第3話



「さて、どうやって抜くかだな。取れるか?」

「んぐっ、んががっ、う~ん、まだくっついてる」

 颯太の部屋に帰った貴一たち、抜けかけの歯を抜こうとしたが、グラグラになってはいても、まだ歯はそこそこ根付いていた。

「ちょっとかしてみろ、俺がやってやる」

「んぐっ、んぎぎ~~!! ひゃめっ!」

 貴一が無理矢理手で颯太の歯を抜こうとしたが、痛がる颯太は拒否し、貴一の手を払った。

「大丈夫だよ、触った感じだと、もう少しだ。無理矢理やって問題ない」

「無理だよ、怖い。きーちゃんだって、グラグラの歯を無理矢理抜かれたら怖いでしょ?」

 確かにそうだと貴一は気づいた。人ごとだから、ちょっと無理をすれば大丈夫だと楽観視していたが、いざ自分がその立場になったら、恐怖でいっぱいだろうと貴一は思った。

「自然に抜けるまで待つか?」

「え~、それって時間かかるんじゃない?」

「お前が怖がってるんだろうが……」

 あきれた貴一だったが、まだ子供の彼にはいい案が浮かばなかった。

 子供の貴一には、世の中がうまくいかないことでいっぱいだった。一人でお金も稼げず、ゲームをすることもできず、グラついた歯を抜くいい案さえ思い浮かばない。

 いい加減面倒くさくなって、床に座ろうとした貴一の目に、裁縫道具が飛び込んだ。蓋が開いたままで、ハサミや糸が見える。

 きっと、よく転んで服が破ける颯太の服を、颯太の母親が縫っているのだろうと貴一は思った。貴一は、颯太の母が、颯太と違ってなんでもできる器用な人だと知っていた。だが、仕事で忙しいから、片付けにまで気が回らなかったのだろう。蓋は開いたままになっている。

 そんなむき出しの裁縫箱に置かれてる糸を見て、貴一はピーンと閃いた。

「颯太、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ痛みを我慢できるか?」

「? どゆこと?」

「そこの裁縫箱に糸があるだろ? あの糸を歯とドアにくくりつけて、ドアを引く力で歯を抜くんだ」

「えええええええええええ!!?」

 貴一が思っていたより、颯太の顔が恐怖に引きつった。

「大丈夫だ、昔からある方法だ。子供の力じゃ一気にはできないから、ドアの力を借り──」

「無理無理無理無理!!」

「颯太、俺が触った感じじゃ、歯はもうほとんど抜ける。あとは気持ちの問題だよ」

「ええ! 僕はそんな気しないけど」

「別に俺は自然に抜けるのを待ってもいい、ただ、早くできる方法があると提案してるだけだ。お前が嫌なら、俺は無理には言わない」

「ええ、それなんかズルくない!? もっといい方法ないの?」

「お金が無いなら知恵を絞れ、という言葉があるけど、俺達にはその知恵も無い。だったら、痛みを払うしかない」

「ええ、ええー」

 颯太の腰は引けていた。当然だろうと貴一は思った。貴一だって、ドアで引き抜くなんて、そんな原始的な方法はお断りだった。

 だから、これも無駄な時間なんだろうなと貴一は思った。しかし、

「うーん…………わかった」

「え?」

「僕、やるよ、糸準備して、きーちゃん」

「颯太、本当にいいのか? ドアに引っ掛けて歯を引き抜くんだぞ?」

「怖いけど、でも一瞬だよね? ゲーム欲しいし、僕やってみる」

 颯太がときどき勇気を振り絞るのを貴一は知っていたが、まさかこんなことに勇気を振り絞るとは思わなかった。

 正直、貴一は思いつきを口走っただけだった。なんの策も無い自分たちだということを認めるのが怖くて、何か案がほしかった。それがどんなレベルの低い案でも、何か考えることで貴一は安心できた。

 だが、颯太はそんな貴一の案を、実行すると言っている。嬉しい反面、申し訳なくもある。

「失敗するかもしれないから、先に謝っとく」

 裁縫箱の糸を颯太に巻き付けながら、貴一は先に言い訳をした。

「大丈夫、僕きーちゃんを信じてるから」

 貴一は苦笑した。自分を信じる颯太のために、せめて綺麗に成功させたいと貴一は思った。糸の結び方なんて、固結びしか知らなかったが、それを、自分ができる最も丁寧なやり方で貴一は結んだ。

「こんなもんか。よし、いくぞ」

「わわ! ちょっと待って”!」

「ん? どうした?」

「せーの、でいくの? さん、にい、いち、でいくの?」

「どっちでもいいよ。そうだな、さん、にい、いち、でいくか?」

「わ、わかったよ」

 決心を決めたかに見えた颯太だったが、やはり恐怖心が大きいようで、かなり怯えている。

「いくぞ、さん、にい──」

「わー! ちょっと待って!」

「どうしたんだよ、さっきまであんなに自信満々だったじゃないか」

「きーちゃん、手を握っててもらっていい?」

「ドアを動かさないといけないのに、そんな器用なことできないだろ」

「うー、ちょっと待って、ちょっと待って!」

 どうやら、決心を決めたはずの颯太だったが、貴一の想像以上に恐怖しているらしかった。

「どうする? 俺はやめてもいいぞ。そんな状態じゃ無理だろ」

 見かねた貴一が、計画中止を提案した。

「う、うーん……」

「無理するな。別に今やらなきゃゲームが手に入らないわけじゃない。自然に抜けるまで待とう」

「う……、うーん」

「俺の提案がちょっと荒っぽすぎた。これはやり方がまずかった。今回はやめよう」

「ごめん、きーちゃん」

「お前が気に病むことじゃない。誰だって怖いさ」

 元々馬鹿なことを言い出した自分が悪かったと貴一は思った。ゲームで遊びたい気持ちはあるが、颯太を傷つけてまで遊びたいとは思わなかった。どうせゲームするなら、楽しく遊びたい。こんなことで友情に傷をつけたくなかった。

 だから、貴一は快く中止し、ドアに括り付けた。紐を解いた。


 ガチャ──

「ただいまー」


 玄関から少し疲れ気味の女性の声がした。

「あ、お母さん!」

 すぐにそれが自分の母の声だと察し、颯太は紐がまだ歯に括り付けてあることも忘れ、母の元へ走った。颯太の母が、颯太が起きてる時間に帰ってくるのは、とても珍しいことだった。

「あれ? 颯ちゃんどうした? 歯にお糸なんてつけちゃって」

「え? ああ、これ? 歯が抜けそうだったから、どうにかして抜けないかなってきーちゃんと試してて、それでそのまま──」


 ブチッ──

「いたーーーーーーーーっっ!!」


 玄関に颯太の鳴き声が響き渡った。

「うわーん、痛いよーー!」

「よしよし、お母さんが取ってあげたからね。これで颯ちゃんもすっきり男前になった」

 何事かと思って玄関に駆け寄った貴一に、颯太の母は茶目っ気たっぷりにVサインをした。

「なんてこった……」

 颯太の歯は綺麗に母親に引き抜かれていた。颯太は泣いているが、血も出ておらず、至って普通だ。

 貴一は、大人と自分の解決力の差に脱力したが、こんな解決法が正解なのだろうかと首を傾げた。

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