5-2 不運の象徴
「君たちもこの人が好きなの?」
杉本くんはほぼ落ちたと考えて私は一緒に居た子たちに水を向けた。落とせる子は多いに越したことはない。私のお陰で退院出来る子が増えるとなれば病院側も私が有能だと再認識するだろうし。
そう思って声をかけた男の子の顔をハッキリ見て、私は内心しまったと思った。杉本くんに意識を取られて一緒に居た二人のことをちゃんと確認していなかったのだ。
吉田くんの方はいい。よく言えば大人しく、悪くいえば陰キャ。人見知りが激しく異性に対して苦手意識が強いので、私が話しかけても目をそらして逃げられることが多い。といってもこの手のタイプは根気強く声をかけ続けていればある日あっさり落ちてきたりするものだから別にいい。
問題は村瀬くんの方だ。
初めて村瀬くんを見たときは可愛い子が来たと思った。不安そうにこちらを見る姿に守ってあげたくなるような庇護欲をそそられた。この手のタイプは吉田くんと同じく警戒心をときさえすればあっという間にこちらを信頼してくるので、落とすのは簡単だとワクワクしていたのに、気づけば村瀬くんの様子は激変していたのだ。
少し目を話した隙に村瀬くんには大人の余裕のようなものが生まれていた。ビクビクと怯える姿が可愛かったのに、いつのまにか吉田くんや杉本くんと仲良くなっていたし、高校生世代では目立つ二人、新田くん、天野くんとも話す姿を見かけるようになった。
なによりも不快なのが最初の頃は私が話しかけると思春期の男の子らしく顔を赤らめていたのに、一切反応しなくなった。余裕ある態度はあなたを恋愛対象として見ていませんと告げられているようで、私のプライドを大きく傷つける。
その姿は恋する相手が存在がすでにいると私に語ってみせた。
私は引きつりそうになる頬を無理矢理笑みの形に保つ。こういうパターンは今までもあった。また蝶乃宮のクソ姉弟に持っていかれたのだ。
ちょっと気になる程度の淡い好意であれば私がモーションをかければ落とせる。けれど、蝶乃宮の姉弟を好いてしまった相手を私が落とせたことはなかった。弟の方は話を聞くだけで実際に会ったことはないが、同性の私ですら初対面の時に見とれてしまった蝶乃宮よりも上なのだ。姉が落とした相手を横取りできない私が弟に勝てるはずがない。
その事実が私のプライドをめちゃくちゃにする。ここでもそうだ。私の上にはいつだって誰かがいる。私が欲しいものを平然と取っていくくせに、そんなものを望んだわけじゃないと善人ぶったことをいうクソみたいな人間が上にいる。妬ましい。羨ましい。腹が立つ。
でも、そんな醜い感情をさらして醜態をさらすわけにはいかない。私は何重にも重ねた笑みをさらに重ねて、村瀬くんに話しかける。村瀬くんは私の問いかけに小さく笑みを浮かべながら答えてくれた。
私には一切興味がないという顔で。
せっかく外でのイライラを発散しようと思っていたのに嫌なものを見てしまった。私は「仕事があるから」と適当な言い訳をして話しを切り上げた。残念そうな顔をする杉本くんの姿に少し心が高揚したが隣にいる村瀬くんを見た途端に霧散した。
受付に引きこもって雑用でもしようと私は足早にその場を後にする。
受付に行くと中には徳本くんがいた。大学を卒業してそのまま蝶乃宮病院に就職したスタッフで仕事内容は受付を含めた雑務。容姿はここに採用されるだけあって整っているが、私に言わせれば気力と愛想がない。その気だるげな感じが良いと十代の患者には評判のようだ。ほんと中高生ってバカである。見た目が良ければ中身がどれだけ薄っぺらでも騙されるのだ。
「坂本さん、今日退院の鈴木さん、保護者の方が十時くらいに迎えに来るそうです」
私の姿を確認した徳本さんは視線も合わせずにそう言うと受話器を手に取り、電話をかける。話している内容からいってスタッフルームにいる誰かに連絡事項を伝えているのだろう。
徳本さんはだるそうにしつつも仕事はちゃんとする。そこだけは評価してもいいと思いつつ、私は壁に貼られたホワイトボードの予定を確認した。
そこには確かに「鈴木さん退院」と書かれている。
「坂本さん、鈴木さんと仲良くしてましたよね」
「はい、寂しいですね」
電話を終えた徳本さんに話しかけられた私は本当は少しも思っていないが、寂しそうな笑みを浮かべて見せる。私が映画監督であったら主演に抜擢間違い無しの迫真の演技をしてみせたのに、徳本さんはちゃんとこちらを見ていなかった。腹が立っても態度に出すわけにはいかないので、心の中で罵倒する。
「退院は早いほうがいいんでしょうけど、仲良くなった子がすぐにいなくなってしまうのは寂しいですよね」
しんみりした発言に私は驚いた。思わず素の表情で徳本さんを凝視すると珍しく眉を寄せられる。無表情が多い徳本さんの珍しい顔まで見てしまった。
「徳本さん、寂しいなんて思うんですね」
「……俺のこと何だと思ってるんですか……」
「えっと……あんまり人に興味ないのかと……」
言ってからしくじったかなと思った。あまりに予想外な事態が起こったので、つい本音が出てしまった。印象が悪くなったらどうしようかとヒヤヒヤしていると徳本さんは苦笑する。それも初めて見る顔だった。
「俺もここに来るまで、自分は人に興味もてない人間だと思ってたので、間違ってはないです」
そういうと徳本さんは立ち上がり、「じゃあここお願いします。お見送り前には戻るので」といって受付室を出ていった。
言いたいことを言うだけいっていなくなるあたりは今までの印象に違わずマイペースだ。おかげでこちらは消化不良気味。
だが一人になれるのならばちょうどよい。私は自分のデスクに座ると息を吐く。受付の隅には仕分け前の荷物や手紙が山積みになっていた。患者や病院に届いた荷物を仕分けして患者に連絡するのも受付の仕事だ。たまに送り主不明の変な荷物が届いていることもあるので、ただの仕分け作業とはあなどれない。
どこにでも暇な奴はいるもので、わざわざ蝶乃宮病院の住所を調べて荷物を送ってくる不審者がいる。住所はホームページもあるからすぐに調べられるが、だからといって関係ない部外者がわざわざ荷物を送ってくる心理が理解できない。
不審な荷物の確認は徳本さんや四谷さんなど男性スタッフが行っている。その時点で中身に関しては察しがつく。口に出すのも気持ち悪いものか、不用意に触ると怪我するような物である。
芸能事務所に所属しているとこういった嫌がらせ行為や行きすぎたストーカー行為などの話は嫌でも耳に入ってくるが、芸能人でもない一般人にそれを行うのは本当に意味が分からない。
『あまりに美しいから引き裂いてしまいたくなった』
そう語っていたのは何年か前にクピド患者の翅を故意に傷つけ、殺害した罪で捕まった男だ。詳しい状況については興味がないから知らないが、その言葉だけは耳に残っている。当時の私は将来、蝶乃宮病院で働くなんて想像もしなかったが、クピド症候群については知っていた。そして憧れも抱いていた。
翅が生えたら、姉よりも美しくなれるのではないか。両親に愛されるのではないか。当時の私はそんなバカなことを考えていたのだ。
蝶乃宮病院で働くようになり、その厄介さを知った今では発症しなくてラッキーだったと思っている。お気に入りの服は背中を裂かねば着られないし、常に翅を傷つけないように注意を払わなければいけない。日光浴で浴びる紫外線なは肌の敵だし、こんな退屈な場所から出られないなんて気が滅入る。
何より嫌なのは私だけが翅を落とすこと。
クピド症候群は残酷な現実を見せつける。想い一方通行であること、恋が成就しなかったことを翅の有無であまりにも簡単に周囲に知らしめる。私だけが恋をして相手は私になんの感情も抱いていない。そんな状況、屈辱以外の何者でもない。
私はここにいる患者たちに心底同情している。みんな哀れで運が悪い、可哀想な子供たち。だからこそ私が一刻も早く翅を落としてあげなければいけないのだ。
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