第九章  零隊 

 それは異様な出で立ちだった。無精ひげが伸び、目は落ちくぼみ、乱れた長髪、まるで落ち武者のようだった。ここに至るまでの長い道のりで足を悪くしたのだろうか、杖までついていた。

「どうぞ」

 俺は周りを観察してから、松田信秀を自宅のアパートに迎え入れた。

「柳君、申し訳ない。奴らにはめられた」

「まさか、ここまでとは」

 簡単な食事を済ませた後、松田は俺の目をじっと見た。

「もうここまでだ。最後に君の顔が見たくてな。ありがとう」

 死を覚悟していた。俺は、松田の肩にそっと手を置いた。

「まだです。まだ終わってない」

「何?」

「俺も松田さんと同じです。この世で最も敬愛していた師を公安庁に奪われた。復讐はまだ終わらない」

「しかし、我々二人でどうしろというんだ。」

「ご心配には及びません。解放軍の兵士たちは今どこにいるか分かりますか?」

「散り散りにはなったが、連絡はつく。私が声をかければ、百人を下らない兵たちが集まるだろう」

 俺は頭の中で次の一手を考えていた。松田が訪ねてきたのは予想外だったが、これを利用しない手はない。

「松田さん。よく聞いてください。新しい部隊を作りましょう。俺たちをだました日本政府と公安庁に鉄槌を下す新しい部隊を。隊長はあなたです、松田さん」

「最後の悪あがきか。いいだろう。私も男だ。負けたままではいられない。して、その隊の名は?」

「アウトオブオーダーの頭文字。OOOから、零隊としたいと思います」

「秩序の外か。悪くない。我々にふさわしい」

 松田の目は輝きを取り戻していた。しかしその光は、復讐心に端を発したどす黒いものだった。

 俺の最後のミッションが始まろうとしていた。



 名古屋港からほど近い廃工場には、予想していた以上の数の人が集まっていた。旧ニルビアの国民、旧日本解放軍の兵士たちだ。深夜の決起集会が始まった。

「この度はお集まりくださり、ありがとうございます」

 壇上に立つ俺を、皆不安そうに見つめていた。命懸けで名古屋に駆けつけてくれた兵士たちだ。松田から俺の話は行き渡っているらしく、群衆は話に耳を傾けている。

「柳我久と申します。零隊、参謀を務めさせていただたきます。隊長は、松田久秀さんにお願いしたいと思います。よろしいでしょうか?」

 あちこちから歓声が上がった。松田のカリスマ性は本物だった。

「我々の目的はただ一つ。院をつぶす」

 どよめく聴衆からよく通る声が届いた。

「俺たちは公安庁につぶされた!復讐すべきは公安庁だ!」

「そうだ!公安庁の関係者を皆殺しにしろ!」

「もちろん分かっています。しかし、公安庁はただの傀儡にすぎない。院こそあなた方ニルビアをつぶした張本人、そしてわが師を死してなお凌辱した極悪非道の一族だ!」

 俺はそこまで言って一息つき、最後にこう締めくくった。

「武器をとれ!小田原を忘れるな!」

 マイクなしでも響き渡った俺の咆哮に、雄たけびが返ってきた。それは一種の熱をもって、廃墟に広がった。俺は最後に、兵士たちを見渡してから壇上から降りた。次は松田から作戦概要を説明する運びとなっている。

「松田さん。あとは任せます。私は少しやることがありまして」

「ああ。分かった」

 すれ違い様にそんな言葉を交わして、廃工場を出た。目的地はここから少し離れた公園だ。



 公衆電話で110をプッシュした。ツーコールぴったりで、

「事故ですか?事件ですか?」

 という事務的な男性の声が受話器に届いた。

「いえ、情報提供なのですが、匿名でお願いできますか?」

「ええ。構いませんよ」

「実は、気になることを聞いたんです。京都に新山公園ってありますよね。前に公安庁本庁があった近くに。そこで三日後の正午からデモをするっていううわさを聞いたんです。どうやら松田も絡んでるらしいんです」

「そうですか。分かりました。情報提供、ありがとうございました」

 もっと詮索されるかと思ったが、匿名の情報提供と断ったおかげで、それ以上聞かれることはなかった。俺は受話器を一度置き、携帯を見ながらある番号をプッシュした。

 今度はワンコールで出た。

「時間通りだな。我久」

「当然だろ」

「本当にいいのか?」

 夕月の声色は、深夜の公園と同じだった。

「俺にしかできないだろ。徹にでも頼むか?」

「いや、徹は優しい男だからな。やはり私はお前に頼みたい」

「これが俺の最後のミッションだ」

 電話を切った後、涙がぽたりと落ちた。それはこれから起こる悲劇を予見するものだった。



 公安監視庁の本部は、大阪に極秘裏に作られた。一見空きビルだが、その中には公安庁時代の膨大な機密情報が詰まっている。夕月が示したルートをたどると、職員に気づかれることなく、長官室にたどり着くことができた。

 ノックもせずに入ると、夕月は立派な革張りの椅子に腰かけ、腕を組んで瞑目していた。

「来たか」

「ああ。来た」

 片耳のイヤホンからは、怒号と銃声が聞こえる。

「うああ!参謀!柳さん、応答願います。こちらはもう壊滅状態です!やめろ!離せ!ああ!」

 予告通り、新山公園で暴動を起こした解放軍の残党は、待機していた警官と機動隊によって鎮圧されていた。

 対して、公安監視庁、長官室は静けさに満たされていた。夕月は目を開け、ゆっくりと立ち上がった。

「この曲が好きなんだ」

 夕月が音楽プレイヤーを操作すると、英語の歌詞とともに穏やかな音楽が部屋を包んだ。夕月は応接用のソファに移動した。そして、俺に椅子をすすめた。俺たちは対面するようにソファに座り、長い対話は始めた。

「イエスタデイ・ワンス・モア」

 カーペンターズの名曲。昔、ラジオから流れていたことを覚えていた。

「あの懐かしい日々をもう一度取り戻したかった。しかし、叶わなかった。沙由さんを失ったし、お前とも徹とも離れ離れだ。」

「違うな。お前の願いは叶ったよ。沙由さんも俺もここにいる」

 俺は指輪を机に置いた。

「毒入りか」

「知ってたのか」

「まあな。しかしこれで終わる。いや散るか……。我久、お前の話を聞かせてくれないか。聞きたいんだ」

 夕月の表情は穏やかだった。俺はこれまでのことを事細かに語った。夕月は時々うなずきながら、静かに聞いていた。エンドレスに流れるイエスタデイ・ワンス・モアが心地よかった。



 俺が最後まで話すと、夕月はふうと息をついた。

「どうした?」

「言おうかどうか迷っていたが、やはり言っておこうと思う。沙由さんが亡くなった時、矢を抜かなければ助かったと思う」

「いまさらそんなこと言っても仕方ないだろ。俺たちは沙由さんの上官命令に従ったまでだ」

「違う、そうじゃない。沙由さんの命令は、お前が救出された直後に下されていた。それも私だけに。もし、沙由さんの命が危機にさらされたのなら、見殺しにせよと」

 激震が走った。どういう意味か理解ができなかった。口をパクパクさせるだけの俺に、夕月はさらに続けた。

「沙由さんはお前に、帰還した暁にはすべてを話すと言ったそうだな。私と徹にも」

「ああ」

「ここからは私の憶測だが、沙由さんは北条静がお前に過去を語ったと感じたんだろう。それで、私に救出成功の無線を入れる際に私に指示したんだ。お前には聞こえないように」

 俺は小田原での救出されたときのことを思い出していた。助かった安堵で、沙由さんと夕月の無線の内容など耳に入ってなどいなかった。

「どうしてそんなこと。沙由さんだけじゃない。俺たちにも傷を残すとわかっていたはず」

「綺麗なまま死にたかったんだろう。お前の話を聞く限り、沙由さんが語るはずだった真実は、褒められた話ではない。エスピオナージ・ストラテジー・フロム・オダワラを知っていながら何もしなかったんだからな。沙由さんの最後の命令は、私たちに自分の過去を知られる前に、自ら命を絶つものに等しい。北条静の言葉を借りれば、臆病者の自分を見せたくなったんだろう」

 腹の中で、何かがぐるぐる回っている。吐き出せない苦しさだったが、不思議と怒りはなかった。

「それも含めて沙由さんだ。誰も完璧じゃない。そんな弱い沙由さんも俺は愛すつもりだ」

 やっと出てきた言葉がそれだった。少し苦しみが和らいだ気がした。

「そうか。私もそう思う。言ってよかった。これで、悔いはない」

 ちょうど、曲が流れ終わった時だった。夕月はおもむろに指輪を手に取り、しげしげと眺めた。そして、装置を起動し、自らの首に毒牙を突き立てた。



 俺の背中で人が死ぬのは、もうこりごりだと夕月に言うと、

「心配するな。ここから車までは、三分とかからない。毒が回るまではなんとか持つだろう」

 と、笑って答えた。

 人払いを済ませていたのだろう。駐車場まで、誰にも見つからずにたどり着くことができた。後部座席に夕月を横たえると、エンジンを入れ東へ向かった。

「京都の実家でいいんだよな」

「それでいい。和歌子さんに話は通してある。私の遺体は、彼女に引き渡してくれ」

「了解」

 俺の最後のミッションが終結へと向かっていた。



「誰も完璧じゃない、か。本当だな」

 ぎょっとしてルームミラーを見た。もう息を引き取ったと思い込んでいたからだ。夕月はすでに目をつむっていた。それは静かな覚悟を表していた。

「どうした?いきなり」

「時計を見てみろ」

 ちらりと目をやって納得した。大阪を出て、すでに三十分も経っていた。



 和歌子さんの対応は淡々としたものだった。

「坊ちゃんからすべて聞いています。あとはわたくしたちにお任せください。ありがとうございました」

 死体を運んで礼を言われたので、俺はなんだか変な気持ちがした。



 御院家を出たとき、エージェントしての柳我久が散った。

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