第24話 偽善の喪失者6
「……はぁ……」
今度は実際にため息をつく。
自分に落胆したからではない。無駄な考えをしている自らに呆れたのだ。
ヒメの思惑を考えるよりも。自分の愚かさを罵るよりも。
「ヨスナを助けるのが先だろうが!」
いくら不死であろうが、傷を負えば痛い。ましてや腕と足を切られているのだ。その激痛は本来ならショック死を起こすものかもしれない。
だが死ぬことは出来ない。どれだけ脳が生を諦めるような痛みでも死ねない。
その状況を変えようと飛び出したのに、なぜ自分は無駄なことに思考を働かせいるのか。
バカだ、と幸樹は自らを罵倒する。
無駄な思考もそうだが、それは死ぬ恐怖から来ていると理解したからだ。
不死の世界で死を思うとは馬鹿らしい。
……もし、そうじゃなくても……!
関係ない、と幸樹は定め、
……行け!
幸樹は未だにふらつく足に力を籠める。殴られた痛みはまだある。意識も気を抜けば乱れてしまうだろう。ゆえに幸樹はこの一撃に全てをつぎ込む、と決めていた。
どれだけの威力が出せるか分からない。だが当てることが出来たなら、意識を自分に向けることが出来るだろう。そうなれば時間を稼ぐことが出来る。
希望的だ、と幸樹は殴り掛かる最中に思う。
どれだけの時間を稼げるのか、ましてや時間を稼いだところで助けが来るとは思えない。
しかも当てることが出来ることが前提なのだ。たった一撃だが大きなダメージを負った身体で打ち込めるだろうか。
そうじゃない、と幸樹は胸の内で叫ぶ。だろうか、ではない。
……打ち込むんだ!
「――――――ッ!」
歯をかみしめ、地面を蹴り上げる。ただ殴ることを。ただ拳を出す事だけに意識を集中する。
拳の行く先は見ない。それは不安を得ないために。
ヨスナの無残な姿から目を背けない。それは決意を揺らがせないために。
幸樹はただ、拳を打ち上げた。ゴッ、と鈍い音が幸樹の耳に届く。
拳からも、何かに触れた感触が伝わる。質感から推測できるのは皮膚だ。
……当たった、のか?
幸樹は向けていなかった拳の先を見る。
だが、当たっているなら倒せているか、と淡い期待など幸樹はしていなかった。なぜなら、
「何すんだ。えぇ?」
振れている拳からはいつまでも相手が倒れる予感を感じさせなかったからだ。
髭男は表情を歪ませ、
「いてぇじゃねーか! あぁ!」
叫ぶのと幸樹の視界右半分が黒く染まったのは同時だった。
「え?」
疑問の声を幸樹はあげる。当然だ。いきなり視界、しかも半分が黒く染まり見えなくなったのだから。ふと、髭男が腕後ろにあげていることに幸樹は気付いた。
見れば手には握られていた鉈が高くあげられている。
なんで、と思った瞬間に幸樹の右目から激痛が生まれる。
「……っ」
とっさに手で右目を幸樹は抑える。すると手を生暖かい液体が濡らしてくる。
なんだ、と感じ、痛みに歯を食いしばりながら手を放す。
遠ざけた手には、液体が肌を赤に染め上げていた。
見て数瞬、これはなんだ、と幸樹は固まる。
しかしすでに答えは幸樹の頭は理解していたのだ。固まったのは理解したくないと心が拒否をしていたからだ。その拒否も薄まり幸樹は、
「………………血……」
答えを口にした。
「うぁああああああああああ!」
頭と心の理解が一致した瞬間、激痛が幸樹を襲った。
痛みを押さえようと幸樹は右目を押さえる。
だが切られた個所が悲鳴を叫ぶことを止めることは無い。そして、出血も。
溢れて来る血が腕を伝う。肘で溜まると、下に滴り地面を濡らす。自らの血が地にしみるのを、幸樹は心で疑問しながら見ていた。
……なんでだ。なんでなんだよ……。
なぜこんなことが出来るのか。髭男のことを考えての思考だった。
……いや。それだってどうでもいいのか……。
なぜなら、
「ちっ……。せっかく盛り上がってたのによぉ。シラケることしてくれるなよ」
などと自分勝手なことを言っているからだ。
何が目的とか、何が原因など関係ない。
ただ単純に、自らの理を求め、邪魔な障害を排除しようとしているだけなのだ。
その言葉に。その対応に。幸樹は見覚えがあった。けれど、それが何なのか全くわからない。
だが、その自分勝手な、独善的な考え。行い。
それは誰しもが同じで。誰しもが、行っている。
ヒメは幸樹を利用し最下層の人間を救おうとした。
ムーマは己の快楽のために他者に暴力を望んだ。
アメは自らの愛をヒメに押し付けていた。
クラスメイトの彼だって己の信念を広めるために幸樹に念をしみこませていた。
誰も彼もが自分の為に行動をしている。相手のことを考慮せず。ただ己が利益のために。
……だったら、俺だって……!
覚悟をし、幸樹は怒気を含んだ睨みを髭男に向ける。
視線に気づいた髭男は、
「なんだ、その目は」
真剣みのない表情から親の仇を見るような顔に変わる。
その目に、先ほど感じた見覚えを再び得る。けれど今度のそれは強い感覚。思い違いなどとは到底言えない程の、デジャブにも似た既視感は髭男の顔を、目を見続ける程に高まっていく。
それと同時に、切られた目の痛みだけではない痛みが走る。最下層で遊んでいた時に感じた、あの頭痛。それが再び起こる。二つの痛みに、意識を保っているのもやっとの状況。髭男が何かを言っているのだが、それすら幸樹の耳には半分すら届いていなかった。
反応が悪い幸樹に苛立ちを覚えたのか、髭男の表情は更に険しくなる。
まくしたてる様に口を動かす髭男。だがやはり、その言葉はほとんどが幸樹には把握できなかった。
だが、次の光景とセリフだけは、幸樹の頭にもクリアに拾うことが出来た。
「お前も、こいつみたいにしてやろうかぁ! ああ!」
そう言いながら、髭男はヨスナの髪を掴み、持ち上げる。浮き上がった彼女の姿は、
「なっ……」
幸樹を絶句させるに足りた。
その理由はヨスナの体にあった。あるべき場所に、在るべきものが無かったのだ。
端的に言えば、ヨスナの四肢が、持ち上げられた彼女の体には付いていなかった。
今までヨスナが倒れていた場所には、ヨスナの手足が倒れていた状態で落ちていた。それは地面に広がる血だまりはヨスナのもの。また瀕死であったのは手足を切られたことを指していた。そしてあの悲鳴は四肢を切られる痛みと恐怖からであったのだと。
「こいつはいい声で鳴いてくれたぞ」
言い、虫の息の彼女を、髭男は幸樹の方に抛る。
どさりと幸樹の前に落ちるヨスナ。その姿は白く、生気が全く感じられない。弱々しく行われる呼吸。幸樹はそれを上から呆然と眺める。眼前の光景に幸樹は、
「――――――」
涙していた。
「……なんで俺は生きているんだ。俺は、アイツと一緒に……」
口にして、更に涙を流す。ポタポタとヨスナの顔に垂れる水滴は、顔についた血を少しずつ洗っていく。少し綺麗になったヨスナの顔は、しかし幸樹にとっては更なる涙を流す理由になってしまった。
……どうして……どうしてまた!
胸に去来している感情は、現状だけのものではない。むしろ、過去でのモノが大きかった。
それは、幸樹が忘れていた。忘れさせた記憶。
けれど、捨てた記憶は回帰し、自分の中で巨大な後悔と悲しみを生んでいく。原因となったヨスナに起こったことも踏まえて、自分の無力さと愚かさを呪うばかり。
何も変わらない。ただ繰り返しているだけ。
異なっている事と言えば、
「あひゃひゃひゃっひゃひゃ!」
嬉々として笑う、髭の男。自分の快楽や都合のために、人に危害を加えている人間。それがいる。そこだけだ。
……ああ。あの人達もこんな気持ちだったのか。
忘れもしない。いや、思い出された記憶にいる、罵声や怒声を放つ人々。それらの感情を、幸樹は理解できなかった。ましてやその様な状態ではなかった。今でも彼らの行動は理解できるものではない。けれど、大切な人を無慈悲に突然傷つけられたり、いなくなった感情は、今の幸樹には、実感することが出来た。。
感情をそのまま乗せた目で、幸樹は髭男を見る。
「なんだ、その反抗的な目は! その目を止めろ! そしてさっきまでと同じように無様な表情で、無様に転がっていろよ!」
出来ないんだったら、と男は続け、
「死ねよぉ!」
叫びながら鉈を振り上げる。
……ふざけるな。
幸樹は否定する。失ったのは自分なのだ。奪われたのはこちらなのだ。なのに髭男はこちらに、死ね、と言う。不死の世界に似つかわしくない、その言葉を。
……こっちのセリフだ。
言ったとして、それはただの言葉。何の意味もない。けれど、今まで幸樹はそれを口にはしなかった。どれだけ言われても。どんな状況になっても。
ただ、今は違う。
目の前の自分勝手な男の様に。
感情的で、自分達だけが被害者だとしていた彼らの様に。
幸樹は右目から流れる血をそのままに。左目からあふれる涙を振りまいて。痛みと疲労で諤々と震える体を両手で地面から上げ、髭男を見上げる。今にも振り下ろされそうな髭男が持つ鉈。それを一切気にすることなく、
「お前が。お前の方が――」
ただ感情的に。自分勝手に。彼らや髭男と同じように。
「死んじまえ!」
吠え、放った。
「はぁ? 死んでやるわけねーだろ」
言い、鉈を振り上げる髭男。
切られる。そう思いながらも、幸樹は髭男を見続けた。
その視界の中、黒く光るものが落ちていくのを幸樹は目にする。振り降ろされる髭男の腕。けれども鉈が幸樹を切り裂くことはなかった。
髭男の腕から鉈が消えていたから。更に消えていたのは鉈だけではない。
「うわぁああああああああああああああ!」
髭男の手もなくなっていたのだ。
視界に写り込んむ髭男は跪き、苦悶と畏怖を合わせた表情をする。
彼の手が、光の粒子となり空へと舞いあがっていた。
幸樹が目にした時には手首までだったが、今は肘にまで光になり、消えていく。
「俺の手―! 手。手。手ぇええ!」
叫び、手を振り、腕を抱く。だが無情にも光になることは止まらない。
それどころか、
「うぁああ! 足がぁああ! はらがぁああああ!」
全身の各所から腕と同じように光となっていく。
異様な光景を幸樹だけでなく、髭男の仲間もヒメも。無気力であった最下層の住人でさえ呆気にとられ注視していた。
悶える髭男の体は半分以上が光となって消えていた。
足は消え、立つことは出来ず仰向けに倒れている。
「助けて……助けて……」
体を揺らしながら弱々しく救いを求める髭男。
答えるように幸樹は立ち上がり、彼の傍に立つ。
「嫌だ……死にたくない……誰か……」
現状が死ぬことにつながるのか分からない。
しかし長年味わうことのなかった生命を脅かされる恐怖に『死』を感じたのだろう。
……自業自得だ。
なぜこんなことになったのか分からない。
だが、無様に地に転がり消えていくのは、髭男がこれまでして来たであろう行いからするならば当然。むしろぬるいくらいであろう。
ゆえに幸樹は、
「無理だ。助けられない。そのまま死ね」
淡々と、現実を告げた。
「あ……」
幸樹の言葉で気持ちが折れたのかは分からない。
しかし幸樹の発言の後、絶望の表情と一瞬の息漏れを髭男はした。するとまだ多く残っていた身体が全て光となった。
周囲にいた人間が空に昇る光を視認できなくなるまで見続ける。
かなり遅れていた光の一粒も見えなくなり、周囲に静けさだけが残った。
けれどもそれは長くは続かず、
「か……頭が……」
髭男の部下が震える声を出したのだ。
「頭が殺されたぁあああああああああ!」
絶叫し、幸樹に背を向け一心不乱に部下の一人は駆けていった。
サンタナの他のメンバーも、
『………………』
逃げた一人と他の人間を交互に見る。そして、
『うぁあああああああああああ!』
恐怖にかられたのだろう。サンタナの残りのメンバーも我先にと逃げて行った。
悲鳴だけを残して去って行くサンタナ達。
幸樹はそれを、切られた右目を押さえながらただ見ていた。
……これで終わったのか。
その感想が出たのは、遠くに去って行くサンタナ達の悲鳴が薄くなってきた頃だった。
明日からまたこれまでの生活になる。そう幸樹は安堵した。
そこに後ろからいくつもの近づく足音がした。
幸樹は後ろを確かめるため振り向く。しかし向き切る前に強く両肩を握られた。
あまりの強さに幸樹は苦悶の表情を浮かべる。
また、何事か、と幸樹は驚いた。そして痛さで下に向けた顔を上げる。
顔が最下層の彼らに向くと、
「お前……」
幸樹の肩を握っていた男が、形相を険しくして喋り出した。
……やはり怒鳴られるのか。
それでもいいか、と諦めをした幸樹だった。
「俺を……俺達を……」
最後の人を一言前。男は幸樹の肩を更に強く握り、
「俺達を、殺してくれ!」
叫ばれた言葉に、幸樹は何も答えることもできず。
幸樹は、集団に飲み込まれた。
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