雌雄決する舞台

 その声はまるで、巨大な怪物が唸りを上げながら獲物を捕食するかの如く、濃霧の中に異質な恐怖を振り撒いていた。そこへ機敏な動きをした一台のボードが近づくと、大きく勢いをつけ上空へと跳ね上がる。


 弧を描くように、ボードごと大渦潮の真上にまでやって来たその者は、突如光に包まれたと同時に一つの光の柱を大渦潮の中央に撃ち放つ。亡者を貪る水の腕が、上空を舞うその者を捕らえようと次々にその腕を伸ばしていく。


 だが、罪を犯し後悔と自責の念に囚われた罪人が、光に手を伸ばすのと同等に決して届くことはない。その者から放たれた光を腹に蓄えた大渦潮は、体内で光を膨張させると大きな爆発を引き起こした。


 光に手を伸ばした水の腕は立ち待ちその姿をあるべき形へと戻し、その大渦潮も冥府への大口を閉じた。代わりに巨大な水柱と水飛沫を上げ、辺り一帯に海水の雨を降らせる。


 「遅かったじゃねぇか。何を手間取って・・・!?」


 ロロネーの前に姿を現したハオラン。空虚な様子と虚の目をした彼は、そんなロロネーの呼びかけにも返事をすることはない。ロロネーもそれは分かっている。だが、彼の様子を確認したロロネーは、その腕に刃物でも引っ掛けたかのような、小さな擦り傷を負っていることに気がつく。


 例え自我のないその身体でも、圧倒的な武術を有するハオランに擦り傷を負わせるのは、それ相応の戦闘力がなければ不可能。チン・シーの別働隊にそれ程の手練れでもいたのだろうか。それとも、本来の力を出せなかったが故の単なる不注意で負ったものなのか。


 ハオランを捕らえているものが、弱まっている様子はない。ロロネーの作戦の途中で解除されるようなことはないだろう。どちらにせよロロネーの計画に変わりはない。もし別働隊に、ハオランを傷つけるだけの戦闘力を有する者がいたのなら、それこそ好都合。


 チン・シー本隊との戦闘ともなれば、それなりの苦戦を強いられるだろう。もし戦力を片翼に偏らせることなく分散していたのなら、ハオランの襲撃により合流することはない筈。それに引き換えロロネーの軍は、ハオランを加え更に戦力を増す。


 「まぁ、気にする程でもねぇか・・・。そんじゃぁおっ始めるとするかぁ!?」


 ミアの作り出した大渦潮が消滅したことにより、ロロネーの体調も回復したようで、戦力が整った彼は休む間も無く進軍する。


 「何だ・・・?大きな音がしたと思ったら、妙に静かになっちまいやがって・・・」


 無事に大渦潮の潮流から逃れ、前線の最後尾にまで引き返して来たミア達の船。ハオランが大渦潮を消滅させた衝撃で、大きな波が繰り返しやって来ては徐々にその勢いを小さくしていく。


 濃霧の中で光が分散し、あまりハッキリとは見えなかったが、ミアはゴーストシップを呑み込んで行く、大渦潮の進路の先にチンダル現象のような光の道筋を見た。しかし、その神々しい光とは裏腹に彼女の中には、何か嫌な予感を感じさせる胸騒ぎがあった。


 一時‬的に前線の中でも、最も安全な場所にまで辿り着いた彼らが英気を養っていると、敵船からの亡霊を警戒していた船員の一人が、双眼鏡のレンズに濃霧に写る一隻の影を捉える。


 「・・・?何だあれは。作戦は上手くいったんじゃないのか?・・・船が一隻近づいて来てるぞ」


 前線で壁のようの徘徊していたロロネーのゴーストシップは、ミア達の作戦により生み出した大渦潮が片付けた筈。なのに、瓦礫一つない穏やかな海域に、それまでとは違う雰囲気の海賊船が一隻、霧の中に浮かび上がる。


 船員の不安を煽る言葉に、自らの目で確認しなくては信用できなくなっていた周りの者達とミアも、思わず霧の向こう側を手にした双眼鏡やスコープで覗く。するとそこには、このチン・シー対ロロネーの戦闘では二度目となる、その目を疑う二人の男が乗った海賊船があった。


 「ロロネー、それにあれは・・・ハオランだ。姿を見せたってことは、遂に戦力が整っちまったってことかッ!?」


 最悪の状況だった。ゴーストシップによる執拗な遠距離攻撃に加え、今も尚向かって来る海賊達の亡霊により疲弊した、チン・シーの前線部隊。アンカーを撃ち込み機動力を擦り減らした船が一隻と、魔力を使い果たしたミア。


 後方からの援軍はまだない。別働隊が彼らの援護に来ることは望めず、仮に来たとしても本隊の到着よりも更に遅れることは明白。頼りの大渦潮の行くへは、ミア達にとって知る由もないこと。


 ロロネー本人の実力は分からないが、少なくとの今相手にしている亡霊など、比べる対象にもならないだろう。そして敵軍に拘束されることなく身を投じているハオラン。忠義を重んじる彼が、ロロネーに寝返るなんてことはあり得ない。


 何か弱みを握られ、仕方がなく敵軍に属しているか、ロロネーのスキルや術で操られているとみて間違いない。戦闘になれば、彼も敵になり得る。そしてその実力は、ハオランと同じ時を共にして来た彼らが、一番よく知っていることだろう。


 船の一隻二隻、潰すなど容易い彼に暴れられては一溜りもない。そんな相手に最早太刀打ちする手段を持たない、万策尽きたミア達。必死にここまで生きようと足掻いて来たが、度重なる絶望の壁は、彼ら差し伸べられる光を妨げる。


 誰しもが希望を絶たれたと思ったその時、彼らの船の上空を、紅蓮の炎を身に纏った巨大な鳥が、死を匂わせる絶望の空気を、閃光のように切り裂いて羽ばたいて行ったのだ。


 その鳥は、火の羽を散らせながら真っ直ぐロロネーの乗る海賊船目掛けて突き抜ける。不適な笑みを浮かべるロロネーの前に、ハオランがゆっくりと立ちはだかると、大きく呼吸を整え、拳を放つ構えをとる。


 向かって来る火の鳥目掛けて放たれたハオランの拳は、衝撃波の壁を生み出し的確にその一瞬を捉え打ち落とした。


 「役者が揃ったぜぇ・・・。後はお前を頂いて終わりだ、チン・シーッ!」


 絶望に打ち拉がれていた前線部隊を、暖かな炎で照らし出した火の鳥は、ハオランによって打ち消されてしまったが、彼らの折れた膝を立ち上がらせるには、十分過ぎる光だった。


 「よくぞ持ち堪えた!我が同胞達よ!・・・待たせたな、ここで奴とのケリをつける!」


 声のする方へ振り返ると、そこには味方の軍勢を引き連れた、チン・シー海賊団本隊の姿があった。

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