第5章 そこにある“意味”

 数十名を運べる設計になっているようで、ヘリの内部にはいくつかの小部屋まで用意されている。

 操縦室には3名の隊員がおり、暗闇の中で光る計器類をチェックしていた。


 ハル達が案内された待機室は少し広めの個室になっており、壁際に一列に並ぶ形でシートが配置されている。

 すでに隊員達は配置につき、腰かけて待機していた。


 その端にいるあの凶暴な女性・ミオが、ゼノ達の姿を見つけて声を上げる。


「みーんなー、こっちこっち! ここ空いてるよ、ここ!」


 大声に隊員達がびくりと反応する。

 ハルは歩み寄りながら、彼女の横にもう一人、見慣れない男性隊員が座っていることに気づいた。


 シートに深々と座り、座席の脇についているテーブルに皿やカップ、はてはナイフとフォークまで並べている。

 戦闘服を着込んでいることから彼もまた『DEUS』の一員なのだろうが、事この場においてはなんとも異質だ。


 その様は危険地帯に任務でおもむくというよりも、まるで旅客機でバカンスに飛び立つ際のそれである。


 緑色のスカーフを胸元につけた彼は、皿の上に置かれた携帯食を丁寧に切り分け、フォークで口へと運ぶ。

 他の隊員が戦闘準備を進める中、彼だけは堂々と食事をとっている。


 彼は隊長であるゼノの姿を見て、どこかつまらなそうな眼差しを浮かべた。


「ご苦労様です、隊長。そいつですか、例の“生存者”って。聞いていた通り、随分とおかしな見た目だ。言葉、通じる?」


 ワックスで固め上げられた前髪が、フォークとナイフを操るたびにかすかに揺れていた。

 どこか鼻につく態度だが、それよりも何故こんな場所で食事をとっているのかが理解できず、ハルは言葉を返せない。

 困惑した顔を見て、男が察する。


「何故わざわざこんな場所で食事を? って顔だな。そんなの当たり前だろう。ディナーの時刻だからだ。それ以外に理由なんてないさ」


 ハルはおもむろに、自身の右腕に装着した端末を見つめる。

 DEUS戦闘員の標準装備となっているターミナル装置で、隊員同士の位置の把握や肉体の状況把握、通信に時刻確認、ネットワークへのアクセスも完備している。

 隊員同士の連携は主に、この端末で行うと聞かされていた。

 緑を基調とした簡素な電子画面の右上には、たしかに19時10分と表示されている。


 オニオンスープを少しだけ口にし、ため息をつく男性。

 その姿を見て、あの凶暴な女性隊員・ミオが笑う。


「ナッシュのご飯は毎回特別性で良いよね。うちら、いつも通りの携帯食だよ。ジンコーなんたらって気持ち悪いお肉。粘土の塊みたいなんだ」

「あんな人造肉なんて、無粋すぎてごめんだよ。きちんと自腹で物資支給してもらっているんだ、文句ないだろ? 羨ましいなら、君らもそうすれば良い。いいか、食事は大事だぞ? 体に取り入れるものがお粗末だと、肉体も精神も貧しくなる」


 会話しつつも、スカーフの男・ナッシュは鮮やかな手つきでナイフとフォークを操り、切り分けた食材を丁寧に口に運んでいく。

 その独特な人間性にハルもどこか察した。

 小声で隣に立つキースに問いかける。


「なあ、あいつも同じチームか?」

「ええ。ナッシュ=スクブズ。チームへの加入時期は最も遅かったんですが、まぁちょっと変わり者でして」

「そりゃあ、十分理解してるよ。戦闘機の中でディナータイムか」


 先程の話からすれば「DEUS特殊任務処理班」というのはゼノ率いる実力者の集まりということだったはずだが、現れるのはどれもどこか軍人然としない奇抜な人間達である。


 唖然あぜんとして見つめるハルに構わず、ナッシュは食事を終えて片付けを始めていた。

 ナイフとフォークだけでなく、食器一式が彼の持参品らしい。

 汚れを最低限ふき取り、専用のケースにてきぱきと収納していく。


 とにもかくにも、ハル達は空いている座席につく。

 すでに輸送機はヘリポートを後にし、目的地へと飛び立っていた。


 機体内で作動している慣性保護装置のおかげで、たとえ乱気流が襲ってこようとも内部に伝わる揺れは微少だ。

 機体が放つかすかな脈動を感じつつも、一同の先頭に座るゼノが今回の“作戦”について説明する。


「あらかじめ説明があったとは思うが、今回の目的はモノクロームの監視、および接近までだ。現在判明している“外郭エリア”に降り立ち、改めて検証を行う」


 これに対し声をあげたのは、先程ディナーを終えたばかりのナッシュだ。


「検証と言ったって、もう何度も訪れたじゃないですか。これ以上、何を調べるっていうんです?」

「今回はリノア博士と、目覚めたばかりの“生存者”――ハルも同行している。二人の目から、なにか新たな発見がないか確認してもらうのだ。もっとも、モノクロームがどういったものなのか、ハルにはまず理解を深めてもらう必要があるが」

「いわば、慣らし運転というやつですね。わざわざこれだけの軍人を駆り出すのだから、ご大層なことだ」


 ナッシュの言葉はいちいち、ハルの神経を逆撫でする。

 おそらく彼はまだ、ハルに対しての信頼感が薄いのだろう。


 いや、それはこの場にいる全員か――苛立ちながらも、ハルは浅めに席に座っていた。


 ピリついたムードを、隣に座るリノアがなごます。


「彼は我々にとって、非常に興味深い存在です。あの状況からは、モノクロームを脱出してこちら側に戻ってきたとしか思えません。きっと彼の記憶をひも解くことが、あの街についての重大な謎につながるのではと思っています。まぁ、かなりの部分が私の推測と『だったら良いな』ですけど」


 女史の一言に、なおもナッシュは不機嫌そうに腕を組んでいた。

 装着しているバイザーを直し、キースが補足する。


「計測した結果、ハルさんの肉体構造自体は一般的な成人男性のそれです。ただ、あまりにも各器官に備わった能力が突出しすぎている。単純な腕力だけ見ても、熊にでも余裕で立ち向かえそうな数値ですよ。これはなにか、モノクロームの持つ特性が彼の肉体に変化を及ぼしたと考えて間違いないでしょう」


 これを聞き、やはりナッシュが眉をひそめた。


「おいおいおい、勘弁してくれよ。そんな奴を一緒の空間に連れてきて良いのかよ。暴れられたら、この輸送機ごと撃墜されるじゃあないか」


 露骨に喧嘩を売られ、さすがのハルも眉をひそめる。

 しかし、ナッシュの隣に座っていたミオがけらけらと笑った。


「そーら、大変だなぁ。だったら、私がぶったおすよ! やっぱり化け物の匂いがするから、危険だと思ったんだよなぁ」


 斧を引き抜こうとするミオに、隊員達が息をのむ。

 たまらずハルも座席の肘当てを掴んでしまった。


 狂笑を浮かべるミオを、ゼノは言葉で制止する。


「彼は味方だ、ミオ。もっとも“今は”だがな。もちろん、何かしら危険な状態になったら躊躇ちゅうちょする必要はない」


 鋭い一言に、ミオは「へーい」と諦め、どかりと座り直す。

 ゼノは続けて、ハルに顔を向けた。


「悪く思わんでくれよ。我々からしても、率直なところ君の素性や正体、思惑や経歴が分からない以上、常時警戒態勢をとらせてもらう他ないのだ」


 それはしかたないことなのだろう。

 なにせ、すぐ隣にいる男は記憶を失っているにも関わらず、身体能力だけを見れば常人の数倍の力を発揮することができる。


 敵か味方か分からない今、いつ脅威になるかもしれない地雷のようなものなのだろう。

 檻に入れない“猛獣”と同席しているのだから、本来ならば気が気ではないのかもしれない。


 全員の視線がハルへと集まっていた。

 やりづらさを感じつつ、後ろ頭をかいてしまう。


 わがままを言っていても始まらないか――湧き上がるモヤモヤした気持ちをぐっとこらえた。


「とりあえず、それで構わないさ。俺があんたらの立場だったら、きっとそうするだろうし。できるだけ、物壊さないように気をつけるさ」


 隊員達の反応は薄い。

 やはり内心では、まだ警戒しているということなのだろう。

 払拭ふっしょくできぬ悪い空気にため息をつき、少しうなだれる。


「そういや、さっき“外郭エリア”とか言ってたが、その街ってのはある程度は調査してるわけだろ? そんなに広いのかい」

「全体の規模はまだ未確定だ。というのも、あの街は単純な面積では測れない奇妙な構造をしていてな」

「奇妙な構造、ね……街がでかくなったり、小さくなったりするってのかい?」


 冗談混じりで投げかけたその問いに、隊長・ゼノが「ああ」と短く答える。

 予想外の返答に目を丸くしてしまった。


「正確には、街のサイズがと言うよりも“構造自体”が流動的に変わっているらしいのだ。モノクロームの内部では距離感が狂い、常に建物や土地が組み替えられている。深入りすると帰ってこられないのは、そういう理由があるのだ」

「おいおい、まじかよ。それ、信じろってのか?」

「確かに奇怪な事実だ。だが真っ白な肉体を持ち、握力計を潰しきれる人間と、荒唐無稽さでは大して変わらないがな」


 澄ました顔のゼノにぐうの音もでない。

 ミオだけが「たしかにー」と無邪気に笑っている。


「もともと、街の深部を探るべく多くの部隊が派遣された。現地調査用の装甲車ごと、十数名を送り込んだこともあったさ」

「そいつらは、今どこに? まだ街の中にいるのか」

「分からない。少なくとも、誰一人帰ってきた隊員はいない。通信も一切通らなくなってしまった」

「なるほど……街の中で“遭難”したってことか」


 だからこそ、彼らがハルを“生存者”と呼んだのだろう。

 今まで誰一人帰ってこなかった奇怪な街の跡地に、DEUS隊員によく似た男が倒れていたのだ。

 傍目はためには、街を脱出して生還したと見えたのかもしれない。


 ハルはここでもう一つ思い出し、問いかけた。


「しかもその街には、あの“妙な生き物”もいるんだろ?」


 お前も妙だ、という罵声が聞こえてきたら、ありったけの力で睨みつけてやるつもりだった。

 しかし、これにはリノアが柔らかく答えてくれる。


「あなたが基地で見た、あの黒い存在ね。私達は『ヴォイド』って呼んでるわ」

「ヴォイド……確かあれは、街で捕獲したって聞いたけど」

「ええ。街に入ってすぐ――外郭エリアと名付けた箇所で、ある日突然、湧き出てきたのよ」


 湧き出てきた、という表現は生き物にはなかなか利用しない。

 ハルやモノクローム同様、きっと規格外のなにかを持った存在なのだろう。

 ハルは黙って続きを聞く。


「気配もなにもなかったわ。地面や建物の壁、いたるところから急に“湧き出てきた”。そうとしか言いようがないのよね。黒いもやのようなものが次第に形を作り上げて、襲ってきたの」


 これまたすかさず、キースが情報を付け足してくれる。


「当時は今回同様、現地調査という名目で少数名で赴いていたのです。ですが急襲され、隊員の3名が重傷を負いました。中には、腕を食いちぎられた者もいる」


 ギョッとし、息を飲むハル。


「ってことは、あの黒い生き物には明らかな敵意があるわけだな」

「ええ。形も様々で、犬や鳥、蜘蛛といった昆虫を形取る個体も。現在、基地に捕獲した数匹を分析班が調べているところよ。生き物としての器官は存在しないけれど、通常ではあり得ない再生能力を持っていることは確か。そこらのナイフや弾丸じゃあ、活動停止に追い込むことも不可能よ」

「そりゃあ、“化け物”なわけだ……だけど、兵器も効かないような怪物相手にどうするつもりなんだよ。また今回だって、襲ってくるかもしれないんだろ」


 至極まっとうな質問に、ゼノは頷く。


「その点については、すでに対処策を得ている。基地に在中している技術班――君が基地で会ったドクという男がそこの主任だが――彼らがヴォイドの肉体の構造を研究し、そこから奴らに有効な“分子構造”を導き出した」

「なんだか難しい話だな。つまりその、倒せるのか?」


 ああ、とゼノは頷き、シートの脇に置かれた自身の拳銃を手に取った。


「我々の利用する弾丸、そして携行する武器全てに技術班の開発した新素材、『アンチ・ヴォイド、メタル(AVM)』が用いられている。これならばヴォイド達の肉体にダメージを残しつつ、再生能力を抑え込むことができるはずだ」


 ハルも思わず、自身が手渡されていたライフルを見つめる。

 弾倉を取り出すと、通常のものとは見た目の変わらない黄金色の弾丸が並んでいた。

 物理だの化学だの難しい理屈は分らないが、どうやらこの弾丸もヴォイドに対抗する“特効薬”らしい。


 ため息をついて元どおりにカートリッジを戻す。

 その様を見て、リノアが問いかけた。


「ずいぶん使い慣れてるのね。戦闘服や携行品の取り付け方も鮮やかだったわ。やっぱりあなた、あのドッグタグが示すように、どこかの軍隊の人間だったのね」

「そう――なのかな……でも確かに、こういう道具を見るのも使うのも、違和感がないんだ。型番だのモデル名まではさすがに分からないけど、それでもなにをどうすれば良いかは分かる」


 安全装置の解除法も、弾倉の取り替え方も、スコープの調整法も、言われずとも本能的に体が覚えている。

 あえて皮肉の意味で、ハルはゼノ達軍人に問いかけた。


「でも、良いのかい。あんたらからしたら、俺は危険人物かもしれないだろう。そんな俺に武器まで渡してさ」

「無論、手放しで君のことを信頼しているわけではない。DEUS管理下の兵器は皆、ナノマシンによる監視・制御機能を搭載済みだ。君がこの場で我々に引き金を引こうとすれば即座にロックがかかり、全員に通報される」


 驚くハルに、リノアが苦笑する。


「あなただけじゃなくて、この場にいる全員がそうよ。私だって今、DEUSの管制室にデータを逐一把握されているの。精神状態によるバイタルデータの揺らぎまでキャッチしているから、当人が嘘をついたかどうかも全部分かるわ」


 ナノマシン、という聞き覚えのない単語に思わずライフルを見つめた。

 だがすぐに“とある矛盾点”に気付き、その視線が対面に座る金髪の女性に向けられる。


 帽子をかぶったまま、ミオは背もたれに何度も体重を預けては、ゆらゆらと揺れている。


「ちょ、ちょっと待てよ。だけどさっき、現に殺されかけたぞ」


 皆の視線が一斉にミオに向けられた。

 当の本人は話の流れが分かっていないのか、大きな目を見開いて「あたしい?」と頓狂とんきょうな声を上げる。


 この疑問には、隣に座るリノアが応えてくれた。


「DEUSの中でも彼らは特別よ。前線で柔軟に立ち回るために、ある程度の権限を許されているの。とはいえ、DEUS全体で見てもそんな特例の方が少ないわけだから、何か悪事を働けば一瞬で特定されてしまうけどね」

「柔軟に、ねえ……じゃあ、やばいと判断されたら、さっきみたいに即ぶったぎられるわけだ」

「あなた、意外と根に持つタイプね」

「あたりまえだろう。もしかしたら死んでたかもしれないんだぞ?」


 声を荒げるハルを見て、リノアはどこか意地悪に笑った。

 先程からどうにも調子が狂う。

 DEUSの面々はこの若い天才女史を男顔負けと言っていたが、なんとなく納得してしまった。


 話題の中心にいるミオは、別段何を言うでもない。

 だが代わりに、隣に深々と腰掛けたナッシュが口を開く。


「我々はDEUSの実力者として矜持きょうじがある。任務は絶対であり、守るべきものも理解した上で危険地帯へと赴いているんだ。仮に仲間が間違った道に進みそうならば、それを止めるのも我々の任務の一部だよ」


 いわば、ここにいる“特例”同士で、互いを見張ってもいるということなのだろう。

 まだ全員の実力を理解したわけではないが、ただの“信頼関係”などではないということを、おぼろげにハルも理解した。


 ごうん、と機体の外で大気がうごめく音がする。

 そんな変化にも動じず、ゼノは続けた。


「作戦遂行時間は2時間。引き続き生存者の捜索も同時におこなう。変化があれば即座に端末経由で共有しろ。ヴォイド出現時は防御陣形をとりながら、博士、そしてハルを率先して撤退させる」


 周囲の隊員達から「イェッサー」という一言が投げられる。


 目的地に着くまでの間、隊員達はしばし機の中で待機することとなった。

 輸送機は格納庫と操縦室、簡易的なトイレくらいしかないため、暇をつぶすのも容易ではない。


 薄暗い室内で、ハルも何をするでもなくシートに背中を預けていた。

 居心地が悪い――やることがないという以上に、機内を包むこの場違いな空気にどうにも耐えられない。


 対面に座る精鋭達の様子をおもむろにうかがう。


 リノアの知人でもある隊員・キースは携帯した小型端末を操作し、なにかを分析している。

 目に取り付けたバイザーが時折光り、入力内容に呼応するように作動していた。


 対して、その隣に座るミオはじっとしていることが耐えられないらしい。

 椅子に体重を預けては跳ねてみたり、体をひねってみたりとせわしなく動いている。

 それでもやることがなくなると腕の端末をあれこれ操作してみたりしているが、どうやら内容が分かっていないのか眉をひそめてうなっていた。


 マイペースにディナーを楽しんでいたナッシュはというと、深々とシートに背中を預け、目を閉じて仮眠をとっている。

 これからの任務に対し、体力を温存しているのかもしれない。


 各々が、各々のおもむくままに移動時間を過ごしている。

 彼ら“精鋭”の長であるゼノはというと、腕を組んだまま椅子の上で静止し、ただじっとその時を待っていた。


 彼らにとってハルという存在は、まだまだ得体のしれない謎の存在なのだろう。

 だがそれと同時に、ハルにとっても彼らが何を目的にしているのか、何を考えているのか、その素性を信用しきれていない。

 そんな二者の間に生み出された“溝”が、無色の空気をことさら重々しく変化させている。


 シートに腰かけなおし、ため息を漏らすハル。

 そんな彼に、隣に座る博士が語りかけた。


「見たわよ、あなたの計測結果。とんでもない数値のオンパレードで、二度見しちゃったわ。見た目以上に、中身も特別だったのね」


 驚き振り向くと、リノアが目をらんらんと輝かせてこちらを見ている。

 それは基地で行なった、あの身体測定の結果のことだろう。


 なかばうんざりし、またもため息をついてしまう。

 これはこれで、また別方向に居心地が悪い。


「誰も、なりたくて“超人”になったわけじゃないけどな。案外、俺もやっぱりそのモノクロームってところで産まれた“化け物”なのかもな」

「でも、こうやって意思の疎通も取れるんだから、単純な怪物とは違うんじゃない? きっと、もっと高度なものよ。じゃないと、こうやって一緒に飛行機に乗ったりなんてしないからね」


 随分とポジティブな考え方だ。

 少なくとも、ここにいる軍人達の目線とはずいぶんと異なっている。

 微笑むリノアに、どこかハルは首を傾げてしまう。


「変わったやつだな、あんた。他の奴らみたいに、怖がるのが普通だと思うけどね」

「もちろん、怖くないと言えば噓になるかしらねぇ。でも、見た目なんていうのはあくまで表面的なものでしょう? それは“真実”じゃあないわ、その奥の奥に隠れているものよ」


 思わず「真実」と繰り返した。

 リノアは頷く。


「目で見えているものなんて、つきつめれば目から取り入れた情報を脳が変換し、視覚化しているだけ。物事の中身が外に染み出してることなんて、まず少ないことなのよ。だから惑わされずに、その奥を探り続けないと。そうじゃないと本質なんてなにも見えてこないわ」


 なぜだか、リノアという女性の眼差しに凛とした強さが見える。

 先程まで会話していた若い博士と、まるで別人のように思えた。


「まぁ、これも父の受け売りだから、偉そうには言えないけどねぇ」

「親父さんも、あんたみたいな研究者だったのか?」

「ええ。私は父に憧れて、この世界に足を踏み入れたのよ。幼い頃から家の中には、父が読みふけった物理や化学の書物が転がってたし、いくつもの数式が書き殴られた紙がそこら中に散らばってたの」

「そいつはまた、すげえ環境だな。たしかに、そんな中で育てば賢くもなるか」

「なにより、父は幼い私にも分かりやすく、噛み砕いて物理や化学を教えてくれたのよ。当時の私にとっては方程式や化学記号なんて、よく分からない模様の羅列だったけど、それに父が“意味”を持たせてくれたの。その上で彼は口癖のように言っていたわ。『この世界は、どんなことにだって“意味”がある』って」


 意味――ハルの呟いた一言に、嬉しそうに博士は頷く。


「理不尽なこと、不思議なこと、不可解なこと――それは皆、人間がなにか分からないものに目をくらまされているから、そう見えているだけなの。だからこそ人は恐怖するし、その領域から遠ざかろうとする。だけどきちんと調べて、学んで、理解すれば、結局そこで起こっていることなんて、いつしか“当たり前”になってしまうの。この世界を作り上げるテクノロジーなんて、そんな歴史の繰り返しなのよ」


 過去を語る彼女の目には、先程までとは異なった光が宿っている。

 ハルは黙って彼女の言葉に耳を傾けた。


「消えたり現れたりする街、真っ白な人間、真っ黒な生き物――何もかも、今の私達にとっては不思議でならないわ。でも、絶対にそれらにだって“意味”はあると思うのよ。あなたがあの場所に倒れていたのだって、何か理由がある。だから探しに行かなくちゃ」

「随分と前向きなんだな。あんた」

「後ろ向いてたって、あるのは見てきた景色だけだからね? それに、立ち止まってるのはもっとつまらないもの」


 無邪気でありながら、それでいて純粋なのだろう。

 父からの教えを、彼女は最後にとびっきりの笑顔で締めくくった。


 自分があの場所にいた意味。

 それが、これからたどり着くモノクロームという景色のその中に、隠れているのか。


 快適とは言い難いシートに身を預け、ハルは考える。

 この先に一体、何が待っているというのか。

 どれだけ悩んだところで答えなど出ない。

 それでも、これから立ち向かうべき“街”について、想いを馳せてしまう。


 失った記憶も、かつての自分も、全ての答えも――そこに置き去りにされているというのだろうか。


 かすかに横目でリノアを見つめると、彼女はほんのわずかに笑みを浮かべてくれた。

 とはいえ、やはりハルは素直に笑顔で返すことはできない。


 ばふり、と音を立てて背もたれに体重を預ける。

 戦闘服の下にあるあのドッグタグが、しゃりんと乾いた音を立てた。

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