『痛み止め』


 歯が痛い

 え、何だって

 歯医者に行くのかって?



 冗談じゃない

 あんな怖いところ行くもんか

 治療以前に、あの独特のにおいが耐えられない



 僕は痛み止めを口にする

 とりあえずのズキズキと不快感は治まる

 ほっと一息つく



 ベッドにゴロンと横になりながら

 何となくこのまま放っておいたらどうなるか考える

 いけない いけない

 もっと楽しいこと考えなきゃ

 僕は脳裏によぎった危険信号をはたきで追い払う

 とりあえず気が楽になった


 


 あれ

 おじいさんはどうしたの?



 ……具合が悪いのに、ワシは病院がキライじゃ、言うてねぇ

 頑固に行かんかったら、とうとう取り返しのつかんことに

 やっと足を踏み入れた病院が、手遅れになってからなんて——

 この人も、かわいそうな人やった




 彼女は?



 ……今は、そっとしといてあげて

 何を言っても、しばらくはダメと思う

 かわいそうに

 長いつき合いの彼とうまくいかなくなってね、とうとう

 今まででも危なっかしくて

 私は何度もよく考えた方がいいよ、って言ったんだけどね

 あの子は大丈夫大丈夫、って気丈に言い続けてね



 怖かったのね

 そのままが永遠に続くと夢を見続けた

 もっと早くに辛くても自分を見つめなおせば

 この年月ももっと別のことに使えたのに——




 僕は重い腰を上げた

 歯医者に、行ったよ



 ものすごくイヤだったけど

 治療を受けてみれば、思ったほど怖いものでもなかった

 痛さも、それほどではなかった

 逆に、終わった後は達成感すらあった


 


 痛み止め



 それはひと時だけ現実を忘れさせてくれる

 治療は痛い

 手術もかなりの痛みを伴う

 自分の現実を直視するのも辛い

 自分の弱さを認め、なおかつ変えようとするにはエネルギーがいる

 誰だって痛いのも辛いのもイヤに決まっている

 誰だって自分のことをとやかく言われたら気分が悪いに決まっている



 でも、逃げるな

 戦え

 自分自身と、自分のしていることへの信頼と確信がないなら

 それは地震でやがて潰れる家と同じだ

 嵐が来たら倒れる木と同じだ

 今はよくても

 いつかは最後が来る



 自分を幸福に導く痛みは幸いだ

 同じ痛みでも、価値ある痛みだ

 それを乗り越えれば、平安が待っている



 自分というものを見えなくさせる、見せかけの平和は災いだ

 偽りの安心は災いだ

 滝壺に向かって船が突き進んで行っているのに

 進む先ではなく川の両岸のきれいな景色にうっとりとして

 自分の破滅に目をつむる



 苦しいでしょう

 辛いでしょう

 気分のいいものじゃないでしょう

 でも

 見つめてみなさい

 あなたがよしとする、その現状の脆弱さを

 頑なに守ろうとしている対象物の真の価値を



 あなたに不都合な言葉

 あなたの聞きたくない言葉

 言われたくない言葉

 するのに勇気がいること



 そこにあなたにとっての宝が

 幸せへの鍵が見つかることだってあるかもしれませんよ——

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