エース、です。

「僕の生活が一変する……か」


 時刻は午後二時。

 一時間程前にマイクさんが帰ってしまってから、入口に付いたベルは仕事をしていない。つまり、僕も仕事をしていない。

 既に綺麗なコーヒーカップを磨きながら、足元に伏せるアーリスに視線を落とす。寝ている様にしか見えないが、それはまず無いだろう。


「ねぇ、アーリス」

「何ですか?」


 アーリスは顔を上げず、耳だけを動かした。

 主人に対する態度ではない。まぁ、いつもの事なのだが。


「マイクさんの勘はさ」

「当たるかもしれませんね」


 その言葉に驚いてコーヒーカップを落としかけた。

 危ない危ない。このカップ一つでうちのコーヒー三十杯分相当するのだから、割りたくなどない。


「……根拠は?」

「要の交友関係です」

「と言うと……」


 真っ白な髪をした美女と、丸眼鏡をかけた紳士。あの二人で間違いないだろう。


「シェリス様とラグズ様ですよ」

「やっぱりそこかー」


 シェリス=シェレインとラグズ=アルフェリス。それぞれ第二地区と第一地区を統べるマスター。

 自分で言うのもなんだが、僕の交友関係が凄まじ過ぎる。マスター二人と付き合いのある一般人を、小市民と言えるのだろうか?


「けど、今回は二人に関係ないんじゃない?」

「それがそうとも言いきれません。現マスターロベルト=相澤とシェリス様、ラグズ様は懇意の仲です。代替わりするのであれば、あのお二人に何かしらの相談を持ちかけている可能性は十分にあります」

「で、その相談内容次第では、僕にお鉢が回ってくると?」

「その可能性はあります」

「その予想が外れる事を祈るよ」


 心の底から。


 からん、


 と入口のベルが本日二回目のお仕事をこなす。


「いらっしゃいませ」

「おう」


 扉を開けて入って来たのは、よく知った人物だった。


「久しぶりですね、クレスさん」

「ここんとこ忙しかったからな」


 言いながらカウンター席に座ったクレスさんが、ワイシャツの胸ポケットに手を伸ばす。それに合わせて僕はカウンターに灰皿を置く。

 クレスさんが来店した際のルーティーンである。


「悪いな」


 言いながら煙草に火を着けるクレスさんはかっこいい。男である僕がそう思うのだから、女性なら間違いなくそう思うはずである。

 いつだったかマイクさんが、クレスさんの事を黒髪黒目のワイルド系イケメン等と言っていたが、あれは的を得ていると思う。まぁ、マイクさんは男なのだが。


「いつものでいいですか?」

「ああ、頼む」


 少し濃いめのブレンドと、何も付けないトーストを二枚。それがクレスさんのいつものである。


「一ヶ月ぶり位になりますか?」

「そんなになるか」


 煙を吐き出しながら視線を漂わせるクレスさん。

 おそらく何処かを見ているわけではない。どうやら相当疲れているようだ。


「ああ、そうだ。要、先月の山城組の件。お前が関わってるだろ?」


 ぎくっとした。あまりにも唐突で、あまりにも的を得ている。

 先月キャシー=レイジャーさんを山城組から助け出した一件は、ちょっとしたニュースになった。もちろん僕の事がニュースになったのではなく、山城組が銃火器の不法所持でセルパーにお縄にされた件である。


「はは、ちょっと何をおっしゃていますか」

「分かり過ぎて困るか?」

「……はい」


 クレスさんにはバレると思っていたし、ここは正直にいこう。

 セルパーのエース──クレス=T=アルドレット。この人に嘘は通用しない。


「やるなら俺に連絡してからにしろ」

「いや、クレスさんに迷惑をかけるわけには」

「そうじゃない。今回は『たまたま』アホな奴が『たまたま』銃を使って、その発砲音を『たまたま』聞いた付近の住民がセルパーに連絡した。『たまたま』が続かなければ、俺たちセルパーは動けなかった」


 確かにそうだ。

 あの時僕がセキュリティのスイッチを踏まなかったら。銃を使われていなかったら。山城組は今も健在であったかもしれない。

 その場合、ジルさんとキャシーさんは、今も山城組の存在に震えながら生活をしていたかもしれない。


「誰かを助けるのはいいが、助けるなら完璧に助けろ」


 最初から山城組の壊滅まで考えて動け──つまりはそう言いたいのだろう。

 今更ながら全くその通りである。

 それにしても、


「僕が誰かを助けた事、知ってたんですか?」

「ジル=レイジャーとキャシー=レイジャーに関しては、こっちでも把握してた」

「じゃあ」

「山城組を壊滅させるには、理由が少な過ぎる」

「……そうですか」


 キャシーさんの監禁程度では、山城組は無くならない。

 もっと重い罪が必要だった──例えば銃の不法所持の様な。


「銃火器の不法所持については尻尾を掴み損ねてた。証拠が無いんじゃ簡単には動けない」

「そう、ですよね」

「それがお前の侵入で露呈した。だが、俺達が動けたのは運の要素が大き過ぎた」

「たまたま」

「そうだ。だが、俺に一言言っておけばそうはならなかった」


 その通りだ。

 ただ、僕はクレスさんに迷惑をかけたくなかった。


「とまぁ、説教臭くなったが、お前はよくやったよ」

「え?」


 コーヒーを作る手元からクレスさんへと視線を移す。

 煙草を吸うその姿はいつもと変わらない。変わらないのだが、何となく頬が緩んでいる様に見えたのは、僕の見間違いだろう。

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