第31話 聖者(こうき)と生者(ひめ)7
「アメちゃん! 早く!」
ヒメは焦燥から八つ当たりのように叫ぶ。現在、ヒメはアメと共に最下層へ行く門にいた。
しかしここにきて問題が起きていた。いくらやっても門が開かないのだ。
……なんだっていうのよ!
早くしないと、という気持ちが悪くないアメに八つ当たりする結果となっている。
「……すみません。ヒメ様」
謝りながら、扉を開けるための車輪を回すアメ。彼女の全身の筋肉が隆起していることから、全力で当たり、それでも開かないことが伺える。もちろん、通常ならばヒメの非力な力でも開くよう作られている。それがアメの怪力ならば問題があるはずもない。それなのに開かない。
だからこそ、ヒメは焦る。光が昇るのが見えていたからではない。
……光が昇るのが、見えなくなった!
ぎりぎり見えていた光が昇る光景。それが一切見れなくなったのだ。
「それって……やっぱり……」
いや、とヒメは首を激しく横に振る。
考えていることは当たっているだろう。最下層の人間はほぼ全て死なされてしまった。否定したい。否定したいことだが、きっと外れてはない。
ならばきっと、幸樹は残りの人物にも死を言い渡すだろう。
首を振り否定したいのはそこだ。
まだきっと、幸樹はそこまではたどり着いていない。だから、
「ヒメちゃん……急いで」
手を合わせ、祈る。今の自分にはそれしかできない。
……いや、違う。
これまでだってそうだ。祈ることしかできなかった。してこなかった。
幸樹がどうにかしてくれると。
あれやこの手で最下層の人間が生きなおしてくれると。
あの人が、戻ってきてくれると。
その結果が、今だ。
なのにヒメは、祈ることしかしない。それだけが自分にできることだと思っているから。
「………………ヒメ様」
祈るヒメを見つめながら、アメがそうつぶやいた。そして、
「ヒメ様、失礼いたします!」
「え?」
ヒメの疑問と浮遊感は同時だった。
何のこととヒメが声を発している間に、アメはヒメの事を抱き、最下層側の窓から飛び降りた。状況を理解した時には自由落下に身を任せて、
「きゃぁああああああああああああああっ!」
絶叫を周囲にまき散らしていた。
死ぬことはないが高所から落下する恐怖は健在である。それが数十メートルと言うのだから悲鳴の純度は高いのは間違いない。
「ヒメ様! 落ち着いてください!」
抱かれているため、至近距離での説得をされる。だが、
「無理に決まってるじゃん!」
怖い物は怖い、と一蹴する。
しかも、数秒後には激しい痛みが確定しているのだ。その状態を作った相手に落ち着けと言われても落ち着けるはずがない。もちろん、彼女がした意味は分かる。門から入れないなら、窓から飛び降り無理に入るしかない。
分かってはいる。だが、それを行ったからと言って怪我をしては意味がない。回復して動ける頃になっては全てが終わってしまっている。
……なのにどうして!
疑問はヒメの中で積る。その解消はされないまま、しかし、
「ヒメ様! しっかり捕まっていて下さい!」
言われた瞬間、落下のスピードが一気に上がった。思わずヒメはアメの体にしがみつく。
状況は簡単だった。壁を、アメが走っているのだ。
自由落下でも恐怖を感じる速度だったが、そこに更なる速さが加わり、地面への衝突が何倍にも早くなった。そして、その衝突のダメージも。
終わった、とヒメは確信する。幸樹を追う事は出来ず、あの人を助ける事は出来なくなった。
……ごめんなさい。
心で謝るが、届くことはない。ましてやあの人からしたならば幸樹がやってくることが望みなのだ。それを今までヒメが止めていた。
……もう、無理なのかな。
あれやこれと手を打った。どれも効果がなかった。それでもヒメはあきらめなかった。
だがとうとう運にまで見放された。もう良いのだ。やった。やり切った。ただ、
「ただ……最後に会いたかったな……」
「ッ!」
ギュッと、アメが握るこちらの体を抱く力が強くなるのを感じた。
どうしたの。そう尋ねるためアメの顔を見るヒメ。仰ぎ見た彼女の表情は、
……笑って、る?
アメの表情を見る前と同様、どうしたのと聞こうとしたが、それよりも早く行動が起きた。彼女がこちらのことをお姫様抱っこしてきたのだ。
冗談かと、そうは思わなかった。なぜならアメがこちらを見て、
「大丈夫です」
そう一言、告げていたからだ。
結果、その通りになった。
アメは駆けて行った壁を衝突前に蹴った。縦への運動エネルギーが少しだけズレた。プラスして、更なる行動をアメは生じさせた。彼女はヒメを上に投げたのだ。
元々のヒメ自身の体重は軽くも、高所からの落下。それなりに体重は増加している。更に地面についた時の衝撃も合わせれば持ち上げる際の負荷は相当なもののはずだ。
それをアメは行い、成功させた。
ふわりと宙に舞ったヒメの体は猫のような華麗な着地、はせず砂ぼこりを多く回せて地面を転がるように落ちた。綺麗だった服は砂により茶色く汚れ、衣類で隠れていなかった腕や足、顔はいくつもの擦り傷を負っていた。
「大……丈夫です……か?」
アメの絶え絶えな声が聞こえ、そちらをヒメは向く。
そこには、貴女の方が、と思える姿のアメがあった。足は太ももまで圧縮され、骨が飛び出している。ヒメを持ち上げた腕はいたるところで筋肉が断裂しているのだろう。ほとんどの部分が赤紫や赤黒く染まっていた。
いたたまれない姿を見て、ヒメは自身の体の痛みを忘れてアメに近寄る。
「アメちゃん! アメちゃん!」
死にはしない。時間がたてば元通りになる。それでも、
「……痛いのは……変わりないのに……」
どうして、とヒメは泣く。
何もしてこなかった自分に。何もできなかった自分に。なぜ。どうしてここまでするのか。
「助け……たいんですよ……ね。あの方、を……」
「……」
「……それに……落ちてる時……言ったじゃ……ないですか……。会いた……いって……」
「言ったけど……それでも!」
「こんなことをするか……って? そりゃしますよ……。だって……」
……だって?
「ヒメ様が久しぶりに……自身の本音を語ってくれたん……ですよ? 叶えたいに……決まってるじゃ……ないですか」
「それだけ?」
「ええ……それだけです」
ふふふと、辛そうなのに嬉しそうに笑うアメ。それをヒメは理解できなかった。
「今から行っても間に合うかもわからないのに……。それに今まで何してもダメだったし。これはあの人が望んでたことだもん……。あと今あったらきっと幸樹をなんとしても止めちゃうかもしれないし! それにそれにっ!」
「ヒメ様」
弱り切った声。だというのにヒメには静寂の中、耳元で語りかけられたような。それほどまでに頭蓋の中で響き続ける呼びかけと感じられていた。
「ヒメ様。私の懐を……」
突然何を、ともヒメは思った。が、こちらを真剣に見つめるアメの表情から、ただコクリと頷くことだけしか選択をすることが出来なかった。
まさぐった懐にも血がにじんでおり、生暖かくぐっしょりとして触り心地は悪い。その中をまさぐっていると、
「これって……」
こつんと指にあたった固形物。それを取り出してみると、それは血にまみれた短刀。しかもただの短刀ではない。これは、
「それは、私が父親を刺して逃げた時のものです」
そう。忘れもしないアメとの出会い。その時に握られていた短刀だ。
逃げるために刺した。この世界ではそれでは逃げることに繋がらない。だが最下層の人間だ。自らを傷つけ逃げた人間を追うほど強さを持つ人間はいない。また子供ながらに縁を切る、という意味で刃物にて父親を切り刺したとのことだった。
アメにとっては良い思いを含まない短刀。それを持っていた。
「たまたま……じゃないですよ。ずっと……持ってました。本当は何度か捨て……ようとしました。実際に捨てました。でも……どうしても探して手元に……置いて置きたかったんです」
「それって……」
「父親が……恋しかったわけじゃありません。実際……さっきの光で父親が逝ったと……思ったとき、胸がすっとしました」
ですが、とアメは続ける。
「短刀まで……捨てたら、自分の存在が何なのか……失ってしまいそうで怖かったんです」
「ッ⁉」
告げられたアメの気持ちはこの世界での『死』。
今まで知ることはなかった。知らされなかった。
……知ろうとしなかった。
その考えを、恐怖を今、アメはヒメに伝えた。
「本当はずっと……言わないでおこうと……思っていました。それに私の存在する意義も……新しくできていましたし」
私だろう、と自惚れながらも当てをつける。
「……それをあのくそ虫が奪おうとするから……。と話が逸れました。つまり……です。その短刀は……ヒメ様にとってのあの人だと……私は思っています」
「…………そんなことは……」
「ない……かもしれません。ですがヒメ様は……あの人のために頑張ってきました。頑張って頑張って。けれどもそれが……ヒメ様ご自身のいないところで……終わったなら。
ヒメ様はその後、どうされるのですか?」
「私は……」
何もない。
国の発展、維持。今までと変わりない。『死』が先延ばしになっただけ。
他国との戦争。今更やりたがる人間など居らず、だからこそあの人は『死』んだ。
……他は……。
やはり何もない。
やれることはある。しかしやりたいことはない。ならば、いつかは『死』を迎える程度。
「だから……ヒメ様。あの人のところへ……行ってあげて下さい」
「……行ったところで……」
「意味は……あります。中途半端に終わるより……キチンと目の前で終わった方が……次に行けますよ。それはヒメ様だって……わかってることでしょう?」
「………………うん」
「だから行って……終わるなら終わらせて……きてください。もし嫌なら、その短刀であの糞虫をバラバラにしても……いいんですから。そうしたなら……出来た肉片でハンバーグ作りましょう」
「そんなの作らないよ!」
思いっきりツッコむヒメ。だがそのおかげか先ほどよりも気持ちが落ち着く。
……ツッコみいれて気が晴れるとか私も染まってるなぁ。
とりあえず、だ。
「アメちゃん、ありがとね」
「そ、それはあとでご褒美くれるってことですか! ○○○や○○○○○なんかも! あ、まさかの○○○○○○○○○○○○!」
「いい感じだったのに台無しだよ!」
アメのセリフが不自然な音でかき消されたが、きっとろくなことは言っていない。
……全くもう……。
「一緒に……お風呂くらいなら入ってあげるよ」
「ばはぁ!」
「アメちゃん⁉」
突然吐血するアメ。あまりのことに驚愕を隠せないヒメ。
「だ、大丈夫です。た、ただ、幸福すぎて元々傷ついていた胃腸に追加でダメージ入っただけなので。心配なさらないでください」
「……逆にアメちゃんらしくて安心したよ」
呆れるヒメだが、そのらしさにいつもを感じる。
そしてそのいつもはヒメの気持ちを落ち着かせた。
胸でギュッと短刀を抱きながらヒメは、
「ありがとね、アメちゃん」
「……。うん。ヒメお姉ちゃん」
……お姉ちゃん呼び、懐かしいなぁ。
アメと出会い、心を開いた初期。彼女はヒメのことを今とは違い親しくお姉ちゃんと呼んでいた。今ではそのようなこと一切なくなった。心の距離が出来たようで。
……寂しかったんだよね。
言ったアメはしまったという様に、口を押える。
全て終わったらまたお姉ちゃん呼びになるように頑張ろう。そう心に決め、
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
アメと話している間に回復した体で、ヒメは走り出した。
その背後で傷付いているアメに報いるために。
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