第18話 泡沫の遊戯6

 薄暗い城の通路をヒメは歩いていた。

 外を見れば月が地上を照らし、星が空を彩っており、昼間と違い穏やかな時間が流れている。人々だけでなく、動物達や草木までが睡眠をとっているのではと錯覚をしてしまう程、静けさが広がってもいる。

 その中で、ヒメは眠ることが出来ず、気分転換に本でも読もうと図書室に移動していた。

 夕方に気持ち悪いものを見た、と言うのも理由の一つではある。あの光景を見て隣にいたイミナが笑顔になりながら悲鳴を上げていた。その理由を思考し始めたならば、彼女の心の深淵を覗きかねないのでヒメは脳の奥へ考えを追いやる。


 ……幸樹の事、だよね。


 今日の事を思い、思案する。

 彼は良くやっている。この世界の事も知らず、何か特別なものがあるわけでもない。きっと平和な場所だったのだ。元の世界は。それは性格や考えから容易に想像できた。

 もしくは、来訪者として心が欠けているか、だ。

 何にしても、幸樹はムーマと熱いキスをした後の帰り道、


「出来たら毎日行こう」


 あのようなトラウマものの体験をして、すぐに行こうと言える彼にヒメは震撼した。

 まさかそっちの人か、とも疑ったが、そんなことはヒメにとってどうでも良かった。


 ……毎日か……。


 やる気があることは嬉しい。

 けれども、序盤でやる気を出しすぎてもこちらとしても不具合がある。だが、だからといってお願いしている立場の人間が拒否できるわけもない。


「どうやって言いくるめるか……」


 悩みながら、歩を進めていると、ヒメは視界の端に影を捉える。

 テラスで空を眺めがながら黄昏ている影。月明かりも雲に隠れ、その濃さは闇から生まれた怪物の様にヒメには思えた。だがその様なはずもなく、流れていく雲の隙間から注ぐ月や星の光でその影が元の姿を現す。

 正体を改めて知覚し、ヒメは近寄る。


「どうしたの幸樹。こんな夜中に」

「その言葉、そっくりお前に返しても良いんだぞ?」

「私はここのお偉いさんだよ? 一応。やる事だって幸樹には想像もできない程あるんだから」

「お偉いさんが、昼間から昼寝をしているのかなぁ」


 言われ、うっ、とヒメは言葉に詰まる。

 幸樹と会った日、爆睡していた所を彼に見られている。故の彼の返しだろう。


「……忙しいから遅くまで仕事をして、仮眠していただけだよ」


 実際にはすることがなく、ただ無為に天井のシミを数えていただけなのだが。

 騙されたのか、騙されてくれたのかわからない。しかし、幸樹は、そうか、と言って再び空を眺め始めた。調子がおかしいことに不思議をヒメは抱いた。だが、その理由をヒメは特定できない。

 このまま後ろで立っているのは居心地悪く感じたヒメは、幸樹の隣へと移動する。立ち去っても良かったのだが、様子が変な彼をそのままには出来なかった。

 幸樹の横に行き、しかし何も話すことはなく時間が過ぎる。彼は空を見続けており、自分自身はテラスからギリギリ見える国の風景を眺めていた。と言っても、地上から発せられる光などは皆無に等しく、衛兵がいるであろう場所から篝火の光が薄く見える程度。夜空を見ていた方が何倍も楽しい。しかし、暗い中、ただその小さな淡く弱い光源をヒメは見続ける。

 会話のないまま、時間が過ぎていく。

 暖かい時期だが、それでもヒメの体が冷え、戻ろうか、と思案し始めた頃、


「ヒメは、最下層の人間に何をしてきたんだ?」


 静寂からの唐突な幸樹の問いに、ヒメは驚く。


「いきなり、どうしたの?」

「ムーマから少し聞いた。アメが最下層の事を嫌いな理由」

「……少しって、どこまで?」

「本当に触りだよ。お前らが何かをして、その結果、アメが傷ついた。その程度だ」


 余計なことを、とはヒメは思わなかった。


 ……いい機会を貰えた。


 全てではないにしても、話さなければならない。そのタイミングを計りかねていた。

原因がムーマならば、それは彼が用意してくれた、と言うことだろう。


「色々したよ? アメの時なら、色欲を高めれば戻るんじゃないか、と言う実験をしていた。そこで何人かの子供が生まれたよ。そして、下では何をしても文句をつける人間はいない。

 だから、一部の子供は父親に虐待された。殴られ、蹴られ、弄ばれて。酷いことをされて、そして私達はそれをわざと見逃してきた」


 好きなようにさせて、感情が戻れば良いと、思っていたためだ。


「虐待だって、色欲だって。それは感情があるから出来る。だから成功したと、そう思った。けど、ある時、ある子供が父親を刺して逃げた。勿論、不死だから死ぬことはなかったけど、虐待する対象が無くなってすぐ父親は『死』んだよ。感情が戻ったわけじゃなかったんだ。することがあったからしていただけ。それだけのことだったんだよ……」


「その刺して逃げた子ってのが」

「うん。アメちゃんだよ。下にいたムーマが、血まみれの体に血まみれの刃物を持ってふらふら歩いていたのを見つけて、保護って形。その時のアメちゃんの言葉分かる? 助けて、だってさ。そんな状態にした私に! 助けを求めたんだよ? 『死』から戻すために、彼女達を利用したのに!」

「……それでアメを側に?」

「そんな殊勝な考えじゃないよ。アメちゃんの優しさに甘えているだけ」

「そっか」


 一言だけ言うと、幸樹は体の向きを変え、白の中へと向かう。


「……怒らないんだ。」

「アメやムーマもだが、軽蔑して欲しかったり聞いて欲しかったり。かまってちゃんかよ。俺が今、対応しなきゃならないなら怒りもするし、深く問いただしたりもする。だが、もうお前らの中で終わらせたことだろ? なのに無関係だった俺がかき乱すのは違うだろ?」


 言いたいことだけ告げ、幸樹は去っていった。


「そーゆー人なんだね。幸樹は」


 深くは聞かない。相手のことは相手自身に任せる。

 放任ではない。必要なら、その時は話せ、と言うことだ。だからこそ、


「…………ごめんね」


 謝罪をする対象がいない。だからこそ出来る言葉をヒメは口にした。。

 話せないこと。してきたこと。考えていること、行っていること。全てに対して。

 彼がいるからと言って変えられない。変えることはできない。自分はもう止めることはできないし、止めようとも思わない。それが正しいことか、間違っているのかすら、関係がない。

 ただ一つの目的の為に、彼を利用する。他のモノも利用する。全てを使う。その決意だけはヒメの中では変わりようがないのだ。それが誰かの好意を踏みにじることであっても。

 だからこそ、誰も観測しない闇夜で一人、ヒメは頭を下げる。


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