第一話 教室と電車と約束
七月も中旬、時は放課後。
今週末から夏休みが始まるという事もあり、クラスメイト達どこか浮足立っていた。旅行の事、部活の事、バイトの事、中には追試と宿題に絶望している者もいるが、おおむね彼らの声色や表情は晴れやと言っていいだろう。
俺も予定はあるが、それを話せる友人達はそのストイックな性格故に一言言葉を交わした後に足早に部活に向かってもう教室内にはいない。
だから談笑するクラスメイトを横目に教室を出ようとした時、突然背後から誰かに抱き着かれた。
「イッサ!一緒に帰ろ!」
「うぉっ!」
慣れ親しんだ衝撃と共に視界の端で煌く長い茶髪、腰に回さされた細腕の感触。背中からシャツ越しに感じる感触と、軽く弾んだ声。
俺は抱き着いてきた人物が誰なのかを察し、
「セイ、普通に痛いから」
「はは、いやーごめんごめん」
そう言って、彼女、
俺と星那はクラスが別だ。人目を引く容姿の星那が教室に入ってきたのであれば嫌でも目につくはずだが、まるで気付かなかった。
おそらく教室から出ていく人ごみに紛れつつ死角から背後に回ったのだろう。相変わらず手の込んだ事をすると思わず小さく笑む。
「誠意がミリも伝わってこねーぞ?」
「まぁまぁそういわずにさー………あっそれよりも今日も一緒に帰れる?」
「今日はバイトだ」
「なら、途中までは一緒に帰れるね!」
「まぁ、そうなるな」
星那と一緒に適当に駄弁りながら帰るのは中学時代から高校二年の今までなんやかんや続いている日課の様なものだ。
それは俺が今年から始めたバイト……正確には親戚の手伝いを始めた後も変わらず星那は付き合ってくれるし、たまにバイト先に差し入れを持って来てくれるから頭が上がらない。
「よし!じゃあ行こう!田舎の電車は逃したら三十分は待たなきゃいけないからね!」
「そう焦んなって」
そして彼女は善は急げと言わんばかりに、俺の腕を掴み教室を出ようとする。
「ちょっ…………」
俺は彼女に引っ張られるようにして、出入口に向かう。その際「相変わらず仲が良いな」とクラスメイト達から生暖かな笑みを向けられながら、教室を後にするのだった。
◇
「ねぇ、一瑳」
「うん?なに?」
「一つお願いがあるんだけどいい?」
松原沿いを走る帰りの電車の中、隣り合って席に座り特に会話も無く、スマホを弄っていた時の事だった。
教室の時とは打って変わって、星那は物憂げな様子で俺の左腕を掴み、揺すったかと思えば、何処か懇願するかのようや声色でそんな事を言ってきた。
「お願い?」
「うん、その………今晩は絶対に松原の奥に入らないで」
「松原?」
松原、それはこの町の名前にもなった名所である。
正式名称は『黒の松原』。名前の通り海沿いに弧状に広がる黒松からなる防潮林であり、その美しく異世界に迷い込んだと錯覚するような雄大な光景が見れるらこの町シンボルとも言える観光スポットだ。
「出入りする予定は無いが……?」
「それでもだよ、知らない?最近なんか怪しい連中が夜出入りしてるってやつ」
「そうなのか?」
「そうだよ、真夜中に廃墟で何かやってるって」
俺のバイト先は親戚が経営している松原沿いにある小さな書店で、最寄り駅の目の前にも松原が広がっている。
故に、出入りしようと思えば簡単にアクセスできるので、星那はそこを危惧しての発言ではあるのだろう。
だが、その発言に対し俺の中から湧き上がった感情は困惑だった。
正直、今星那が言うような黒い噂は松原では昔からまことしやかに囁かれている。
松原は管理された人工林特有の整然とした美しくも自然の暖かさも感じさせる昼の姿から一変し、夜の帳が下りれば人の領域では無くなった様な気味の悪さと冷たさを感じさせる事でも有名だ。
心霊スポットとしての知名度もあり、やれ怪奇現象が起こるだ、やれ自殺者が後を絶たないだ、やれ幽霊が出るだ、そういった信憑性が薄い噂など数多く存在する。
警句を込めた昔話などもある。子供1人で松原に迷い込まないようにと化け猫伝説や魔女伝説なんてのは、この地域に住んでいれば昔から語り聞かされるものだ。
だからこの時、俺は彼女の通告をそういった誰かが無責任に流した噂話の一つだとそう認識した。
「ふーん、なるほどなぁ」
「信じてない?」
「まあ正直…………」
「うーん、だよねぇ…………」
星那は顎の先を指で撫で思案気にため息を吐く。
そして、俺の腕を掴んでいた手離し、そのまま下に下にとスライドさせて手を握った。
「一応本当の事だからね、絶対松原の中に入っちゃだめだからね」
「用も無いのに行かないって」
「それでも心配なの!」
「そこまで疑うなら、セイも一緒に来れば良いじゃん。監視したら?」
「出来るならしてるって〜」
星那は、ぐでーっと膝に乗せていたバッグを覆うように上体を倒す。
「用事?」
「そう、それも外せないヤツ」
星那はやるせなさ気に頭を振る。
頭でも撫でてやろうかと思案するが、左手は星那に捕まっているのでできない。
だから、少しだけ彼女の手を優しく握り返すに留めた。
「絶対だから……約束して」
「わかったよ。セイの言う通りにするから」
「……………わかった。許してあげる」
「おい、何も悪いことしてないだろ」
「私を不安にさせた」
「理不尽過ぎるって」
そんな事を言い合っていると目的の駅に着く。
「ついたな」
僕は立ち上がり星那の手を解こうとする。だが、彼女は離さない言わんばかりに何故か手に入る力を強めた。
「星那」
「…………大丈夫、分かってる」
僕が一言彼女の名を言うと星那は名残惜しげに握り合う手を見つめる。
「約束だからね」
「分かってるよ、それじゃまたな」
「うん、またね」
繋がれた手が解かれる。
僕は星那の視線を感じつつ電車を降り、バイト先に向かう。
この時の俺はいつもの日常、いつもの光景、他愛のないやりとりの一つとして特に感慨も感じずにこの場を去った。
これが、一瑳と星那の今生の別れになると知らずに。
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