3-4 それぞれの世界

「これ、見てください!」


 あたしはネイルポーチから新品のネイルを三つ並べた。どれもあたしが欲しかったキラキラのネイルで、春子さんは大人びた表情を女子高生のように輝かせて並べられたネイルを見つめている。その顔はいつもよりも幼くてとびきり可愛い。


「お姉ちゃんが買ってくれたんです!」

「よかったね。三つともキララちゃんが欲しがってた物でしょ」


 春子さんは自分のことのように喜んでくれる。あたしが欲しい、欲しいと騒いでいたのを知っているからだ。なんて優しい人だろうとあたしはますます春子さんが好きになった。


「そうなんです! あたしすごく嬉しくて、これ絶対春子さんに似合うし!」

「えっ、私?」


 春子さんが目を見開いた。あたしの顔とあたしが持ち上げたピンク色のネイルを交互に見つめている。


「これ、桜の色っぽいですよね。春といえば桜。桜といえば春。ってことで春子さんにぴったりだなって!」

「いや、私にそんな可愛い色似合わないよ」


 春子さんは苦笑を浮かべて手を左右に振る。謙遜じゃなくて本気でそう思っている様子にあたしはムッとした。


「絶対似合います! 春子さんは大人っぽい雰囲気だからこそ指先を可愛くしたらギャップがヤバいです! どんな男の人もイチコロです!」


 あたしが男だったらほっとかない。出会った瞬間に告白する。それなのに虫籠にいる男子たちは春子さんに全く興味がない。なんてもったいない。こんな素敵な女の人がいるのに恋しないなんて見る目がないにもほどがある。


「い、イチコロ……」


 あたしが拳を握りしめていった言葉に春子さんは戸惑っている様子だった。あんまり嬉しそうじゃない。むしろ嫌そうに眉を寄せている。

 春子さんは男の人が得意じゃない。それを思い出してあたしは慌てた。通っていた中学、高校や虫籠で同世代の女の子と話すときは男子にモテるは褒め言葉だった。だからついつい使ってしまったが、男子にモテるイコール褒め言葉と受け取る人だけではないのだ。これは虫籠に来て私が学んだことの一つ。


「もちろん私もイチコロです! もうメロメロです! というわけで塗らせてください!」


 勢いで誤魔化したところもあるけど本音だった。ピンク色の可愛らしいネイルで彩られた春子さんの指先を想像しただけでときめいてしまう。それを塗るのが自分だと思うと空も飛べちゃいそう。あたしは翔くんみたに運動神経がよくないので飛べないんだけど、気持ちだけなら今、太陽に飛び込んだ。


「で、でも、せっかくお姉さんがキララちゃんのために送ってくれたネイルを私が使うわけには……」

「春子さんにはたくさんお世話になってるし、お姉ちゃんも春子さんにお礼しなくちゃって言ってたのでむしろ喜びます! 全く問題ないです!」


 力強く宣言すると春子さんは戸惑いながらゆっくり手を出してくれた。「そこまでいうなら、お願い」とどこか恥ずかしそうにする姿はやはり可愛い。年上なのに可愛いとかずるい。

 

 あたしはウキウキでネイルポーチから道具を取り出す。本当は爪のケアまでしっかりした方が綺麗に仕上がると聞いたけど、あたしの我が儘で塗らせてもらうのに春子さんを長時間拘束するわけにもいかない。あたしは春子さんと一緒だったら何時間でも大丈夫だけど、春子さんには予定があるだろうし、ネイルが乾くまでの間待っているのだって暇だろう。


 とりあえず簡単にやすりで爪の形を整えようと差し出された手をとった。細くて長い指はあたしの好みど真ん中で、その手に触れられるだけで嬉しくなってしまう。乾燥肌気味なのか少し荒れた指先を見て、ハンドクリームプレゼントしようかなと考える。


 ネイルの蓋を開けてブラシを取り出す。多すぎる液をボトルの縁で調節してゆっくりと春子さんの指先に近づけた。自分の指だと失敗してもいいやって雑に塗っちゃったりするけど春子さんの指だと思うと緊張する。絶対失敗しちゃダメ。綺麗に可愛く仕上げてみせるという意気込みであたしは丁寧にゆっくりとブラシを動かした。

 そんなあたしの意気込みが伝わったのか春子さんはじっとあたしを見つめている。その視線もあたしを緊張させたけれど、震えそうになる手をなんとか押しとどめてあたしはゆっくり五本の指を塗りおえた。


「思ったよりも綺麗にいかなかった!」


 動画だとさらっと塗られているけどムラなく塗るのはなかなか難しい。満足いくできばえじゃなくてあたしは唇を尖らせる。だからといって何度も挑戦させてもらうのは春子さんに悪い。


「十分、上手だと思うよ。あたしは不器用だから綺麗に塗れるキララちゃんが羨ましい」


 春子さんはネイルが塗られた自分の右手を見て柔らかく微笑んでいる。それが指先を彩るピンク色と重なって、やっぱり春子さんはピンク色が似合うなと自分の見立てにあたしは満足した。


「練習して次はもっと上手に塗るので、左手お願いします!」


 あたしの気合いに春子さんはクスクス笑って左手を差し出してくれた。あたしは先ほど以上に集中してネイルを塗っていく。二回目だからか右手よりは満足いくできばえになったが、そうなると右手の失敗が惜しくなってくる。人に塗るにはまだ早かったかなと後悔し始めていると春子さんはネイルが塗られた自分の手を見つめてから嬉しそうに笑ってくれた。


「キララちゃんありがとう。すごく可愛い」

「いや、春子さんが可愛いです! ありがとうございます!」


 思わず拝んでしまうくらいには可愛かった。大人の女性なのになんでこんなに可愛いんだろう。春子さんマジックか。


「ほんとだ、春子ちゃん、今日いつもよりも可愛いね」


 ぬっと人影が現れる。談話室はあたしたち意外にも患者がたくさんいるし、ここにいる人たちはみんな顔なじみだから声をかけられるのは不自然なことじゃないけど、あたしはちょっとムッとしてしまった。せっかく春子さんと二人っきりだったのに。いや、談話室には人がいっぱいいるから全く二人っきりじゃないんだけど。気分的に。


 あたしたちの会話に入ってきたのは綾埼密美あやさき みつみさん。入院歴四年と虫籠では長期入院にあたる患者だ。まだ三ヶ月のあたしと違って虫籠で生まれたみたいな空気がある。病院が家ってどうなのって話だけど、本人は退院できなくても全く気にしてないみたい。むしろ恋することを推奨する虫籠は楽園なんじゃないかな。彼氏、彼女は何人いても困らないタイプの人だから。


 春子さんは密美さんのことが苦手。顔がこわばっているし体も少し引いている。あたしがここにいなかったら理由をつけて逃げていただろう。ネイルを塗った直後で乾いていないから逃げることも出来ない。間が悪い。いや、わざとかな? 密美さん、春子さんが自分を苦手としているのを分かって声をかけている感じがするから。


「春子さんは今あたしと遊んでるので密美さんはあっち行ってください!」


 犬でも追い払うみたいにシッシッと手を振ると密美さんは声をあげて笑った。その反応に春子さんは目を丸くする。密美さんの性別問わず誰にでも声をかける感じが苦手って人は多いけど、あたしは嫌いじゃない。誰でもいいように見えて密美さんには好みがあるらしくて、密美さんからするとあたしは対象外らしい。あたしからしても密美さんは全く好みじゃないので嫌われたってどうでも良いのだ。そんな関係だから気を使わずに愚痴も言える。恋ができないというあたしの悩みに関しても、そのうち出来るよという密美さんの無責任すぎる返答があたしの気持ちを少しだけ軽くしているのは事実。


「キララちゃんのそういうところ俺、好き」

「あたしも密美さんは嫌いじゃないですけど、嫌がってる春子さんに話しかけるところは嫌いです」


 ハッキリ、キッパリいうと密美さんはおかしそうに笑った。こういうところだけを見れば悪い人じゃなそうなのに、気が多いことで全てを台無しにしている残念な人だ。顔立ちだって黙ってれば爽やか系で整っている方なのに。あたしの好みではないけど。


「分かった。キララちゃんがいない時に声をかけるよ」

「あたしがいない時はもっとやめてください。春子さんが密美さん苦手なの分かってますよね?」

「俺、嫌がられるの好き」

「わあ、最低!」


 先ほどよりも顔に力を込めてあっちいけと手を振ると密美さんは笑いながら「じゃあね」と立ち去っていった。最低と言われてもまったくへこたれた様子がないあたり、本当に嫌がられるのが好きみたい。あたしからすると意味が分からない。ドM? って思ったけど、密美さんの場合はなんか違う気がする。特に理由はない勘だけど。


「……キララちゃんすごいね」

「なにがですか?」


 春子さんに尊敬の眼差しを向けられるのは嬉しいけれど理由が分からない。首をかしげると春子さんは立ち去っていった密美さんの後ろ姿を見つめた。


「あたしは綾埼さんにあんな態度とれないから……」

「とっていいですよ。密美さん怒らないし」


 密美さんが怒っているところをあたしは見たことがない。最低っていわれてもクズって言われても、ただれた関係の相手に平手されても罵られても密美さんは笑っている。国語で習った暖簾に腕押しってあーいうことをいうんだと思う。


「たぶん密美さん、頭、綿あめなんですよ」

「綿あめ……」


 春子さんが首をかしげた。あたしの言っていることがよく分からなかったらしい。お母さんとお姉ちゃんにもあんたの言っていることはよくわからないと言われるけど、あたしには他になんと言えばいいのかが分からない。

 あたしから見ると密美さんは軽くてふわふわで何も入ってなくて、そのくせ食べるとやけに舌に残る。甘いだけで美味しいかと言われると微妙なのにお祭りに行くとついつい買っちゃう綿あめがしっくりくるのだ。


「キララちゃんには私と違う世界が見えてるんだろうな」


 春子さんはそういって眩しそうにあたしを見つめる。その瞳がなんだか手に入らない遠いものを見るようであたしは胸がぎゅっとした。

 春子さんとあたしは今、向かい合って座ってる。手を伸ばせばすぐ届く。さっきまで手を握ってネイルをしていたぐらい仲良しなのに、なんだかとても遠いところにいるみたい。

 出会った頃より仲良くなれた。あたしはそう思っていたのに本当は全然ちがうんだ。そのことに気づいてあたしはなぜだか泣きたくなった。

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