第1章 “白”に生まれた男

 けたたましい音を立ててヘリが着陸する。

 プロペラが生む突風をまとい、まずは大柄な黒人男性が歩み出た。

 軍服に身を包み、毅然きぜんとした眼差しで出迎えた数名を見つめ、敬礼する。


「『DEUSデウス』14番隊、隊長。ゼノ=ミューラー。ただいま到着しました」


 彼の前に並んだ数名のうち、現場を取り仕切る指揮官が同様に敬礼で応える。


「長旅ご苦労だったな、ゼノ。突然の招集に応じてくれて、感謝しているよ」

「任務ですので、当然のことです」


 ゼノの生真面目な回答に、口ひげを蓄えた男・ベネットは苦笑した。


「相変わらずの仕事人っぷり、何よりだ。その様子だと問題なくお連れできたようだな」

「はい。多少、体調がかんばしくないようですが」

「おや、それは幸先が良くないな。夏風邪でもこじらせたか?」


 ベネットの問いかけに、ゼノは「いえ、それが」と言い辛そうにヘリに振り返る。

 それを見計らったかのように、彼が連れてきた“同乗者”がふらふらと歩み出てきた。


 長く光沢のある色の髪が、身につけた白衣のすそと合わせて風に遊ばれる。

 丸眼鏡をつけた女性は美しい顔立ちをしていたが、とにもかくにも顔色が悪い。

 その姿を見て、ベネットが「おお」と声を上げる。


「これはこれは、リノア博士。ご無沙汰ぶさたしております」


 肝心のリノアはゼエゼエと肩で息をし、虚ろな目でベネットを見上げた。


「あ、どうも。お久しぶり……うっぷ……ご、ごめんなさい……」


 口に手を当て、必死に呼吸を繰り返している。

 その妙な様子に首をかしげるベネットだったが、すぐにゼノが細く説明した。


「1時間ほど前、乱気流に巻き込まれたせいでしょう。もともと、博士は乗り物がお好きではないようでしたし」


 ベネットは察し、苦笑した。


「それはそれは災難でしたな。まずは、すぐに医療チームにさせましょうか」

「あ、いえ、お気遣いなく……静かにしてたらきっと、よくなりますん――うぇっぷ!」


 なんとか笑顔を作ろうとするも、湧き上がる吐き気を抑えきれないリノア。

 両手で口を押さえ、頬を膨らませて耐えている。

 飛び出んばかりに目を見開いている様は、なんとも格好がつかない。


 頭脳明晰、容姿端麗――しかしながら、生粋の乗り物酔い体質のため、本来ならヘリでの移動など断るところだったのだ。

 今回、どうしてもという急ぎの用件だったため、こうして急遽軍部に要請されて出向いたのである。


 ベネットはなおも苦笑してしまう。


「まぁまぁ、こうしてヘリポートで立ち話もなんですな。さっそく、研究所の方へご案内いたしましょう」


 ベネットに続き、リノアとゼノはヘリポートを後にし、建物の中に入る。

 気温調整された通路に踏み込むと、外の砂っぽい風は微塵も感じない。

 ガラス壁からは本来、周囲の岩山や荒野の絶景が見えるのだが、今は一面を夜の黒が塗りつぶしている。


 ようやく足取りがしっかりしてきたリノアに、ゼノが歩きながら問いかけた。


「大丈夫ですか、博士?」

「え、ええ。ありがとう。もう大丈夫です。ごめんなさいね、ちゃんと酔い止めは飲んだつもりだったんだけど……」

「快復したようでなによりです。ヘリを操縦した者に、もっとマシな運転を心がけるよう、きつく言っておきますので」

「あ、大丈夫大丈夫! 本当、たまたまですので!」


 慌てて首を横に振るリノア。

 生まれつきの乗り物酔い体質で、誰かが怒られるなどたまったものではない。

 できるだけ事を穏便に済ませたかった。


 空調の快適な温度と、滅菌処理された空気が肺を満たし、やっとリノアに本調子を取り戻させる。

 衰弱していた肉体に渇を入れるように、何度もわざと大きく深呼吸を繰り返していた。

 先頭を行くベネットが背を向けたまま笑う。


「重ね重ね、急な要請になってしまい申し訳ない。そもそも、この研究所――いや、“対策本部”がこのような山岳地帯に設立されているせいで、アクセスが悪くて仕方がないのです。我々も本音で言えば、辟易へきえきしている点でしてね」

「まぁ、それはしょうがないですよ。なにせ、研究している内容が内容ですから」

「ご理解、感謝いたします。おっしゃる通り、ここにはそもそも立ち寄る人間などおりませんから、情報漏洩を防ぐという意味では非常に便利なのです」


 リノアがこの基地に招かれるのは、何も初めてのことではない。

 すでに4度、作戦に動きがあるたびに召集を受けていた。

 もっとも、夜間にヘリで直行するというパターンは今回が初めてだが。


 その緊急召集という事態から、リノアはおおよそ何が起こっているかを察し、それでもあえてベネットの背中に問いかけてみる。


「それで、“生存者”を確保したというのは本当ですか?」


 こちらに派遣され、ヘリの中であらかじめ聞かされていた概要だった。

 ベネットもまた、その目に真剣な色を帯びる。


「ええ。もっとも、本当に生存者なのかというのは怪しいところですが」

「それはどういう意味でしょう? 報告では人間を一人、確保したとのことだったと思うのですが。“あの場所”にいたとなれば、あらかじめ突入した誰かと見るのが自然では?」

「それはもちろんです。事実、確保した者の身につけていた装備は、軍部で扱うような特殊なものでした。しかし奇妙なことに、我々『DEUSデウス』のそれとは違うようです」

「となれば、第三者が介入している可能性が?」

「少なからず、出てきたというところですな。しかも、それだけではありません。そもそも、その者を“生存者”と言って良いのかが、我々が悩んでいる点でしてね」


 妙ににごされ、首をかしげるリノア。

 そうこうしていると、目当ての研究室へとたどり着いた。


 ドアが開くと白衣を纏った研究員達が数名、モニターの前で作業を行なっていた。

 ベネット達の姿を見て、皆一斉に頭を下げる。

 そんな彼らに、指揮官の男は堂々と言い放った。


「リノア博士がお越しになられた。直ちに、状況の報告を」


 その一声に弾かれるように、少し禿げ上がった男が資料を片手に近寄る。

 リノアのものとは違う、角ばった眼鏡を付けた研究員が頭を下げた。


「り、りり、リノア博士、お、お初にお目にかかります。私、本研究所を、あの、まま、任されております。ノマド=ヒューイッドです。い、以後お見知り置きを」

「初めまして、ノマド。リノア=サブランカよ。よろしくお願いしますね」

「こ、光栄です。こ、こここうして、リノア博士と同じ目線で、研究ができるなんて。あなたの提唱した、じ、じじ“次元超越”の理論、実に興味深く――」


 吃音きつおん症をわずらっているのか、はたまたあがり症なだけなのか、ノマドは必死に言葉をつむぎ、引きつった笑みを浮かべている。


 そんな彼にリノアも笑顔で返すが、ベネットが一喝する。


「無駄口は良いんだ。研究データの説明を」


 ノマドはびくりと背筋を伸ばし、手にした大きなバインダーの上の資料をバラバラとめくる。

 何度も深呼吸し、まずは気持ちを落ち着けているようだ。


「こ、今回発見した、た、“ターゲット”ですが、なんと言いますか、実に……い、異質なのです。体内や細胞の構造は、わ、我々と変わりません。見た目もその、人間です。ただ――それにしても“異質”なのです」


 妙な説明に首をかしげるリノア。


「どういうことなのかしら? 構造が同じで見た目も人間。けれど、我々と明らかに違う点があるということなのかしら?」

「え、ええ……なんと言いますか、そのぉ……じ、実際にご覧いただいた方が、よろしいかと」

「そうね、確かに。“百聞は一見にしかず”とも言うしね。すぐに見れるかしら?」


 ノマドが研究員に手で合図をし、目の前の壁を開かせた。

 強化ガラスの壁が現れ、真っ白な光に包まれた部屋があらわになる。

 部屋の中央にはベッドが置かれており、その上には仰向けに、くだんの“生存者”が横たわっていた。


 目を閉じたまま眠るその姿をガラス越しに見て、リノアは唖然あぜんとしてしまう。


「わーお……そういうこと。確かにこれは――異質ね」


 彼女だけでなく、隣にいたゼノも。

 そして見慣れたはずのベネットですら、改めてその姿に息を飲んでしまう。


 眠っているのは黒い髪を蓄えた男性だ。

 肌の張りや光沢から随分と若く見える。

 厚い胸板としっかりとした骨格を持つ、青年だ。


 じっと目を閉じ、深い呼吸を繰り返しながら沈黙していた。

 肉体に取り付けられた計器の数々が彼の脈や心拍、呼吸を計測しており、いずれも正常値であることを伝えてくれている。


 だが、その肉体はとにかく“白い”――肌の色が白みを帯びている、というレベルではない。

 頭から爪先に至るまで、まるで雪のように“真っ白”なのである。

 もはやそれは、言われなければ石膏せっこう人形のそれと同じだ。

 黒色の髪の毛だけが唯一、浮き上がって見えるほどである。


 絶句する一同に、ノマドがどこか薄ら笑いを浮かべて説明した。


「の、のの脳波に異常はありません。ですが、運び込んでから48時間ほど経ちますが……め、目を覚ます感じはありません。眠ったままです。指先一本、ピクリとも動くことはありません」


 これを聞き、顎に手を当てたままゼノがつぶやく。


「人間なのだろうが、まるでそうは見えないな。世の中には色素が生まれつき薄い“アルビノ”という人種もいるわけだが、それとも違う。もっと、こう――」


 “異質”、なのだ。

 もはやそうとしか、言い表す言葉を持ち合わせていない。


 この場にいる誰もが、初めて目の当たりにする“真っ白な人間”。

 肌、肉、骨、血液、あらゆる“色”を全て奪い取られたかのような、無機質な肉体。

 されど、電子機器が感じ取るデータは、その存在が“生きた人間”であるということを指し示している。


 ゆっくりと歩み寄り、強化ガラスに手を当ててリノアは“彼”を見つめた。

 透き通った人工の障壁から伝わる冷たさが、彼女の思考をさらに刺激し、研ぎ澄まさせる。


 じっと観察しながら、リノアはある仮説を立て、問いかけた。


「彼が“あの場所”で見つかったというなら、“やつら”と同じ反応があったりするのでは? 案外、人間の形をしているだけ、とも考えられると思うのだけど」


 あの場所、やつら――それらの代名詞で、この場にいる面々には彼女の思惑が十分伝わっていた。

 これには、どもりながらもノマドが資料を片手に答えてくれる。


「わわ、我々もその可能性は、かっ考えては、見たのです。おっしゃる通り、かすかですが“やつら”同様の、反応が見受けられます」

「ってことは、やっぱりただの人間じゃあないってこと」

「た、ただし、反応は微弱なものです。“あの街”に長くいたからこそ、こういった数値がとれるのかも……」


 眉間にしわを寄せ、ベネットも「ふむ」とうなる。


「私も改めて見たが、どうにも奇怪な存在だ。こちらとしては、コミュニケーションが取れるかくらいは試したいものだが、こうも眠り続けられたのではな」


 軍部としても予想外の事態ということなのだろう。

 そもそも“あの街”で人間を発見できるということ自体、予想だにしなかった出来事なのである。

 ベネットがこめかみをカリカリとかき、苛立ちをあらわにしている。

 その背後でゼノも腕を組み、ガラスの奥を睨みつけていた。


 そんな中、その真っ白な男に一番近い彼女が、声を上げる。


「ねえ、もうちょっと、近くで見ることは可能? 中に入っても良いかしら?」


 誰しもがギョッとし、目を見開く。

 ノマドに至っては慌てすぎて、眼鏡ががくんと傾いた。


「ほほ、本気ですか? 危険すぎます、もし目をさましたら、何が起こるか……!」

「でも、このまま眺めているだけじゃあ、らちがあかないでしょう? もっと近くで観察したいのよ。彼が普通の人間なのか、それとも“やつら”と同じ存在なのか。“百聞は一見にしかず”――“百見は一触にしかず”、よ」


 不敵に笑うリノアに、唖然とするノマドと研究員達。

 これにはさすがに、すぐ後ろにいたベネットも難色を示した。


「いかにもあなたらしいお言葉だ。しかしながら、彼の言う通りです。もしあの男が目を覚まして暴れでもしたら、大変な事態になる」

「もちろん、丸腰で突入なんかしませんわ。こういった時のために、調査員用のパワードスーツがあるのよね、たしか?」


 ベネットが思わず、言葉を詰まらせる。


「これは、よくご存知で。そうか、そういえば以前お越しになられた際、あれこれと調べられていましたな。なるほど、物理や化学の分野だけではなく、実に抜け目のないお方だ」

「体を動かすのは得意じゃないけど、だからこそ“知”は蓄えておくに越したことはないですからね」


 たじろぐ大人達を見て、屈強な兵士・ゼノは「やれやれ」とため息をつく。

 この場にいる者の中ではリノアという女性は最年少ではあるものの、その圧倒的な推進力、行動力を誰も止めることができない。


 結局、一同は彼女に押し切られる形となった。

 危険生物やウイルス感染が危惧きぐされる個体を調査する際、肉体を守るために使うパワードスーツを彼女は全身に装着する。


 この基地に用意されたものは古い型の物で、雑に扱われているせいか手入れも行き届いていない。

 見た目はブカブカの宇宙服といった出で立ちで、ヘルメットをすっぽりとかぶると、洗浄液の嫌な匂いが充満した。


 リノアは多少怯んだが、黙って装着を続ける。

 最後に腰部分にあるスイッチを押すと、スーツ内部の繊維が膨張して肌に吸い付いた。

 特殊繊維が装着者の体温や心拍といったデータを感じ取り、常に基地へと送信し続ける仕組みになっている。


 スピーカーが外の音を拾い、リノアに伝えた。

 やはり手入れが雑なせいで、どこかノイズが混じって聞こえる。


「博士、着心地はいかがかな。長い間、利用していなかった旧式のものだが、機能はするはずだ」


 ベネットを見つめると、センサーカメラが様々な状況を把握し、モニターに表示してくれる。

 ベネットの体温や脈拍、呼吸リズムに加え、彼の組織での立ち位置や身長体重、趣味趣向といったデータまで事細かに視覚化してくれた。

 もっとも、今はそんなデータを呑気のんきに閲覧している場合でもない。


 リノアは何度か指を閉じたり開いたりしながら、肉体とスーツが“装着”されたのを確認していた。

 人差し指と親指で丸を作り、ベネットに告げる。


「問題ないわ。少し臭うから、脱いだらすぐにシャワーでも浴びたいところね。まっ、これでスーパーマンになれるなら、我慢しなきゃだけどね」


 ジョークを投げかけつつも、リノアは部屋に入るためのドアへと近づいていく。

 機械制御された巨大な金属壁は3重扉になっており、ノマドが端末を操作することでまずはその一つが開いた。


 ゆっくり着実に歩みを進め、中に入っていくリノア。

 一つ、また一つと扉を超えると、ついに真っ白な研究室の内部に侵入する。


 スーツ内部に自身の呼吸音が反響し、やけに大きく聞こえた。

 それでなくても、リノアは己の呼吸が加速していくことを感じていたのである。


 すぐ目の前に横たわる“真っ白な人間”。

 その異様な姿に戸惑い、そして“ときめき”が止まらない。

 異質な存在との遭遇という恐怖よりも、未知の事象に出会えた喜びが勝る。


 耳元のスピーカーから外の声が聞こえてきた。

 何度も電子暗号に変換された影響か、やけに無機質に聞こえる。


「ここから見る各種パラメーターは正常だ。ぐっすり眠っているよ。大丈夫、安心して良い」


 ガラス壁の向こうで、不敵に笑うベネットと腕組みをしたゼノ。

 そしておどおどとモニターを眺めるノマドらの姿が見えた。

 ぐっと親指を立てて見せ、リノアはすぐに目の前の被験体を見つめ直す。


 かすかに、男の腹部が鳴動しているのが見えた。

 呼吸をしているのだろう。一定のリズムで深く、酸素を取り入れている。

 色以外は、まるで普通の男性と変わらない。


 意を決して、リノアは手を伸ばした。

 ゆっくりと男の腕に触れる。


 確かな弾力は、雪のような皮膚の下に屈強な肉と、しっかりとした骨があることを理解させた。

 その感触もまるで人間同様である。

 ならば、この異質な存在は“ほぼ人間である”というべきなのだろうか。


 パワードスーツのモニターに映し出されたデータは、なおも落ち着いている。

 特段、大きな変化はない。


 もっと間近で顔を見たい――おもむろに一歩を踏み出し、顔を近づけるリノア。


 真っ白で立体感が掴みにくかったが、近くで見ると端正な顔立ちをしている。

 眉毛や髭は一切生えてないマネキンのような顔だが、ともすればなかなかの美男子だろう。

 やはり、対照的に真っ黒な髪の毛はなんとも異質に見える。


 一体、何者なのか。

 はたして、人間なのだろうか。


 そして、なぜ――あの“街”にいたのか。


 耳元のスピーカーの向こうから、妙な電子音が鳴り響いた。

 なにやら、ノマドや研究者達の騒ぐ声が聞こえる。


 一瞬、ノイズが混じったせいで、よく聞き取ることができなかった。

 かすれる音声に耳を傾けていると、妙な一言に意識が覚醒する。


 離れろ――きっとそれは、ベネットの声だったのだろう。

 しかしリノアは、その場から一歩も退避することができなかった。


 仰向けに眠っていた、真っ白な青年。

 その眼が、カッと見開かれる。


 大きな黒い眼球の中心に、銀色の輝きを持つ美しい瞳があることを、リノアはしっかりと確認した。

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