見える横顔は、荒い吐息と共に上下する。

 滲んだ汗が。

 流れ出た血が。

 男の雪のような肌に輝きと、鮮明な境界線を刻んだ。


 リノアはしっかりとハンドガンを握りしめたまま、瞬きもせずに彼を見つめる。

 安全装置は外したままだ。

 実弾が込められたままのそれを、いつでも構えれるようにたずさえている。


 唾を飲み込むゴクリという音が、やけに大きい。

 また一つ、目の前で立ち尽くす“彼”を呼んだ。


「ハル……ねえ、ハル?」


 それに振り向くのは、変わらぬ彼か。

 はたまた、この街に巣くう異形か――エリシオはというと、リノアの横で目を大きく開き、ただじっと彼を見つめていた。


 声をかけたリノアの目の前で、ハルはがくりと膝をつく。

 ぼたぼたと、また黒い血液が地面に落ちた。


「くっそ……痛ぇ……」


 悲痛な声に、リノアは息をのむ。

 見ればハルは脂汗をにじませ、歯を食いしばって激痛に耐えている。

 打ち込んだ拳はれ上がり、かすかに震えていた。

 肥大化し、黒い血管がひびの様に浮き上がったその姿は、実に痛々しい。


 苦しむ彼に、思わず駆け寄るリノア。

 抱きかけていた警戒心がすっと消え去る。


「ハル、大丈夫!? 無茶なことを……腕が痛むの?」

「あ、ああ……悪い、調子に乗りすぎた。力が入らねえ」


 もはや指を握ることすらままならない。

 腕全体の筋繊維が著しく損傷しているようだ。

 ビリビリと激痛が走り、持ち上げていることすら辛い。

 この様子だと、骨にまでダメージが達しているのだろう。


 リノアは歯噛みし、考える。

 あいにく、本格的な医療器具は救護班が携帯していた。

 そもそも、こんな事態を想定していなかったため、隊員一人一人が所持している薬品など微々たるものだ。


 それでもリノアはできる限りのことをしようと、腰のポーチから治療用バンテージを取り出す。

 傷口周辺の皮膚と同化することで傷を治癒する、人工皮膚組織を使った応急処置用品だ。


「出血がひどいわ、とにかく手当てをしないと。ほら、腕を出して!」


 歯を食いしばり、痛みに耐えながらハルは両腕を差し出す。

 軽くリノアが触れただけで電流のような痛みが走り、思わず声をあげた。

 あまりにも悲痛なその姿に、リノアも困惑してしまう。


 だがここで、エリシオがハルへと近付いた。


「少しだけ、離れていて」


 予想外の言葉をかけられ、リノアは冷静さを欠いてしまう。

 大人気ないとわかっていながらも、思わず語気を荒げてしまった。


「ごめんなさい、今は一刻を争うの。お願いだから、じっとしていて」

「お兄ちゃんの怪我なら大丈夫だよ。私が治してあげる」


 なんですって――と、またも大声を出してしまうリノア。

 彼女はエリシオの顔を見つめ、唖然あぜんとして手を止めてしまった。


 少女のエメラルド色の瞳が、光を放っている。

 煌々と光る眼で、エリシオはじっとリノアを見つめていた。


 少女から放たれる物言わぬ気迫に押され、一歩後ずさってしまう。

 エリシオはそのまま、苦しんでいるハルの両腕に触れた。


「大丈夫。すぐに元どおりにしてあげるから」


 小さな手で傷に触れ、そっと目を閉じるエリシオ。

 ハルもまた、少女が放つ先程までとは異なる気配に、息をのんでいた。


 光が瞳から肌へと流れ込み、まるで葉脈のようにみちを作る。

 長い髪の毛、一本一本へも伝わり、ざわざわと“銀”が踊りはじめた。


 首から胴体へ、そして腕へ。

 やがてそれはてのひらからハルの肉体へと注がれ、周囲を照らす。


 銀色に輝く“幾何学きかがく模様”が空間を走り、回り、取り囲む。

 その奇妙な光景にリノアは驚き、持っていた道具を落としてしまった。


「なにが、起こってるの。こんなことって――」


 ハルの肉体に現れた変化に、リノアはいち早く気づく。


 むしろ、“異変”と呼ぶべきなのだろう。

 あるいはそれを、“奇跡”と呼ぶのかもしれない。


 ボロボロになっていたハルの傷がひとりでにふさがり、血が止まる。

 腫れ上がっていた肉が元どおりにしぼみ、炎症が消えた。


 そしてなにより、度重なる攻防でズタズタになった腕が一気に再生する。

 筋繊維が治癒し、ひびの入った骨が堅牢さを取り戻す。

 目には分からずとも、痛みとわずらわしさが消失したことで、ハルはその変化を感じ取っていた。


 エリシオの纏っていた光が消える。


 あっという間に、そこには元どおりの姿のハルが立っていた。

 心なしか、肉体に活力がみなぎっている。

 ハルは唖然としたまま両手を見つめ、続けて少女に困惑の視線を送ることしかできない。


「一体、なにが……君が、治してくれたのか?」


 大きく、笑顔で頷くエリシオ。

 彼女はいつも通りの透き通った瞳で、ハルを見上げている。


「良かった、元どおりになって。やっぱり、いつも通りのお兄ちゃんだったんだね」


 なんだか随分とエリシオは嬉しそうだ。

 それに、先程は満身創痍で気付かなかったが、いつの間にかハルの呼び方も変わっている。

 情けないとは分かっていながら、たまらず少女に問いかけた。


「お兄ちゃん……それって、俺のことだよな」

「うん。やっぱり私の思った通りだった。見た目は違うけど、中身はお兄ちゃんのまんま」


 つまりそれは、彼女が知っている過去のハルを指しているのだろう。

 相変わらず謎ばかりが先に立つが、それでもハルはそれ以上の問いかけを止めた。

 代わりに後ろ頭をき、少女の目を見て告げる。


「なんだか良く分かんないけど、それでも君に助けられたみたいだな。ありがとう――助かったよ」

「ううん。助けてくれたのは、お兄ちゃんのほうだもの。前と同じ。やっぱり、私のこと守ってくれた」


 反対に、エリシオは笑顔で「ありがとう」と返す。

 なんだか妙な気分になり、なおも後ろ頭を掻いてしまうハル。


 一体、自分とこの少女はどのような経緯で出会い、この街でどんな日々を過ごしていたのか。


 それを問いかける前に、リノアが少し興奮気味に少女に詰め寄る。


「ね、ねえ。あなた今、何をやったの? あの光みたいなものは……」

「元に戻したんだよ。ああ、そっか。たしか皆はできないんだよね。変なの。私も“あいつ”も、初めからできたのに」


 あいつ――すなわちこの街の管理者である「魔王」も、少女と同様の力を持っているということか。

 リノアはギョッとし、さらに熱を帯びていく。


「じゃあ、あなた達は自然にできるってことなのね? 訓練や何か道具を使うわけでもなく?」


 こくりと頷くエリシオ。

 側から見ていたハルは、リノアという女性のある“本性”を思い出し、肩の力が抜ける。


 これはまずい――ハルの嫌な予感通り、リノアの目は爛々と輝き、ある一つの目的に支配され突き進んでいる。


 知識欲、そして果てなき探究心に火がついてしまったのだろう。

 リノアはまくし立てるように、ぐいぐいとエリシオに質問を投げかけた。


「すごい力ね、超能力ってやつかしら? 私も初めて見るわ、大発見よ! 学会が震撼するでしょうねぇ、なにせこの数十年間、いえ数百年間、人類が探し求めてきたものなんだもの!」


 歓喜する彼女の姿を、エリシオはきょとんとして見つめるのみだ。

 ハルはさすがにまずいと判断し、リノアをさえぎるタイミングをうかがっていた。


「ねえねえ、他にもできることはあるの? 例えば物を浮かせたり、炎を出したり――あと、目からビームだとか、それこそ時間を止めたりなんてのは――」

「な、なあリノア。今はそれどころじゃないだろう、落ち着けって。この子だってあれこれ聞かれても、混乱するだけだよ」


 それでもリノアの勢いは止まらない。

 なにせ彼女の目の前にいるこの少女は、もしかしたら世紀の大発見そのものなのかもしれないのだ。


「いわゆる“ヒーリング能力”ってやつね。こんなの、医学の世界がひっくり返るわよ。もしこれを応用できれば、それこそ人が人を道具も薬もなく治癒する時代が来るかも――」


 やれやれ、とため息をつくハル。

 加速し続ける彼女を、多少強引にでも止めようと手を伸ばす。


 だが、再び背筋を襲った悪寒にハルが――そしてエリシオが息をのむ。


 まさか――意気揚々と喋るリノアを差し置き、ハル、エリシオは通りの奥を睨む。

 二人の異変に気付き、ようやくリノアは口を閉じた。


 歯噛みし、呟いたのはハルだ。


「マジかよ……勘弁してくれ」


 同様に石畳の先を見つめ、リノアも理由を把握する。

 彼女は「ひっ」と、沸き出そうになった悲鳴を押し殺した。


 ハル達を追いかけていた“黒い狼”達が、再びこちらに向けて走ってきている。

 しかもその数は、当初の倍以上――軽く20頭を超える巨大な群れだ。

 まるで黒い津波が、街の中を駆け巡っているかのようである。


 脅威は完全に去ったわけではないらしい。

 二人の影に隠れながら、エリシオが叫ぶ。


「どうするの、またやっつけるの?」


 だが、ハルは即座に首を横に振る。

 もはやこの圧倒的物量を前に、考える余地すら生まれなかった。


「命がいくつあっても足りねえよ。逃げろ、全力で!」


 ハルの一声に、反論する者は誰一人いなかった。

 リノア、エリシオもきびすを返し、全速力で駆け出す。

 再び、黒い狼達からの逃走劇が始まってしまった。


 路地の中に駆け込み、右へ左へとひたすら駆け抜ける。

 少しでもヴォイド達の目をくらませようとしたが、それでも群れはしつこく付きまとい、ハル達を追いかけてきた。


 路地から飛び出し、再び大きな通りに合流する。

 そこで一同は思わず足を止めてしまった。


 そんな――リノアの呟きが、周囲から響く唸り声にかき消されてしまう。


 先回りされていたのか、はたまた偶然合流したのか。

 とにもかくにも、ハル達を挟み込むように狼達が布陣している。

 小道への隙間も全て埋めるよう、退路を遮断する形でヴォイドが立ちはだかった。


 武器を持たず、とにかく身構えるハル。

 リノアも拳銃を引き抜き、緊張した面持ちで銃口を向けた。

 エリシオはというと、隠れるようにハルの背後ですがりついている。


 互いの背中を守るも、圧倒的な戦況の不利に戦慄してしまう。

 流れ落ちる汗すら拭うのを躊躇とまどった。

 ひたすら視線を走らせ、跳びかかってくる者がいないか警戒し続ける。


 もしかすれば、ハルのあの超人的な力を使えばどうにかなるのかもしれない。

 巨大なヴォイドを叩きのめした力を発揮すれば、こんな小さな狼など取るに足らぬ相手と言えるだろう。


 しかし、今は状況が違う。

 相手の数もさることながら、こちらには非力なリノアと、さらに無力なエリシオもいる。

 彼女らを守りきる自信が、今のハルにはどうしても湧いてこない。


 戦慄する一同に構わず、目の前の一匹が飛びかかってくる。

 大地を蹴り、一瞬で至近距離へと到達した。


 ハルの卓越した視神経が、牙の軌道を冷静に捉える。

 真横に身をかわすだけでなく、ヴォイドの頭部を固めた拳で殴り飛ばした。


 ぎゃん、という悲鳴をあげて壁に叩きつけられる狼。

 リノアも向かってこようとする狼目掛けて、でたらめに発砲することで威嚇し続けていた。


 やはり、どう考えても無理がある。

 もし一斉に飛びかかられたら、ひとたまりもない。


 万事休すか――ぎりっと歯を食いしばるハル目掛けて、今度は二匹が同時に突進した。


 軌道は見えていても、対応しきれない。

 汗がさぁっと引き、肉体の中心に冷たい感覚が宿る。


 跳びかかってくる黒い獣が二匹。

 身構え、それらをとにかく受け止めようと腕を持ち上げる。


 真横から吹き付ける風が、肌を撫でる感覚まで鮮明に知覚できた。


 二つの風切り音。

 向かってくる獣の咆哮。


 覚悟を決め、腰を落として迎撃の構えを取るハル。


 口を大きく開いた黒い狼達のその“頭”が――切断されて宙を舞う。


「――え?」


 声をあげるハルの目の前を、黒い影が横切る。


 ヴォイドではない。

 どこか見覚えのある戦闘服を身にまとった、女性だ。

 愛用のつば付き帽子からはみ出た金色の三つ編みが、尾の様になびく。


 彼女はざぁと地面を擦って止まった。

 見ればその両手には、愛用の小型斧・バトルアクスが2丁握られている。

 首を飛ばされた狼二匹は、跳びかかった体勢のまま宙でばっと散ってしまう。


 突然の登場に、リノアまで「あぁ!」と声をあげた。

 しかし、ヴォイド達はその隙を見逃さない。

 よそ見をした彼女目掛けて、二匹が飛びかかる。


 振り向き、目をつぶってしまうリノア。


 しかし、“ギュゥン”という奇妙な音が二つ響き、空中の狼の体に大穴が開く。

 慌てて目を開くと、ヴォイド達が粉々になって消えるところであった。


 黒い狼の群れも、さすがに混乱を隠せない。

 たじろいでいる群れの遥か頭上――民家の瓦屋根の上から、男の声が響く。


「間に合ってよかった。ハルさん、リノア博士、共に無事です。加えて一名、生存者と思われる少女も。周囲をヴォイドに囲まれています」


 黒髪を7、3に分けた彼は屋根の上に寝そべり、愛用のライフルを構えている。

 バイザー越しにヴォイドの群れを見つめ、狙いを定めていた。


 ライフルの先端から不可視のエネルギーが立ち上り、空間を歪める。

 銃身に刻み込まれたラインが黄緑に発光し、エネルギーの駆動を可視化させていた。


 通信機の向こう側から“隊長”の指示が下された。

 男は「了解」と端的に答えた後、遥か眼下にいる仲間に告げる。


「聞いたでしょう? 遠慮せず、思いっきりやっちゃってください」


 狼達の狙いはハルではなく、より近くにいる“彼女”に向けられていた。

 しかし、怪物に囲まれてもなお、斧を携えた女性は不敵に――否、狂ったように笑っていた。


「んっはあ、やっぱりだぁ! そうそう、これこれ。これだよ、まさに。やぁっぱり、私の鼻はおかしくなんかなかったね。だって、そこら中から――」


 狼達が吠え、一斉攻撃が始まる。

 ハル達三人から少し離れた位置に立つ女性目掛け、大地を蹴って跳びかかった。


 牙を剥かれても、咆哮を向けられても、彼女は怯まない。


 迫る漆黒の獣に対して、ミオという名の獣が笑う。


「バケモノの匂いがするよぉ!!」


 身を翻し、両手の斧で薙ぎ払う。

 脱力し鞭のようにしなる両腕は、飛来した二匹のヴォイドを的確に捉え、首を切断した。


 断ち切った怪物の肉体が消え去るも、気にせず次の標的めがけて襲いかかるミオ。

 一匹との距離を詰め、跳びかかる瞬間に頭部を削ぎ落とした。

 かと思えば一気にバックステップし、背後にいる二匹にのけぞるような体勢で刃を叩き込む。


 駆け巡るミオの姿を、絶句して見つめるハル達。

 無防備な彼らにもヴォイドは襲いかかるが、ミオは跳躍して距離を詰め、向かってくる怪物を空中で叩き斬った。


 駆け抜けては斬り、跳ねては斬り、しゃがんでは斬り、のけぞりながら斬り――彼女の動きは躍動感に溢れ、それでいて規則性がまるでなく、滅茶苦茶だ。

 背筋を伸ばして立つことはほぼなく、常にグラグラと不安定な動きで斧を振り回している。


 だが、ただはやい――ハル達の周囲を駆け回りながら、せわしなく、それでいて的確に怪物達を迎撃している。


 笑いながら斧を振り回すその姿は、まさに狂人のそれだ。

 ハル達は構えこそ作っているが、ただただ呆然として彼女の殺戮劇を見ているしかない。


 さながらそれは、狂気を駆る暴風だ。


 ハルは驚愕しつつ、その戦場のど真ん中でもう一つの事実に息をのむ。

 ミオが怪物をほふるその中で、あの“ギュゥン”という妙な音が度々鳴り響いている。

 そして、その度にヴォイドの体に大穴が穿うがたれ、数匹が絶命していく。


 宙高く跳び上がった一匹が、またあの音と共に殲滅された。

 視線を持ち上げ、ハルはその音の正体に気付く。


 屋根の上で狙いを定めるバイザーの男・キース。

 彼がライフルの引き金を引くと、長いバレルの先端から黄緑に輝く硝煙がぼっと湧き出る。

 金属製の弾丸ではなく、不可視のエネルギーが空間を歪めながら飛来し、ヴォイドの肉体を貫いていた。


 エネルギーの弾は時に湾曲し、自在に飛来して狼達を駆逐していく。

 不思議なことにヴォイドの肉体を貫通したにも関わらず、その延長線上にある石畳や民家を傷付けることはない。


 DEUSデウスの精鋭二人による殲滅劇を、身構えたままハル、リノア、そしてエリシオは見つめている。

 斬撃と弾丸、狂気と殺意が交差するここはまさしく戦場だ。


 斧が白兵戦で黒を切り取り、狙撃手が的確にその漏れを駆逐する。

 自在に動くミオを、冷静なキースが補う形だ。


 周囲でぜる狼たちの姿にエリシオは怯えきり、ハルの足にしがみついている。

 彼女は大通りの奥を指差し、唐突に叫んだ。


「無理よ……まだあんなにいる……」


 群がる狼達を排除し、ようやくミオが立ち止まった。

 あれだけ動き回ったにも関わらず、彼女は汗一つかいていない。

 ぎょろりと動く大きな目が、エリシオの指し示す先を見つめた。


「うわっは、まーじかー! まだまだ盛りだくさんじゃんかよぉ」


 通りの奥から、さらに数十匹の“黒”が忍び寄っている。

 空間に穴が空き、そこからぞろぞろと新たなヴォイドが湧き出てきた。


 この場において、実質戦力になるのはミオとキース、そしてハルくらいのものだ。

 いかに超人が揃っていようが、この数を真っ向から受け止めるのは容易なことではない。


 息をのみ、身構えるハル。

 その後ろで怯え、うろたえるリノアとエリシオ。


 対して斧を手にヘラヘラと笑ったまま、激突する気満々のミオ。

 バイザーを覗き、冷静に戦力分析をするキース。


 そんな一同の背後から、気だるそうな男の声が響く。


「なにをちまちまやってるんだ。こんなんじゃ、いつまでたっても終わらないだろう」


 一斉に振り向く。

 石畳の上をゆったりと歩いてくるのは、これまた見覚えのある緑のスカーフを身につけたDEUS隊員だ。

 両耳に取り付けた銀色の装置がきらりと光る。

 その表情はどこか不機嫌そうだった。


「思い切りやれ、との命令だろう? なら遠慮なんかせず、もっとテキパキと破壊するべきだ」


 DEUS特殊部隊の一人・ナッシュはそう言うと、腰のホルスターから二つの金属球を取り出し、空中に放り投げた。

 瞬間、球体の中心部が緑色に光を放ち、宙に浮く。


 驚くハル達の目の前で、球体は高速回転を始めた。

 中心部の光が球全体を覆うように展開し、より色濃く輝きを放つ。

 ナッシュの耳元の装置もまた、同じ色の光を纏っていた。


 その、ともすれば“超常現象”とも取れる光景に、開いた口が塞がらないハル達。

 お構いなしにナッシュが手を前にかざすと、二つの光球が飛んでいく。

 ハル達の脇をすり抜け、こちらに向かってきているヴォイドらの群れにそのまま突っ込んだ。


 球は先頭の数匹に炸裂し、粉々に砕く。

 さらにナッシュが手を振りかざすと、合わせて光球もまた自在に空中で軌道を変えた。


 纏ったエネルギーをぶつけ、飛び交う光球が次々にヴォイドを砕いていく。

 黒い狼達は完全に混乱し、雄叫び、あるいは悲鳴をあげながら無残に殲滅されていった。

 鉄球達は狼の牙を巧みにかわし、それでいて怪物が動くその“先”を読み取って迎撃する。

 球体は纏ったエネルギーを、的確にヴォイドの急所に炸裂し、容赦することなくえぐりぬく。


 景色を覆っていた黒は徐々に数を減らし、その隙間に飛び交う二つの光が鮮やかな軌跡を残す。

 まるで夜闇に舞う“蛍”のようだ。

 もっとも危険性、破壊力は昆虫のそれとは比にならない。


 ナッシュは「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らす。


「なんだ、ただの雑魚の群れじゃないか。こんなんじゃあ、実地の検証データすらとれやしないよ」


 大きく両腕を持ち上げ、そして交差するように振り抜くナッシュ。

 その動きに呼応し、彼方でヴォイドを殲滅していた球同士が、空中で衝突した。


 瞬間、甲高い音と共に緑の光が増幅され、放射状に広がる。

 二つの鉄球に蓄えられたエネルギーが交わり、臨界点を超えて爆ぜた。


 閃光が一同の視界を覆う。

 至近距離にいたヴォイド達は、放出されるエネルギーをもろに体で受けてしまった。


 群がっていた黒い狼達は爆発を受け、跡形もなく吹き飛ぶ。

 崩れる肉体をさらに爆発が押しのけ、残骸すら徹底的に粉砕して見せた。


 一陣の風が、通りを吹き抜ける。

 その大気の波に乗り、二つの球体はナッシュの元へと戻ってきた。

 パチンと指を鳴らすと球体の光が消え、腰のホルスターに元どおり収まる。


 あっという間に、出現していたヴォイド達が駆逐されてしまった。

 危機が去ったとしても、ハル達はまるで身動きが取れない。

 ミオ、キースの攻防もさることながら、ナッシュが作り上げた浮世離れした光景に、言葉が出ないのである。


 真っ先に驚きの声をあげたのは、緋色の髪を持つ女史だ。


「すごい……たった三人で、あれだけいたヴォイドを」


 腕の端末からキースの声が響く。

 指向性マイクが鮮明に、鼓膜に音を届けてくれた。


「無事で何よりです、博士。慌てましたよ。なにせ路地の中で、突然消えてしまうんですから」


 屋根を見上げるリノア。

 頭上の彼はライフルを背負いなおし、微かに笑っていた。


 どうやら間一髪のところで、彼らとの合流に成功したということらしい。

 街が再び組み変わったのか、はたまた偶然だったのか。


 いずれにせよ、これで当初からの懸念点だった互いの遭難という状態は回避できる。


「ごめんなさい、キース。まさかあんな簡単に分断されると思わなかったのよ」

「お察しします。この街は本当、一筋縄ではいきませんね」


 別段とがめることもなく、キースは苦笑で返した。


「ところで、その隣にいる少女は? 生存者ですかね」


 ミオとナッシュの視線も、一同の中心にいるエリシオに向けられた。


「あれ、本当だ? 女の子がいんじゃん、女の子。裸足はだしだとあっぶないぞぉ。石ころ踏んだら超痛い。サンダルとか持ってないの?」

「ミオ、気付いてなかったのか。明らかに異質だから、分かりやすいだろう。しかし、生存者にしては妙だな。軽装すぎる。一体何者だ?」


 ズカズカと近付いてくる二人に対し、明らかにエリシオは警戒している。

 ハルの足をぎゅっと握り、影に必死に隠れようとしていた。

 慌てて、敵意をむき出しにする少女をなだめる。


「おい、大丈夫だって。俺達と一緒に街に来た連中だ。こっちのお姉さんが会いたがってた人達だよ」


 エリシオはハルとリノアの顔を交互に見つめた。

 リノアもまた、彼女を落ち着かせるためにっこりと笑う。


 眼差しに宿った不安はそのままに、彼女はエメラルドに輝く瞳でハルを見上げた。


「本当? 悪い人達じゃないの?」


 なぜか、この少女は他人に対して警戒心が強い。

 ハルは少しだけため息をつき、肩の力を抜く。

 少なくともこうすることで、どこか自然に笑みを浮かべられる気がした。


「ああ、大丈夫だ。彼らなら君を守ってくれる。心配いらない」


 足元にすがりつきながら、エリシオはどこか瞳を潤ませ、葛藤していた。


 光沢のある銀の髪と、透き通るような白い肌。

 あどけなさの残る顔の中心で、微かに揺れる美しい瞳。


 どこまでも曇りのないその目を見ていると、まるでどこかに吸い込まれてしまいそうだ。


 こちらを見上げる少女の姿に、見覚えがある。


 あの時もそう――少女は今と同様に自分にすがり、小さな手で必死に足を掴んでいた。

 いや、裾だったか。

 ともかく、自分を行かせないために、精一杯声を荒げていたのだ。


 行っちゃ駄目、逃げて――だがその提案に、首を横に振った。

 逃げるという選択肢はない。

 まだまだこの“街”の中で、やらねばならぬことがあるのだ。


 戦わなければいけない、たとえ一人でも。

 行かなければいけない、あの場所に。


 なにを――覚えているんだ、俺は?


 瞬間、脳裏にフラッシュバックした光景に、ハルの意識がかき乱された。


 ぐらつく視界、消えていく音。

 周囲の面々がなにかを呼びかけているが、まるで聞こえない。


 代わりに、頭の中に自分の声が響く。

 他ならぬ“あの時”に放った一言が。


 これは、俺が始めたことだから――頬にぶつかる固い感触が、一瞬遅れて地面の石畳だと分かる。

 途切れゆく意識の中に、最後の最後まであの少女の姿が映っていた。


 最後に一言だけ、やはり彼女はハルを「お兄ちゃん」と呼ぶ。


 記憶の奔流が意識を奪い、消し去ろうとする。


 そんな状況でようやく、ハルは自然な笑顔を浮かべることができた。

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