お届け、です。
時刻は午後九時。
真っ暗な公園のベンチに一つの影。よれよれのワイシャツにぼさぼさの髪、そして暗く沈んだ表情。
ジルさんは僕と別れた一時間前と変わらずに、そこにいた。
「キャシーさん、下ろしますね」
「あ、はい」
お姫様抱っこしていたキャシーさんをゆっくりと下ろし、灰色のパーカーを脱ぐ。そして脱いだパーカーをキャシーさんの肩にかける。
感動の再開なのだ。ボンテージ姿は流石に、あれである。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、これも仕事のうちですから。それよりも」
ジルさんの座るベンチを指さす。
「行ってあげて下さい」
それだけで伝わるはずだ。
「えっと、その……」
「どうかしましたか?」
はて? ここはキャシーさんが涙ながらに走って行くシーンで締めではなかろうか?
最高のハッピーエンドではないのだろうか?
「あちらに座っているのは誰でしょう?」
目を細め、ジルさんの座るベンチを凝視するキャシーさん。
ああ、そうか。『僕』だから、この距離、この暗闇でも見えるのだ。
嗚呼、全く締まらない。僕というのはどうしてこうカッコつかないのだろうか。
「……その、ジルさんが、旦那様がお待ちです」
途端にキャシーさんが鼻と口を両手で覆った。その目からは大粒の涙が零れ落ちる。
この人は今日だけで一生分の涙を流してしいそうだ。
「あり、ありが……」
「今回の件で山城組は崩壊するでしょうから、お二人に危害を加えようとする輩はいなくなるでしょう。二人で幸せに暮らして下さい」
泣き声を堪えながら何度も何度も頷くキャシーさんを見ていると、こっちまで涙が出そうになる。
「それと、今回の報酬ですが……」
注文を受けて品を提供した以上は、料金は頂かなければならない。僕は趣味でこの仕事をやっているわけではないのだから、相手がどんなに貧乏だろうと報酬は貰わなくてはならない。
だから僕は、いつもの様にこう言うのだ。
「落ち着いたら、お二人で喫茶店風見鶏にコーヒーを飲みに来て下さい。きっと最高の一杯をお出ししますから」
自慢の一杯を飲みに来てくれて、その代金を支払ってくれればそれでいい。あくまで僕の本業は、風見鶏の店員だから。
「さあ、行ってあげて下さい」
「ありがとう、ございました」
その一瞬だけ涙を堪え、キャシーさんが笑顔を浮かべた。
もう大丈夫。
そう思える位に、良い笑顔だった。
「はい。お幸せに」
「はい」
力強い声だ。
絶対に幸せになる。そういう覚悟が伝わってくる様な、力強い声だった。
そうして彼女は駆け出した。最愛の人目掛けて。
「そんなピンヒールで走らない方がいいですよ」等と口にしない方が正解だろう。
走るキャシーさんに気づいたジルさんが、ベンチから立ち上がり一瞬の躊躇の後に走り出す。
そうして二人は、外灯の下で抱き合った。
「ご注文、ありがとうございました」
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