手の平、です。
「ごちそうさん」
「お粗末様です」
トーストを食べ終えたクレスさんが、すぐに煙草に火を着けた。
この人は基本的に煙草をくわえている──いわゆるヘビースモーカーだ。一日一箱では済まない位には吸っているだろう。身体を悪くしなければいいのだが。
かと言って「禁煙した方がいいですよ」と言ったところで、馬の耳に念仏状態である。それどころか、何やかんやと逆襲されかねない。だからこそ、何も言わないのが正解なのだ。
「要、お前明後日の夕方空いてるか?」
「明後日の夕方ですか? 具体的には何時位です?」
「五時位から」
ふむ。空けられない事もない。店長に言っておけばお店の事は大丈夫だろう──多分。
しかし、正直言って空けたくない。空けてしまえば絶対に厄介事に巻き込まれる。九割九分巻き込まれる。
と言うか、クレスさんが今日風見鶏に来たのはこれが本題だろう。
「……クレスさん。五時なんて空けられるわけないじゃないですか。ここは喫茶店ですよ? その時間は大忙しに決まっているじゃないですか?」
二、三人はお客様が来ると思う。だから大忙しである。
喫茶風見鶏にとっての二、三人は大盛況である。満員御礼である──席はがらがらだが。
「大忙しとはよく言ったもんだな。せいぜい二、三人がいいとこだろ」
心を読まれた。
「そ、そんな事ないですよ。もしかしたら満席になるかもしれません」
「もしかしたら、な」
「……お客様が一人でもいるなら、お店は閉められません」
「サービス業に従事する人間としては、至極真っ当な意見だな」
そうでしょうそうでしょう。今のは凄く良い意見だったと思いますよ。
さて、これですんなり納得してくれませんか?
「しかし、アレンさんだっているだろ?」
「店長ですか……店長はあてになりませんよ。クレスさんだってよく分かってるじゃないですか?」
店長の人間性について。
仕事なんかしたくない。出来る事ならば遊んで暮らしたい。基本的にダメ人間。
うちの常連さんならば、全員が知っている。
「ああ、そうだったな。だがまぁ、明後日は大丈夫だろう」
「いや、クレスさん。店長をここに立たせたいなら、一週間前には連絡しておかないと無理ですよ」
流石に言い過ぎだ。いくら店長でもそこまでではない。実際に連絡したら大丈夫だろうし。
「だから大丈夫だ」
「はい?」
「連絡しておいたんだよ。一週間前にな」
「は?」
「明後日は店に出てくれているはずだ」
「……そ、そうですか」
やられた。外堀を埋められていた。僕には最初から逃げ道など存在しなかった。
「店にはアレンさんがいてくれる。となればお前は空いてるよな? ここまでの会話の流れ的に」
「……はい」
煙を吐き出すクレスさんの表情はほんの少しも変わらない。
少しも勝ち誇った様な表情をしてくれればこちらとしても悔しがれるのだが、これでは悔しがれもしない──あるのは諦めだけだ。
そもそもクレスさんが来た時点で、この結末は決まっていたのだろう。この人にすればこれは完全な予定調和なのだ。もしかすると、僕の言葉も全て台本通りだったのかもしれない。
全く、手の平の上とはこの事だ。
「さて」
隕石が直撃するクラスの奇跡でも起きない限り、僕がクレスさんから逃げるのは不可能なのだろう。
「依頼だ、風見鶏」
「……はい」
せめてもの反抗として、物凄く嫌そうな表情を浮かべておこう。
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