Ramen guide for semiconductor engineer

諸田 狐

第1話 ラーメン二郎との出会い

初めてラーメンに興味持ったのは何時だったのかはっきりとしない。

大学は埼玉のある地方にあるいわゆるFランと呼ばれるところだったので、いわゆる慶応の二郎とか立教の東池袋大勝軒とかの有名店なぞ有るわけでもなく、所謂、町中華的な中華料理屋さんくらいしかなかった。

 ラーメン店なんて、他には「くるまや」や「どさん娘」などのチェーン店系しか知らず、今のようなラーメンブームなんて未だ来ていなかったから、ガイド本すら無く、ましてやインターネットなんて無い時代だ。

 かろうじてパソコン通信くらいは有ったかも知れないけど、その当時の代表的機種、NEC PC98シリーズも四十万超えととても普通の大学生は手が出ない。それでもパソコンオタクの人達は食費を削ってでも手に入れていたみたいだけど、自分は生憎パソコンなんて興味は無く、却ってオタクを嫌悪(同族嫌悪だったのだと思う)していたから、余計にそんな物欲しいとも思わなかった。

 学生時代に一番興味あったのは、音楽ともちろん女の子。

だからラーメンに興味を持つなんて事もあまりなかったのだ。

 そういうわけで自分がラーメン好きになったのは割と時代が下って社会人になってからだ。

 始めて所謂チェーン店以外の本格的なラーメンを経験したのは、職場の上司に連れて行ってもらった、三田のラーメン二郎。僕のラーメン経験は此処に始まったと言って良い。

 この頃の僕は痩せているとは言いがたかったが、BMIでギリギリ肥満ではない程度、恐らく身長百七十八で体重は七十五前後だった。少しぽっちゃりしている程度だろうか? その僕と会社の上司である○山さん、同僚の○村さん、○野さんと連れだって三田の二郎に行った。

 その当時の僕の職場はわりと緩い雰囲気で、適当な時間に昼休みにして適当に帰ってきても問題視されないような良いところだったので、昼食タイム前の十一時少し過ぎたくらいに芝浦にあるオフィスを出た。

 札の辻橋を渡って慶応の前までてくてくと歩いて行くのだが、位置関係的に言うと山手、京浜東北を境に丁度反対側にあるため、わりと到着までは時間も掛かる。男四人だからくだらない話をしながら行くわけで、そうなるとさして辛くも無いが、これが一人で行こうもんなら、わりと退屈で辛い道程だ。

 そんなこんなで十一時ちょっと過ぎに出発しても、三田に着いたのはもう十一時半ちょっと前。店前には既に十人くらい並んでいる。この頃はようやくインターネットが普及し始めパソコンも個人で所有するにもハードルが下がってきた時代だ。未だモデムによるアナログ通信で64kbpsで凄え速ぇ〜! などと言ってた時代で、今では信じられないがアップル(まだアップルコンピュータと言ってた。ジョブズが復帰する直前だった気がする)は倒産寸前の状態。

 そんな時代だから当然ブロガーもツイッターも無い時代で、かろうじて個人レベルのラーメン情報は発信されている程度。それでもそいういうサイトを通じてラーメン二郎の様な取材拒否店でもかろうじて知名度が一般的になりつつあるといった程度だった。だから十一時半の時点で十人なんて、今では信じられないだろうけど、当時はまだその程度だ。昼食時間と慶応の講義時間の狭間を狙えばそれほど大行列と言うわけでも無かったのだ。

 それで、僕等はこの時間でも行列の最後尾は共産党のポスターがベタベタ貼ってある辺りにつけることができたのだ。この程度なら上手くすれば十分で着席出来るとの話だった。

 連れて行ってくれた○山さんは都立三田高校出身かつ、このあたりが地元だったそうで中学時代から二郎を食べている強者、いわゆるジロリアンで、当時は慶応大生と一部ラーメンマニアしか知らなかった二郎を語らせると止まらないというほどの筋金入りジロリアン。学生時代は柔道をやっていたと言うこともあり、如何にもという典型的なジロリアン体型だった。

 そして厨房から出される水はぬるくて不味いから店前の販売機でお茶か水を買えとか、サイダーとか炭酸は間違っても買うなよ、死ぬからとかいろいろ教えて貰った。

 さらに二郎の伝説をいろいろ教えて貰ったのも○山さんだ。

曰く、慶応の体育会は新人を最初に連れて行って、この店はメンマラーメンがオススメでA,B,Cの三種類有るのだけど、Cが一番美味いからメンマCラーメンを頼め! という例のアレとか、ニンニク入れますか? と聞られたらオヤジの指と言った学生がいてオヤジがマジギレしただという伝説だ。

 僕は当然始めてなので、何を食べていいか判らなかったがさすがにメンマCは冗談だとしても、何が良いかたずねると、

「そうだな、此処はラーメンの量で小と大が有って、チャーシューをブタって言ってるんだが、普通のは二枚くらい、ブタ入りを頼むと四枚、ブタダブルは更に倍って感じだけど、まっちゃん(当時の僕のニックネームです)なら、大ダブルいけるよ!」と薦められた。

 最初に書いたように、僕は身長百七十八センチで体重七十五キロのわりとがっしりした体型だったので、それくらいいけると踏んだのだろうが。はたまた、メンマC先輩のようなイビリ目的だったかは知らない。ただ、その当時の僕は未だ育ち盛りの済んでいない少年の様によく食べる人間だったので、それくらい平気だと思っていた。

 食券販売機の前に来ると○山さんは当然のごとく大ダブル。僕は薦められたとおり、同じく大ダブルを購入。そしてなぜか他の二人もつられる様に大ダブルを購入していたのだが、これが後々地獄を見るきっかけになる。

 狭い店内だから皆ばらけて座ることになるんだけど、当初ばらばらに座っていた我々なのだが、偶然僕の隣が空き、その向こう側に座っていた○村さんがなぜか、隣に移ってくる。

「お次、ニンニク入れますか?」と当時の名物助手である酒井さんが○山さんに尋ねる。

「野菜、ニンニク、カラメで」とベテランらしく慣れたコールで答えた。この当時もマシマシとか有ったが、マシマシとか言うと逆に減らされるという話も○山さんが言っていた。

「はい、お次ニンニク入れますか?」

僕の番だ。と、いってもよくわからない。○山さんのまねをして、

「野菜、ニンニク、辛め」と言うしか無い。

 如何にも頑固そうな店主が山盛り盛られたどんぶりを片手でひょいと持ち上げ、僕の目の前にドカンと置く。

 初めて見るラーメン二郎はかなり衝撃的だった。まず盛り付けが雑というか汚い。どんぶりにはスープやタレが溢れてギトギトになっており、てらてらと光っている。麺やもやしもはみ出して、テーブルに一部くっつくほど垂れ下がる。スープはなみなみと満たされ、少しでも動かしたら溢れてしまいそうでそのままどんぶりを下ろすのも躊躇するくらいだ。

 溢すまいと注意すればするほど、手が震えどんぶりの汁も溢れそうになる。それでも何とかテーブルの上に下ろすとその異様な見てくれにさらにショックを受ける。まるで素人が盛り付け(親父さん、見てたらゴメン)をしたのか? と思うくらい凄かった。ただ、所謂現在の二郎系のような山盛り状態な野菜でも無いため、麺はかろうじて確認することは出来る。

 その麺なのだが、本当に初めて見たときは軽くショックを受けた。これがラーメンの麺? と思えるほどの自分の既成概念とかけ離れたものだったのだ。まず、麺が凄く太い。通常の中華麺と比べると倍以上はあるのでは無いか? 細めに打ったうどんのようだ。そして、麺の色が常識の範囲を超える灰色のそばのような色。ラーメンというと黄色いかん水ので発色した物を想像していた、自分にとって概念を覆す色であった。

 だが、そんな事でびびっている訳にはいかない。まずは味見だと言う気持ちで、麺を箸で掴もうとするがみっちりと詰まっているみたいで簡単に持ち上げられない、それでもほじくり返しながら麺をたぐりすすって見ると、見た目通り凄く腰がある、というより固い。まるで水団のようだった。そしてスープがとてもしょっぱい。食べて見ても衝撃は大きかった。

 これって本当にラーメンなの? というのが最初の感想だ。だが、お腹も空いていたので、衝撃を受けながらもずるずると啜っていく。たしかにラーメンとしては違う気もするが、手打ちうどんの一種だと思えば別に有りだと思った。

 実は実家は埼玉の北の端。幼少の頃から母が手打ちで打ってくれたうどんを食していたので、このラーメンはちょっとそれを思い出す。母はあまり料理は得意では無いのだが、手打ちうどんだけは美味しかった。但し味付けに関しては褒められた物で無く、ちょっと過多なくらい濃い味付けをする人だったので、この辛めのスープは味付け的にしょっぱいのになれている僕に取ってそれほど無理がある物でも無い。

 だが、この量は凄まじく、もうだいぶ食べているのに麺が減っている気がしなかった。そして案の定半分も行かぬうちに、お腹がいっぱいになってきた。だが、まだ肉も野菜も、麺もだいぶ残っている。目の前の怖そうな親父を見ると残して帰るのは気が引ける。

 そこからはあまり記憶がない。とにかく残さずに食べなければと必死になって食った。まるで修行僧が苦行をしているようだ。そうしてようやく野菜、麺、肉の固形物をあらかた片付けどんぶりにはスープと残骸のような肉、野菜、麺の切れ端だけが残り、ようやく修行を完了できた。

 たべおわったら、友達や連れを待って残るのは御法度と○山さんに事前に聞いていたので、どんぶりをあげ、カウンターを拭いて(これもルールだと事前にレクチャー済み)、席を立った。

 店の外に出ると初夏の日差しが厳しい。そして、腹はパンパン、歩くのも苦しい状態で、同僚を待った。既に○山さんは完食して外に居る、

「どうだった?」とにやにやとして僕に尋ねる彼に「騙しましたね!」と言いたい気分ではあったのだが、上司でもある手前「いや、きっついすね」と答えるのが精一杯。正直味も何も判らなかった。美味いのか美味くないのかと言われても理解出来なかった。ただただ暴力的な量と濃い味付けでノックアウトされたとしか言い様がない。

 ほどなく、○村さん、○野さんも出てくるが、「あんなもん食えねえよ」と吐き捨てるようにいった。結局は半分くらい残したらしい。特に親父は怒ることもなく「ありがとぉ!」と言うだけで別に嫌味を言われることもなかったので、僕が考えていたよりも頑固ってわけでも無いみたいだった。無理して食って、なんか損した気分だ。

 帰りは○山さんを除き皆、自身の許容量を越えた物を食ったせいでダメージが大きかったようで、ふらふらと職場まで帰った。特に帰り道の札の辻橋は陸橋なので上り下りがきつく、パンパンになったお腹に堪えた。そてして、その日の午後は皆ダメージが大きかったようで、仕事に身が入らずだらけてしまって、たいした事が出来なかったのだ。

 僕はその日、人と会う約束をしていて、恵比寿でその人と食事をしたのだが全くお腹が空かず、せっかくの料理が口に入らず大変残念だった思いがある。

 もう、誘われても二度と行くもんかと心の中で誓う自分なのであった。

 だがその誓いも早々に打ち砕かれるのだ。


続きます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Ramen guide for semiconductor engineer 諸田 狐 @foxmoloda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る