第二話 帰り道、白の少女と異界






「ウッソだろ…………」


 時刻は21時。バイトが終わり、帰路につこうと店を出た俺は思わず頬を歪ませ言葉を紡いだ。


 何せ目の前に広がっている光景は今年一番なのではと思うほどの暴風雨だったからだ。

 天気予報で雨が降るのは知っていたし、仕事中もちょくちょく外を見ていたのである程度把握しているつもりではあった。

 だが、まさか着替えている僅かな合間に雨足が更に酷くなっているなんて思いもよらず、驚いてしまったのだ。


「電車は止まってないな?……行くか」

「おい、一瑳くん!」


 スマホで電車の運行について確認していると背後から声をかけられた。

 声の主は誰か分かる。振り返って見ると、そこには長い白髪を後ろ一つ纏めた髪型と、短く刈り揃えた髭が特徴のエプロン姿の痩せぎすの老人が立っていた。

 彼はこの店の主であり、俺の大叔父にあたる人物の鷲尾わしお理太郎りたろうさんだ。


「理太郎さん?」

「雨が酷い。危ないから家まで送るよ」


 どうやら僕の事が心配で店奥から飛び出てきたらしい。

 有難く今すぐに飛びつきたくなるほど魅力的な提案だ。


 でも…………


「ありがとうございます。でも電車は動いてるみたいなので大丈夫ですよ、曾祖母ひいばあちゃんが1人になる方が心配です」


 理太郎さんは、現在寝たきり状態の母親と二人で暮らしている。

 曾祖母は受け答えはハッキリしているものの足腰が弱く、世話をしてくれる人が常に傍に居なければ、まともに生活できないような状態だ。

 つまり、俺なんかより余っ程人の助けが必要な人で、それをワガママ一つで妨害する訳にはいかない。


「それはそうだが……」

「俺の事なら大丈夫ですよ、もう高校二年生です。夜道くらい1人で帰れます」


 俺は終始笑顔で理太郎さんに向かい合う。

 心配をかけてくれるのは嬉しいが、それ以上に曾祖母の事を優先して欲しい気持ちが強いのだ。


 そうして、軽い問答を重ねた後に、折れたのは理太郎さんだった。

 彼はしょうがないなと心配な面持ちのまま笑って俺を見送ってくれた。


「風が強い、枝葉や瓦が落ちてくるかもしれないから十分に気をつけて帰りなさい」

「はい、ありがとうございます」




 ◇




 雨足は駅に向かうまでの道を駆けていく間に更に酷くなっていった。

 傘は風が酷くてさすにさせず、水を吸った髪や制服が体に張り付き嫌な感触が体を包んでいる。


「恰好つけるんじゃ無かった!」


 後悔あとに立たず。とはいえ家に送ってくださいとお願いする為に理太郎さん家に引き返す訳より、ここまま駅に向かった方が精神的ハードルがまだ低いので俺は進路をそのままに突っ走る。



 住宅街を抜け、畦道を通り、踏切を超えていく。そうして、更に松原と線路に挟まれた道を沿って行けば駅が見えてきた。


 あと少し。

 そう思い安堵した時、松原の奥で何かが光った。



「なん……」


 何だ。反射的に光源を確認しようと走る速度を緩める。その瞬間。


「よけろ!!!」



 —————————闇の中から暴風と共に巨大な人型の生物が躍り出た。



「っつ!!」



 一瞬の事だった。突如として松原から飛び出て来たその真黒の巨人は、そこから一気に距離を詰めたかとお思えば、右手に持っていた大型バイク程の大きさの出刃包丁を俺に目掛けて振り下ろす。


 あまりに突飛な出来事に俺は反射的に体を強張らせる以上の反応はできない。


 そして、そのまま俺の頭は水風船の様に弾け飛ぶと思ったその時、もう一陣の風が吹き包丁の腹を蹴って、振り下ろされる前に刃先を明後日の方向に飛ばした。


「させるか!!!」


 風、否その人物は、そのまま蹴りを入れた反動を利用して素早く着地し、がら空きになった巨人の腹に全力の蹴りを入れた。

 響くのは爆発音かと聞き間違える程の脚撃の音。ドゴンッと迫力のある音と共に巨人は再び松原の闇の中に吸い込まれていく。


「大丈夫か!足が動くなら早く逃げろ!クソッ結界外に放り出された!」


 倒れ伏す俺に焦りを滲ませた声が掛けられる。

 声の主を確かめるため顔を上げ……そして目を見開いた。


 そこに居たのは、凛とした面持ちの少女だった。


 年齢は20代前後。髪色は白で長さはセミロング。血に塗れた黒色のロングコートと軍帽をかぶり、右手には刀を握っている。

 奇っ怪なのは腰の尻尾らしいパーツだ。偽物だと思ったが、妙に生物的で自由自在にユラユラと揺らめいている。

 一見何かアニメのコスプレかと思ったが、街頭に照らされシルエットの明暗がハッキリと分かれたその姿は写真として残したいと場違いに思う程、あまりにも様になっていた。


 だが、俺が目を見開いた理由はそこでは無い。理由、それは彼女の全身に走る生々しい傷だ。

 撲傷、裂傷、刺傷、火傷、咬傷……五体全てを覆っているのではないかと思う程、数え切れない傷を抱えながらも彼女は俺を守ってくれたのだ。


「っ!あんたこそ傷だらけじゃないか!」

「ボクの事はいい!立て!走れ!!逃げ……ゴボッ!」


 僕の声掛けに彼女が怒号で返した瞬間、大きく咳き込み口から血を吐いた。

 どうやら口内、あるいは内蔵にもダメージがあるらしい。

 よく見ると顔色は青を通り越して白く、ハッキリと大丈夫な様子では無かった。



「おい!」

「キミに何が出来る!頼むから逃げてくれ!何もしないでくれ!帰れ!邪魔なんだ!」


 俺は思わず彼女に手を伸ばす。だが、その行為はハッキリとした拒否の意で返された。


 当たり前だ。俺の中にある冷静な思考がそう呟く。


 幾ら満身創痍だろうが、先程の様子からも彼女の身体スペックが異常なのは明白。

 そして、相手は自分の常識には無い未知の怪生物。彼女の言葉の通り、何をどう足掻いても俺が彼女の役に立つことはできないのは状況が全てを教えてくれていた。



 だから、俺が口を噤めば、それ以上の会話は無かった。赤に塗れた白い少女は巨人を追って松原の闇の中に戻る。



「逃げるんだ…………っ!」



 俺は立ち上がり、鞄等の荷物はそのまま来た道を走って戻る。

 そして、背後から聞こえてくるのは甲高い剣戟音や松の木が叩き折られ、切り倒される音。

 なんだ、何なのだあれは?世界が違う。全ての常識がひっくり返され混乱が脳を支配しそうになる。



 だが…………このまま逃げ帰っていいのか?



「なん…………」



 再び走る速度が緩む。

 目を閉じると瞼の裏に映るのは先程の少女の姿。今思い返してみても、やはり彼女の表情や行為に余裕など微塵もなかった。


 あの怪我で、彼女はあの真黒の巨人に勝てるのか?


 ……分からない。だが、間違いなく言えるのは彼女が生き残る保証も他に助けが来る保証も無いという事だ。


 俺は焦る心のままに現場に戻ろうと振り向く。


『今晩、絶対に松原の奥には入らないで』


 ……だが、星那の懇願にも似た約束が更に頭に響いた。


 星那は何か知っていだろうか?

 ふと電車の中でのやり取りを思い出し、あの不自然な約束と不安気な態度に思考がそちらへと動いてしまうが深く考えている様な時間は無い。大事なことはただ一つ。

 彼女の真意はどうであれ、俺は星那と約束したのだ。松原には絶対に入らないと。


 でも……それでも…………



「ごめん、セイ…………!」



 死ぬかもしれない。

 自分に出来る事は何も無いのかもしれない。


 だが俺の心は、本能は、助けが必要な人間を見捨てる事が出来なかった。


 胸に広がるは責任感と恐怖と罪悪感。だが、もしかしたら何かの一助にはなれるかもしれないと、俺は無謀にも松原の奥へと駆け出した。




























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