第28話 聖者(こうき)と生者(ひめ)4

 周囲に集まる多くの人間に、幸樹は圧倒されていた。


 ……こんなにもいたのか。


 甘く見ていた、と言うわけではない。かなりの人数がいることはヒメ達の言動から推測はしていた。

 けれども予想よりも遥かに多い。見た限りでは二百は超えているだろう。


「……やってやる」


 拳を握りしめ、幸樹は決意の言を小さく唱える。

 だがその前に、としなければいけないことを一つ忘れていたことを幸樹は思い出す。


「なぁ、誰か。誰でも良い」


 思い出したことを聞くために、幸樹は周囲に問う。


「どうして死のうなんて、思ったんだ?」


 ずっと疑問に思っていたこと。

 ヒメが説明していたことで確かに大まかの筋は通る。

 だが周囲が理解していることと、当人が考えていることには縮められることのできない穴があるのは確かだ。

 故に、なぜ、が生まれる。そして疑問の大きさは当人と周囲の考えと理解の齟齬で決まる。

 死にたい、と言うことは生きているまたは生きたい人間にとってはとうてい理解出来る物ではない。


 ……だからこそ、聞いてみたい。


 そう思うのは、自分が一度死のうとしたからだろうか。

 他の人間はどう思って死のうとするのか。そのことをただ知りたいがために聞くのかもしれない。

 けどそれくらいは許してくれるだろう。念願を叶えるかもしれない人物の質問なのだ。

 だから、


「なぁ、どうしてだ?」


 念押しで再び問う。

 すると隣通しで探り合うざわめきが起こる。

 誰かが言うかもしれない。お前がやれよ。俺は言わない。

 消極的な考えが広がり続ける中、


「どいてくれ」


 人海を、声をかけながら割り進んでいく人物がいた。

 こちらに近づいてくる時には分からなかったが、目の前まで現れた時に視認したその人物は、自分と同じ年齢の青年だった。

 だがこの世界で見た目など関係はない。ヒメの様にロリなのに数百年も生きている者もいる。それに、自分とは違う世界の住人だ。同年だとしても基準も違えば考える範囲も違う。


 ……なんて答えるのか。


 満を持して、と言うわけではないだろう。周囲の人間が押し付け合い、見てられなくなったと言うだけかもしれない。

 しかし、出て来たからには何か答えがあるのだろう。

 そのために幸樹は、背筋を伸ばし、拳を握りながら腕は横に置く。仁王立ちに思える形で、青年の答えを受けることにした。


「お前が、答えてくれるのか?」

「答え、ってわけじゃないけどよ」


 彼はボリボリと頭をかき、言葉を濁す。


「とりあえず、感謝を伝えたい。ありがとう。

 お前が殺してくれる、そう言ってくれたから俺らは今、上の層にいた時のようにいられる。本当にありがとう」


 感謝を述べられ、幸樹は何も感じなかった。

 実際には感じたかもしれない。けれどもその感情は受け入れていいのかと思うのだ。


 ……喜んで、良いのだろうか。


 相手の願いをかなえるのは良いだろう。けれどもそれは人を殺す、と言うことなのだ。

 人を殺して喜ぶ。それは人の為を思ったとしてもしていいのか。故に幸樹は、


「……そうか」


 悪気を持ちつつ素っ気ない受けをした。

 青年は幸樹の冷たい対応に、フッと笑うだけだった。

 そして彼は笑いながら、


「何で死のうとした、か……」


 自分が知りたいことの本題に触れた。


「そうだなぁ。俺の意見かも知れないが――」


 死のうとした理由。それは、


「運が無かったから、だな」

「え?」


 ……それって……。


 聞いたことのある言葉に幸樹は驚き、疑問を声にして出す。

 それを青年は、意味が分からない、と取ったのだろう。詳しく言うとだ、と説明の付け足しを彼は取りかかる。


「才能ってのはあれは運だろう? 初めから持つのもそうだし、後から手に入れるのも状態や状況、周囲の関係なんかも含めて在ったから出来たんだ。無いやつはどんなに努力をしようとも恵まれることは無い。もちろん、努力だって才能だ。だから才能の運がない奴は恵まれず、逆に運がいい奴はいくつもの才能を持つことだってできる」


 また、と青年は言う。


「状態や状況、周囲の関係と言ったが分かりやすく言えば生まれた時の事かな。身体なら五体満足だったりそうでなかったり。生まれた家庭が貧乏か裕福かもそうだ。親が自分を望んで生んだのか、それだって良い方向か悪い方向かは決められるわけじゃない。

 五体不満足で運動に制限があるのは運が悪かった。貧乏で質素な暮らししか出来ないのは運が悪かったから。親が自分を憎むのは運が悪かったから」


 青年は、でだ、と一拍を作って話を繋げる。


「自体がどうなるのか分からない。ただ言えるのは自体が好転しなければ運が無かった。他の奴は在るのに自分がないのは運が無いから。そう考えるのは至極当然だろう? もちろん、そうじゃない場合だってあるかもしれない。けれどな――」


 言葉の間を、幸樹は黙って見つめた。

 なぜなら、その先の言葉を幸樹は理解出来たからだ。


 ……それは……。


「けれどな。それは運があるやつだから言えることだろう?」


 そうだな、と幸樹は心で頷く。

 同じ土俵と言ったらいいのだろうか。もしも勉強が出来る奴と出来ない奴がいた時、出来る奴がそうでない奴に悪意なく、次頑張ればもっと点数はアップする、と言われても、お前は出来るから言えるんだ、と思うだけだろう。

 妬みではない。嫉妬でもない。ただ理解が出来ないのだ。

 出来る奴は才能があるために出来ないことが。出来ない奴は才能がないため出来ることが。どちらも理解しえない。


 ……あの時もそうだった。


 幸樹が飛行機事故から生還した後のことだ。

 記者は自分に質問をした。遺族の人間は自分を恨んだ。医者や看護師たちは自分を励ました。

 けれどもそれが幸樹の心に響かなかったのは同じではなかったからだ。

 遺族の人間は幸樹と同じく最愛の人間をなくした。だが事故には遭っていない。あの地獄を体験はしていない。ただ安全な場所にいた人間が傷付いた。それだけなのだ。

医者や看護師、記者らは最愛の人間を亡くすことも事故に遭うことすらしていない。ただ可哀想だからと、ただ真実を知りたいからと幸樹に言葉を送っただけ。


……だからか。


 だから彼らの言葉は何も思えなかった。彼らの方が運が良かったから、その彼らの言葉を自分は理解出来なかった。

分かればなんてことはない。それは汐音の父親、圭一の言葉に激しく胸を抉られた事も同じ。

 圭一も愛娘を亡くしたが事故には遭っていない。だから恨むの言葉では他の人々と同じ反応だっただろう。

 だが彼が言った言葉は、娘との同位化だ。

『どうして娘と一緒に死んであげなかったのかね』

 それは暗に、死ね、と言っている。

 それはなぜ幸樹だけが運が良かったのだと疑問している。

 それはただ最愛の人を失ったことだけを言っている。

 だから幸樹は強く心を穿たれた。

 幸樹と同じく運が良ければ助かった。そうでなければ一緒に死んでくれたなら憎しみを積もらせることは無かった。

 圭一がそこまで考えていたかは分からない。だがそれでも幸樹は思う。そうだな、と。

 別に彼の気持ちになったわけでない。ただ汐音と比べたならば生き残った自分は運がいい。

そして同時に、運が悪かった。

これから生きていく中で、汐音の事を永遠に背負って行かなければならない。もしかしたならば他の事故死した人間全員だ。

それほど強くはないと自己評価は出来ている。


……だから、だ。


幸樹は自殺した。

生きていく気持ちを持てなかったから。

気持ちを維持できる才能がなかったから。

運が無かったから。


「そうだな……」


 幸樹は心で思った言葉を今度は口に出した。


「ああ。そうだ。だからこそお前らは死にたいんだな」


 なぜなら、


「永遠に生きる世界に生まれ、だがそれに耐えられる才能は無かった」

「ああ。生まれる世界、もしくはその世界で持っていなければいけないモノを持てなかった。生まれる世界を間違えた、持つことが出来なかった不運」


 だからこそ彼らは、


「だからこそ俺らは、死にたいんだ」


 今まで真剣な表情だった青年は、最後だけは微笑みで答えた。

 その笑いに何が含まれていたのか、幸樹にはわからない。

 しかし一つだけ確かなことはある。それは、


「お前らの気持ちは分かった。だから約束通り、殺してやるよ」

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