お疲れ様、です。
「要の悪い癖がまた出ましたね」
「けどさ」
「けど、ではありません。報酬はしっかりと貰うべきだと言っているのです。要は文字通り命を賭けて仕事をこなしました。ならば、それ相応の報酬を貰うのが道理というものです。なのに何ですか、二人でコーヒーを飲みに来て下さい等と、どこのカッコつけですか?」
「……」
相棒がご機嫌斜めである。
いつもの事だしそんなに怒らなくてもいいと思うのだが──あ、いや、いつもの事だから怒るのか?
だが、だからと言ってお金が無い人から多額の報酬を貰うことは出来ない。なんと言うか、僕らしくない。
僕らしくなくて、『風見鶏』らしくない。
「まぁ、終わってしまった以上は仕方ありません。それに要らしいと言えばそれまでです」
何だかんだ言っても流石はアーリス。僕の事はよく分かっている。
そうしてしばらくの間無言で歩き続けると、
「あれ? アーリス」
「何ですか?」
「店、電気消し忘れたっけ?」
「それは無いです」
真っ暗な路地の突き当たり、喫茶店風見鶏の電気が点いている。
時刻は午後九時を回っているし、可能性としては店長だろうか。
「店長かな?」
「その可能性は無いことは無い程度ですよ。 あの店長がこの時間に仕事をしますか?」
「ああ、無いね」
真っ赤な髪をかきあげながら煙草を咥える店長を思い浮かべると、それは無いなと確信出来る。確信出来るくらいには、うちの店長は仕事をしない。
「調べますか?」
「いや、いいよ。どうせ直ぐにわかるんだし」
可能性があるとすればマイネ辺りか。マイネならばスペアキーを持っているし、何事もなく店に入れるだろう。
それにしても疲れた。ここ最近は簡単な依頼ばかりだったから、久しぶりにこんなに肉体労働をした気がする。
早くコーヒーが飲みたい。ああ、だけど豆を挽くのが面倒だ。けど、飲みたい。それよりも、明日の準備もしなければ。
何だか考えが纏まらない。やっぱり疲れている。
「とりあえずコーヒー飲もう」
それだけは確定。
「ただいまー」
言いながら店の入口を開ける──追加で欠伸も。
どうせ中にいるのはマイネか店長だと思っていた、
「あ、お帰りなさい」
その澄み切った声が聞こえてくるまでは。
その声を僕は知っている。いや、知っているだけではない。常日頃、その声を聞いていたいと思っている。
そんなわけで、脳が無理やり覚醒した。
「ま、マリアさん!?」
「はい。マリアです」
カウンターの中に、青い髪をした女神がいた。
そんじょそこらのモデルや女優ならば、尻尾をまいて逃げ出しかねない美女。
女性の、人類の理想をそのまま体現した様な美女。
同じ人類であるのか考えさせられてしまう美女。
きっと神様は僕の様な一般人を創る時は、鼻でもほじりながら創るのだろう。美女とか美男子とかを創る際は、多分ちょっと考えながら創る。そして、眼前の女神を創る際は、三日三晩寝ずに創る。徹夜である。目の下は酷い隈である。
つまり、今カウンターの中に佇む女神様の美しさを、人間である僕が説明するのは不可能である。
って違う。今は見蕩れている場合じゃない。
「な、何でここに?」
「お仕事が終わりましたので、要さんのコーヒーを頂きに参りました」
僕のコーヒーが飲みたくて……嬉しい。
って違う。そうじゃない。
「えっと、どうやって入ったんですか?」
「先程までマイネちゃんがいらしたんですよ。鍵はマイネちゃんが開けてくれました」
「マイネが?」
マリア=F=メリディアン。
マイネと同じくスウィート・キャンディーで働く現世に迷い込んだ超絶女神。スウィキャンのアイドル。年齢二十二歳──僕の二つ上。
そんなマリアさんがマイネと一緒に風見鶏に来ていた。それは別におかしな事ではない。マイネはマリアさんに懐いているし、むしろ納得である。
だがしかし、
「マイネはどこに?」
「先程帰りました。明日の授業の課題を忘れていたそうで、急いで帰りましたよ」
「そう、ですか」
何だか腑に落ちない。あのマイネが課題を忘れるなんて凡ミス、するだろうか?
まぁ、いっか。
マリアさんがここにいる理由はわかった。だが、まだ分からない事がある。
「何でそこにいるんですか?」
何でマリアさんはカウンターの中──キッチンにいるのだろう?
よく見れば、僕のエプロンを着ているし。
「ケーキを持ってきたので、お皿に移しています。あ、エプロン勝手に借りちゃってすいません。その、マイネちゃんが使ってもいいと言うので、甘えてしまいました」
「いやいや、全然、全然大丈夫です」
グッジョブ! マイネ!
あのエプロンはしばらく洗わないで飾っておこう。
「要、早く入って下さい」
「ああ、ごめん」
アーリスに言われ、扉を開けたままの状態で固まっていた自分に気づく。
いや、扉を開けたら女神がいたのだ。固まってしまうのも当然だろう。
「こんばんは。アーリスさん」
マリアさんが花のような笑顔をアーリスに向ける。
そんな犬っころに貴女の笑顔は勿体ない。
ちなみに、マリアさんは誰に対しても、何に対しても、丁寧口調は崩さない。
「こんばんはマリア様。本日もお美しい様で何よりです」
「ふふ、お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます」
何だこの光景は……犬と女神のやり取りなのに、まるで貴族のやり取りではないか。
嗚呼、僕もあれくらい自然にマリアさんを褒めたい。
僕からの憧れの眼差しなど露知らず、アーリスは自分の寝床へと歩いていく。おそらく、一時間程充電タイムだろう。
と、それよりも。
「マリアさん、いつものでいいですか?」
「はい。いつものでお願いします」
カウンターの中に入り、マリアさんの隣に立つ。それだけで、心臓の鼓動が早くなる。
「今日はお仕事だったんですか?」
「あ……はい」
マリアさんの身長は僕より十センチ程低い。つまりあれが出来る。
上目遣い。
不意に上目遣いで見つめられてドキッとした。マリアさんといると常にドキドキなのだが、心臓が破裂しかねないドキッとだ。
って言うか、まつ毛長っ!
「どうかしましたか?」
「いえ! 何でもありません!」
マリアさんが小首を傾げて覗き込んでくる。
駄目だ。これは反則だ。
可愛すぎる!!
落ち着け! 落ち着くんだ要! 落ち着いて豆を別けるんだ! 三種の豆を、三体二対一に!
マリアさんから視線を外し、手元に集中!
ん? そう言えば二人でカウンターに並んでお茶の準備的な事をしているわけで、これって見方によってはまるでカップルで共同作業をしている様に見えたりして? あはは、僕とマリアさんがカップルだなんて……。
「凄く良い」
「ん? 何ですか?」
「い、いや、いやいや!! な、何でもありません」
しまった! 思わず口に出ていた! 顔が熱い! 今すぐここから逃げ出したい!
「大丈夫ですか? 顔が赤いですよ。熱でもあるんじゃ……」なんて言われながら額に手を当てられたりしたら、マリアさんの手を火傷させてしまうかもしれないくらいに顔が熱い!
冷静に! 冷静に!
取り分けた豆をミルに入れハンドルを回す。途端に店内をコーヒーの薫りが満たした。
「良い薫り」
マリアさんが目を閉じ薫りを楽しむ。それに倣って僕も目を閉じ薫りを楽しむ。
ガリ、ゴリっと店内に響く音と、満ちる薫りを楽しむ。
しばしの間そうしていると、頭の中がクリアになった。もう、変な妄想はしそうにない。
「今日はどんなお仕事だったんですか?」
「えーっと、今日はですねー」
女王様を助けていました。
なんて言ったら、マリアさんの頭上にはてなマークが浮かんでしまうのは明白だ。
マリアさんは基本的に、言われた言葉を素直に受け取ってしまう人である。「女王様を助けていました」と言ってしまえば、いったい何処の女王様だろうと本気で考えてしまう。そんな人なのだ。
「……えっと、迷い兎を捜しに」
「兎ですか? それは大変でしたね。それで、うさちゃんは見つかったんですか?」
「ええ、バッチリです」
「それは良かったですね」
笑顔を浮かべるマリアさんを見て、胸にちくりと痛みを感じる。
嘘をつくのは苦手だ。苦手なのだが、僕はマリアさんに嘘をつき続けている。
マリアさんは僕の仕事内容が実際どんなものなのか知らない。犬探しや、子守り等、簡単な仕事だと思っている──そういう仕事もする。
しかし、実際の所はそのほとんどが、レリック相手に大立ち回りをしたり、時にはそれ以上に命を賭ける。
心配性のマリアさんには、とてもじゃないが伝えられない。それ以上に、マリアさんの不安そうな表情など見たくない。
「今日は要さんの好きなレアチーズですよ」
ことり、とカウンターに置かれた皿の上には、ブルーベリーソースのかけられたレアチーズケーキ。僕の大好物だ。
「コーヒー、もうすぐ出来ますから」
「はい」
マリアさんには笑顔が似合う。ネガティブな表情などさせたくない。
だから僕は、嘘をつき続ける。
四月二十四日、祝日。
喫茶風見鶏は、今日も平和です。
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