3
深い眠りから醒めるとき、周囲のものははっきりと見えるにも関わらず、意識はまだ朦朧としており、それらのものが一体何であるのかまでは鮮明に捉えられないということが起こるように、不思議な世界から追い出された瞬間の私もまたおぼろげな意識しか取り戻してはおらず、それまでの自分が何をしていたのかまったく思い出せない状況にありました。周囲を眺めると、そこは、突然生じた夢をみる以前にいたカフェで、多くの人で騒がしく賑わっていました。店の奥にはピアノがあり、その正面にはピアニストが座っていました。そのピアニストの様子をじっと眺めていると、せわしなく楽譜をめくり、それを譜面台の上に立てました。次の演奏に取りかかったな、と私は考えました。そして次の曲が始まります。しかし、集中して聴いてみても、さきほどの夢のような世界は決して立ち現れてくることはありませんでした(そしてそのような世界が現れたのはいまに至るまでそのときの一度だけでした)。私は極めて断片的な夢の中で見たその女性を思い返しました。顔ははっきりと見て取れませんでしたし、それだけでなく、ふつう私たちが誰かを他の人々から見分ける際に用いるような、肌の色や背丈などのあらゆる性質を欠いているようにさえ思われました。そのため、仮に彼女が私の街に住んでいる誰かであるとしても、彼女を探し出すことなど決してできないであろうと思われました。
それから私はアトリエに置いてきた絵のことが記憶に蘇り、それから自分がさきほどまで二つの想像上の絵の比較を行っていたことを思い出しました。そして再びその二枚の比較を行おうとした瞬間、私の想像力の内にしか存在していない絵の一枚、もはや存在しない絵がぱちっと弾けて白い火花を発しました。そしてその火花を目の当たりにしたまさにその瞬間にとつぜん私は理解しました。さきほどのピアノ曲の主題の見せる夢の中で姿を現した女性と、もはや私の想像力の内にしか存在していないこの絵を展覧会の会場で初めて見たときに私に声をかけてきたあの女性(そしてその女性は、その絵に描かれ、本を読んでいた女性とはまた別の女性なのですが)は、顔の特徴も声の質もはっきりとしないにも関わらず、そして何らの特性のない女であるにも関わらず、それらはまったく同一の女でしかあり得ない、ということを。私がその絵に対して行ったことは、かつて私が呪詛の中で高らかに宣言したとおり、その絵を、そしてさらに言えばその絵の内に宿っており、その絵を通して私に語りかけてきていたあの女性を殺害することに他ならなかったということを。そして、この女性こそ、あるいはこの女性に限らずとも、何らかの作品において現れる、〈この〉特定の一人の人間は、芸術を象徴するもの、あるいは、おそらくより適切には、芸術作品を通してはじめて私たち人間にとって完全に認識することができるようになるところの個体、個物、個別者なのだということを。それはたとえ真っ暗闇の街の中であったとしても、それ自身で光を放っている恒星のように、ほかのあらゆる惑星から区別されるものなのです。私が、絵画と音楽というまったく異なる二つの芸術形式のうちに現れている同一の個体を発見することができたように、いかなる姿をしていても、あるいはいかなる衣をまとっていたとしても、その個体を見知っている人ならば必ずそれと同定することができるようなものなのです。そして私はそのようにして二つの作品において告げられていた個体、〈あの〉女を、それらの作品を見、そして聴いたときにはすでに出会っており、知っていたのです。あの夜会の日に、沈みゆく太陽のばら色の残滓を背負ってうたう少年の歌の中に、いやむしろあの日のあの街すべてを含めたあの光景全体の中に、芸術作品において私たちが出会うはずの個体というものが、そしてその個体がいかなるものであるのかということが、あのときの太陽の光のように陰りを帯びて薄らいではいたものの、私に告げ知らされていたのでした。
このことに気がついた私は、新たに恐怖と憎悪とを覚えました。しかしその矛先は、あの不愉快な絵ではありませんでした。それらの感情は私自身に向けられたのです。震える脚を引きずり、吐き気とめまいとによってふらつきながら私はアトリエに戻りました。そこには、私が出かける前と同じように、一枚の絵が音もなく静かに、イーゼルにもたれかかることでようやく立つことができるようなしかたで、見方を変えればイーゼルに磔にされているかのようなしかたで佇んでいました。その絵は無残にも引き裂かれ、耐え難い腐敗臭を漂わせているように思われました。それは無残にも引き裂かれた、私が結婚相手として求め続けていたはずの女の死体だったのです。この痛ましい姿に、私は後悔の涙を止めることができませんでした。このアトリエに残された狂気の産物が眼に映るたびに私は吐き気を抑えることができませんでした。
私はこの現状からすぐさま逃れたいがために、アトリエ内で縄を探し始めました。しかし、そのようにアトリエ内をひっくり返している内に、私はこの無残な死体をこのまま遺棄してもよいものだろうか、と疑問が生じてきました。私は、この死体をいまよりは少しでもましな姿にしてから葬ってやったほうがいいのではないかと思われたのです。
それから私は長い時間をかけてその絵の修復に尽力しました。視覚的には完全にもとの状態に戻せたと信じています。もとの展示場に戻しても、おそらく誰にも(そしてはるか後の私にさえも)その絵に生じた変化に気が付きなどしないほどでした。しかし一度死んだこの絵はもう私に語りかけてくる力を持ってはいないでしょう。こうして絵を修復し終えたとき、私は死ぬのが惜しくなりました。私も一人の画家として、その内に潜む〈この〉誰かが語りかけてくるような、真なる芸術作品を完成させねばならないという使命を感じたからです。私はまだ描けると思ったからです。
* * *
それからも私は何枚も絵を描きました。それらは変わらずサロンに集まった貴族たちを、すなわち婦人を喜ばせました。私は街で最も裕福な画家であり続けましたし、最も多くの称賛を集めた人間であり続けました。しかしそうしたことはもう私に何らの喜びも与えませんでした。実は私の理知はよく知っていたのです。私は決して、私に語りかけてくるような作品を、たとえ他の誰も認めようとしないとしても、私一人だけは認めるような芸術作品を描き上げるということが不可能であるということを。しかし、理知の統御に入ることのない意志、欲求などと名付けられる、もう一つの私とさえ呼び得るようなものは、決して諦めることを許さなかったのです。私は描かずにはいられなかったのです。展覧会で見たあの絵の女性が持った本の空白も、女性の右側の空虚にも。私は知らず知らずのうちに、その絵の空欄に、私の将来を読み取ってしまっていたのでしょう。私はその白さをどうしても埋めたかったのでした。私は後悔しています。しかしそれは芸術作品を盗み出したことに対してでも、その上に落描きを施したことに対してでもありません。私がかつて画家を目指してしまったということに後悔しているのです。
私はこれまでに数多くの絵を描きました。多くの私の子を産みました。しかしその誰一人としてものを言うことができませんでした。私が絵画芸術に対してなすことができたのは、盗んできた絵に落描きをし、それを修復するということだけでした。確かにあの絵の最終的な姿は、私そのものを反映していたのでした。つまり、結局のところ、私がどれだけ絵を描いたところで、私が立ち向かった芸術という画布は、白紙、「白いもの」のままだったのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます