1-5 虫籠の探検
「探検にでもいくか」
天野君の声に続いて、パタンと雑誌を閉じる音がした。続いてソファから立ち上がる気配。天野君に顔をむければ、雑誌を元の場所へと戻しにいく後姿が見えた。
僕は突然の発言と行動についていけずに、天野君を凝視する。
「探検……?」
「お前、最初の案内以降、この中見て回ってねえだろ」
雑誌を片づけて近づいて来た天野君は自信満々に言い切った。全くその通りではあるが、迷いない態度を見てると何故分かったんだと問いかけたくなる。そして疑問もわいた。
「見て回るっていっても、案内されたところで全部じゃないの?」
「あんなもん、この施設のほんの一部だ。ここは病院も兼ねてるけど研究施設も兼ねてる。医者とかごく一部の人間しか出入りしない、裏ってのがあんだよ」
にぃっと天野君は口の端をあげて笑った。やんちゃな印象がある彼には、その表情がよく似合う。
「……それって入っていい所……?」
「ダメなとこに決まってんだろ」
天野君はそういうとニヤニヤしながら僕の腕を引く。力強さに抵抗する余裕もなく立たせられた僕は、天野君は何かスポーツでもやっていたのだろうかと考えた。
「それって問題なんじゃ……」
「バレなきゃ問題ねえよ。俺、何度か忍び込んでるし」
さらりとすごい事を口にして、天野君は歩き出す。がっしり掴まれた僕の手を放すつもりは全くないらしい。僕は僕で投げやりな気持ちになっていたので引かれるままについていく。
「何でそんなに忍び込んでるの?」
「暇つぶしもあるけどな、見たいもんがあんだよ」
「見たいもの?」
グイグイと僕を引っ張る天野君は楽しそうだ。ここは娯楽が少ない。スタッフの人はどうにか楽しませようと工夫してくれているが限界がある。天野君のような活発そうな子には物足りないだろう。
「落ちた翅がどうなるか知ってっか?」
「……知らない」
目の前でひらひらと揺れる天野君の翅を見る。ピンク色の可愛らしい、綺麗な翅だ。自分の翅も振り返って見る。薄紫の翅が天野君の翅と同じく、歩くたびにひらひらと揺れる。
僕にとっては邪魔な翅。すぐにでも落としたい。けれど、これが落ちたらどうなるのか。僕はそういったことを何も知らない。
「聞いた話によると痛みはないらしい。ついていたのが嘘みたいに、ストンと落ちるんだと。仕組みは未だによく分かってねえみたいだけど、落ちた翅ってのは触られても問題ないし、綺麗だから人気があるらしい」
ひらひらと揺れる天野君の翅は透き通って、精細そうで、美しい。たしかにこれは欲しがる人がいるだろう。僕の翅だって、もしかしたら欲しいという人がいるかもしれない。
「で、落ちた翅は本人が持って帰ってもいいんだと。いらない場合はここに置いてけば、勝手に保管してくれる。その保管庫が立ち入り禁止の場所のどっかにある。そういう話を先輩から聞いたんだよ」
「へぇ」
それは少し興味がある。今までの患者が残していった翅。形も色もそれぞれ違うと言われる翅をずらりと並べたら、それだけで美術館をつくることも出来そうだ。
僕が興味を持ったと察したらしく、天野君は振り返ってニヤリと笑った。先ほどに比べると悪役というよりは、いたずらっ子のような無邪気な笑顔。
「前いた先輩が一度だけ忍び込んだみたいだけど、すげぇ綺麗だったってさ。場所は自分で探せって教えてくれなかったんだけどな」
拗ねた様子で天野君が唇を尖らせる。天野君からすると不満のようだが、おそらく先輩は探す楽しみを残してくれたのだろう。そういったものがないと、ここは自由があっても退屈すぎる。
「今日こそ、見つけだそうぜ。二人だったら見つかるかもしれねえ」
「……その前に僕がスタッフさんに見つからなきゃいいけど」
どんくさい自覚はあるので、そこが心配だ。天野君は器用にこなしそうだけど、僕は運動神経もない。変なところで転んだりなんて事もよくある。
「そんときは、俺が無理矢理連れてきたっていうから心配すんな」
そういって天野君は僕の頭をポンポンとなでた。僕の方が年上だと思うんだけど、完全に子供扱いされている。悔しいって気持ちもあるけど、それ以上に色々と気を使われすぎている。
ここにいある間に、天野君には何かしらお礼が出来ればいいな。そんなことを考える。
「そういえばさ、噂と言ったらもう一つあんだよ」
天野君はふと思い出した。という様子で口を開いた。
「ここの施設には一部の人間しか知らない、美しい翅をもった患者がいて、あまりの美しさ故に監禁されてるっていう」
「えっ」
僕は初日にあった蝶乃宮さんの言葉を思い出す。
嘘だとはいっていたけど、何だかドキドキする話だ。それにこの話をしたときの蝶乃宮さんは、少し違和感があったように思う。根も葉もない噂に怒っているというよりは、呆れているような……。
「……それ、本当?」
「知らねえ。けど、噂になってるんだから何かしらはあるんじゃねえ。噂の元になるような何か」
天野君はそこで再び悪人みたいな顔で笑った。
「ついでだし、その噂の謎も探求しようぜ」
大胆不敵とはこういう子をいうのだろうか。楽しそうな天野君を見て僕はしみじみと思う。僕にも天野君が持つ度胸や自信が一つでもあったら、もっとここでの生活も楽しめたのかもしれない。羨ましいなと素直に思う。同時にとても眩しいとも。
僕は流されて生きてきたと思う。夢もなければ目標もない。周囲と社会に合わせて、何となくここまで来た。人と違う事をするのが怖くて、誰かと一緒だと安心した。けれどどこかで、自由に自分がやりたいことをする人間に憧れていた。怖いと口にしながら、目で追っていたのだ。
そう考えると、こうして天野君のような子に会えたことは、僕にとって大きな収穫だったのかもしれない。ここでなければ話すことも、こうして一緒に行動することもなかったのだから。
天野君に手をひかれて、ドンドン奥へと進む。次第に人影が少なくなり、いつも誰かしらの声が響いていた施設の中が静かになっていく。そうすると真っ白な壁や天井が、やけに素っ気なく思えてきて、僕はだんだんと緊張してきた。
やがてたどり着いたのは、廊下の突き当りにあるドア。「立ち入り禁止」と書かれたドアは、何だか僕らを拒絶しているようにも見える。
「ここ開けたら、立ち入り禁止区域だから慎重にな」
天野君はドアの前で、シィっと唇の前に人差し指を立てた。可愛らしい動作に緊張していた僕はつい笑いそうになる。大人っぽくて頼りになる天野君の年相応な姿を見たような気がした。
声を抑えながらクスクスと笑う僕を見て天野君は不思議そうな顔をした。その姿も普段より幼く見えて、一層僕は楽しくなってしまう。
「……あんまり笑うと置いてくぞ」
「ご、ごめん。なんかドキドキしすぎて、笑えて来ちゃって」
嘘ではない。ドキドキしているのも事実だ。ここに来る前の僕であったら、間違いなく近づかなかった場所。そういう場所に入りこもうとしているのだ。
表情を引き締めると天野君は小さく頷いた。行くぞと唇だけ動かして、ドアノブを回す。立ち入り禁止と書かれているのにも関わらず、あっさり開いたドアに僕は驚いた。
本当に入ってほしくないのであれば、鍵をかけているはずだ。テレビなんかでよく見る研究施設はカードキーや認証番号が必要だったりする。それに比べるとずいぶんお粗末な仕組みに、ここのスタッフはこんなにも間抜けだったのか? と僕は首を傾げた。
僕がそんなことを思っている間に天野君はドアの向こうを伺っている。
「……誰もいない。いくぞ」
人がいないか確認した天野君は小声でそういうと、少しだけあけたドアの隙間から滑り込む。僕も慌てて天野君の後に続き、音をたてないように注意しながらドアを閉めた。
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