『歌え明日の私』

 振られた

 割れた

 ちぎれた

 めまいがした



 今日を迎えるまでに

 緊張して張り詰め続けてきた心の糸が

 プッツリと切れて体が弛緩した

 最後どう言ってその場が終わったのか覚えてない

 想い続けた人の去る後姿さえ見る気にならなかった

 


 私は重い体を引きずって歩き出した

 糸の切れた凧のように

 コントロールを失った私は重心が定まらず

 フラフラと夕暮れの教室を出る

 壁やモノにぶつからずに進むのが精一杯

 私は家へ帰ろうなんて指令を体に発することもしなかったけど

 長年染み付いたその習慣は

 体のあるじがそれどころではないのを見てとり独断で体を動かした



 

 廊下は暗かった

 時間的にも遅いし実際に暗かったけどそれだけじゃない

 私の目には黒いカーテンが下りてきたみたいに

 黒いフィルターを通して見たみたいに

 私の目に色あるものとして生き生きとその存在感を示すものはなかった



 キレイな夕焼け空も

 明かりが灯り活気付いてゆく街も

 すべてが色あせて見えた

 セピア色した古い写真の中に閉じ込められたような空間に

 私は身を漂わせるだけ


 


 私って何だろう

 あんなに恋に一生懸命だった私

 心臓がドキドキして

 これほどまでに生きるってことを鮮烈に感じたことはなかった

 楽しかった

 卵を温めるように

 雛を抱くように

 私は胸の奥に芽生えたこの小さなともし火を手のひらで包んできた

 大事に、大事に守ってきた

 彼を思うたびに

 私の血流は逆巻き荒れ狂い 灼熱の情熱は私の全身を焦がした

 気が狂いそうになった



 これが恋なの

 初めて知った

 何て激しい

 何て怖い

 一切を焼き尽くす

 全てを投げ打たせるほどの魔力を秘めたもの

 しかし

 ひとたびその夢から覚めると

 灰になって何にも残らなかった



 楽しいお祭りが終わって皆が帰る

 ああ面白かったまた来年ね

 誰もいなくなってしまった後でひとり後片付けをするのに似ていた

 言いようのない空しさを噛みしめながら

 こみ上げてくる黒い塊を必死で飲み下しながら

 私はこのバカ騒ぎの後始末をする




 私は自分が憎らしい

 私の価値は一体どこにある

 少なくとも彼にとって私はこの世界ではそばにいなくてもいい存在だった

 運命は残酷だ

 こんな私の精一杯の小さな願いさえ叶えられないのか

 たった一人

 あの人だけでいいから

 例え彼以外の全世界の人が私を必要としなくていいから

 ただあの人にだけは

 そう祈ったその祈りさえ聞き届けられなかった

 頭では分かる

 人はそれぞれに心があり意思があり望みがあり

 彼の気持ちが私には向かなかっただけ

 強要はできない

 できたとしてもそれはきっと虚しい

 彼に罪はない



 でも何でかな

 説明できないどす黒い憎悪が

 やり場のない悲しみを友とした怒りが

 ガシンガシンと出口を求めて私の体内でぶつかりまわる



 私は苦しみ悶えてのた打ち回った

 失恋して4時間

 この時初めて涙が出てきた

 一度出てしまうとそれは穴の開いたダムのように決壊した

 涙の海

 苦しみの雲

 私という人間の魅力のなさを思い

 自分の運命を呪った



 人生 まだまだ長いしこれからだって楽しいことはたくさんある

 もっとこれからいい恋が見つかるさ

 そんなこと分かってる

 でもダメ

 きっとまだ私が幼いからだろう

 目の前の悲劇しか見えない

 本当に世界が終わったと思った

 私は何に対して何のために泣いてるのだろう

 しまいにはだんだん分からなくなった


 


 私は部屋の戸に鍵をかけていた

 ごはんよ

 母がノックする

 私は返事をしない

 食べたくない

 その後は塾に行く時間だった

 行きたくない

 何もしたくない

 ほっといてよ

 電気もつけない真っ暗な部屋で私はベッドにうずくまる

 そのうち呼びかける声もノックの音も止み

 母はあきらめて一階へ戻っていった 



 よく時間が悲しみを癒すっていう

 でもどれだけの時間がかかるのか

 今の私にはそれが途方もないような長い時間に思えた

 生きたいっていう積極的な原動力が低下した今

 私は電源の落ちた機械のように

 何もしたくなくなった

 横たえた体は呼吸以外の行為をやめ

 イヤでも冴え渡り高ぶった心から目を背けるために

 深夜の放送時間を終了したテレビのように

 ザーットと砂嵐を映すのみ



 人間って不思議

 主がいい加減でも体は本能的に生きようとするんだね

 告白の緊張もあってお昼は食べれなかった

 夕ご飯は反対の意味で食欲がなかった

 食べたいっていう積極的な意思はなかったけど

 私はドアの鍵を開けてフラフラと一階へ下りた

 もう夜の12時半だったけど

 母は私を待ち構えていたかのように出迎えた

 どうしたのとか何も聞かなかった

 わけを話しなさいとも迫らなかった

 今からご飯温めるから待ってなさいって

 それだけ



 私は本能的に目の前のご飯を口にほり込んだ

 味も何もしない

 砂をかんでるみたい

 その時 背中に温かいものを感じた

 母さん

 私のおなかに手を回す

 聞こえるよ

 心臓がドクドク打ってるのが背中を通して

 母さんはなにも言わない

 ただ母さんは震えていた

 そして、私の首筋に涙が落ちた



 ……ごめんね。



 私の目が開けた

 凍てついた氷が少しずつ溶けてきた

 私の中の何かが動き出した



 私ってバカ

 確かに彼は大事だったけど

 世界でイチバンだったけど

 私のこと心配してくれる人が

 私のことこんなにも大事に思ってくれる人がいたんだ

 そんなことに頭が回らない私はやっぱり高校生のガキ

 さっきからずっと泣いてはいたけど

 今度は命の通った涙を流した

 冷たい涙から熱い涙に代わった

 私はヒンヒン言いながら食事を食べ続けた

 涙が味噌汁に落ちて余計しょっぱそうだ

 私の口に味覚が戻ってきた

 ホントに変な感覚だ



 私はほとんど眠れなかった

 母は私に一日学校を休めと言った

 本当は意地でも行きたかった

 休めば きっと失恋のせいかと彼に勘ぐられる

 それだけは我慢ができなかった

 ちっぽけな私のささやかなプライド

 でも母は譲らなかった

 こんなに怖い母は初めて見た

 意図は読み取れなかったが 私は何かを感じて言うとおりにした



 アンタどうせヒマでしょ

 屍のような私を引きずって、母は自分の仕事場に連れて行った

 そこは保育園

 母はそこの非常勤の保育士

 今日はみんなと遊んでくれるお姉ちゃんを連れてきましたよ

 好奇心で小さい目をクリクリさせた子どもたちは

 一斉に私を取り囲んで離さない

 あちこち引っ張られ手をつながれ

 鬼ごっこしたり砂場で城を作ったり折り紙や粘土で遊んだり

 一緒におやつを食べた



 その後は午睡と呼ばれるお昼寝の時間

 へぇぇ そんなものあったっけなぁ

 昨日ほとんど寝ていない私はグーグー寝入ってしまい

 子どもたちに揺すられまくってやっと起きた

 目を開けた時 たくさんの小さな瞳が私をのぞき込んでいた

 私は笑った

 子どもたちも大笑いした

 母も笑った

 他の保育士の先生方も園長先生も笑った

 心の底から笑った



 最後に絵本の読み聞かせに挑戦した

 心というものを真剣に見つめる戦いをした私には

 その絵本の内容が心に染み入った

 だからだろうか

 私は絵本とひとつになって語れた

 笑うところでは笑ったが

 子どもたちも子どもたちなりに静かに 真剣に聞いていた



 また来てね

 約束だよ

 ゼッタイだよ

 てか、いつかここのセンセイになってよ

 私は画用紙に誓約書を書かされた

『私は時間ができたらゼッタイに保育園でみんなと遊ぶことを誓います』

 バイバイ

 母親に迎えられ、帰っていく子どもたちを見送った

 最後の一人が帰った時 もうすっかり夜だった

 母って こんないい仕事をしてたんだ

「子どもってかわいいもんでしょ。まぁあんたもそれほど大差ないけど」

「……悔しい。でも当たってる」

 学校を休んで保育園で過ごした今日という日は

 私にとって忘れることのできない一日となった



 何かが目覚めた

 私の中で何かが革命的に変わった

 私は保育士になることを念頭においた動きを開始した

 いい加減にしかやってこなかったピアノをもう一度学びなおし

 ボランティア活動にも目を付けた

 ウチの高校にはボランティア部とかそれに類する組織はなかった

 信じられないが私は部を立ち上げた

 ウソでしょ?

 周囲は皆目を丸くした

 今まで目立たなかった私が

 リーダーシップのかけらもなかった私がそんなことしたもんだから

 天地でもひっくり返ったんじゃないかというくらい

 先生もクラスメイトも驚いた



 でも確かにその通りのことが起きたの

 私の中で天地がひっくり返ったのよ

 勇気を出して校門でビラを配って勧誘活動をした

 部員も10人集まってくれた

 保育園はもとより身障者施設や老人ホームへも

 歓迎してくれるところならどこへでも出かけた



 なぁに話って


 ……君のことが好きだ


 えっ


 ……すっごい輝いてるんだ 君って


 そんな。したいことしてるだけよ


 ……そうかもしれないけど、それでもすごいよ 


 私なんて ほんとつまらないわよ


 ……君のつまらなさは他の子のおもしろさよりもはるかに上だよ



 半年も活動した頃だったかな

 私は部員の男の子に告白された

 あの日以来恋など忘れた私

 ただひたすらに内なる声の命ずるままに

 がむしゃらに夢を追ってきたこの半年



 ああ

 私のこと見てくれる人がいたんだ

 こんな私でも輝いていると言ってくれた

 その気持ちが何よりもうれしい

 彼に私の持てる精一杯で応えたい

 私はその場で膝を折って泣き崩れた

 突然のことに彼は戸惑って 私の背中をさすってくれた



 ああこれが愛

 あの時とは違う

 恋とは違う

 一瞬にして燃え上がり、全てを焼き尽くして何も残さない

 動であり激であり有限

 それが恋



 しかし私の心は今 凪いだ海のように静か

 静であり平安であり無限

 それでいてどんな雨風にも嵐にも炎にも揺らぐことのない

 絶対的な完全無欠な強さを持つ

 それが愛



 私はあえて言わない

 立ち直って前向きに頑張ったから幸運が与えられたんだと

 出会いが与えられたんだと

 努力が報われたんだと

 確かにそういう側面はあるのかもしれない

 でも私は厳密には違うと思う

 求めることありきの行為はすべて虚しい結果を生む

 受けるより与えるほうが幸いである

 きれいごとのように聞こえるこの言葉

 私の胸には本当にしみるようになった



 私は生きる

 一日一日を精一杯力の限り

 それ以外のことは心配しない



 求めない

 求めるのはただ自分が自分であることだけ

 それ以外の一切はすべてあとからついてくる

 そのように生きる者を宇宙は絶対に見捨てない

 奇跡のように守られ生き続ける

 人の努力もあるけれど

 それ以上に大きいのは 与えられる恩寵

 自力がすべてだと信じる感謝なき努力は水泡に帰する 



 幸せであろうとして がむしゃらに目に見える努力をするよりも

 私が人のためにできるわざを喜びのうちに行うなら

 気がつけば 振り向けば

 いつの間にか抱えきれないほどの宝を与えられていることに気付くでしょう

 それはお金や権力のように

 不意になくなってしまったり 奪われてしまったりするようなものではなく

 朽ちず錆びず なくなったりすることも泥棒に盗まれることもない

 誰も踏み入れない心の中に蓄えられる永遠の宝



 昨日を想い出に

 今日を喜びに

 明日を希望に



 私は今日も幸せです

 


 私をこの世界に生んでくれて



 ありがとう

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