2-6 羽根の対価
「だ、大丈夫?」
小口さんが固まる俺を見上げて慌てている。俺はそれに「うん」って魂が抜けたみたいな返事をして木の上から飛び降りた。
思ったよりも大きな音がして自分の行動に驚いた。四谷に見つからないよう音を立てないよう動いていたのに、これでは見つけてくださいと言っているようなものだ。小口さんが現れたことに俺は動揺しきっていた。
夜に小口さんに会ったことはない。夜に出歩いているという話も聞いたことがないし、真面目な性格からいって消灯時間になったらおとなしく部屋で寝ているタイプだ。そんな小口さんがなぜここにいるんだろう。
「……寝られなかった?」
納得行く答えとしてはそれだ。夜中に目が覚めて寝られなくなったから気分転換に来たとか。
しかし、小口さんは視線をさまよわせた。悪いことをしたと自覚している子供みたいな反応だ。
「えっと……その……うん……」
どっからどう見ても嘘。息を吸うように嘘をつく新田を見慣れてるから新鮮に感じるが、なんでという謎が浮かぶ。
じっと見つめていると自分でも下手くそすぎる嘘だと自覚があったのか、小さなうめき声を上げてから肩を落とした。
「新田くんから……大空くんは夜に部屋を抜け出して飛んでる時があるって聞いて……」
あの野郎。余計なことばっか言いやがってと、今頃熟睡しているだろう新田を呪う。夢見が悪くなるといい。
「ごめん……いきなり来て、迷惑だったよね」
「そんなことはない……けど……」
なんで来たのかは分からない。抜け出してることを聞いたとして、今日抜け出すとはわからないはずだ。偶然なのか? だしても、なんでわざわざ温室まで来たのだろう。
期待してしまう。もしかして俺に会いに来たんじゃないかって。勝手に熱くなる頬をなんとか落ち着かせようとする。自意識過剰。たまたま偶然。落ち着け、落ち着けと自分に念じている間に小口さんが小さな声を出した。
「私、大空くんが飛んでいるところを見るのが好きなの」
俺よりも背の高い小口さんは体を縮こまらせて、恥ずかしそうに呟いた。暗くて表情はよく分からない。それを言い訳にして俺はじっと小口さんを見つめた。
「私の羽根、小さくて、体だけ大きいから、大空くんみたいに空を飛ぶのは無理なの」
小口さんの羽根は本人がいっている通り小さい。小口さんの体ですっぽり隠れてしまうほどなので前から見ればクピド患者には見えない。その小さな羽根は優しくて、女の子らしい小口さんに似合っている可愛らしいものだと思うのだが本人はそうは思っていないようだ。
「大空くんが飛んでいるのを見てね、一度くらい飛んでみたいなと思ってこっそり練習したんだけど、数センチ浮く事も出来なくて。やっぱり私って大きすぎるんだね」
眉を下げて小口さんは笑う。何でもないことのように言っていたが傷ついていることが分かった。
「小口さんより大きい女だっているし、小口さんが大きすぎるわけじゃない」
自分が望んでいるものをいらないという姿に少しイラッとして、同じくらい理想の姿に憧れる気持ちが分かって、俺は感情が整理できずに苛立ったような声を出していた。慌てて小口さんの反応を見れば、小口さんは暗闇でもわかるほど目を丸くして、それから俺が好きなはにかむような笑顔を浮かべてくれる。
「そうだね。私よりも大きい人はたくさんいるよね」
小口さんがなんで笑ってくれたのか俺にはよく分からない。分からないけれど、小口さんが嬉しそうだと俺も嬉しくなる。背中の翅が震える。気を抜けば落ちそうなほど。お前は恋をしているのだと突きつけてくる。
でも、だからこそ、俺は翅を落とすわけにはいかない。
「俺が飛んでいるところを見に来たの?」
俺の問いに小口さんは視線を泳がせた。それから先ほどと同じく恥ずかしそうに体を小さくする。
「ストーカーみたいだなって自覚はあるんだけど……夜に飛んでるところは見たことがないから。どんな感じなのかなって……」
「このくらいでストーカーなんて大げさ。小口さんがストーカーなら新田は今頃刑務所行き」
俺の冗談に小口さんは目を瞬かせた。不思議そうな顔をする小口さんを見て慌てて俺は口を開く。
「新田の奴、俺が飛びすぎないようにいつも監視してんの。夜だって新田に黙ってこっそり来てるのに、なぜか気づいて四谷に報告するし……もしかして本当に俺、つけられてる?」
急に不安になって周囲を見渡す。俺と小口さん以外に人の気配はないけど、真っ暗だし木の陰に隠れていたら分からない。目をこらしているとクスクスという控えめな笑い声が聞こえた。
「新田くんと仲がいいんだね」
「ストーカーされてるって話しをしたんだけど」
「心配してくれてるんでしょ。新田くん、面倒見いいから」
新田が意外と評価が高くてイラッとする。面倒見が良いというよりもお節介なのだ。入院当初、警戒心が強すぎて周囲から浮いていた天野のことだってほっとけばよかったし、なじめない村瀬のことだって新田には関係ないのだから無視して良かった。
たとえ俺が忠告を無視して落ちたとしても新田にはなんの責任もない。それなのに律儀に新田は俺の監視を続けている。
「大空くんが飛ぶのを見るのが好きだけど、私も時々不安になるから。新田くんが大空くんのこと見ていてくれるなら安心だなって」
小口さんはにこにこ笑う。新田への信頼が見えて俺の心のなかにモヤモヤが溜まっていく。
小口さんは俺が飛ぶのが好きというがそれはサーカスの曲芸をみているような感覚で、恋愛感情ではないのだろう。俺のことよりも面倒見がよくて、いろんな奴と仲良くなれて、顔も悪くはない新田の方が好きなんじゃ。そんな思いが浮かんできて拳を握りしめる。
やっぱり自意識過剰だった。翅、を落とさなくて良かった。
「心配しなくても落ちたりしないって。俺、そんなにバカじゃないし」
これ以上、小口さんと話していたくなくて横を通り過ぎる。小口さんの戸惑った気配を感じたがこのまま話していたら何を口走るか分からない。
自分より小さい男なんて恋愛対象に入らないよな。なんて、八つ当たりの自虐を口にしそうになる。
「四谷に気づかれるとまずいし、俺は部屋に戻るよ。小口さんも早めに戻った方がいいよ」
「あの、大空くん!」
早口でそういって帰ろうと思ったのに、小口さんに呼び止められた。四谷に見つかったら不味いと分かっているのか、大きな声に俺の方が驚いてしまう。振り返れば小口さんはハッとした顔で口を両手で塞いでいた。自分が思うよりも大きな声が出たらしい。
「なに?」
冷たい口調になった自覚はあったがこれ以上一緒にいたくない。自分の嫌なところがどんどんあふれてきて、身長だけじゃなくて中身まで小さな男になってしまった気がする。
小口さんは俺と目を合わせず、口を覆っていた両手を胸の前で組むと小さな声で言った。
「また、見に来ていい?」
下げられていた視線が俺に向けられる。すがるような弱々しい表情に俺はまた期待しそうになる。小口さんは俺を曲芸師くらいにしか思っていないのに、俺だけが勝手に舞い上がってしまう。
「……いいけど、気まぐれでふらっと飛びに来てるだけだから、飛びたくなったら連絡するってことでいい?」
ポケットからスマートフォンを取り出した。今日はたまたま会えたが次も会えるとは思えない。自分を待っていたせいで四谷に見つかって小口さんが怒られる姿なんて見たくなかった。
別に好きな子の連絡先が欲しかったわけじゃない。連絡したい口実が欲しかったわけじゃない。小口さんが怒られたら可哀想だから。それだけだと何度も、何度も頭の中で言い訳を重ねたけれど、嬉しそうに表情を緩めた小口さんを見たら全てが吹っ飛んでしまった。
翅が震える。好きだって受け入れろよと俺をせかす。それでも俺はぐっと耐えた。
「じゃあ、おやすみ」
連絡先を手早く交換して、俺はすぐに小口さんに背を向けた。後ろから慌てた様子の「おやすみ」という言葉が聞こえる。それだけで嬉しくなってしまうバカな自分を振り払いたくて、早足で自室へ向かって歩く。
部屋についてスマートフォンを見れば、交換したばかりの小口さんの連絡先が入っていた。じっと見つめているとピコンという音と共に「連絡先ありがとう。また明日ね」というメッセージが届いた。
距離が縮まった気がするのに、嬉しいのに、どうしようもなく苦しい。俺は自室のドアに寄りかかってしゃがみこむ。
アプリを開いて、小口さんに返信をした方がいい。それは頭で分かっているのに手が動かない。スタンプ一つ押すだけなのにアプリを開くと目をそらしたかったメッセージまで嫌でも思い出してしまう。
夕方、母ちゃんから連絡が来た。ばあちゃんが入院したのだという。いつまでもつか分からない。お婆ちゃんも翔に会いたがっている。まだ病気は治らない? 恋は出来そうにないの?
そういった内容がピコン、ピコンと軽快な音を立てながら俺を追い詰めるように届いて、逃げ道を塞がれたような気持ちになった。
ばあちゃんには会いたい。田舎に住んでいるばあちゃんの家には長期休みのたびに遊びに行っていた。俺が入院してから会いにいけなくなり、ばあちゃんも年とか距離の問題で面会に来られなかった。退院したら会いに行こうと思っていた俺はばあちゃんが俺の退院よりも先にあの世にいってしまう可能性なんて少しも考えていなかった。
恋はできそうか?
してる。俺は今すぐにでも翅を落として退院することが出来る。
じゃあ、なんでしないのか?
退院したら新田にも天野にも小口さんにも会えない。空も飛べない。小口さんは飛べない俺なんかに興味がない。俺だけ翅を落とすなんてバカみたいだ。
なら、ばあちゃんには会えなくていいのか?
会いたいに決まってる。
ぐるぐると思考が回る。ばあちゃんに会いたい。でもまだここに居たい。空を飛びたい。小口さんと会いたい。小口さんが俺のことを好きじゃなくたって、俺は小口さんのことが好きなのだ。翅を落としてお別れしたくないくらいには。もっと空を飛ぶ姿を見て欲しいと願ってしまうほどには。
「どうすれば良いんだよ……」
漏れた声は俺が思う以上に弱々しくて泣きそうで、自分の声じゃないみたいだった。俺はそれに笑い出しそうになる。
こんなに頭の中がぐちゃぐちゃでどうしようもないのに、全てを振り切って空を飛びたいと思ってしまう。いっそ落ちてしまえば、悩むことも醜い感情を抱え続けることもなくなるのではないか。そんな投げやりな思考に乾いた笑みがもれた。
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