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パトロンである婦人の屋敷にたどり着いたころには、外はもう真っ暗でした。婦人のサロンは非常に明るく、そこではさっきまでは等しく宵闇にまぎれて個性を喪失していたはずの人々が会話をしていました。彼らはみなきらびやかな衣装を身につけていましたが、それらのどれも、それぞれ違ったしかたで優美な印象を与えるものですから、それを着ている人の顔を見ることなしに、ただ着ているものが放つ全体的な雰囲気のみで、このサロンの人々を相互に区別することが可能なほどでした。それはあたかも、彼らが、昔とある国では戦死した人間を、その人間が着ていた衣服の柄から判別していたように、個性といわれているものが、さらに言えば個人といわれているものが、すべて身につけているものに還元され、それによってまったきしかたで説明されると信じているかのようでありました。
私がサロンに足を踏み入れると、そうした人々が一斉に振り返りました。彼らは似たような微笑みを浮かべて、大きな絵を抱えた私に近付いてきました。それが新しい絵か、早く見せたまえよ、等々と声をかけてきます。そこに、サロンの主である私のパトロンが近付いてきました。彼女は他の誰よりも絢爛な衣装に身を包んでいました。その服は、この広間にある電灯の眩しい光を浴びて、まるで小さな月のように輝いていました。そのようにして、この部屋では誰もがみな、電灯という小さな太陽の光をきらびやかな衣装に反射させて様々な色に輝く月なのでした。しかしそのときも、私の意識はこの眩しいサロンにはなく、まだ、さきほど太陽のような少年が歌っている姿を目の当たりにした夜の暗い街路にありました。私たちはあの瞬間と同じような光景をおそらくどこででも見ることができるでしょうし、実際、私はあれと似たような光景をこれまでいくつも眼にしてきたはずだというのに、なぜあの瞬間のみが特権的なしかたで私を揺り動かすことができたのでしょうか。あのときからずっと、あの瞬間に感じ取った、温かい幸福な感覚を再構成しようと試み、それがいったい何であったのかを問い続けていました。私の知性はいくら働けども、あの優しい豊かさを、すでに消失してしまった感覚的な記憶の中から抽出することはできませんでしたし、そこに現れていたものの本質を捉え損ない続けていました。あの歌から響いてきた感覚は虹のようなもので、瞬間のうちに私はそれに捕らえられたにもかかわらず、それを目指していっても決してたどり着かないものなのでした。おそらく歌唱に関する専門的な教育を受けたことがないであろう少年の発する歌は、それにもかかわらず、自然のどんな光景よりも色鮮やかで力強いものであり、彼自身もまた、眩しく光を放って見えたのでした。
そうして私が過去の一瞬間をなんとか見つめようとする試みを何度も繰り返し、遠くをぼんやりと眺めていると、婦人が私の身体を揺すりました。彼女は私の試みと同様、何度も私に挨拶をしかけていたのですが、私はそれにまったく気が付かずにいたのでした。サロンの人々は「天才画家が新たに芸術の神からの啓示を受けている最中なのだから邪魔をしてはいけないよ、婦人」と笑いました。婦人は「あら、ごめんなさい、てっきり立ったまま眼を開けて眠っているものだと思ったから起こしてあげなきゃ、と思ったのよ。芸術家というのは私たちには想像できないことをおやりになりますもの。ねぇ。あなたはどんな夢を見ていたのかしら?夢はなにかあなたにお告げを与えてくれましたこと?」と詫びるようにして言うと、また人々が笑いました。こうしたやりとりはその場の冗談としてすぐさま流れ去り、そのときから彼女らはまた別な話題を持ち出し始めていました。しかし「神からの啓示」というのは、冗談としては流せないほどの重みをもったことばとして私の内に侵入してきました。啓示というのは、神秘的なあの一瞬に関しての私の経験を表現するのに最も適切であり、そして事実、あのことばにはならない不可思議な体験とは神からの啓示に他ならない、と私は考えました。そうなると、その啓示というのは私を芸術家としていっそう高めるために神が授けてくださったものなのだろうと思われました。私はその日、その日の私にとっては十分過ぎるほど美しい絵を背に負いながら来る、まさにその最中にあの啓示を受けたのですから。私は考えただけで胸が高鳴りました。これまでだけですでに画家としての名声を十分過ぎるほどに獲得しているというのに、あの啓示の告げるところによると、私は芸術家としてさらなる評価を得ることになるだろうし、ひょっとしたら歴史にさえ名を残すようになるかもしれない、と。そうなると、きょう私がここに持ってきた絵、私にさえ美しいと思われている絵、私の画家としてのこれまでの生における最高傑作は、私の新たな旅立ちを記念する一枚となることでしょう、そう考えました。そして婦人に促されるまま、満を持して、絵を覆っていた布を取り払いました。
布が払われて絵があらわになると、周囲では驚嘆し、賛美する声が上がりました。彼らの声を聞きながら、私は誇るようにして自分の絵を覗き込みました。しかしそこに現れていたのは、私がイメージとして私の内に持っていたこの絵とは似ても似つかないものでした。私は驚いて、光の当てかたを変えるために角度を変えて何度も注視しましたが、どんなふうに見てもやはり、自分のアトリエを発つときに見た姿とはまったく異なり、すっかり姿を変えてしまったかのように見えました。絵そのものは同じままであるはずなのに、かつて持っていたはずの豊かな色彩は失われてすっかり色褪せ、そこにあったはずの完全な調和は乱されて見えました。アトリエから婦人の屋敷までのほんの僅かな時間の内に、まるで私自身がまったくの別人になってしまい、それまで私が持っていたはずの価値観や美的感覚が一切失われ、別のものにすり替わってしまったような感覚でした。あるいはいつの間にか私の描いたはずの絵が、別の人間によって、精巧に模写された別の絵と取り替えられてしまったようでもあり、人の顔を失わせる夜の黒い空気が絵の画面にまで染み付いてしまったようでもありました。あれほど私の気に入っていたはずのこの絵は、私にはもはや美しいものとは思われませんでした。「私がこの絵を描いたのか?」「この絵はほんとうに私によって描かれたのか?」という問いが私の中で生じさえしました。
サロンの人々はいくつもの賛辞を惜しむことなく投げかけてくるのでした。「これはあなたの最高傑作ね、そうでしょう?」と語りかけてくる婦人にも、おそらく大きく頷いて答えるところだったでしょう。いまの私がアトリエにいたときの私と同じ私であり続けてさえいたならば! この絵が私が描いたときの美しさを保ったままでいさえすれば!
突然生じた不明瞭な不安感は、少しずつ私を、その深くまで侵そうとし始めていました。私が私でなくなったような感覚は次第に強まってゆきました。強い熱を持った違和感が私の中に染み渡ってゆくのでした。何度絵を見直しても、私の絵の隅に記された私のサインでさえ、私という実体を指し示していないかのように思われました。私の絵には、私はまったく結びついておらず、むしろそこから遊離しており、その絵は私ではなく真っ黒な誰かを、いや暗闇の中に溶け込んだ「誰でもなさ」を示しているように見えました。私は絵にあって然るべき、私という基盤を見出そうとしてもそれを果たせず、結局は「この絵を描いたのは誰だ?」という問いが再び問いなおされるだけでした。私は私を完全に見失ってしまったような感覚に陥ってしまいました。言い知れない不安がつのり、とうとう眼の焦点も定まらず、脚が震えるまでになりました。「誰か?」という問いに追い詰められ、私は「私は……」という主語を発語することさえためらわれて、もはやサロンの人々との会話もままならないほどになっていました。部屋の端に備えられた椅子に腰掛けました。何人もの人が私に声をかけてきましたが、誰がそうして話しかけてきたのか、さらには、それが私の絵への賛辞であったのか、それとも私のこの不安定な状態を憂うるものであったのかさえ定かではありませんでした。私は人と社交できる状態ではなかったので、サロンの主人に詫びを言って早めに家に帰ることにしました。
光に溢れた眩しい部屋を出て外の冷たい真っ暗な空気に触れたとき、私の内に燃え上がるようにして湧き出ていた不安は、燃えがらに残った炭が徐々に火の気配を失ってゆくようなしかたで、収まっていったような気がしました。しかしその不安を癒やしたのが空気の冷たさであったのか、それとも暗さであったのかは分かりませんでした。
その夜会の後、数日の間、私はアトリエにこもって絵筆をとり続けました。夜会での私の感覚のあの裏切りがその場限りのものであるということを確かめるために、幾枚も習作を重ねました。いつものように私が指揮者となって全体の調和を図るのですが、何をどのように描いても、順調に育まれていたかに見えていた調和は、いつの間にか崩壊し、腐敗してしまっているのでした。習作のどの試みも結局は死産に終わり、ただの一枚も私の感覚を喜ばせることはありませんでした。私はそれらの絵を磔のようにして壁に掲げ置きました。このようにして死ぬために産まれてきた、私にとってはつまらない何枚もの習作に対しても、夜会での私の様子を心配してアトリエまで来た婦人は、その一枚一枚をじっくりと眺めて、やはりいつものように賛美を、それも最大限のものを贈ってくれるのでした(そして、たとえ彼女のサロンに出入りしている他の誰が来ても、この記述は、その主語を、例えばある子爵とか、別の男爵とかというような別の名前に取り替えるだけで済んだことでしょう)。しかし、私に裏切られる以前の私を喜ばせたであろう、そのような彼女による賛美は、いまではむしろいっそう私の不安を大きくするのでした。というのも、これまで私たちの間で一つの協定のように結ばれてきた「私の絵は芸術的に優れている」という条項に関する合意は、必ずしもある一つの絶対的な根拠に基づいてなされてきたわけではないということが明らかになってしまったのであって、私はただこの協定に基づいて絵を描いてきたからです。私の方ではこの協定は、根拠を見いだせないためにすでに失効しているにも関わらず、彼女は(あるいは彼女たちは)何ら基礎づけられていないはずのこれを依然として、あたかも信仰箇条であるかのように保持し続けていたのでした。私は愕然としました。これまで親密な様子で会話をしていたと思われていた二人のうちの一方の発語したある音が、他方の人には、その人が産まれ育った地方の方言や習慣から、本来意図されていたはずのものとはまったく違った語として受け取られてしまうことで、後者の人間の怒りあるいは悲しみによって彼らの間にあった親しい交流が突如として破綻してしまい、二人の絶望に取って代わられてしまう場合のように、私の、私自身に対する信頼と、自分が描く絵に対する信頼とは宙吊りにされてしまったのです。私は自分の絵を信じるべきなのでしょうか、それとも自分の感覚を信じるべきなのでしょうか。急激に、何の前触れもなく変調した感覚にも、死産したとしか思われない私の絵にも、私は信頼を置くことなどできませんでした。そのとき、婦人は私にこう言うのでした。「あなた、展覧会の話は聞いていらっしゃいますの?あら、ご存知ない?そうかと思いましたわ。芸術家というのは概して世情には疎いものですものね。こんどあの美術館の一角で開催されるそうですのよ。私たちのような人間が持っている絵を持ち寄ったり、素敵な絵を描いてらっしゃる画家から徴収(正しくは「募集」なのですが、彼女たちはときおりこのような言い間違いをしました)したりしますの。その中でも上流の絵しか展示されないそうですって。私はすでにあなたの作品の中でもとりわけて素晴らしいものを、ええ、ここにあるものだって素晴らしいのですけれど、そう、この前の夜会のときの絵を推薦いたしました。きっと展示されることでしょうね。私のあなたは他の画家たちにとっての君主なのですから」。私はパトロンのこのことばに困惑しました。私はまだ私の背信者を見出だせてはおらず、そしてそれが私の絵であるかもしれず、私としてはそんな背信者をあたかも私の嫡子であるかのようにして衆目に晒すことなど避けたほうがよいのではないかと思われたからです。しかしこのようにも思われました。つまり、展覧会を訪れた人々すべてを審判者として、あのサロンの人々、すなわち彼女以外に、あの絵が真に私と芸術との正嫡の子であるのかどうかを評議させ、採決させることもひょっとしたら可能ではないのか、裏切り者を断罪し、私が信頼を寄せ、愛するべき味方を教えてくれるのではないか、と。こうした考えは、しばらく私に失われていた、私と私の絵画との関係を捕らえなおすための希望を差し伸べるものでした。
さて、展覧会での私の絵は、婦人のことばを借りて言うならば「君主として、周囲の平民たちを治めるようにして中央に」位置づけられており、会場にいる人々は「高貴な人間が、パレードかなにかで自分のすぐそばを通るのを一目見ようとするかのように」私の絵の前に押し寄せていました。そのように、私の絵に多くの人が押し寄せている、という事実だけ取り上げるならば、私の描いた絵はやはり優れており、結局のところ私を裏切っていたのは私の感覚であった、という判決が得られたと言ってもよいでしょう。しかしながら、その場ではそうした判決を受け入れ、再審の必要はないと考えてしまう前に考慮すべき事態が生じていたのでした。それはこういうことでした。「平民」の位置にいながら私の絵と同じくらい人を集めている作品があったのです。様々な人が集まっていました。その絵には女性が一人と幾人かの子どもたちが描かれていました。家具の少ない部屋の中で女性は椅子に腰掛けて、首を少し傾け、憂いを帯びた表情で、膝の上に広げた書物を読んでいました。しかし書物は、その女性の向かって右側、つまり彼女がこれから読み進めてゆくはずのところはまったくの空白でした。子どもたちは女性の左側にその全員が集まって、こちらに背を向けて座っています。そして女性の右側には何も描かれてはいませんでした。私はその絵がどうしても受け入れられませんでした。おそらく非対称性といいますか、濃淡といいますか、その不釣り合いで調和が乱された感じが私にそうさせるのだと考えました。そしてその絵の全体は、動きがなく、彩度の乏しい色で描き上げられており、暗く、描かれている人々が生きているのか死んでいるのかさえ分からないほどに不気味なほどに静かでした。立ち止まってしばらくその絵を眺めていると、私はふと誰か女性にひそひそと話しかけられるのを感じました。私はあたりを見回しましたが、誰も私に向かって話しかけている様子はありませんでした。描かれた情景が、死んでいるかのようにあまりにも静かなので、絵の中の憂鬱そうな女が独りごつのがここまで聞こえてくるかのようでした。絵を眺めているとやはり、ぼそぼそと女の声のようなものが、ことばにならない単なる音のようなものによって話しかけてくるような気がしました。それはまったく聞き取れず、太陽が山際に落ちていって日が暮れていくようにして徐々に小さくなって、やがて聞き取れなくなってしまいました。そもそもそれが単なる音ではなくことばであったのかどうかさえ確かではありませんでした。どこから聞こえてきたのかさえ分からないこのような声を聞いて、私は嫌悪感とも言い得るような感覚をこの絵に対して抱きました(私が他人の絵に対してこのような嫌悪感を抱いたのはこれが初めてのことでした)。そしてこんなにも嫌悪感を覚える絵が私の絵と同じくらいに人を集めているとは! 不愉快な絵に集う人々を、どうして私の裁判官として信頼することができるでしょうか。こうして私は信じるべき人を失ってしまったのです。しかし、私はこのことだけは信じました。私はこの絵よりも優れた絵を描くことができる、この絵をいっそう素晴らしいものにすることができる、この絵をいっそう高次な段階へと完成させることができる、と。私はこの絵を買い取り、絵に加筆することによって、この絵によって私の内に植え付けられた不愉快な印象を拭い去りたかったのでした。しかし、絵を買い取りたいという旨を展覧会の運営者に伝えても、「そう言ってくる人は多いのだが、作者があの絵は売りものではないと言っているのだ」とはねつけられてしまったのでした。私は、絵を売らずしていったいどのように生活するのであろうか、なぜあの絵を売らないのだろうか、と疑問を抱きつつも、そう言われてしまった以上しかたなく引き下がることにしました。
そういう経験をしてから、私は何も描かれていない真っ白な画布に向かって絵を描こうとするたびに、あの不愉快な絵が私の頭の中に浮かんでは消え、仕事を妨げてくるのです。何度振り払おうとしても、それが消えることはありませんでした。そしてその絵が私の意識の中に立ち上ってくると、決まって私に対する罵声が、まるで絵が発しているかのように聞こえてくるのでした。その絵と、私に対する嘲笑の声とは夢の中にさえ現れてきました。その二つは必ず結びついて現れてくるのでした。「お前にはこの絵を超える絵は描けない。お前に才能が無いことくらいお前自身はっきりと理解しているのだろう?お前の絵はどれも芸術からはるかに隔たっている」と。画布に向かうときも、あるいは眠りに就くときも、いつもそのような調子ですので、私は仕事も手につかず、夜もうまく寝付けなくなってしまっていました。睡眠というのは、本来的には独立的で自存的な精神の自由な旅立ちであると同時に、精神を働かすために安らうことのなかった身体の稀有な休息時間なのですから、そうした時間を奪われた私の身体と精神とは少しずつ蝕まれ、婦人のサロンでの夜会のときに生じ、そのとき未だ癒えてはいなかった不安も相まって、私は少しずつ狂気へと向かってゆきました。私はとうとうこう考えるようになったのです。あんなに不愉快な絵は、盗み出してでも手に入れ、私の筆によって、より優れた作品へ、快楽を私の内に作り出す作品へと産まれ変わらせねばならない、と。
そのように考えていたとしても、日が昇りだす少し前に、ほんのわずかな時間だけであれ、絵の印象と罵声の騒がしさの隙をついてうまく眠りに就くことができたならば、その後目覚めたときには他人の描いた絵を盗み出すという計画のことなどすっかり忘れてしまっており、そうした考えがちらつくことなど決してありませんでした。しかしそれは睡眠によって休息を得た理性がしばらくのあいだは強く光を放っており、「盗みを実行する」という薄暗く光っている考えがかき消されているにすぎず、やがて時とともに理性の光が弱まってくると、盗みという選択肢が現実性を帯びたものとして煌々と輝きだすのでした。それは、太陽がまだ空に昇っているときには、月の光は薄らいで、ほとんど雲の白さと区別できず、それにまぎれてしまうほどであるにもかかわらず、ひとたび太陽が沈んでしまうと夜空は月の光が完全に支配してしまうのと同様のことなのです。そして、理性からほとんどの休息が奪われているいまでは、日に日にその月の光は強くなってゆくのでした。
絵を盗み出すこと以上に困難であったのは、自分が描いたのではない作品の上に、実際に新たに絵の具を塗りつけるということでした。憎しみにも似たそのような感情を抱いていたにも関わらず、筆に絵の具をとってその絵に向かい合うたびに、その上から新しい絵を描きつけようという気持ちはすっかり揮発してしまい、そうしてためらいばかりが残るのでした。そのような調子でしたから、私はわざわざ盗んできた絵をわきにおいて、真っ白な画布に向かうことにしました。私がその絵よりも優れた絵を描くことができたならば、この絵が意識に現れてくることも、私を嘲罵するような声が聞こえてくるようなこともなくなるだろうと思いました。
私が真っ白な画布に新しく絵を描き始め、画布の中にもののかたちが現れ始めると、例の絵が現れ、それから「その色ではだめだ」とか、「構図がなっていない」とかと、まるであの不愉快な絵に描かれていた女が、彼女のそばにいる子どもたちを叱りつけるような声が聞こえてくるのでした。描き始めはそのような様子だったのですが、私の絵の画面のなかでものが明確なかたちをとり、具体的な姿を現すようになるにつれて、罵りはいっそう激しく、深刻なものとなりました。「また無駄な絵を一枚増やしつつあるぞ」「画家なんぞやめちまえ」「才能のないお前には美を見る能力のない貴族の言いなりになって絵を描くことがお似合いだ」と。もともと自分は静かな環境でしか絵を描けない画家だと信じておりましたので、そのようにやかましく罵る声が響いてくるものですから思う存分筆が振るえず、その声の主が言うまでもなく、私から見てもとても傑作と胸を張って言うことのできる絵はついにできあがりませんでした。私がどれだけ絵を描こうと、来る日も来る日も必ず私の脳裏にあの不愉快な絵の画面がひらめいて、例の罵声が轟くのです。ある日、新しい一枚の仕上げに取りかかっているとき、またいつものように口汚く罵られるものですから、とうとう私も憤りを抑えきれなくなってしまいました。
「ええい、うるさい! 私は絵を描くときは静かでなくてはならないのだ! お前は黙って見ているがいい!」と私は大声で叫んでいました。そのとき、私の手に持っていたペインティングナイフが、怒りにまかせて振るわれた手の勢いによって、そのとき私が仕上げをしていた絵の画布を引き裂いていたのでした。血の気が引いてゆくのを感じました。そのように痛ましい姿になりつつも、悲鳴の一つさえあげることさえしない私の絵、ついには流産に終わってしまい、静かに横たわる私の愛しい子を目の当たりにして、私は盗み出してきた絵に対して激しい怒りを、さらにはそれを通り越して強い憎悪を覚えました。私はその絵に向かい、呪詛のようにこう言っていました。
「お前を殺してやる。私の子と同様、私がお前を新たに描き孕ませることでお前を殺し、お前を私の子として産まれさせてやる」。
こうして私はその絵の上に、白い絵の具で画面の中央に座っている女の右側に新しくモチーフの輪郭を描き始めました。すると、甲高い悲鳴のようなものが一瞬響いたように聞こえたあとで、これまでには感じたことのない、極めて強い快感が私を襲いました。この快楽が、自分の描いたものではない完成された絵に新しく絵の具を重ねるという背徳の罪から生じるものであるのか、それとも私がこれから仕上げるであろう素晴らしい作品に対する幸福な予感から生じるものであるのか、それともあるいは何か他に別の要因があるのか、その時の私には検討もつきませんでした。
私の絵が盗み出してきた絵の上に描き足されてゆくにしたがって、その絵はかつての面影を失ってゆき、画面全体に現れていたおぞましい不快感も薄れてゆきました。それに伴って私に対する嘲罵の声も聞こえなくなり、すこし前まで憎悪と混乱とに満ちていたアトリエは以前と同様にほとんど何の音もなくなり、いまやほこりが床に落ちる音さえ聞こえるのではないかというほどまでに静かに落ち着いていました。そのおかげで、私も絵を描くことにいっそう集中できました。あの夜会以来の、自己を喪失したような不安は、その時にはすでに、ほんの一時の不調でしかなかったのだと考えていました。というのも、以前のように、無音の空間の中で、絵筆を指揮棒のように振るい、巨大なオーケストラを率いるかのようにして画面の内に私の調和を作り上げてゆくことができ、こうして産まれてくるであろう我が子を、私はまた愛することができるだろうと信じていたからです。私は自分の描いているこの絵の最終的な姿の内に、きっと私の反映と言い得るものを見出だせるであろうと信じました。
絵の完成も近づいてきたある日、私は街へ出かけることにしました。しばらくアトリエにこもりきりで、盗んできた絵に落描きをしているということなど誰にも知られてはならないことなので、パトロンである婦人でさえアトリエに招き入れることはありませんでした。それゆえアトリエはほとんど完全な静寂を保ち続けていましたので、街の騒がしさは耳に痛みを感じるほどでした。それでも、絵の完成が迫っていることに浮かれていた私には、それさえ新鮮で快いものと感じられるのでした。
とあるカフェに入ったところ、そこではちょうどピアニストが音楽を演奏しているところでした。客たちは大きく二つに分かれており、一方は音楽など環境の音の一つでしかなく、それを注意して聴こうとせず、またそのことを意識さえしていないもので、他方は音楽があることを意識してはおり、それをなんとなく聴いてはいたが、しかしそれを熱心には聴いておらず、やはり仲間と話すなどして過ごしているのでした。私はどちらかといえば後者に属していました。私のアトリエとは対極にある騒がしい環境で、何もかもが耳に鋭く聞こえてくるのを楽しみながら、絵の仕上げについて考えて始めました。私はいまアトリエに置いてきた絵を思い描き、さらにそれを私の中で未知の方向へ、すなわちこれから私の仕上げによって向かってゆくであろう方向へとイメージを伸ばしてゆくと同時に、その絵の来し方へ、つまりその絵のもとの姿、あの不快な姿のほうへも想像力を働かせました。そしてイメージの両極端にあるその二枚、まだ想像力の内にしか存在しない絵と、もはや想像力の内にしか存在しない絵とを隣り合わせに並べて比較することで、私の絵がどれだけ優れたものであるのかを味わおうとしました。そのとき、私の真新しい耳から、ピアノで演奏されている音楽の一節が入り込んできました。その一節は、その曲の中で繰り返し演奏されていたフレーズで、私が耳にしたのはそのときでもう二回目か三回目だったはずでした。細かい装飾音を伴った上昇を数度繰り返し、最高音に達したのち、急降下してまた最低音に至るという主題が、優美な和音によって奏でられました。ごく小さなフレーズでしたが、絵に関する思考を引き裂き、私の意識を完全に支配したのでした。そうした音楽は、私に、月の光に照らされた小川が音もなく絶えず流れ続けている光景であるかのように思い描かせるのでした。私は音楽に由来する甘美な快楽に浸され、その瞬間には主体的な思考の能力の一切を失っていました。そして、わずかに上昇や下降のしかた、装飾音や和音の用いかたを変えて、さきほどの主題が繰り返されました。歌うような旋律がなめらかに最高音に達し、そしてそこで切り替えしてついに最低音の鍵盤が押さえられ、その音がごくわずかな、瞬間とも言えるほどの間だけ、優しく、しかし震えるように保たれていたのを聴いたそのときには、ついさきほど同じ主題を聴いたときとはまったく異なる光景が私の中に呼び起こされました。月光の仄かな光の中で川が流れる幻想的な光景は瞬時に引き剥がされました。そのあとには星の明かりさえないような真っ暗な世界が広がっており、その世界の中心には顔の分からない女性がただ一人、彼女自身が光源であるかのように眩しく輝いて立っているだけでした。そしてその女性は私に対して何かを語りかけてきました。何を語っているのかは分かりませんでした。そもそもそれが声を伴っていたのかさえ定かではありません。しかしその女性は、ぼそぼそと、不明瞭なしかたで、確かに間違いなく何かを伝えようとしたのです。テヌートに演奏された最低音の音が途切れて主題が終わり、やがてそのまま曲の演奏も終わると、まるでろうそくの火を吹き消したかのようにふっとその女性は真っ暗な世界ごと消失してしまいました。
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