第34話 聖者(こうき)と生者(ひめ)10

「わかってくれない……? それはこっちのセリフだ!」


 両の手を握られどうしようもできなくされ、ヒメは怒鳴られた。


「死ぬのがダメ! それはみんなが言うから。生きるのが素晴らしいから。倫理的にダメだから。だからなんだ! したいことをして何が悪い! 死に方で迷惑をかけるのは確かに悪い。だが死ぬって選択を否定される筋合いはない!」

「でも――」


 と否定しようとヒメがしたが、それに、と叫び遮られる。


「お前、聞いてればなんで死にたいとか、理由を人から聞いてないだろう!」

「聞かなくてもわかるよ。辛いとか生きることに疲れたとか。あとは生きる目標がないとか」

「それはお前の推測だろう! 話を聞け!」

「でも――」

「でもじゃない! 好きなら話を聞け! 真正面から否定しろ! 助けるなんて自己満足じゃなくするなら、俺にしたみたいに敵対して止めろ!」


 だから、と幸樹はこちらの拳を離しある一方を指さす。


「理由を聞け。もしお前が言った通りなら俺は何もせず、言った通り帰る」


 真剣な眼差し。言の葉も偽りがないとヒメは感じた。


 ……話か。


 母親がふさぎ込んだ時も。『死』んでしまった時も。ヒメは話を聞かなかった。

 話を聞かず、ただ母親がしたいことをさせ、そのサポートに全力を尽くした。その一部が現在いる建物だ。狙われないように華美や巨大にせず、だからと言って手抜きはしないものを作らせた。

 その後も他で母親を生き返らせる行動をとりつつも彼女の行為に口出しや、ましてや会話など一切しなかった。話しかけても返事がなかったのも理由として一部あるが、


「…………」


 ヒメは今まで握っていた短刀への力を抜く。

 すると幸樹からの圧迫も解かれ、自由に動けるようになった。

 そのまま幸樹に攻撃をすることも可能であったが、ヒメは母親の下へ向かう。

 ヒメと同じ銀髪。体は少し小柄で色白。きっとヒメが大人になったならばこうなると思える。

 母親は手を両ひざに置き頭を少し斜めに俯かせている。最下層にいた人と同じように、綺麗だった翡翠の瞳は濁り、ただそこに在るだけ。そんな相手に近づき、椅子に座す母親の正面。片膝をつき下から見上げる形で見据える。そのままヒメはゆっくりと口を開く。


「お母さん。起きて」


 語り、手で母親の体を揺らすが反応は一切ない。ただ、長い銀髪がゆらゆらと漂うだけ。

 しかしヒメは続ける。


「起きてお母さん。重要な話があるの」


 揺らす動きを少し大きくする。だが、ピクリとも反応がない。


「お母さんと話がしたいの」


 動く気配が一切ない。

 揺らす動きをヒメはやめる。その代わりに、母親の手をゆっくりと、両の手で握る。細くなった手。彼女が生きていた時、自分の頭を撫でてくれたその手と同じものとは思えない程、痩せ、骨と血管が浮き出てしまっている。

 その変わり様は今までも見てきた。しかし、実際に触れ、意識してハッキリと変わってしまったのだと、ヒメは認識した。

 変わり果てた手を、ヒメは骨が折れてしまうかもしれない程、強く握りながら、


「……お母さん、死なせてあげられるよ」

「………………本当! ヒメちゃん!」


 今まで反応がなかった母親が、死なせてあげる、と一言放っただけ。それなのに数瞬の間の後に起き上がり、こちらの肩をつかんできた。

 何十年以上もの間動かずにいたためか、起き上がる動作は不慣れそのもので。動きはカクカクと見るに堪えない。だというのにそれを気にすることなく必死にヒメにしがみつき、嬉しそうにしてくる母親に、ヒメは得も言われぬ悲しみを抱く。

 哀れさか。悔しさか。それとも惨めさか。

 あふれ出る感情に嘔吐しかける。それをグッとこらえ、


「本当だよ。お母さん」


 笑顔で伝える。

 やったと嬉しそうに喜ぶ母親。ヒメはそんな彼女に笑顔を向けながら話す。


「でもそれにはね。お母さんに質問を答えてもらわないといけないの。ちゃんと答えてね」

「? いいよ。答える」

「じゃあさ……お母さんはなんで、死にたいって思ったの?」


 直球の質問。濁すこともなく遠まわしな言い方もしない。

 ただ、なぜ、と聞く。

 それは母親にハッキリと答えてもらうため。またもう一つの理由がある。


 ……私が間違えないように。


 幸樹は言った。自分の考えはただの推測だと。母親が死にたい理由は逃げたいからではないのでは、と。

 ヒメ自身その考えは可能性としてあると考えている。しかし最下層に来る人間はほとんどが逃げだ。次の人生に期待などと言うのだから。

 ならば母親も他の最下層の人間と同様に逃げと考えるのが当たり前ではなかろうか。

 そうでなくとも、生きていることが素晴らしいと生きている方が良いのだと考えるヒメを納得させるような理由があるのか。それは甚だ疑問だ。

 ならば、と。ヒメは真正面から。最短の道でアタックする。

 そしてきた答えをして、生きることが良いのだと言い放つ。

 母親からの返答を受ける心構えを、ヒメは十分し終えあとは彼女の言葉を待つ。

 数瞬の間。考え込んでいる最中、そうだなぁ、と母親は悩む。

 あまり深い理由がないのだろうと、ヒメは高を括る。

 考え込んでいる時点で芯を持った理由はなく。悩む最中に出た言葉で言葉を選んでいる様子も限りなく薄くなったからだ。

 もう大丈夫。そう今までの生活に戻れる安堵をヒメはする。

 最下層はないが幸樹がいれば母親を生かす方法がきっと見つかる。そうでなくても、来訪者である幸樹と交換で外から何か生かせる方法を得られるかもしれない。

 母親からの返答を待たず、頭の中ではすでに今後どのように行動するかを思案していた。

 その中で母親からきた返答は、


「母様と一緒に暮らしたいの」


 言った母親は笑顔で続ける。


「一緒にごはん作って。一緒に食べて。たわいのない会話をしたり。あとは遊んだり。あ! それにそれに! まずは頭をなでてほしいかなぁって」


 嬉しそうに。そう語る母親。口にしながら、その想像を体で表現する。食べるときにはその動作を。遊ぶ時にはあやとりの動きを。そして、頭を撫でる時には、自分で撫でる。それらを、一つ一つ。嬉しそうに楽しそうに話していく。

聞くヒメは、あまりのことに固まってしまう。幼さが残る話し方は元からであるためそうではない。


 ……私と同じ。


 そう。ヒメが目指していたものと一緒なのだ。

 戦争が終わり、楽しく過ごせる日々。

 その中で母親と一緒に暮らしたいと。そうヒメは願い、母親を『死』から戻そうとしていた。

 『死』を選んでいるのは逃げであるからと。

 けれどもその実願っていることは一緒であった。が、明確に違うことが一つある。

 母親が存命かそうでないか。

 故に母親の言は現実逃避であるとヒメは思った。


「お母さん。もうおばあちゃんは、死んだんだよ?」

「うん。わかってる」


 彼女は一つ頷く。


「死んだって会えないかもなんだよ」

「うん……そうだね」


 また一つ、彼女は頷く。


「それにおばあちゃん、お母さんにあんな酷いこと……」


 戦争が生きがいになるような、スパルタという言葉を体現した教育。

 それらを受けるにはヒメの母親は優しすぎた。言葉の端々に出てくる幼稚さはそれがためだ。

 ヒメが物心ついて見てきたそれを、母親は十数年と続けられてきたのだ。

 そんな相手にまた会いたいと、母親は言う。


「会わなくていいでしょ!」

「…………ヒメちゃん」

「なんなら違う年上の人をおばあちゃんにしたって」

「ヒメちゃん!」


 叫ぶ母親。その声には怒りが混じっていて。再び掴まれた彼女の手からは、先ほどよりも強い力で握られてきた。そこに加えるように、


「そんなこと言っちゃダメ」


 母親はヒメを睨みつけながら、諭すように説く。

 でも、とヒメは言いかけるが喉元で止め、


「…………ごめんなさい」


 謝った。

 頭を下げ、謝罪をするヒメに、


「よくできました」


 褒めながらギュッと、その小さな胸にヒメを抱く母親。

 よしよしと頭を撫でられる行為をされるヒメは、泣いていた。

 なぜなら現状がヒメの望んでいた一つ。

 母親に甘えたい、だからだ。

 嬉しさに感情が先だって涙があふれた。自分が泣いているとヒメ自身も気づいてはいなかった。だが母親の服にしみる水滴で、涙を流していると理解した。

 グイッと母親の体を押して無理矢理引き離す。

 そこで抱いていた母親も気づき、


「ヒメちゃん、大丈夫? どこか痛いの?」


 頬に手を当てながら、心配の声をかける。

 答えとして、涙を拭きながらヒメは、


「……これからも……ずっと一緒にいて、欲しい……甘えさせて欲しいし、話もしたい。時には怒ってくれて、喧嘩して。それでも仲直りして一緒に過ごしたい。今まで一緒に居れなかった分。お母さんと過ごせなかった日々を過ごしたい」


 吐露されたそれは、ヒメの願望。叶えたいがためにこれまでの苦労をしてきた。

 だがもしもその願いを叶えようならば、母親の願いは叶うことはない。その逆も。

 母親も両方を叶えることは無理だと即座に理解したようで、


「……ごめんね」


 首をゆっくりと振り、一言謝る。


「身勝手な母親で、ごめんね」


 付け足して、謝る。

 自分も願いを叶えたいと、自分の意志を譲らぬことに謝る。


「なんで……!」


 祖母と会えるかどうかもわからないのになんで、と。自分の身勝手をするためにヒメはなぜと問う。

 だがそれは、ヒメ自身聞かなくてもわかっているのだ。なぜなら。


 ……私と同じことを願っているから。


 できなかったこと。したかったこと。やってみたいこと。他の子供たちが今は普通に甘受できることをヒメも母親もできず、そしてそれを望んでいる。


「私が母様と会えるとしたら死ぬしかないの。私の母様は、母様だけだから」


 ……それは、私だって同じ!


 心の声をそのまま口にしようとした。それよりも先に、母親が言を作る。


「でもね、会えなくても良いの」

「え?」

「私が死んで、生まれ変わって、誰かの子供になって。そうしてその時の母様といろいろしたい。今の人生でできなかったことを、いろいろ」


 だからね、と母親はつなげる。


「私を死なせて、ヒメちゃん」


 笑顔でお願いをしてくる母親に、卑怯だと、ヒメは思う。

 母親の辛く、自身のために人に要求することもなく。更には己を抑制し、ただただ祖母の理想と国のために生きてきた母親。そんな彼女が、ヒメが知る限り初めて強い望みを持った。叶えてあげたいと、娘としては思ってしまう。

 だがそうすればヒメ自身の願いはどうなる。母親と一緒にいたい。それを叶えることはできない。


「ヒメ」


 悩んでいるヒメの後ろから幸樹が呼びかけてきた。


「……何? まだ説得中だよ」

「それは分かってる。だから聞きたいんだ。ヒメの願いは何なんだ?」

 突然の質問。しかしそれにヒメは腹を立てた。


「聞いてなかったの? お母さんと一緒にいたい。そして戦争中できなかったことを一緒にしたいの」


 もう質問は終わり、と振り向いていた体を母親に向け直し行動で示した。


 ……何としてでもお母さんを説得しないと。


 頑張ろうと気合を入れたヒメに、


「ヒメ。それはもう叶ってたんじゃないのか?」


 幸樹がおかしなことを告げてきた。


「一緒に何かをするのは無理だったかもしれない。

 だが一緒にはいれた。それに母親の食事は? 髪や体の手入れは? 反応はないが話しかけたりしたんじゃないのか?」


 言われ、沸々と思い出される記憶。

 ご飯を食べなくても生きられるのに母親に食事を作り食べさせた。

 伸びていく髪をカットしたり櫛ですいてまとめたりした。

 アメに手伝ってもらいお風呂に一緒に入ったりした。

 会いに行くまでの間にあったこと。これからすること。一方的だがずっと話していた。

 変装して、時には毎日母親に会いに行った。

 何年も何十年も。母親が『死』んでから行ってきた。


「共同でできなかったかもしれない。反応がなかったかもしれない。それでもお前は、ずっとお母さんと居れたんだろ?」


 ……そうだ。その通りだ。


 そして、


「お前の母親はそれすらできなかった」


 天井を仰ぎ見ながら、ああ、とヒメは納得するしかなかった。


 ……そっか。私、お母さんといろいろしてたんだ。


 一緒に、と言うのはできていない。

 だが母親とヒメが望む、一緒にいる、を何十年もしてきた。


「……もう、いいだろ? 母親の夢、叶えてやれよ」

「………………うん」


 でも、


「最後だけ。ちょっとだけ。お話しても、いい?」


 おずおずと、窺うようにヒメは母親に聞く。


「もちろんいいよ」


 承諾され、ヒメは喜び抱き着く。

 何かを察したのか幸樹は静かに外に出て行ったのをヒメは見た。

 しかし、母親が優しく頭を撫でてきたことで、そんな些細なことはどうでもよくなった。

 母親にヒメは話したいことが多くあった。ムーマのこと。アメのこと。頑張ったこと。自分が最下層の人間にしてしまったこと。

 どれだけ話せるかわからない。褒められもするだろう。怒られもするだろう。

 だがそれでいい。

 最期の母親との会話を忘れないために。楽しむために。

 話せるだけ話そう。

 そう決めて、ヒメは話しだす。

 これまでのことを。覚えているだけ。思い出せるだけ。語れるだけ。

 朝になり、夜になり。ヒメと母親は三日三晩話し続けた。


 そして三日後の夜、母親は光になりゆっくりと空に昇った。

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