“She”

ten10

“She”

 “She”



「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」


 照りつける陽射し。クーラーの効いた店内。氷の音が心地よいコップ。そしてうんざりするような通知画面。

 スマホの画面にはシーから始まる似たような文章が並んでいた。先月からSNSは連日“She”、彼女の話で持ちきりだ。

 

 うだるような夏が始まるひと月前、世間を賑わせていた凶悪な連続殺人の犯人、通称Sheが捕まった。ちなみにSheと名付けられたのは逮捕後で、それまではWhoとかいう名前だったとか。

 Sheと呼ばれるようになったのは、彼女が釈放された後のことだ。逮捕され素性が公開され、世界の憎悪を買ったのはいいものの、結局証拠不十分。お咎めなしで留置所から出てきた。

 それが世間的には気に食わなかったのだろう。釈放されてからは毎日のように「She is guilty!(彼女はクロだ)」だの「She is innocent!(彼女はシロよ)」だのと騒いでる。どのネットカキコミにも最初にSheから始めるものだから、連続殺人犯の名前はWhoからSheへと置き換えられたというわけ。


 しかし世間の義憤の熱はネットの誹謗中傷だけじゃ収まることはなかった。無能な警察には任せられないってことで、自分たちで裁こうと誰かが言い出した。その波はあっという間に広がり、ムーヴメントになり、次から次へと行動に移す奴が出た。

 いや、改めて考えると不気味だね。俺も客観的に語ってるが、その熱にあてられたクチで、非難なんてできやしないが。


 そして波に踊らされた俺はSheの呼び出しに成功し、喫茶店で一緒にアイスコーヒーを飲んでる。彼女は澄ました顔でコップに口をつけた。

 本当は飲み物に毒を入れて殺すつもりだった。でも直前になって、ただ熱にあてられただけの俺は冷めてしまった。今年の猛暑も凌ぐ熱かも思いきや大した効果はなかったみたいだ。所詮俺は一般人。殺すだけの勇気も正義も持ち合わせてない。


 正直迷っている。

 目の前にいるSheはネットで噂されるような凶悪なサイコパスではなく、どこにでもいるような女性だ。

 Sheはまともそうに見えるが、その実、本性を隠してるかもしれない。だけど、それは俺たちも同じか。まともな奴なんかいない。正常なんて戻れない。


 真実を告げようと思った。もううんざりだ。嘘を吐いて殺すなんて。

 口を開こうとした瞬間、Sheは席を立ってトイレに向かった。折角の機会を逃した。次はないかもしれない。

 なにしろ、“みんな”にはもう気づかれてしまった。


 波は大きくなり、ひとつひとつの小さな波は合体し大きな波になった。そして俺もその波の中にいる。

 店主が、ウェイターが、皿洗いのバイトが、隣の席の老夫婦が、外で喧嘩をしていた男子学生たちが、みんな揃って俺を睨みつけている。

 意味は分かっている。俺に黙れと、真実を喋るなと、今日の全てはSheのために用意されているのだから邪魔をするなと。


 彼らは皆一様に、自分の鼻先に人指し指を立てると、こう呟くのだ。

 

 

「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」「シー」




 -了-

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“She” ten10 @skana5

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