第2話 ぼーっとする、とは何だろうか。

時間を使う、とは何だろうか。時間は、勝手に流れていく。自分が何か作業をしていると、時間は流れている。作業をしなくても、時間は流れる。


つまり、時間を使っていない、という状態は存在しない。ドリブルに時間を使った、というのは、ドリブルをしただけだ。睡眠に時間を使ったというのは、寝ただけだ。


ドリブルで思い出したが、サッカーのように制限時間があると、時間を使った感があるかもしれない。休日が24時間しかない。これは制限時間があることになる。


休日をどう使うかということは、その24時間をどう使うかということになる。疲れていれば、貴重な24時間のうち、1時間をぼーっとすることに使うこともある。これは時間を使ってる。




制限時間、とは何だろうか。いつまでに、何かしなければならないか、決めることだ。自分で、1時間後までに帰宅しなければならないと決めることができる。


他人に決められることもある。1週間後までに、書類を書かなければならないと決められる。他人に決められた後、自分でもやらななければならないと決める。


時間制限は、ただのスケジュールだ。スケジュールがなければ、時間制限もない。時間制限がないとは、何だろうか。特にやらなければならないことが、ない状態。


ぼーっとしててもいい。飽きるまで、もしくは疲れるまで好きな作業をしててもいい。飽きるまで、疲れるまでというのは、自分の都合だ。時間は他人の都合と言える。




ぼーっとする、とは何だろうか。ぼーっとしてると、危険をよけられないことがある。注意不足の状態かもしれない。危険が多いところでは、ぼーっとしていられない。


ぼーっとしていい場所とは何だろうか。危険をよける必要がない場所。つまり、危険がない場所だろう。危険がない、とは何だろうか。たとえば、ボールが飛んでこない。


落ちる穴がない。そんな危険の予測候補を、挙げる必要も無い。どんな危険がありうるか、列挙しているのは、ぼーっとしている状態ではない。


ぼーっとしていると、幸運も見逃す。どんな幸運があり得るか、予測することもしていないのだろう。ぼーっとする、というのは、予測をやめることだ。




幸運とは何だろうか。自分にとって良いことが起きるということだ。悪いことを含めて、いろいろな可能性がある中、自分に有利な状況になる。


自分にとって良いこと、とは何か。最悪の出来事を回避し続けていればよいのか、それともベストの希望が実現し続けるのか。どちらも良いことだが、差がある。


一日の終わりに、今日生き延びたことを感謝することがある。生き延びることが希望なら、希望を実現したと言えるだろう。目標が、生き延びること以外ならどうか。


生き延びる以外の目標については、不運な日が多くなりそうだ。目標や幸運には、2種類があるのかもしれない。最悪を回避して生き延びる目標と、それ以外の目標だ。

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