第4章 波乱を乗せて

 すでに先程から、何度も鏡の前で自身の姿を確認していた。

 その肉体は「DEUS」隊員にとって正装である黒のインナーと特殊ラバー製のプロテクターに包まれている。


 関節部を何度も曲げ、感触を確かめた。

 インナーは高い伸縮率と吸着率を兼ね備えているらしく、一度身に纏えばまさに第2の皮膚として肉体へのダメージを防いでくれる。


 ずっと半裸だったせいか、着衣の感触というものがなんとも妙だ。

 黒い戦闘服の隙間から覗く手首や首元、そしてなにより顔に至っては完全に真っ白で、鏡の中でそこだけが浮き上がって見える。


 真っ白な青年――ハルがブーツを履いた足を慣らしていると、ノックの音が響いた。

 返事をすると、見覚えのある黒人が顔を覗かせる。


「戦闘服は着用済みのようだな。着心地は?」

「別に……特段良いわけでも、悪いわけでもないよ」

「そうか、結構。サイズさえ合えば機能はするものだ」


 なんとも事務的な会話である。

 ハルの少し不機嫌な眼差しを受けても、ゼノはたじろぐことなく脇に携えていたバインダー上の資料に目を通した。


「数々の“検査”ご苦労だったな。いやはや、予測はしていたにしろやはり簡単には信じられない。この数値が本当なのであれば、人間というもののスペックについて常識が覆るだろうな」


 素直な賞賛と受け取るべきか、それとも“人間ではない”という遠回しな皮肉と受け取るか。

 少しだけハルは考えたが、出てきたのは乾いたため息だけだった。


「そりゃあ、どうも。悪かったよ、色々ぶっ壊して」

「問題ない。替えのものはいくらでも用意できる」


 午前中に行われた検査の様子を思い出す。

 目を覚まし、対話による意思の疎通が可能と判断されたハルは、まずはDEUSの研究班にありとあらゆるデータを取られていた。


 昏睡中は計測できなかった視力や聴力はもちろん、握力、脚力といった身体能力を様々な手法で計測する。

 おとなしく指示に従っていたのだが、その先々で規格外の肉体が異常事態を引き起こしてしまう。


 最初の異変は、握力の計測時に起こった。

 いくら記憶を失っていようとも、それがどんな計測器で、何を計りたいかくらいは分かる。

 だからこそハルは臆することなく、遠慮すらせずにただ思い切り、こん限りの力でグリップを握りこんだ。


 めきりという鈍い音と共に、グリップが潰れてしまったのである。

 軍が正式な体力審査に用いる、頑丈なものだ。

 しかしながら、握力計という道具の計測許容範囲を完全に超えてしまったのだろう。

 慌てて離したグリップには、指の跡が克明に刻まれていた。


 視力、聴力、嗅覚、肺活量、筋力、反射神経――こと人という生物を作り上げるあらゆる能力が“異常”と呼べるほどに高い。


 その結果を見つめ、ゼノはバインダーを机の上に置いた。


「研究員達は君のことを“超人”と呼んでいた。スーパーマン――古いエンターテイメントムービーに出てくるヒーローだ――その生まれ変わりだ、と」

「へえ。でも正義の味方かどうかなんて、分からねえぜ。俺自身、俺が何者かも分からないんだからよ」


 ハルとて、まだこの組織の面々を信用はしていない。

 だからこそ、自然とそんな皮肉が口をついて出る。


 別段、ゼノは表情を変えずにさらりと流した。


「無論、我々もそれについては同意だ。君がまだ味方だと決まったわけではない。作戦に同行は許可したが、あくまで監視ありきだ。妙な動きをすれば即刻、攻撃する」

「だから相変わらず、こんなもん付けられてるわけだね」


 ハルは両手足に取り付けられたかせを見つめた。

 研究室で取り付けられていたものよりは遥かに小さいが、機能としては同様のものらしい。

 GPSシステムが搭載され、常に心拍や精神データが基地へと送信されている。

 いざとなれば遠隔で電気ショックも流せるという代物だ。


 まだまだ“リード”を外し、野放しにする気にはなれないらしい。


「君の肉体には電撃など効果がないかもしれんがな。そうなった時は、私が組み伏せれば良いだけのこと」

「随分と自信満々なんだな。超人がまた暴れるかもしれないってのに」

「事実、君は俺に一度敗北している」


 毅然と言い放たれ、思わずムッとしてしまう。

 だが、思い返せばそれは確かだ。

 研究室を飛び出た後、ハルを拘束したのは他ならぬゼノだった。

 それも武器を使わず己の素手のみで。


 “超人”という言葉におごる気はない。

 だが、このゼノという男性の持つ力量に、警戒心を解けずにいた。


 妙な苛立ちを覚えるハルに、ゼノはきびすを返して促す。


「すでにヘリも準備できている。来い、出発だ」


 そそくさと部屋を出ていく軍人に、ハルは慌てて続いた。

 足早に移動する彼の後を追い、通路を進む。

 昨日の騒ぎからちょうど24時間が経過し、また同じように色濃い夜がやってきていた。


 ヘリポートにたどり着くと、中央に巨大な影が鎮座している。

 ヘリというよりも、複数の兵隊や物資を運ぶための輸送機だ。

 プロペラの数も左右に2つずつで、装甲も分厚く強固である。

 機体の側面に、DEUSのシンボルである“黒い太陽”と“黄金の歯車”が刻まれていた。


 開け放たれた格納庫には、すでに何人もが乗り込み作業をしている。

 ゼノは見張りをしていた一人に敬礼し、そそくさと進んだ。

 ハルも一瞬だけ兵士の顔を見たが、何も言わずに続く。


 まず目に飛び込んできたのは、見覚えのある緋色の髪の女性だった。

 もっとも、今回は白衣姿ではない。

 ハル達と同様にDEUSの正式な戦闘服に身を包んでいる。

 彼女はブーツをひっぱりながらも、こちらに気付き声を上げた。


「こんばんは、ゼノ隊長。それにハル!」

「なんだ、あんたも行くのか?」


 ブーツを履き直し、リノアはすくと立ち上がる。

 腰に手を当て、どこか誇らしげに胸を張っていた。

 博士という肩書きに反して、やはりどこか彼女の見た目や仕草は幼い。


「ええ、もちろん! 私も久々にあの“街”を目にするから、ちょっとワクワクしちゃうわ。大丈夫、今回は酔わないわよ。酔い止めもたっぷり飲んだから」


 まるで遠足に出かける直前の幼児のそれだ。

 ハルは肩の力が抜けてしまった。


「ワクワク、ねえ。そんなすごいところなのか、あの『モノクローム』ってのは。ただの街じゃないってのは聞いてるけど」

「誰が、なんのために作ったのか、なぜ物質が存在するにも関わらず忽然こつぜんと消えるのか、その法則は――考えれば考えるほど謎だらけよ。でも、謎があるってことは解き明かせる何かがあるってことでしょう?」


 ハルはまくし立てるリノアの勢いに負け、「はあ」と力ない返事しかできない。

 こうしている間にも、他の隊員達はせっせと物資を積みこんでいる。


「あの霧がかった街の奥には何があるのか――その答えを知る日は、もしかしたら今日かもしれない。周りが許してくれるなら常に追いかけていたいくらい、今一番ホットな研究材料よ」


 勉強熱心なんだなと返すハルに、またリノアは笑みを浮かべた。


 他の隊員同様に準備を続けながら、そのやりとりをゼノがさえぎる。

 彼は特殊スーツの上に、さらに防弾ベストを身につけていた。


「博士。心がおどるのは分かりますが、モノクロームは危険区域でもあります。我々同様、武装、および携帯品の準備はお願いします」

「ええ、十分承知してるわ」


 リノアはすぐそばに置かれていた防弾ベストを身につける。

 どうやらハル達がやってくるまで、彼女も準備をしていたらしい。


 その上着に携帯されたハンドガンを見て、思わず問いかける。


「あんたも戦えるのか、博士なのに」

「もちろん得意分野じゃないわよ。なにせ普段は数式や化学式、元素記号相手に机の上での空想戦を繰り広げるのが本業だからね。あくまでこれは護身用。まぁ、今回は精鋭さん達もたくさんいるわけだし、きっとなにかあっても守ってくれるわよ」


 なんとも軽い物言いにたじろいでしまった。

 と同時に、ハルは周囲で作業をする黒い戦闘服の面々を横目で追う。


 精鋭、と言ったな――DEUSという組織にいる以上、テロのような大規模犯罪への対抗部隊は必ず存在する。

 モノクロームという街は、謎の“黒い生物”が蔓延はびこっていると言っていた。

 ともすれば、その“怪物”と戦う力を有した者が、リノアの言う精鋭部隊なのだろう。


 周囲で荷積みや計器の点検をしている面々を、流し見る。

 皆装備が同様のせいで、いまいち見分けが付きづらい。

 もっとも、眺めているだけで精鋭かどうかなど、実力を読み取れる目を持ち合わせているわけでもないのだが。


 推測するハルの心中を察したかのように、ハンドガンの弾倉をチェックしながらゼノが補足した。


「彼らは私の部隊の人間ではない。あくまで輸送機を飛ばすための補充要員だ。もう少しすれば、“あいつら”も姿を表すだろう」

「私の部隊――じゃあ、精鋭ってのはあんたらのチームなのか」


 とすれば、このゼノという男がDEUS率いる精鋭部隊の長ということになるのだろう。

 たった数瞬の攻防だったが、ハルはゼノの実力を知ってしまっている。

 無駄がなく、冷静に、機械的にさばかれる体術の脅威を、今でも体で覚えていた。


 どうにもあの“負け”が苦々しく脳裏にこびりついている。

 思い返すと、自然とゼノを睨みつけてしまった。


 だがその背後から、かつん、かつんというブーツの音と共に、気の抜けた女性の声が響く。


「あっれ~、おっかしいなぁ。これからモノクロームに行くんであって、ここはまだ基地の中でしょ~?」


 振り返るハル。

 と同時に、隊員達が明らかに動揺の色を見せた。

 ゼノ、リノアの視線もヘリポートへと注がれる。


 一人の女性隊員がゆっくり、緩慢かんまんな動きでこちらに歩み寄ってきている。

 装備こそDEUS隊員のそれだが、妙なことに彼女のスーツは肩から先が無い。

 あらわになった健康的な肌と、背中の上でふわりふわりと跳ねるブロンドの長い三つ編みが一本、目に付く。


 彼女は手に持ったツバ付き帽子をぱさりと軽くかぶった。

 金髪の隙間にのぞいた瑠璃色の瞳が、ぎろりとこちらを見つめている。

 どこか幼さの残る顔立ちの女性は、じっとハルに視線を向けていた。


「だとしたら、なんでかなぁ。うちらの基地の、それもこれから乗ろうっていうヘリの中に――なんで、あんなのがいるわけぇ?」


 彼女は笑っている。

 だが、その姿は実にいびつだ。

 目だけは爛々と輝き、大きく見開かれたまま、開け放たれたヘリの格納庫に向けられている。

 生暖かい風が顔を撫でても、まるでまばたきする様子もない。


 ハルもその異様な空気には、とうの昔に気づいていた。

 だからこそかすかに拳に力を込め、離れた位置にいる彼女から目を離さないようにしている。


 立ち止まった女性は一瞬、ふらりと上体を揺らし、首を慣らすように回す。

 なにやら鼻がヒクヒクとしきりに動いていた。


「あぁ~、ああ? ああ、うん。そっかうん、そうそう。やっぱりだ。間違ってない、どんぴしゃ。どうしてかはさっぱりだし、難しいことわっかんないけど、でもやっぱりこのヘリから――」


 うわごとのように呟きながら、また一歩、ふらりと体を揺らしてこちらに近付く。

 かつん、とブーツの底が乾いた音を響かせる。


 周囲の空気がぞわり、と震えた。


「――バケモノの匂いがするよぉ!」


 瞬間、女性が急加速する。

 一瞬でヘリまでたどり着き、また一つ金属板を蹴って跳んだ。


 こちら目掛けて突進してくるその姿に、ハルは息を飲んで身構える。


 気が付いた時には格納庫の中――すぐ目の前に女性の姿があった。

 跳び上がり、腰のホルスターから引き抜いた武器を、両手にそれぞれ握りしめている。


 リノア、ゼノ、そして周囲の隊員達もようやくその異常事態に気付き、絶句する。


 奇声と共に腕を振り下ろす女性。

 その手に握られた小型の斧――ハンドアクスと名付けられた近接武器が、ハルの首元を迷うことなく狙っていた。


 向かってくる隠すことなき“殺気”に、真っ白な肉体が反応する。

 息を呑み、それでもとっさに行動に出た。


 一歩跳びのき、直撃を避ける。

 空気が裂かれる音がすぐ間近で聞こえた。

 空振りの一撃と共に女性が着地し、さらに距離を詰めてくる。


 狂笑がすぐ目の前に迫った。

 右、左と薙ぎ払われた凶器を、これまたスレスレで回避するハル。

 いつしか真っ白な皮膚の下から、おびただしい量の汗が溢れ出て宙に散っていた。


 混乱している。

 一体なぜ、DEUS隊員の格好をした女性に、説明も何もなく堂々と攻撃されなければいけないのか。

 斧の先端の速度、角度は冗談でたわむれるようなレベルではない。

 間違いなく彼女は、ハルを殺すために飛びかかってきている。


 声すら漏らすことができない。

 どんなに目が乾き、痛みを訴えようとも決して瞬きはできない。

 また一撃、放たれた斬撃は空を切り、飛び散った汗の粒を粉々に砕く。


 ゆらり、ぐるり、ふらりと殺気が遊ぶ。

 女性の動きはどこか獣じみていて、緩急が激しい。

 つちかった技術というよりも、本能のままに腕を振り回しているという感じだ。


 出発前の平穏だった空気に熱が灯り、一気に格納庫が戦場と化す。

 女性は笑いながらなおも、どこか嬉しそうに叫んだ。


「逃げんなよぉ、冷たいなぁ!!」


 思い切り斧を振りかぶり、飛びかかってくる女性。

 渾身の一撃を避けるべく、ハルは一歩後退する。


 だが、背中に伝わった感触に目を見開く。

 すでに格納庫の端まで追い詰められ、退路がない。

 一瞬、左右に避けるその判断を躊躇ちゅうちょしてしまった。


 まずい――とっさにガードを固めたが、防護服なんかで刃の一撃を受け止められはしない。

 宙を舞う女性の大きな目と、戦慄し歯を食いしばるハルの視線が交わった。


 強襲する女性、脆弱な防御を固めるハル。

 その間に突如、男が割り込む。


「やめろ、ミオ。攻撃命令は出ていない」


 ゼノが女性の足を絡め取り、腰をひねって一気に投げ飛ばす。

 帽子をかぶった女性隊員・ミオは「うわああお!」と大げさな声をあげ、宙を舞った。

 天地上下が狂おうとも、まるで猫のように俊敏な動きで身をひるがえし、着地して見せる。


 斧を手にしたまま、そして笑顔も浮かべたまま、ミオは首を傾げた。


「たぁ~い長ぉ! でも、そいつ“バケモノ”でしょお? 間違いない、あたしの鼻は確かだよぉ。昼飯のソーセージが『ミツワフーズ』のだってばっちし嗅ぎ当てれたから、狂ってなんかない」


 まるで子供のように手足をジタバタさせながら訴えるミオ。

 彼女はさらに、ハルに斧の切っ先を向ける。


「それにそいつ、真っ――白じゃん! あ、でも目のところ黒いな。なんか大陸の方にそんなドーブツいたなぁ。なんだっけ、ほら、あれ。パンツ? パンチ、じゃない……パンク、は嫌い。ペンネ、はチーズ味――」


 凶器を手にしたままブツブツと呟き続けるミオ。

 ハルだけでなく、リノアと他の隊員達もその不気味な姿に冷や汗が止まらない。

 ただ一人、ミオを制止した隊長・ゼノだけが腕を組み、不機嫌そうにため息をついた。


 そんな女性の背後から、一人の男性隊員が近づいてくる。

 戦闘服にリュックを担いだ彼は、左目だけに装着されたバイザーのような装置を直しながら、ミオに告げた。


「きっとそれは、かつて『中国大陸』と言われたエリアに生息していた、パンダでしょう? こちらの大陸にも、それこそ友好関係の証として幾度となく個体が送られたと聞きました」


 黒髪をぴっちりと7、3分けにした若い男に、ミオは「おぉ!」と納得して笑う。


「それだよそれ! パンダパンダ! あたし、ムービーで見たことあんだよ! パンダはあれだよな、笹食うんだ、ササ! 信じられる? がっさがさの、にっがにがの、あの笹だよ?」

「もちろん、パンダも笹だけ食べて生きるわけではないですがね。天敵や餌との競争を避けた結果、笹が豊富な地域でのみ繁殖してきたという、珍しい理由なんですよ」

「ほえ~、そうなんだ。まじ不憫。キースは相変わらずあったま良いねぇ」


 嬉しそうに笑う彼女の横で、困ったようにキースは笑う。


「それはさておき、ミオ。とりあえずその武器をしまってくださいよ。ほら、皆さんも驚いている。ここは基地の中ですから、味方同士で物騒なことはするべきじゃあない」

「でも、あいつ見てよ、ほら。あたしらのヘリにバケモノが乗ってんだよ。おかしいでしょ」

「彼が、今回の作戦で告げられていた“護衛対象”ですよ。モノクロームに影響を受け、あの姿になっているんです」


 しばらくしてミオは「ああ~」と何かに納得し、ようやく斧を腰のホルスターにしまった。

 かと思えば、今度は遠慮なくズカズカとハルに近寄り、間近でその白い姿を観察し始める。


「そういや言ってた言ってた。あんた、バケモノじゃあなかったの? あの街から来たって本当?」


 まくしたてられ、ハルは言葉が出てこない。

 なにより、またこの女性が突然に斧を引き抜くのではと、警戒を解くことができなかった。


 またもバイザーの男・キースがため息を漏らす。


「彼は何ひとつ記憶がないのです。覚えているわけないでしょう。それも、ちゃんと説明されたはずです」


 キースの一言に、ミオは「そうだっけ?」と首を傾げた。

 ここでようやく、眉間にしわを寄せたままゼノが口を開く。


「ミオ、作戦内容を把握していないことは感心しないな。結果はどうあれ、彼を危険にさらしたのだ。まずはその非礼を詫びるべきだ」

「ヒレイをワビる?」 


 キースが背後で「謝れってことです」と補足した。

 これを受け、ミオがまた「ああ~」と納得する。


「そっかぁ、ごめんごめん。まぁ、でも匂いが一緒だからまぎらわしくってさぁ。悪かったよ。今度、昼飯の時にデザートあげるよ」


 あまりに軽々しい態度に、怒りを通り越して唖然あぜんとしてしまう一同。

 結局、ハルが一言も返せないうちに、ミオはそそくさと格納庫の奥に姿を消してしまった。


 滝のように汗が流れ出る。

 ようやく大きく呼吸をし、肺の中を満たすことができた。

 混乱のさなかにいるハルに、ゼノが歩み寄る。


「すまなかった。うちの隊員がとんでもないことを」

「い、いや……あれ、本当に隊員なのか? その……DEUSってことだよな」


 言わずもがな、DEUSとは世界を股にかける“防衛機構”であり、ゆえにその隊員になるためには厳しい審査と試験が設けられる。

 有事に対処できるだけの実力もちろんだが、それ以上に人間としての教養や態度、言葉遣いといったいわゆる“人となり”を厳正な審査にかけられるのだ。


 そういった諸々を、あのミオという女性には微塵も感じられない。

 もはや真人間という言葉とは、何もかもが逆――それこそ異常者の類としか見ることができない。


 困惑するハルに隊長が頷く。


「ちょっとばかし性格に難ありだが、あれでも『DEUS特殊任務処理班』の一員だ。つまり、私の部隊の所属になる」


 ゼノの一言に、リノアが駆け寄って声をあげた。

 彼女もまた、じっとりと嫌な汗を額に浮かべている。


「ちょっとばかし、じゃないわよ。かなり歪んでるわよ、あれは! あ、焦ったわ……本物の武器、いきなり振り回すんですもの」


 だがこれには、ミオをなだめていた男性・キースが返す。


「僕らも頭を悩ましている点なんですがね。こればっかりは彼女の人間性ですので、なんとも。本当に、申し訳ありません」


 頭を下げるキースを見て、リノアの顔が少しだけ晴れる。


「キース、久しぶりね。元気そうじゃない!」

「ええ、おかげさまで。博士もお変わりないようで何よりです。乗り物酔い、やっぱり治らないんですねぇ」

「ちょっと、誰から聞いたのよ、それぇ。昔に比べたら改善した方でしょう?」


 わかりやすく不機嫌な表情を浮かべるリノアに、キースは「確かに」と苦笑する。


 ここでようやく、ハルはリノアに話しかけることができた。


「あんたら、知り合いなのか?」

「ええ。彼はキース=シュナイダー。私の大学院時代の後輩なの。生物学、物理学、人体工学――まぁ、色々な“スペシャリスト”ってわけ。今では『DEUS特殊任務処理班』として活躍してるのよ。彼のおかげで、モノクロームの研究・解明が飛躍的に進んだわ」


 ようするに“頭の良い男”ということか――そんないかにも“頭の悪い”答えしか浮かばず、どこかハルは肩の力が抜ける。

 記憶はないものの、おそらく自分はそういう分野とは無縁の男だったのだろう。


 これに対し、キースは謙遜けんそんして首を振る。


「私にできることなんて、現地で採取されるデータ解析を博士にお伝えすることくらいですよ。ほとんどは、博士の分野を当てはめて紐解いているわけですからね」

「腰が低いのも変わらないわねぇ。なにもDEUSなんて危険職につかなくても、あなたなら学会で十分渡り合っていけたでしょうに。もったいないわぁ」


 残念、と大げさなジェスチャーを見せるリノアに、キースはまたも苦笑した。

 続いて、彼はハルに向き直る。


「重ね重ね、先程はうちのミオが申し訳ありませんでした。えっと、確か――」

「ハルだ。そういう名前、らしい」

「ハルさんですね。それにしても驚きました。なにせ、ミオのあの攻撃を避けきるとは思わなかったので」


 その様子からすると、キースらにとっても完全に予想外の事態だったようだ。

 それにしては落ち着き払っている点が、ハルにはやはり気に入らない。

 同じ組織の、ましてや同じチームのメンバーならば、もっと必死に止めてしかるべきではないのか。


 とはいえ蒸し返すつもりもないので、さらりと流す。


「必死に動いただけだよ。たまたまさ、たまたま」

「ミオはあんなですが、それでも腕は確かなんです。その彼女の一撃を避けてみせたんですから、我々としても心強いですよ。もちろん、モノクロームで有事の際には我々が護衛するのですが、自己防衛力を持つ方というのは幾分かやりやすい」


 有事の際、という言葉がハルの中で引っかかる。

 だが、そんな疑問をゼノの言葉がぬぐいさってしまう。


「今回のモノクロームの調査については、ハルとリノア博士。そして我々『DEUS特殊任務処理班』、さらにDEUS第56エリア防衛部隊の数名を加えて当たるつもりだ」

「なるほど、ね。あんたを含め、あの“とんでも女”とこっちの彼は任務遂行のための重要メンバーってわけか」 


 とんでも女という単語に、キースが困ったように笑う。

 皮肉のつもりだったのだが、さほど効果はないのだろう。

 ゼノは大きく頷いた。


「部隊全体の指揮は私が取る。我々、特殊任務処理班4名が中心となって行動する。基本的に、モノクローム突入時はその4名から離れないように」


 思わずこの一言に「うん?」とハルは声をあげてしまう。

 周囲の隊員の準備もあらかた完了したようで、ついにヘリのハッチが閉まり始めた。


 機体と外界が隔たれ、急に静かになる。


「4名――もう一人は、どこいいるんだ? こっちの博士か?」


 これにはリノアが「とんでもない」と首を振る。


「私はあくまで、モノクロームの実地検査に呼ばれただけ。危険事はごめんだからね」

「ああ、そう……ならなおさら、もう一人はどこに。遅刻か?」


 見上げるハルに、ゼノが「ふむ」と頷く。


「奴が遅刻することは、まぁ、ありえんさ。時間に遅れることをなにより嫌うからな。おそらくすでに、待機室にいるのだろう。そろそろ飛び立つ時間だ。我々も向かおう」


 ゼノに促されるまま、他の隊員達やキースはヘリの奥へと歩みを進めた。


 格納庫に取り残され、またため息をついてしまうハル。

 まだ出発すらしていないというのに、着込んだ防護服の内側はじっとりと濡れている。

 冷静に考えれば考えるほど、よくもこうして五体満足で立っていられたものだ。


 隣に立つリノアは、奥へと消えたゼノ達の背中を見つめ、小さな声で言う。


「私も初めて会うメンバーばかりだけど、とんでもないわね。大丈夫なのかしら?」


 顎に手を当てる彼女に、ハルは目を細めてしまう。


「この上、あんたまで弱気になんないでくれよ。本当にモノクロームまで、無事にたどり着けるのか……」


 がぐん、と部屋全体が揺れた。

 機体が離陸準備を始めたらしい。

 ハルやDEUSの面々を乗せた巨大輸送機が、大きなうなり声を上げ始めた。


 ハル、リノアも隊員達に続き、格納庫を後にする。

 金属性の床から機体の振動がもろに伝わり、飛び立とうと力を蓄えているのが分かった。


 準備は万端で、物資も、人数も足りている。

 だがそれでもハルの中には、また別の不安が一つ、どさりと積み重なってしまった。


 機内の無機質な空気を思いきり吸い込み、ため息として循環させる。

 生ぬるい吐息を捨て去っても、心のもやだけはまるで重さを変えてはくれなかった。

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