第6章 色無き街にて、たたずむ白銀

 真夜中の荒野は肌寒く、吹きすさぶ風は実に乾燥していた。

 巨大な窪地は荒廃しており、砂漠化が進んでいるせいか植物の姿も見えはしない。

 茶褐色の大地は夜の闇に塗りつぶされ、暗く停滞した海のようだ。


 ハル達は大地を踏みしめ、目の前に広がる光景を見つめている。

 他のDEUS隊員やリノアとは違い、驚きの声を上げてしまった。


「これが……モノクローム……」


 荒野の上に、たしかな“街”がある。

 巨大な摩天楼がいくつも連なり、その周囲に群がるように建造物が集結していた。


 想像していたものよりも遥かに巨大なその存在感に、圧倒されてしまう。


 だが、街の細部までは確認することができない。

 建物同士の隙間を埋めるかのように、濃い霧が立ち込めている。

 目を凝らして見ても、中心部にそびえたつビルには灯りは点っておらず、人影はまるで見えない。


 一同の目の前には、モノクロームの中へと続く石畳の道が待ち構えている。

 街を覆う霧が溢れ出し、ハル達の足元にかすかにまとわりついていた。


 ごくりとつばを飲み込み、たまらず喉を潤す。


 おかしい――荒野に突如出現したということよりも、霧に覆われた異様な姿よりも、その街を見て“奇妙だ”と思う点がある。


 “色”がないのだ。


 すぐ目の前に広がる石畳、その奥に立ち並ぶ煉瓦造りの家々、西洋風の風景と彼方に見えるビル群。

 少なくともそこから見える景色全てに“色”がない。

 まるで旧式投影機で撮影した白黒写真のように、街の姿は全て白、黒、そして灰の三色で構成されている。


 加えて時刻は夜だというのに、街の中だけは昼同様の明るさを保っていた。

 どこかに別の太陽が存在しているかのように、街の情景がはっきりと浮かび上がっている。


 まるでレトロ映画の世界が現実にせりだしてきたかのような、理解しがたい状況だ。

 だがその中でハルはあることに気付き、つぶやく。


「なるほど。だから『モノクローム』なのか、この街は」


 すぐ隣に立つ緋色の髪の女性・リノアが、同様に街へと視線を送ったまま頷く。


「ええ、そうよ。正式名称は不明だから、DEUSの研究班が名付けたの。不思議でしょう。確かに物体としてここにあるにも関わらず、色彩だけが酷く欠落している」

「いったい、なんでこんなことに……」


 おもむろに歩みを進め、恐る恐る石畳を踏む。

 灰色の地面からは、確かな硬さが足裏に伝わってきた。

 ハリボテなどではない、しっかりとした建造物である。


 DEUS隊員達はゼノを先頭とし、ハル、リノアを取り囲む形で隊列を組んでいた。

 先頭を行く隊長がよく通る声で告げる。


「これより、モノクロームに突入する。各員、リノア博士とハルを中央に据え、前進。周囲に近付くものがあった場合、直ちに報告しろ。なお『ヴォイド』遭遇時は各々の判断に任せるが、基本的には撤退へと繋げろ」


 隊員達が一斉に「イェッサー」と答える。

 灰色の石畳が敷き詰められた道路を、奥へと進んでいった。


 戦闘服の隙間から露出した肌が、奇妙な温度の変化を察知する。

 荒野に立っていた際に感じていた夜の肌寒さが、奥へ進むにつれ徐々に消えていく。

 暑くもなく、寒くもない。

 適温というよりも、温度という概念自体が消失しているような妙な感触である。


 慎重に呼吸を繰り返す。

 吸い込んだ空気には、ほんのこれっぽちも香りはまざっていない。

 横隔膜の動きにあわせて大気は流動するも、荒野で吸い込んでいたそれとは本質的に何かが違っている。


 全身がひどく緊張していた。

 白、黒、そして灰――たった三色で表現された無機質な街に踏み込むたびに、胸の奥がざわつく。

 唯一携行を許されたDEUS正式兵装のライフルを握る手に、すでにじっとりと汗がにじんでいた。


 目の前に広がるのは、確かに過去の西洋に存在していたような街並みだが、まるで人の気配はない。

 畑を持っていたり、庭先に花を飾った家があるものの、そういった生活感に反して人間が住んでいるというイメージがまるで持てないのだ。


 恐る恐る、ハルは隣のリノアに問いかけてみる。


「まるで映画のワンシーンを切り取ったみたいだな。色を差し置けばのどかな田舎の農村って感じだが……人はいないんだよな」

「ええ。初めの頃、DEUSの面々がありとあらゆる建物も調査したけど、住人はいなかったわ。それこそおかしなことに、家の中には家具に寝具、なんなら調理器具や本なんかも置かれてたみたい」

「へえ。じゃあ元々、誰かが住んでいたって可能性は?」

「それもなさそうね。とにかく、用意されている物も変なのよ。キッチンはあるけど食材はないし、本もすべて中身は白紙だったり。まるで“家としての形”だけ最低限、用意されたみたいにね」


 一体、なんでそんなことを――どこかうすら寒い感覚を覚え、ハルは視線を走らせる。

 大きな三階建ての建物には納屋があり、わらが山のように積まれていた。

 窓の奥には暗闇が広がっており、人影は見えない。


 ハル達の周囲をDEUSの戦闘員達が包囲し、陣形を組んだまま慎重に前へと進んでいく。

 特にハル、リノアのすぐ近くには、ゼノ率いる精鋭達が布陣していた。


 ハルの右側を歩く男性・キースが、バイザーに映し出される情報を見つめている。

 その手には長いバレルを持つ特製のライフルが握られていた。

 彼の愛用の武器なのだろう。


「今のところ、周囲にヴォイドの反応はありません。今回の突入地点はG-5エリアのようです。こちらも、予測通りの周期で動いてますね」


 対し、反対側を歩くスカーフの男性・ナッシュが「ふん」とつまらなそうに口を尖らせる。

 彼は頬と耳を覆う形の奇妙なマスクを装着していた。

 天に向かって伸びた銀色の突起がまるで角のようである。


「結構。偵察と捜索が目的だというなら、なにもないに越したことはない。ちょっとしたピクニックで終わってくれるなら、それが一番楽だ」


 なんともつまらなそうに告げるナッシュ。

 そのどこかとげのある一言に唯一、一同の背後を守るあの狂犬のような女が笑う。


「ピクニックならもっと見晴らしの良い丘とか、自然がいっぱいある所のほうがいいな~。大昔からバナナはおやつに入るのかって質問があるけど、あたしはあれは入らないと思うんだよ。バナナは栄養豊富だから、どっちかっていうと主食だと思うんだよね。まぁ、バナナそんなに好きじゃあないから、絶対に持っていかないけど」


 無邪気に笑うミオの武装は、格納庫で見たそれとは別段変わりがない。

 腰のホルスターの中で愛用のバトルアクスが2丁、激突の時を待っている。


 ハルも黙したまま察した。

 あれが彼らの“戦闘準備”なのだと。

 だが、それらの武器が一体、どのように機能するのかは見当もつかない。


 隊長・ゼノを先頭に、まずは開けた噴水広場へとたどり着く。

 広場の中央には水瓶を抱えた天使像が鎮座しているが、あいにく水が流れ出ている様子はない。


 この街に水があるとすれば、はたしてそれは何色なのか――そんなことをふと考えるハルだが、ゼノの声で我に返る。


「まずは、この広場を起点として散開し、捜索を開始する。リノア博士とハルはキースと共に行動するように。敵影を確認した場合は広場へと撤退し、陣形を整えなおす」


 再び、隊員達が一斉に返事をする。

 軍人達がライフルを構えたまま四方に散り、その場にはハルとリノア、そしてキースが取り残された。

 散っていく隊員達の姿を眺めていると、キースが即座に提案する。


「では、ハルさんには比較的安全な箇所から調査いただきましょう。くれぐれも、私から離れないようにお願いしますね」


 バイザーの表面に様々なデータが流れているが、その向こうに覗くキースの目がにっこりと笑う。

 案内されるまま、ハルとリノアは広場のすぐ近くにある平屋に連れてこられた。

 木製の門を開くと、キィと乾いた音が出迎えてくれる。

 小さな庭付きの小屋を前に、ハル達は一瞬立ち尽くしてしまう。


 白、黒、灰の三色で構成される小屋を見上げ、ハルは思わず問いかけた。


「調査って……この家を調べるのか?」

「調べる、といってもこの“外郭エリア”の建物は、もうほとんど我々が調査済みなんです。ハルさんにはあくまで、ここがどんな街なのかをまずは実際に見ていただければと思いまして」

「まるで観光案内だな。大丈夫かよ、ここ。扉開けたら、あの化け物が飛び出してきたりしないだろうな?」

「その点はご安心ください。僕の背負ってるこれ、専用のレーダーですのでヴォイドの反応があればすぐに察知できます。もっとも、奴らは神出鬼没ですから細心の注意は必要ですが」


 相変わらず、キースは困ったように笑う。

 謙遜けんそんしたがるのは性格が故なのだろう。


 躊躇ちゅうちょしているハルを促すように、リノアがいち早く小屋の扉に近付く。


「私も最初に来たときは唖然あぜんとしたものよ。どうしてこんな街が出来上がったのか、まるで説明できない。誰が、何の目的で、わざわざこんな色の無い街を作ったのか。調べれば調べるだけ謎が増えていくわ」


 煉瓦れんがを敷き詰めた壁面に触れながら、リノアは考えている。

 ハルもようやく、恐る恐る玄関の木戸に手をかけた。


 ドアノブからは温度は伝わってこない。

 力をこめ、警戒したまま戸を開く。


 玄関をくぐると、大きな木製のテーブルが置かれた応接間にたどり着く。

 キッチンが隣接しており、石造りの窯の上には真鍮製の鍋が置かれていた。


 電気が通っている気配はない。

 家の脇に積み重ねられていた薪を燃やし、それを使って料理をしたり、暖炉を利用するのだろう。


 鍋を持ち上げて眺めながら、同様に家の中を探っているリノア達に言う。


「随分と古い造りだな。洒落しゃれた家なんだろうが、住むのは不便そうだ」

「確かに。この様子だと、モデルになっている時代はかなり古いもののようです。まだ電気すら通っていないようなローテクの時代みたいですね」

「モデル、か。そもそもこのわけの分かんない街は“誰か”が作ったものなのか……」

「それも謎のままです。仮になにかコンセプトがあって作ったとしても、だからといって街一つを消したり出現させたりなんて、未知の技術が関わっているのでしょうね」


 棚の中に入っていた木製のスプーンを手にしながら、ハルは改めて気付く。

 街の異様な光景にばかり目を奪われていたが、そもそもこのモノクロームという街は前提からして異常なのだ。


 すかさずリノアがキースに問いかける。

 彼女は机の中央に飾られていた、真っ白な花をつついていた。


「キース。街が次に消えるまでは、どれくらい猶予ゆうよがあるの?」

「あくまで平均的なものではありますが、出現から消失までは約2時間程。ごく稀に狂うときもありますが、街が消失する寸前の磁場の揺らぎもこちらで検出できます。なにかあれば即座に全員に通達する仕組みになっていますから、ご安心を」


 まるで、歩く“監視塔”だ。

 彼の背負っているバックパック内には、随分と高度なテクノロジーが凝縮されているらしい。


「2時間か、ならゆっくりと探索できそうね。ハル、この風景を見てなにか思うところとかはない? 記憶の手掛かりになりそうなものとか」

「いや、悪いけど……俺もこの家屋が、過去の時代をモデルにしてるってことくらいは理解できるんだが。残念だけどそれ以上は、なにも」


 リノアは「そう」と少しばかり残念そうに眉をひそめた。

 だが、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべる。


「街の最も外側のエリアを、私達は“外郭”と呼んでるわ。この辺りはどこも、この中世――大昔の国名で言えばヨーロッパという地方の建造物が多く見られるの。まだ人々が鎧を着こんで、剣や盾で戦争していた時代よ」

「そりゃまた、大昔だな。鉄砲すら登場しない頃か」

「あの頃は弓矢や投石器でしょうね。単発式のライフル銃が登場するのは、もう少し後の話よ」


 歴史の話をするリノアの目は、やはりどこか楽しそうだ。

 数式、物理式だけでなく、人類史にも興味津々らしい。


 彼女は家の壁面をこんこんと指で叩き、真剣なまなざしを浮かべる。


「しっかりとした造りね。即席であつらえたって感じじゃないわ。この建物以外もそうだけど、全部色こそないけど本物の建造物や道具よ」

「謎だらけだな、こりゃあ。なんでこんな街があるのかはもちろんだけど、誰が何のために作ったんだ」

「あなたを見つけた時、最初は“生存者”かあるいはこの街の“住人”かと考えたのよ。だけどその様子だと、どちらの線も薄そうねぇ」


 残念がるリノアを横目に見つつ、また一つ木戸を開けた。

 どうやら旧式の便所のようで、石造りのそれは現代人からすれば使い方の想像もつかない。

 ため息混じりに、おとなしくドアを閉める。


「こんなところで暮らしてた記憶は、残念だけどなさそうだよ。まだ基地にあった施設のほうが馴染みがある」

「ならやっぱり、あなたはどちらかというと私達と同じ時代の人間なんでしょうね」


 そうなんだろうな――と、色の無い応接間を眺めて呟く。


 木製の衣装棚の上に並ぶブリキのおもちゃ。

 壁に掛けられたどことも取れない異国の風景画。

 古びて所々をつぎはぎした重厚なソファー。


 誰かがきっと住んでいたのだ。

 それでも誰一人いないこの場所が、まるで時間が止まっているかのように錯覚させてしまう。


 キースも改めて家屋の中を見渡しながら、何やら分析している。


「我々もこの建物の材質や道具について調べようとしたのですが、これもまた奇妙でして。なにせモノクロームの消失に合わせて、持ち出したものもすべて消えてしまうのです。削り取った壁材や、庭から採取した雑草一本ですら例外なく」

「厄介だな、そりゃあ。あんたらからしたら、現地調査以外なすすべがないってことか」

「ご察しの通りです。いやはや、我々も頭を悩ませているんですよ。おかげで、ここまで実態を調査するのに、無駄に時間ばかりがかかりました」


 となれば、この街を調べるためには限られた時間を使っての実地調査以外はないのだろう。

 随分と手間のかかる作業である。


 小屋の調査を終え、再び外に出る。

 枯れた噴水広場へと戻り、他のDEUS隊員達の様子を眺めた。


 名前通り“モノクロ”に染まった街の中で、各々が調査と生存者の捜索を続けている。

 視線を持ち上げても外から眺めていた時と同様に、摩天楼の影は霧に隠れてしまい、確認することができない。


 やはりその視線にいち早く並ぶのは、緋色の髪を持つ女史だ。


「あのビル群が気になる? 不思議よね、こっちは中世の時代を形どっているにも関わらず、中心部だけは現代的な建造物が並んでいるんだから」

「なんだかあべこべな街だな。でも、あれだけ高い建物があるなら、それこそヘリで着地できるんじゃあ?」

「もちろん街を発見した当初、それも試したわ。でもダメ。街中心部に空から近付こうとしても、途端に霧に包まれて計器が狂うんだとか。そう簡単に最深部にはたどり着けないみたい」

「まじかよ……いよいよ、なんなんだ。この街は」


 霧の中にかすむ黒い摩天楼――かなたで揺らめき、白靄はくぶの中に濁るそれらを眺め、考える。


 なにか、この街そのものから得体のしれない“意思”のようなものを感じる。


 一定の周期で出現、消滅し、定期的に内部の構造が組み替えられる街。

 一切を外に持ち出せず、中心部への直接的な介入を拒む謎の性質。


 まるで何者かが、外部の人間を容易に侵入させまいとしているようである。


 いったい誰が――自分自身、奇妙な考察をしていると思ってしまう。


 本来、街というのはただの建造物の集合体であって、誰かの意思を汲み取って動いたり、消えたりするものではない。

 だがこれまで知りえた情報をまとめると、どうにも街そのものが何かの思考と連動しているような、奇怪な構図が見えてくる。


 この街の奥には一体、なにがいるのか――ふっと視線を摩天楼から前方へと戻す。


 石畳が続く街路の奥。

 青銅製の街灯が等間隔に並ぶその先を見つめ、息を飲む。


 白と黒、灰色のみに彩られた町の中心で、きらりと“銀色”が輝いていた。


 少女だ――長い銀髪をたなびかせた、素足の少女が街の中にいる。


 白いワンピースを身に着けた、透き通るように白い肌の幼子。

 彼女は大きなエメラルド色の瞳で、こちらを見つめている。


 唖然とするハルのその隣で、リノア、キースが討論している。

 少女の存在に気付いていないのか、ハルの耳にはとぎれとぎれにその言葉が聞こえた。


「博士、やはりこの街は博士が提唱していた、“あれ”が関わっているのでは――」

「かもね。でも、あくまで憶測の域を出ないわ。なにせあの説は、突飛すぎて立証できる素材がない机上の空論よ。今回の一件に結びつけるのは早計な気がするのよね」

「しかしながら、これだけ不可解な事象は他のどんな理論を用いても証明できませんよ。だからこそ、博士の――いや、お父様が掲げられた“高次元存在”の一説が、むしろしっくりくる気すらします」


 何を言っているのか、皆目見当もつかない。

 ハルの目線は真っすぐ、遠くに立つ少女に向いていた。


 脂汗がにじみ出る。

 鼓動が高鳴るのを、自身でもはっきりと感じていた。


「なあ――」


 慎重に言葉を選んだ。

 まばたき一つするのも惜しいくらいである。


 なぜだか自分でも分からないが、彼方の小さな影から目を離してはいけないという気になってしまう。


 リノア、キースは気付いてくれない。

 ついには自身でも驚くほどに、声を荒げた。


「なあってば!」


 二人がようやく異変に気付く。

 だが、ハルの目の前で少女はきびすを返し、路地の奥へと駆けていってしまった。


「ど、どうしたのよ。何か問題でも?」

「おおありだよ。見たか、あそこに女の子がいたんだぞ!」


 なんですって――とリノアが身を乗り出す。

 キースも素早くバイザーを確認した。


「周囲から生体反応はありません。本当に子供がいたというのですか?」

「ああ、本当だよ。あの路地の奥へ走っていったんだ。銀色の髪の毛で、裸足の女の子がいた」


 ふむ、と顎に手を当てるキース。

 すかさずリノアが真剣なまなざしで問いかける。


「キース。この奥のエリアはどこに続いているの?」

「外郭エリア、B-4です。以前、我々が侵入した際には大量のヴォイドに遭遇し、撤退を余儀なくされた場所ですね」


 この一言にハルは目を見開く。


「それって、あの化け物が大量にいるってことなのか? そんなところに、あんな小さな子が一人……やばいって!」

「落ち着いてください。確かに、本当に少女がいたとなれば危険地帯に無力な子供が一人――由々しき事態です。ただ、先程もお伝えしたようにレーダーには生体反応がありません。この周辺にいるのはあくまで我々のみなんです。第一、こんな奇妙な街に武装もしない子供が一人でいるのも考えにくい」


 どうやら、この賢明な隊員はハルの言葉に半信半疑らしい。

 もっとも、彼が疑う理由も分かる。

 これだけ大がかりな準備をして突入した街で、戦う術すら持たないであろう幼子がいるなど、到底信じきれないのだ。


 どうすべきか――焦り、戸惑うハルの頬を一筋の風がなでる。


 その明らかな変化に、今度はリノアが声を上げた。


「これって……どういうこと、今までこの街の中は――無風だったのよ?」


 風は広場を駆け抜け、街の奥へと吹き抜ける。

 まるで一同の背を押すように。

 彼らを奥へ奥へと誘うかのように。


 キースは真剣なまなざしで、バイザーを見つめている。


「なにか妙ですね。ひとまず、隊員達と連絡を取りましょう。一度、広場に集合してから――」


 キースの言葉が、突如吹き荒れた突風でかき消される。

 リノアが「きゃあ!」と悲鳴を上げ、キースもたまらずよろめいた。


 ハルの背中を突風が押し、前へ一歩進ませた。

 ざわつく髪の隙間から、かすかな音色が入り込み鼓膜を震わせる。


 なにかが、ハルに訴えかけている。


 理論、理屈ではなく、ハルの肉体に宿った感覚がそう告げていた。

 はっきりとした言葉ではなく、明確なサインではなく、あくまで精神のかすかな揺らぎとして。


 ハルをこの奥へと、招き入れている。


 気が付いた時には、ハルは更なる一歩を踏み出していた。

 あらん限りの力で大地を蹴り、街路を奥へ奥へと進んでいく。


 取り残されたリノアとキースは、唖然としてしまった。


「ちょ、ちょっと! なにしてるのよ!?」

「戻ってください、ハルさん! そこから先は危険すぎる。単独行動は控えてください!」


 だが、そんな言葉は吹き荒れる風に散ってしまう。

 ハルは背中に投げかけられる言葉をものともせず、少女が消えていった路地の奥へと進んだ。


 どくどくと、鼓動が高鳴る。

 今まで無音だったはずの空気が、なぜか妙に暑くたぎっているように感じた。

 こうして走るその耳元で、なにかがざわざわと意識の奥に訴えかけ続ける。


 俺になにをさせたい――焦りも不安も、確かに胸の内にある。

 だがそれでも、ハルは前へと進む足は止めなかった。


 その目に焼き付いた少女の姿を追い求め、ハルは一心不乱にモノクロに形どられた街の中を突き進んだ。

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