第23話 偽善の喪失者5

 重厚な物が閉じる音を幸樹は背後に感じた。

 門が閉まったのだと、直感で幸樹は判断する。


 ……ヒメは大丈夫だろうか。


 頭を過った不安に、心配するだけ無駄か、と幸樹は振り返ろうとしていた行為を中断する。

 あそこにはムーマやアメがいたのだ。心配の必要はない。ましてや相手はヒメを大切に思う人間なのだ。間違いは起こることは無いだろう。ならば、


「俺は守ることに集中……!」


 決め、神経を研ぎ澄まそうとした瞬間だ。


「いやぁああああああああああああ!」


 右斜め前方から聞きなれた声の悲鳴が聞こえた。

 甲高く叫ばれた声の主を、幸樹は瞬時に判別できた。


「ヨスナ!」


 叫び、幸樹は限界であった速度を無理矢理に上げる。

 向かう先は悲鳴のあった方角。そこは幸樹がヨスナ達とかくれんぼなどの遊びを行った広場と同じだった。

 未だに聞こえる嘆きと呻きに幸樹は奥歯を噛みつつも、ようやくたどり着いた広場に続く曲がり角を減速しつつも、スピードは速いままにカーブした。

 曲がる間にも先の状況を確認する。

 一部の家屋が燃える中、予想の通り広場には鉈や斧などの刃物をこれ見よがしに持つ見知らぬ男性が五人いた。その周囲には話したことが無い者が多いがここの住人が何人も集められていた。彼らは恐怖を感じつつも現状から逃れようとはせず、受け入れている風であった。


 ……ヨスナ達は……!


 探し、見つけた。が、


「――――――」


 血だまりが出来た地面の上で血塗れになり、息も絶え絶えにヨスナが倒れていた。


「くそがぁあああああああ!」


 慟哭にしてはあまりにも怒りが強い声を幸樹はあげる。また、減速をしてしまったのを取り戻すがごとく、地面を蹴る。スピードは一気にトップに近づく。

 叫び、凄まじい勢いで駆ける幸樹を見知らぬ五人が気付くのは当然のことだった。

 だが幸樹は気にすることなく、一直線にヨスナの近くに居た髭を生やした小太りの男の元に走る。そして、殴り掛かった。


「あ? なんだ、こいつ」


 空中に迫る幸樹を見つめ、髭男は小虫を払うかのように幸樹の左頬にカウンターを決めた。

 幸樹の拳は髭男まで届かず、彼の拳によって顔がゆがむ。

 一瞬、幸樹の視界が光で満たされたかと思えば、次の瞬間には地面へと叩きつけられ、土の苦みを味あっていた、


「……かっ!」


 激痛に息が漏れる。意識がクリアになって行くと共に、痛覚は鋭敏になり殴られた個所からの痛みが強まる。

 高まる痛さを堪えながら、幸樹は上を向く。

 そこには自分を殴り、ヨスナを傷付けたであろう髭男が悠然と、そして不思議そうに立っている。髭男か首を傾げ、


「お前みたいな元気な奴、なんでここにいるんだ?」


 答えを気にしての問いではない。自問自答の類なのだろう。

 だが幸樹は痛みに打ちひしがれながらも、怒りを糧に答える。


「ヨスナを助けるためだ……!」

「ヨスナぁ?」


 誰だそいつ、と言いたげに名前を復唱する髭男。しかしすぐに足元に横たわるヨスナを見て嬉しそうにニヤリ顔をする。


「あぁ、このガキのことか」


 下卑た笑みを顔に張り続ける髭男。

 また神経を逆なでする表情を見せるだけでなく、髭男はしゃがみ込みヨスナに顔を近づける。それだけにとどまらず、立ち上がると同時にヨスナの顔を踏みつける。


「てめぇ……!」


 地面から勢いよく飛び出すも、周囲にいた髭男の仲間に足を刈られ、幸樹は転ぶ。

 ゲラゲラと笑う彼ら。それらの光景を見ても、最下層の人間達は眉一つ、視線一つ動かすことなく、下を向いて座り込んでいた。


 ……なんで助けないんだ!


 周りで呆然と座っている最下層の住民を見て幸樹は怒りを覚えた。

 相手は武器を持っている。だが人数は圧倒的に勝っているのだ。助け出すには十分の人数だ。

 しかし助けようとはしない。

 現に助けに入った自分に便乗するでもなく、倒れ伏すこちらを見ても応援するでもなく。

 ただそこに居るだけで、まるで置物の様に動かず、感情を表すこともない。


「なんで……なんでだよ……」


 なぜこの状況でそんな対応をしていられるのか、と言う最下層の住人に向けての問いだった。

 だがそれを答えたのは髭男だった。


「はぁ? なんでかって?」


 どうして非道な事をするのか、ととったのだろう。髭男はこちらに下卑た笑みを近づけて答える。


「そりゃあオメェ、頼まれたからだよ。え? それは誰にかって?」


 聞いていない質問を続ける髭男。彼は顔を更に幸樹へと近づけ、幸樹の耳元まで来ると、


「ヒメって言う、この国のお偉いさんからだよ」


 こちらにだけ聞こえる声で囁いた。


 ……なっ。


 言われ。嘘だ、と心で絶句した時だ。


「幸樹!」


 自分を呼ぶ声が周囲に轟いた。

最下層の住人以外の人間が声の発信源を見る。叫んだ主を確認した幸樹はすぐに目をそらした。ただ一人、髭男だけが発言主を見て口角を上げ、


「噂をしたらなんとやら、だなー」


 誰となく嬉しそうに一人ごちる。

 幸樹が目をそらし、髭男が喜んだ先にいた人物は広場に近づこうとはせず、


「…………」


 黙って見つめるのみだ。

 そんな相手を認識し、そらしていた目線をこちらへと来ない相手に向け、


「嘘、だよな? ヒメ」


 問うた。が、その声は遠く離れた相手には伝わらない。

 代わりと言う様に、髭男が声を作る。


「嘘じゃねぇよ。げんに今あいつは近寄ってこねぇだろ?」


 それは危険でヒメ自身だけではどうしようも出来ないから、と幸樹は否定しようとした。

 だがそれよりも早く、


「それに、叫んだのはお前の名前だけ。しかも止めろなんて言ってないよなぁ?」

「だがそれだって……」


 自分が殴られていたから、とは続けられなかった。

 それは髭男が正論を言っていると思ったからではない。

理由はヒメへの不信感だ。

 止めに入るそぶりを見せない。心配をしている様子もない。大きく言えばこの二つだ。

 前者は髭男も言っていた。後者は幸樹自身すぐに気付いた。


 ……何か、おかしい。


 この疑問は今が初めてではない。ハッキリとした疑問を持ったのは最下層に来て助けてあげてとお願いされた時。曖昧なモノならヒメにこの国の事を説明された後から感じていた。


 ……隠している節が多すぎる。


 あとから実際に見せて説明させるためもあったのだろうが、後だしの情報が多すぎるのだ。

 見せられたモノの情報も全てはヒメから。それ以外の人間からは聞いていない。しかも、階層や訪れる建物にも行く制限がかされていた。

 何度かムーマやアメに尋ねたが、おかしな行動をされ、はぐらかされるか殴られるかだけだった。そのために聞いてはいけないのだなとヨスナ達には聞かない様にしていた。

 つまり、話を聞ける相手で情報を教えていたのはヒメ一人なのだ。


 ……情報操作……。


 とまではいかないまでも、ヒメがこちらを良いように使うために情報を制限、もしくは改ざんをしているのだろう。

 例を挙げるならば目下の事だ。

髭男の言を信じるならば、彼らもやり方は別としてだが、自分と同じで最下層の人間を『堕ちた』状態から戻すために行動している。


 ……そんなこと、俺は聞いていない。


 聞かなかったからや説明する必要が無かったからの言い訳は確かに立つ。

 ならば門までの移動の間になぜ話さなかったのか。

 ならば自分が殴り掛かることを予想できるのになぜ一人で行かせたのか。

 ならば今、なぜ仲裁に入らないのか。


 ……どうなっても良いから、か。


 ヒメは、来訪者は貴重だ、と言っていた。この世界に無い知識を持っているからだと。

 しかしヒメ自身は自国を強大にしよう、または豊かにしようとは考えていなかった。

 最下層の、『堕ちた』人間を戻す事だけが目的なのだ。

 それは裏を返せば誰が行っても良い。手段も同様に。

 幸樹の知る限り、それはヒメ達と幸樹自身だけだった。手段も優しいもの。

 けれど違った。まだ髭男達のような存在がいた。そして彼らの手段は現状を見る限りまともではない。だがヒメはそれを容赦している。

この行為が『堕ちた』状態から脱却できると思っている。

 そこに『堕ちた』皆の前で幸樹が痛められるのも予定の内に入っていたとしたら。


 ……生きている俺が、『死』への恐怖と『生』の大切さを見せること。


 今日行かせたくなかったのはまだ最下層に来て日が浅いため。自分と言う人間の行いを見せるには時間が少ないと考えての事だったのだろう。けれど、無理に拒否もできず、合計時間は少ないがチャレンジしてみよう、その程度の気持ちだったのだ。

 もしも、目的が死の恐怖と性の大切さを見せるためならば、とんだピエロだ、と幸樹は思う。

 優しくしていたのは今のためで。大切にされていたのはより感情の落差を付けるため。

 来訪者であるかも、死を怖がるか生きる大切さを持っているかを確認するためだった。


「……は……」


 幸樹は、小さく短い笑いをする。

 なぜなら自分は道具のように使われていて、その事実を知らずに呑気に日々を過ごしていた。


 ……滑稽だ。


 心の中で、ははは、と再び笑う。

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