奪還、です。

「アーリス」


 倒れた男の意識が無いのを確認しながら、相棒に声をかける。


〈どうしました?〉

「片付いたよ」

〈お疲れ様です〉

「で、奥に行く扉の鍵は?」

〈ありませんよ。その扉には鍵が付いていません〉

「え、そうなの? 当然あると思ってたんだけど」

〈それだけ、そこにいた『超越者トランセンダー』を信頼していたのでしょう〉


 超越者トランセンダー──新人類の中で本物と呼ばれる者達の呼び名。

 僕はその呼び名が好きではない。なんと言うか、ちょっと厨二病臭い。


「じゃあ、後はキャシーさんを助けて終わりだね」

〈出来るだけ急いで下さい。十分もしないうちに『セルパー』が到着する予定です〉

「セルパーが? アーリスが通報を?」

〈いえ、発砲音を聞いた付近の住民が通報した様です〉

「了解。そういう事なら手早く済ませるよ」


 治安維持を第一とするセルパーならば、山城組を潰せるこの状況を逃すはずがない。なんせ第三次世界大戦以降、銃火器の所持は大犯罪である。拳銃を隠される前に現行犯で逮捕してしまいたいところだろう。

 山城組がなくなれば、ジルさん達も安心して暮らせるだろうし。


「いい事だね」


 等と考えながら奥へと続く扉をほんの少し開けた瞬間、


「いい! そこ! もっと!! 嗚呼、いいー!!」


 と、野太い喘ぎ声が聞こえてしまった。


 えぇー……。


 この扉を開けずに、このまま回れ右して帰りたい。

 そう思わせるには十分過ぎる、破壊力のある喘ぎ声だった。

 どうしよう、本気で開けたくない。

 しかし、悩んでいる時間はない。早くしなければ、セルパーが屋敷を包囲してしまうかもしれない。

 それにこれは仕事だ。ここまで来て仕事を放棄するなど、あってはならない。


「……けど、嫌だ」


 思わず漏れる本音。

 だけど、


「やるしかない!」


 気合を入れながら扉を押し開ける──その先に。


 金髪、ボンテージ姿で鞭と蝋燭を持ったお姉さん。

 何だか凄い縛られ方をして、天井から吊るされたパンツ一丁の厳ついおじさん。


 二人の視線が僕に突き刺さる。


「えっと、あの、なんかすいません」


 思わず謝った。


「誰だてめぇは!?」


 天井から吊るされたおじさんが声を張り上げる。どうしようもなくシュールな光景だ。

 多分、いや、ほぼ間違いなく、この人が山城組のボス山城=T=太郎なのだろう。

 そして、ボンテージ姿の女王様が、キャシー=レイジャーさん──であって欲しいものである。

 そこまでの考えには至る事が出来た。この意味不明な状況の中で、その考えに至る事が出来たのである。

 よく頑張ったと自分を褒めたい。

 何しろ扉を開けたらSMである。しかも、結構ハード目の。

 普段の僕ならば即座に回れ右である。本能から回れ右である。

 しかし、今の僕は何でも屋風見鶏である。要=T=バーキンスではない。

 ならばこそ。


「えっと、お取り込み中すいません」


 いいのか!? こんな無難な切り口で!?

 いや、多分なんか違う。なんか違うけれど、引くわけにはいかないのだ。残された道は前進だけなのだ。


「そちらのボンテージの方は、キャシー=レイジャーさんでしょうか?」


 アーリスがここにいると言った以上は、この女性がキャシー=レイジャーさんで間違いないはず。むしろそうであって下さい。


「わ……私は、私がキャシー=レイジャー、です」


 ああ、良かった。アーリスの情報が間違っていて、この女性がただの女王様だったらどうしようかと思っていた。

 ん? ただの女王様ってなんかおかしなフレーズだな。

 いや、今はそんな事よりも。


「貴女を助けに来ました」


 ノリノリ? で女王様やってる気がするけど、助けていいんですよね?


「え?」


 金色の瞳が大きくなったのはほんの一瞬だった。次の瞬間にはその瞳が涙で滲む。くしゃくしゃになった顔を両手で覆い、膝から崩れ落ちる女王様。

 火事になるといけないので、床に落ちた蝋燭は足で踏み潰しておく。


「誰だてめぇはと聞いてるんだよ!?」


 キャシーさんの肩に触れようとしたところで、怒声が響き渡る。

 あまり見たくないから意識から除外しておいたのだが、やはり見なくては駄目か──嫌だなぁ。

 天井から吊るされたおじさんに目をやれば、顔を真っ赤にして僕を睨みつけている。

 どうでもいいが、あれはなんと言う縛り方なのか気になって仕方ない。

 亀甲……ではないな。

 後でキャシーさんに聞いてみるか、うん。


「僕は何でも屋です」

「そんな事はどうでもいい!!」


 え、ちょ、聞いたのは貴方じゃないですか。何で素直に答えて怒られなくちゃならないんだ。


「うちの本物はどうした!?」

「あー、あの方でしたら」

「うちの超越者トランセンダーはどうしたのかと聞いてるんだよ!?」


 せっかち、ここに極まれり。

 この人、話聞く気あるのだらうか?


「あの方なら、前の部屋でのびてますよ」

「は?」


 これ以上ない事実である。

 その事実をそのまま伝えると、山城は愕然とした表情を浮かべた。口をぱくぱくさせているのは、金魚のものまねだろうか。


「あ、あの『リッパー』が、負けただと? こんな小僧に?」


 リッパー。それがあの男の通り名なのであろう。

 いや、そんな事よりも、僕はもう二十歳である。小僧呼ばわりはいくらなんでも失礼ではないか。


「ふざけるな! そうか金か! いくらだ、いくら積んであいつを買収した!?」

「そんな事してませんよ。僕の様な『小僧』が、そんなお金をもっているとでもお思いですか?」

「じゃあ何故お前はここにいる? お前何ぞがあのリッパーを倒せるものか! 奴はCランクだぞ、Cランクの超越者トランセンダーなんだぞ!」


 Cランク──超越者トランセンダーの身体能力のランク付で上から三番目。

 上から三番目と言えど、田舎のレリックには十分過ぎる戦力である。


「奴にどれだけの金を支払っていると思っている。奴がお前の様な小僧に負けるものか!」

「負けたんですよ。僕の様な小僧に」


 これ以上の会話は無駄だ。この男はきっと、自分の目で見たものしか信用しない。


「さあ、行きましょう。キャシーさん」


 未だ泣き止まないキャシーさんの肩に触れ、出来るだけ優しく声をかける。

「はい、はい」と呟きながら何度も何度も頷くキャシーさんを立たせると、彼女は以外に背が高かった。一七九センチある僕と目線が大して変わらない。

 と言うかよく見てみると、とんでもなく美人である。

 なるほど、女王様なんてやらされるわけだ。

 今更だけど、ジルさんも小綺麗にしていれば結構な男前なのではないか? 猫背になっていたから分からなかったけど、背だって僕よりも高かったかもしれない。

 美男美女夫婦なのかもね。


「ちょっと失礼しますね」


 キャシーさんの背中に左手を回し、膝の裏に右手を差し込み抱き上げる。所謂お姫様抱っこと言うやつだ。


「あ、あの……」

「すいません。これが一番脱出に適してまして」


 顔を赤らめたキャシーさんにドキッとしてしまったのは、心の内に秘めておこう。


「一つ聞かせろ」

「何ですか?」


 時間はないが一つ位ならいいだろう。


「お前のランクだ」


 ああ、そんな事か。

 よく聞かれる質問で、どうでもいい質問。

 何でそんな事を聞きたいのだろうか、その答えを知った所で何も変わらないだろうに。


「僕のランクは」


 自慢のCランク超越者トランセンダーを倒した男のランクを知った時、この男はどんな顔をするのだろう。驚愕か、それとも諦めか、納得か。はたまた、そのどれでもないのか。


「おやじぃ!!」


 せっかくだからかっこよく答えようとしたところで、金髪頭の如何にもチンピラが部屋に飛び込んできた。


「セルパーだ! セルパーが」


 その言葉を聞いた瞬間、僕は迷わず駆け出した。


「目を閉じて、口も閉じていて下さい」


 キャシーさんと目を合わせてそう伝えると、彼女は小さく頷いて目を閉じ、口をきゅっと結んだ。

 そうして僕は、両開きのちょっと小洒落た窓を蹴り開く。

 ここは二階? そんな事は関係ない。四、五メートルの高さならば、なんの問題にもならない。


 じゃりっ!!


 と凄まじい音を立てて敷き詰められた玉砂利の上に着地。

 人を抱えて飛び降りたせいか、着地した瞬間、踵から頭のてっぺんにかけて電流が走る。

 キャシーさんから小さな悲鳴が聞こえたが、今は構っていられない。


「アーリス」

〈裏口なら行けます〉


 通信と同時に、眼鏡のレンズに現在地けら裏口への最短ルートが写し出される。


「流石」


 思わず口が綻ぶ。

 宝は無事に取り戻せた事だし、後は正義の味方にお任せして、何でも屋はさっさと退場するとしよう。

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