第33話 聖者(こうき)と生者(ひめ)9
ヒメの母は初めての最下層の住人だ。
いや。正確には母親がいたから最下層なる無意味なものを作られた。
現実から逃げ。周囲から逃げ。生から逃げ。
……自分からも、逃げた。
カースト国を担う三本の柱たる貴族。その内の二本は祖母が潰し。国王は遥か昔から傀儡であった。故にヒメやヒメの母の一柱が戦争も、そしてその後の政を執り行わなければならない。
だというのに母親はその役目から逃げた。
軽蔑はしなかった。祖母から受けた洗脳と言うにはあまりに非人道的な行為からくる盲信的な戦争への執念がなくなったのだ。致し方はないと思った。
だがヒメは当時で言えば子供。甘えたい年頃。それが周囲や環境で精神的成長を飛躍的にし、またムーマや優秀な配下のおかげで母親がいなくとも政に支障をきたすことはなかった。
……それでも。
思う気持ちはやはりあった。母親に甘えたい、と。
そうでなくとも国の中で幸せに過ごす家庭のような。そんな関係を作りたいと。
願って当然の年齢だった。
しかし目の前の人間。他の世界。ヒメでは想像や概念を図ることも叶わない力でやってきた存在は、彼女の願望を無に帰そうとしている。
だがそれはまだわからない。故にヒメは問うた。
「何の用か」
と。幸樹の返答は素早かった。
「死なせてやるために」
喉の奥まで言葉が急速に上がった。それを無理矢理飲み込む。
「どうしてここがわかったの?」
「ある奴が教えてくれてな」
……余計なことを。
思わずにはいられず、だからと言って顔に出すわけにはいかない。
「この人は大丈夫。だからもう帰ろう? 幸樹」
「嘘をつくな。そいつが。お前の母親がここ、最下層の初めての人間なんだろう? そしてお前が最下層の人間を元に戻すために躍起になっている理由でもある」
「勘違いしているみたい。お母さんは確かに初めての住人だけど、『死』のレベルは低いんだよ。他の人たちは重度だったけど、お母さんは違う。きっかけさえあればすぐに元気になる。だから、大丈夫なの」
「そうやって、自分に言い聞かせているのか?」
ヒメの笑顔が、ヒクリと一瞬乱れる。が、すぐに戻り笑顔のまま返答する。
「言い聞かせって、そんなわけないでしょ」
「ああ、そうだよな。お前はそこまで馬鹿じゃない。馬鹿じゃないからこそ、自分を騙せず、現状に苦しんでいる」
「幸樹、なんか変だよ? もしかして疲れてる? 何かあったなら話聞くから一度お城に帰ろう? ね?」
「ああ。お前の母親を死なせたらな」
変わらぬ意思の幸樹に、ヒメは笑顔をやめ無表情に問う。
「……ねぇ、幸樹。いつまでそんなことを言うの? 怒るよ」
「すべて終わったなら、怒られてやる。だからヒメ、お前の母親を『死』なせてくれ」
ヒメは深く嘆息する。
「どうしてそう皆簡単に死ぬだの死ねだの死なせてやるだの言うのかなぁ」
「簡単じゃないさ。死ねっていうやつは確かに簡単に言っている。が、自分が死にたいとそう考えた奴は考え抜いた結果だし、それを後押しする奴だって気軽に背中を押すわけじゃない」
「過程がどうあれ、死ぬなんていう結果になること自体が思考を放棄して簡単な方に流れてるだけじゃない」
人間は弱い。だからすぐに逃げる。それは悪いことではない。
けれども、死ぬ、という最高で最低な逃げだけはしてはいけない。
「だって死んだらそれで終わりでしょ? それはもう逃げなんかじゃない。放棄や諦めよ」
「それしか取れないことだってある」
ブチッと、ヒメの中で何かが切れた。
「そうやって! しかないとか。無理とか。後ろ向きになってるからでしょ! 自分のダメさを棚に投げて否定して! 最終的には死ぬ? 馬鹿じゃないの! 生きていることの素晴らしさも、死んで残された人の悲しみも考えず死んで。自己完結もほどほどにしろ!」
「ヒメ! そうじゃない!」
「うるさいうるさいうるさい! もういい! 何十年何百年かかってもいい! 一人でお母さんを元に戻す! 幸樹には殺させない! お母さんは、私が守る!」
叫ぶと同時、ヒメは前に倒れる様に走り出した。
消えたように走るムーマやアメには遠く及ばない。が、それでも幸樹が避けるには不可能な速さを出していた。
走りながら胸に忍ばせていたアメの短刀を取り出す。
狙うは胸。的が大きく、左右に逃げれば横に薙いで切る。後ろならばそのまま突進して突き刺す。致命傷狙いではない。傷をつけ、ひるんだ隙に喉や目を狙うのが目的だ。
そこまで大きくない部屋。短刀を取り出し、構えた段階で幸樹は目前であった。
躊躇なく、ヒメは短刀を突き出した。
胸めがけ狂いなくはなった。
グサリと、肉を突き抜ける感触をヒメは得る。
その感覚にヒメが初め感じたのは、おかしい、であった。
ヒメはどの方向にもすぐに対応できるよう短刀を縦にしてはなった。胸に刺す場合、あばらの関係上横にしなければそうやすやすと刺さることはない。
だが得た感覚では固いものにぶつかってはいない。
なぜ、と言う疑問は短刀の所在を確認したならばすぐに理解できた。
……逃げずに手で受け止めた⁉
そこまで驚くことではない。戦闘に慣れているものならば肉を切らせて骨を断つために行う。毒を考慮しなければ、だが。
しかし幸樹が戦闘慣れしているとは見受けられなかった。
だからこそ、刃物を見せられ向けられたならば避けると思った。そうでなければ立ち尽くしたままであると。
また驚いたのはそれだけではない。
「……幸樹。その手」
彼の手が、透けていた。刺した手からは血も出ず、痛がる素振りもないことから感覚すらないのだろうとヒメは推察する。
「ああ。これか? 最下層の人間を『死』なせてたらこうなった」
……こうなったって。
「なんでそんな他人事なの!」
自分が消えている。そんな異常事態をこともなげに言う幸樹に、ヒメは控えめに言って怯えた。
自身に関心がないわけではない。ただそれよりも他人のことに対して何をおいても行動しているような。自己犠牲を体現していると、そうヒメは感じる。
「……そう。詳細には分からないけど、それが幸樹の来訪者としてなくし、もしくは強まったものなんだね」
強まったのは他者の願いをかなえようとする心。
弱まったのは死ぬことや自身に起こる脅威への恐怖心。
そんなところだろうか。違ったとしても大きく外れてはいない。
だからこそヒメは、厄介だ、と感じた。そしてかわいそうである、とも。
……誰かは分からない。けれどそれの思惑通りに動かされてる。
本人にその自覚はあるのだろうか。
「ねぇ、幸樹。あなたが今していることは、本当にあなたが望むことなの?」
「……級友と同じような質問を……
あのなー。もし俺じゃない誰かが俺の思考を操ってたとしてもだ。それに気づかなければ自分の考えと幸せに思えるし。操られていてもそれ含みで俺は俺だ。そこに変わりはない」
もしも、と幸樹は続ける。
「操られているのが不満なら操っている奴をぶっ飛ばして自分の考えを持つだけだろ」
「……なんで……」
「ん?」
「……そんなハッキリした考えがあるのに、死なせるなんて行動をとれるの!」
「ヒメ……」
「だって死んだらもう終わりなんだよ。来世があったとしても、私たちに前世の記憶はある? それって結局同じ魂を持った別人と変わりないでしょ。今の私や幸樹はここにしかいない。他にも、これから先にも生まれない。なのに! どうして皆、死にたがるの?」
初めは母親に感じ。次に最下層の人間達に感じ。幸樹自身にも感じたこと。
辛いことはたくさんある。時に死んで感じたくないと考える場合もある。
けれども死はそれと同時に嬉しいこと楽しいこと。幸せなことすら感じられなくなる。
次はきっとなく。たった一度だけ与えられた生きるという奇跡。
ましてや永遠を生きられるありえないまでの奇跡を得てもいる。
だがなおも死にたいと、彼らは言う。そして行動する。
……どうして?
ヒメからすれば、疑問にしかならず理解できない問題。
そんなヒメだからこそ、死ぬな、と。生きて欲しいと願う。
どうして、なぜ、という質問は理解したいからではなく、どうしてわかってくれないの。なぜ理解してくれないのと言う、説得の延長上の代物だった。
「生きることは凄いことなんだよ! それなのに死ぬなんておかしいよ!」
死ぬなんて考えは異常であると、ヒメは断じる。
顔を真っ赤にして否定するヒメ。その頭に、幸樹は手を置いた。
「こっちの世界に考えがあるかわからないが、俺の世界には尊厳死って考えがあるんだ」
尊厳死。遥か古い考えであるがもちろんその考えはある。
人が人としての尊厳を保ったまま死ぬこと。または死なせること。
戦争が始まる前にはあった考えだ。それをヒメは文献で読み知っていた。
それが何、とヒメが思うのは当然であった。
ヒメの目で気づいたのか、悪かったという笑みを向け幸樹は語りを続ける。
「尊厳死は植物状態とかでただ生きているだけの存在の相手に考えることだが。一生治ることもないまま、惨めに生きさせることがお前の言ならば正しいのか?」
「それはまず周りが思うことで、本人には関係ないでしょ」
「なら誰かを助けるために自分が死ぬ。まー物語の主人公が世界を救うために命を捨てたりするのもおかしいのか?」
「正義感はいいけど、死を覚悟しないで生きて欲しい」
「それってさ、お前自身のエゴだよな?」
なら、と言いながら幸樹は刺された手で、こちらの短剣を握る手を強く握ってきた。
「なら俺らも、死ぬっていうエゴを持ってもいいだろう」
「なにそれ、開き直り? 死にたいなんて言う臆病者の」
「話を聞かない子供に言われなくない」
「子供はあんたでしょう! たった十数年しか生きてないくせに!」
言いながらヒメは握られていない手で拳を作り、幸樹に繰り出す。
足の蹴り上げ、腰の回転、上半身の駆動、引きと伸ばしの効果。力ではアメやムーマに及ばない突き。しかしそれを補うための技術をヒメは勉強した。守られるだけでなく、付いて行くために。そしてその威力は、幸樹のガードを越えて深く幸樹の腹部に突き刺さる。
悶える幸樹。しかし握られる手は緩まれることがない。
「生きろっていうのはエゴ? そんなの当然でしょ! 知っている人に。好きな人に死んでほしいなんて思わない。ましてや本当に死ぬ気なら止めるよ! 相手の意志なんか無視して!」
叫び、殴る。怒鳴りながら、殴る。
「だってそうでしょ! 死ぬことが正しいって誰も思わない! 次がある。次がなくても新しい何かがある。でも死んだらないでしょ!」
腕や肩、顔に腹とヒメは今までたまっていた思いをのせて、幸樹を殴る。
打つ拳は小さな体には耐えがたい威力で、打つごとに筋肉は切れ、骨は軋み時には折れた。だが不死たる体は打つことに支障をきたさぬ程度に回復をしていく。
「生きて一緒にいたい。生きて何かをしたい。生きてずっとともにあり続けたい!」
もう言葉に説得の色はなく。ただ願望の吐露となっていた。
「どーして! 何がだめなの! 死ぬことの何がいいの! せっかく生まれたのに、どうして死にたいの! 生きている、それだけで幸せなのに!」
なんでなんでと、子供のダダの様に。
してしてと、感情のみの要求をして。
「どうしてわかってくれないの!」
渾身の一撃を、一番の叫びと共に打ち付ける。
ぱあん、と乾いた音が響く。
今までの体のどこかを打った音ではない。感触でヒメは分かった。受け止められたと。
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