『歩けるよ』

 目が覚めた私は起き上がろうとした

 何かヘンだ

 真っ直ぐ起き上がれない

 てか、腰から下の感覚がない

 そばに白衣を着た医師らしき男性がいる

 彼は眼鏡の奥の瞳を悲しそうに曇らせる

「お気づきになりましたか。残念ですが……」

 続きを言わなくても、私にはその先が分かった

 私には、あるはずの右足がなかった



 私の人生は光から闇へ

 仕事は続けられない

 結婚も考えていた彼は、いつしか連絡が取れなくなった

 父母は私のために泣いた

 私を車でひいた事故の加害者がやってきた

 会社員の男性で、首をうなだれて青ざめていた

 すみません すみません

 一生をかけて償います

 あなたの人生をこんなにしてしまって何とお詫びしたらよいのか



 その人が心から悔いて必死に謝っているのは分かった

 でも、私の中の何かが彼をゆるさなかった

 有無を言わさず、その感情は私の口を動かした

 帰ってください

 あなたの顔なんか見たくもありません

 事故処理のことでは仕方がありませんが

 もしあなたが本当に私のことを思うのなら

 できるだけ私の前に現れないでください

 お見舞いも結構ですー



 一ヶ月泣き暮らした

 二度と普通に歩けない

 二度と走れない

 自由に行きたいところにも行けない

 人の世話にならないとできないことも増えた

 私のそれまでの人生設計は台無しになった

 これから、どうやって生きていこう

 また、恋ができるだろうか

 幸せな結婚ができるだろうか

 障害者を扱ってくれる結婚相談所の世話になるなんて

 考えただけでも惨めで、涙があふれてくる

 それ以前に、私は事故前に付き合っていた彼のことがショックだ 

 信じていたのに

 大好きだったのに

 足がなくなったら、わたしのことキライになるの?

 じゃあなた、私の何が好きだったの?

 私の値打ち、って何なのよう

 誰か、教えてよう

 涙が止まらないよう




 病室で目覚める朝

 窓から差し込む光の束に、私は目を細める

 チチチ…と雀の声



 おはよう

 今日もいい天気ですね

 たまには外に出てみるのも、いい気晴らしになりますよ



 そう?



 だまされたと思って、行ってみられてはいかがです?


 

 私は、じゃあだまされて行ってみる、と返事した

 担当の看護師は涙を流した

 私がまったく生きる気力を失っていたから

 そんな私が外を散歩したいなんて言ったものだから、彼女は飛び上がって喜んだ



 まかせてくださいっ

 何時間でも、どこまででもお供させてくださいっ



 そ、そんな大げさな……



 私は、足を失ってから初めて普通に笑った




 私は、歩いているよ

 確かに自分の力でない

 車椅子を押してもらっている

 でもやっぱり、私は歩いているんだよ

 押してくれる人と一緒に

 心がひとつになって

 同じ風景を見

 同じリズムで

 自分の力で歩けるのが一番いいんだろうけど

 これも悪くないなぁ

 私は、看護師さんのお話をたくさん聞いたよ

 家族のこと、仕事のこと、片思いの彼のこと

 彼女の人生も、私の人生の一部になったよ

 だって、もう他人じゃないんだもん



 女の子が面会に来た

 あなたはだあれ?

 彼女は、加害者の娘さんだった

 パパはね、最近元気がないの

 痩せてね、毎日泣いてるの

 本当に悪いことをした、どうしたらゆるしてもらえるだろうって

 ゆるしてもらえなくてもいい

 ただケガさせたお姉ちゃんに心からの笑顔が戻ればそれでいいのにって

 いつもいつも苦しんでるの

 お姉ちゃん、教えてくれないかな

 パパ、どうしたらいいのかな

 何をすれば、またシアワセに戻れるのかな

 それとももうどうしようもないのかな

 私も、謝るね

 だってワタシパパの子だもん

 ごめんさない

 何だってするから……



 女の子のつぶらな瞳に涙が満タンになった

 溜めておけなくなった大粒の涙がポロリ

 私はわけもなく胸が締め付けられた

 たまらなくなって、私はベッドのそばのその子を抱きしめた



 いいのよ

 あなたは悪くない

 ごめんね

 この事故で辛い思いをしていたのは、私だけじゃなかったのね

 私は、言おうか言うまいか悩んでいる一言があった

 心の中で、壮絶な葛藤をした末に私は女の子に言った

 お父さんに言ってあげて

 私、頑張れそうです

 また元気になれそうですって

 今度、会いに来てくださいって



 ホント?

 うれしいな

 お父さんもきっと喜ぶよ

 また、元気になってくれるかな

 ちょっとでも早く教えてあげたいから、帰るね

 バイバイ

 私とその女の子は、トモダチになった

 また、病院で会う約束をした

 今度はね、売店で一緒にお菓子買ってね

 外の庭で散歩もしながら、樹の下でゆっくり食べるの



 私に見えてきたかすかな光

 それを必死で追う私

 追いかける

 追い詰める

 追いつける

 追い抜ける

 待ってなさい出口よ

 私はもうすぐそこに着くんだから



 リハビリセンターのお兄さんは面白い人

 さぁ張り切って行きまっしょい!

 それが口癖で、私は毎回笑わせられる

 何とか生きている左足を鍛える

 前までは思っていた

 私には右足がない

 でも今ではこう思う

 私にはまだ左足が、そしてこの命が

 そして本当に大事な人が……



 障害者手帳をもらい、年金が支給されるようになった

 でも、私はちょっとでも仕事もするんだ

 退院したら、パソコンを本格的に習うんだ

 そして、足が悪くてもできる仕事を探すつもり

 ちょっと恥ずかしいんだけどー

 ここ半年の入院で、リハビリ担当のお兄さんと恋に落ちました

 ある日、彼から告白されたの

 一生、あなたの足になります

 そしてあなたも、僕の心の足になってください、って

 私は彼とキスした

 涙をボロボロ流しながらのキスは、しょっぱい味がした



「ほら、もうすぐですよ」

 私は、今朝退院した

 今私の車椅子を押してくれてるのは、結婚を誓った彼

 私の前を歩いて、案内してくれているのは加害者の男性

 そのそばには奥さんとあの小さな娘さん

 そして、長い間私を担当してくれた看護師さんもついてきた

 お弁当もお菓子も、しっかり用意してきている

「エヘヘ。お姉ちゃん、きっとビックリするよ」

 しばらくして見えてきた風景に、私は息を呑んだ



 ……キレイ



 一面、見渡す限りのコスモス畑

 風に揺れている

 笑っている

 踊っている



 私は、事故に遭って良かったとまではまだ言えない

 でも、必然だったのかもという気もする

 このことがなかったら、前の彼の本質は見抜けなかった

 生きる、ってことの真実が分からないままだった

 憎しみとは何か

 ゆるすとは何か

 本当に大事な人とは誰か

 一切分からずにいただろう

 私の上っ面ではなく本当の私を愛してくれる男性に巡り合えたのも

 この事故があったから



「わーい、お姉ちゃん行こう行こう!」

 駆けていく女の子を追いかけて、彼は車椅子を押す速度を速める。

「あ、ズル~い、待て待てぇ!」

 私たちは、笑顔でその後を追いかける



 父さん、母さん

 私、ちゃんと歩いてるからね

 歩けるんだからね

 心配しないでね



 今から、思いっきり遊ぶんだから



 これから一生、めいいっぱい喜ぶんだから

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