常連さん、です。

 五月十五日。平日。午前十一時半。

 喫茶風見鶏は本日も通常営業中である。

 つまりは、


「暇」


 暇である。安定の通常営業である。


「いっそ閑古鳥に改名しようかな」


 喫茶閑古鳥。語感は大差ない。しかも、この店の現状とぴったりである。


「……悪くない」

「駄目に決まってるでしょう」


 そんな事はわかっている。

 カウンター席に座る僕の足元に伏せる、真っ黒なラブラドール・レトリーバーには冗談が通じない。

 唯一の欠点である。


「それに暇の何がいけないのですか? できる事ならば仕事をせずに暮らしていきたいと言うのが、人間というものではないのですか?」

「……どこ情報?」

「ネットです」


 あー、間違いではない。そういう考え方の人達だって、世の中には沢山いる。と言うか、うちの店長なんて、まさにその代表格じゃなかろうか。

 そんな店長は今日も不在。おそらく今日も昼間から麻雀でもしているのだろう。

 ダメ人間代表とは、我が義妹マイネの弁である。


「それに、この店は利益を求められていません」

「それはそうなんだけど」


 黒字を求められていない飲食店。

 そもそもこの店の存在理由は、オーナーに美味しいコーヒーを飲ませる為である。それが全てと言う訳では無いが、それが六割とは言いきれる。


「申し訳ないよ……」

「あまり深く考えない事をお勧めします。『テッサ』さんにとっては、ここは道楽に過ぎません」

「随分とお金のかかる道楽だよ」

「それこそ。テッサさんが金銭の事を気にすると思えません」


 テスタロッサ=バーキンス──通称テッサ。

 それが風見鶏のオーナーの名前であり、僕の義母の名前。

 僕としては義母がオーナーを務めるお店で働くのは、若干の後ろめたさがあったりする。これが黒字経営出来ていればそんな事もないのだろうが、残念ながら赤字経営。ある意味親の脛かじりと思われても仕方ない。


「利益を出せていないのにお給料だけはしっかり貰ってる……親から」

「しかもそこそこのお給料ですね」

「そうなんだよねぇ」


 完全に脛かじりである。脛かじり虫である。

 とは言え、何でも屋として稼げた時にはそのお金を家に入れたりしているわけだし、完全な脛かじり虫ではないはずだ──多分。


 からん、


 不意に響いたその音が、僕の思考を遮った。


「あーら、何をしょげた顔してるのよ?」


 野太い声の女性口調。


「いらっしゃいませ、マイクさん」


 本日第一号のお客様は、スキンヘッドで筋骨隆々の黒人『男性』──マイクさんだった。

 本名マイク=ベルナルド。風見鶏の常連さんであり、スウィート・キャンディーの店長──とてもケーキを作っている風体ではない。


「こんち、いつものね」

「はい、かしこまりました」


 マイクさんがカウンター席に座ると、椅子がぎしりと悲鳴をあげた。マイクさんの巨体を支えるのを嫌がっているらしい。

「ところでマイクさん、まだ五月ですよ? タンクトップで寒くないのですか?」等と聞いたりはしない。触らぬ神になんとやらである。


「それでー。何をしょぼくれてたのよ?」

「あー、特に何でもないんですよ」


 マイクさんに悩みを打ち明けたところで、「アホらしい」の一言で一蹴されてしまうだろう。この人はそういう人である。

 コーヒーを作る手を止めずに、何か代わりの話題はないものかと考えるが──無い。僕という人間の薄っぺらさが露呈しただけだった。


「ふーん、まぁいいわ」


 おっとやけにあっさりである。もっとがつがつ来ると思っていたので、拍子抜けしてしまう。


「そんな事よりも、すんごい話を持ってきてあげたわよ」

「すんごい話ですか?」


 マイクさんは僕が何でも屋をしている事を知っている。むしろ仕事を回してくれたりもする。

 今回もその件だろうか?


「近々マスターが代わるらしいわよ」

「え?」


 予想の斜め上をいく、すんごい話だった。

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